カナビスとともに40年

愛する子たちに送る父の日のメッセージ


ジョージ・ロールバッハー

Source: Norml Blog
Pub date: 15 June 2008
A Grandfather Looks Back on 40 Years of Happy Pot Smoking
Author: George Rohrbacher, NORML Board Member
http://www.alternet.org/drugreporter/88210/?page=entire


ウッドストックが終わってから約6週間後の1969年秋、デンバー大学の最上級生になっていた私は、キャンパスから2つ目のブロックにあるアパートに引っ越した。火曜日、新しいアパートでの最初の日だった。隣の住人にフライパンを借りに行くと、ハニー・ブラウンの長い髪をした若く背の高い女性が現れた。これまで見た中で最も美しい女性だった。借りたフライパンを手にした私は、数分間、ただただ呆然として外のポーチに突っ立っていた。

次の日の水曜日の夕方、まだカーテンもないリビング・ルームの窓を誰かがノックしているのが見えた。野性的な目をしたやぎ髭の小さな男だった。顔はこれ以上ないというほど嬉しそうに微笑んでいた。片手には親指と人差し指に太いジョイントを挟んで持って見せながら、もう一方の手の人差し指は隣を指さしていた。隣の目の覚めるような彼女が彼に頼んだらしい。彼女が私に会いたがっている! 行ったかって? そりょあもう当然!! 人生でこのような誘いは二度と有り得ない!!!

数分後、彼女のアパートでわれわれはファット・ジョイントに火をつけた。信じられないような楽しい時間が過ぎていった。アンは、外見がカッコイイだけではなく、立ち振る舞いもスマートでユーモアがあって親しみやすかった。美しいのは外側だけではなく内側もそうだった。私の目には、アンがホーミング・ビーコンのように輝いていた。木曜日、アンの教室にいって彼女の詩を書いた。金曜日には、アンの両親に会いに飛行機でシアトルまで行った。初めて出会ってから1週間とちょっとで私は彼女にプロポーズしていた。

……今から38年前のことだ。それから何キロものカナビスを吸った。


父親としての責任

1970年6月、アンと私は、シアトルのプジェット湾のヨット・レースがよく見える丘の上で結婚式を挙げた。6年後、最初の子供が生まれた。その時から親の責任も生まれた。その後に3人の子供も授かって責任は20年以上続くことになったが、孫ができて開放された現在からすれば、父親としての責任は人生でも最も素晴らしいものの一つだったとつくづく思う。

子供を育てるというマラソンへのチャレンジは、アンと私がまさにこの地上に生きていることの証もであった。3人の息子と1人の娘は今では25才から33才になっているが、それぞれ、エール、ラファイエット、コルゲート、コーネル大学を卒業している。4人のうち3人は体育協会の第1部に所属するアスリートとしても活躍した。みんな転校することもなくきちんと4年で卒業することができた。2人はすでに結婚していて、現在、アンと私には4人の孫がいる。


1988年当時のジョージとアンと4人の子供たち。
この写真が撮影されたのは、ジョージの40年のカナビス歴のちょうど中間の時期。
(写真クリックで拡大)



愛情ある厳格な親

アンと私の結婚は60年代のフラワー・パワーが生み出したものだったが、私は、子育てでは 「愛情ある厳格な親」 に変貌した。酪農を営み、牛の飼育をビジネスにしていたが、住んでいる場所は隣の農場の家からは5キロも離れていた。子供たちが成長する時期にはインターネットはもちろんのこと、時間と注意力を奪うテレビさえも置いていなかった。その代わりに、開拓時代の家族のようにみんなで何でも話し合った。

子供だちは全員が、学校に行くようになるずっと前に文字を読むことができるようになっていた。ショッピングモールに出かけて時間をつぶすなど無理で、何かに飽きたら本を読んだり、外で遊んだり、自分でゲームを作ったりするしかなかったからだった。お陰で、子供たちの成績はBよりも低くなったことはなかった。また、酪農で暮らしているので、毎日の仕事はいつも山のようにあった。

その代わりに、家ではいつもみんな一緒だった。妻のアンも私もさまざまな親の役目の中でも最も中心にすべきことは、子供たちが自分で自分の世話をできるようにすることだと考えていた。われわれは子供たちの友達ではなく、親として生きているので、彼らが可能な限り早く一人立ちして巣立てるように準備をすることがわれわれの仕事だと思っていた。

