フランス・ハルス美術館

フランス・ハルス美術館は市の南の美しい裏通りにある。もともとは1608年に建てられた救貧院で貧しい男の老人を世話するために使われていた。救貧院は金持ちが神への奉仕として自分の善行を示すため資金を投入していることもあって単なる収容施設以上の威厳を備えている。美術館になったのは20世紀に入ってからで、入り口のファサードの頂上には救済箱を抱えた老人の像が立っている。



ここに来ると17世紀のハーレムの人々に会うことができる。フランス・ハルスが描いた大きな集団肖像画が7枚も展示されていて、画面の中の人物はいまにも話しかけたくなるほど生き生きと表現されている。集団肖像画という画風は17世紀のオランダ独特のもので、商売に成功した金持ちたちが割り勘、つまりダッチ・アカウントで描かせたものだ。





17世紀のオランダには絵の注文主になる王侯貴族がいなかったことや宗教改革で教会からの絵の注文が激減したこと、さらに商人の台頭し自分たちの肖像画を残すことが流行になってそれまでとは違った様式の絵画がもたらされたとされている。





しかしそれだけではない。大型の絵を描くための支持体としてキャンバスが利用できるようになったことも背景にある。キャンバスは16世紀のベネチアから使われだしたが、それまではほとんどが木の板で大判のものを用意するのは困難だった。ダビンチの時代の大型作品は教会などの壁画が中心で、描かれる対象も限定されていた。ちなみにモナリザはポプラの板に描かれている。



海洋国家だった17世紀のオランダでは帆船のセール用に強靱な布が求められヘンプ布が多量に生産されていた。絵画のキャンバスはそれを転用したもので、要するに、キャンバスとはヘンプのことなのだ。それはキャンバスという言葉がカナビスから派生したことからもわかる。



17世紀のハーレムの主要産業の一つが亜麻布の生産で周辺に拡がる湖や川と砂丘を利用して漂白が行われていた。織物の技術も高度に発達して模様を織り込んだダマスク織りはハーレムの特産だった。ハルスの絵にはそうした布がたくさん描き込まれている。ハーレムの布はどこよりもしなやかで薄く白いと評判だった。絵の中のハーレムの人々が着ている服は信じられないくらいに繊細で驚かされる。





フランス・ハルス美術館を後にすると、いよいよハーレムがヘンプ・シティだという思いが強くなる。ハーレムの経済や絵画を下支えていたのはまさにヘンプだったのだ。

(2003年10月)