子供たちには、よりよい農家をつくることを目指した4Hクラブやスポーツなどをはじめとするさまざまな活動に加わるように仕向けた。子供の持つエネルギーを適切に発散させるようにすることは、強い子供をつくる上での親の要諦でもある。子供には2種類以上のスポーツに取り組むようにすすめた。無理な場合には演劇やバンドをやらせた。


単純なドラッグ・ポリシー

子供とドラッグに関するわれわれのポリシーは単純だ。ドラッグはすべてダメ。ビールもワインもアルコールはダメ。医薬品もダメ。カナビスもダメ。もちろんハードドラッグもタバコもダメ。ほとんどの親が例外としているカフェインであっても、少しでも入っていれば決して認めなかった。紅茶とコーヒーは大人の訪問者のために止む終えず用意することはあったが、清涼飲料水の類は家に絶対持ち込まないようにしていた。

われわれの親としての子供のドラッグ問題に対する考え方は、「どんなドラッグにも手を出すな。子供の時期には子供でいることが一番だ。大人のすることは、大人になってからでもたっぷりと時間があるのだから」 と言うものだ。

驚くべきことに、大人になった4人の子供たちは今でもカフェインに中毒するようにはなっていない。大人ばかりか子供にまであまねく使われているカフェインは、アメリカの最大で他に類例のない 「ゲートウエイドラッグ」 とも言ってもおかしくない。

今では、キャンディーから甘味を付けたドラッグ・ドリンクとも言えるエネルギー・ドリンクに至まで、あらゆる商品にカフェインが入れられている。エスプッレッソの店はいたる所が 「ミニ興奮剤」 コーナーになっている。だが、子供にはいかなるカフェインも必要ない。

また、子供には、工場で作られる清涼飲料水のようにコップ一杯にスプーン12杯分の砂糖やコーン・シロップが入った飲み物なども絶対に必要はない。社会は、そのようなものは成長期の若者が摂る食品ではないことに気づくべきだ。

発育中の若者の脳や精神はわざわざ外部から刺激を与えなくても、内部だけでもさまざまな挑戦を受けている。人間の神経システムが成熟には時間がかかりデリケートだ。精神を刺激する薬物などはそのプロセスに何の役にもたたない。

ハイになることは、それがどのような種類であっても、自動車レースやスカイダイビングのように対処しなければならない。少なからぬ危険があり、それ故に大人のみに許される行為なのだ。


本当のドラッグ問題

私の知る限りでは、アルコールやドラッグで深刻な問題を抱える人の大多数は13才とか14才という若い時期に家にあるアルコールや医薬品をこっそりとせしめて使い始めるようになるのが一般的だ。本当に悪い習慣で、よい習慣がしっかり根づく前に簡単に身につきやすい。

アンと私は、子供たちが幼いときからドラッグの危険については何でもオープンに正直に話してきた。アンの最も若い2人の兄弟たちが、ヘロインとコカインとアルコールで悪夢に悩まされるようになったことや、お爺さんが酔っ払い運転で捕まったことなどを話した。

また、おじさんがアルコールで夢遊病者になって毎晩ベッドを抜け出すようになったこと、別のおじさんがアルコールに酔っ払って騒ぎを起こして逮捕されたり、酔っ払い運転でも捕まって、家から遠く離れた刑務所に入れられて、一人で残された子供のためにベビーシッターを電話で頼まなければならなくなったことなども話した。

われわれの家系の現実をフィルターなしでそのままストレート伝えるアプローチには予防効果があった。例えば、息子たちの一人は自分の家系のアルコール問題の現実を知って、21才になるまでは絶対にアルコールを口にしないと自分に密かに誓っていた。そして、それを守っていた。

アメリカの未成年の大学生の20%以上が毎年アルコールを飲むようになると言われているが、エール大学に進んだ息子は、アルコールに毒されたルームメイトから、「不快にさせないでくれ。このままだと死んでしまう」 と懇願されて始めてアルコールを口にした。そのせいもあってか友人は生き続けることができたが、コルゲート大学の娘の友だちの何人かはアルコールに起因する災いで亡くなっている。

4人の子供たちの延べ16年間にわたる大学生活を見てきた親の感想からすれば、アメリカの大学ではアルコールが最も危険なドラッグで、他をはるかに凌いでいる。一方では、カナビスによる最も危険なことは単にそれで逮捕されることで、それ以上の害があったという話はどこからも聞いたこともない。


子供や孫を守るベストな方法

アンも私も大家族の出身だが、ベビーブーマーだったこともあって兄弟姉妹とその配偶者の親類数はわれわれも含めて29人にもなる。全員が60年代に育ち、過去のどの世代よりもドラッグとアルコールのメニュー数に囲まれていた。その意味で、この29人は一つのサンプル・グループだとも言える。

それから40年が経って、このグループで最も危険だと証明されたドラッグは何か? 言うまでもなくアルコールだ。この40年間に他人の世話にならなければならないほど深刻なアルコール問題を起こした親類は8人で、全体のおよそ3分の1にも達している。

しかし、この29人の他にもその子供たちや叔父や叔母も含めて、カナビスで同じような問題を起こした者は誰一人としていない。

私たちが子供を守り育てる上で、郡全体で信号機が一つしかないような超田舎だったことが大きく幸いした。カナビスを使うことに関しては、子供にも誰にも話さず一人で密かにやることだけを心がけていた。気付かれて警察に逮捕されないようにすることが、子供の安全を守るのにベストの方法だったからだ。

だが、周囲の環境も大きく変わり、子供も大きくなり巣立っていった今では、子供を守るという親にとって第一義の仕事にも変化が必要になった。現在では、子供や孫を守るベストな方法は、声を大にしてアメリカの破滅的で非生産的な狂ったカナビス法を変えるように活動することで、自分の子孫やその友人たちがこの残忍なミートグラインダーの餌食にならないようにすることに変わった。


カナビスだけの人間に進化した

妻のアンは、子供を生んで育てる何年もの間、彼らの安全のためにドラッグの類は何も使わなかった。アスピリンですら滅多に使わなかった。同じ時期、私はアルコールを完全に止めて、カナビスだけの人間に進化した。

子供たちが成長して理解できる年齢になった時には、叔父や叔母のドラッグ問題についても率直に話してきた。だが、私は、彼らの前では決してカナビスを吸ったりせず話もしなかった。しかし、間違いなく彼らは自分の父親がカナビスを使っていることを知っていた。大きくなれば自然と分かることだからだ。

私は、毎日飼っている牛をチェックしてから森に行ってハイになりあちことを散策した。これは、郊外に住んでいる多くの中年の人たちが、夜になると犬を連れ出して散歩しながら一人でこっそりカナビスを楽しんでいるのと同じようなものだ。

だが、家族の中では長い間隠しておけるような秘密などはそうそうあるものではない。私が自分のカナビス使用をどんなに秘密にしていたところで、子供たちはやがてそれに気付くようになる。私の60年代の若いころの写真を見ていてそれを感じるだろうし、あるいは、時々私の息が匂うことも気付いていたに違いない。

この問題に関する私のやり方は、人生の他の分野での開けっぴろげの率直さとは全く正反対に、カナビスについては子供たちに何も話さずひたすら沈黙を貫くことだった。

私は、正直で道徳を重んじる人間で、妻が子供たちに愛情をささげ、市民として税金を納め、あらゆる面で法を遵守することに努めてきた。例外は、政府がカナビスを使うことが認められていないといくら言い張っても、絶対に聞き入れないことだけだった。

だからと言って、子供が成長して物事を理解できるようになっても、彼らの前でカナビスを弁護したりするようなことも決してしなかった。国の悪辣な反カナビス・プロパガンダもそのまま見せて、何も言わなかった。私は、彼らがもっと大きくなれば自然に真実が分かるようになると信じていた。


農場ではカナビスを育てることができない

1980年代に入る頃になると、政府はすべての郡で、例えどんなに小規模カナビス栽培であって発覚すてば農場や家を差し押さえ始めた。私は、家族と農場の安全のために自分でカナビスを育てることを止めた。

70年代末から80年代の始めにかけては、1100エーカーの農場を抱えていたわが家は経済的に非常に苦しい時期にあったことから、やむを得ず自分を押し殺した。カナビスのこととなると途端に過剰なほど熱心になる警察連中に、たった数オンスのカナビスのために農場を盗まれるわけにはいかなかった。

それからは、他の人たちと同じようにブラック・マーケットで自分のカナビスを買うようになった。当然、価格は明朗なものではなく闇値だった。私は、それ以降の30年間、作物を育てる農民としては、植物を育てることに過剰な注意をはらうようになった。


カナビスは人類に与えられた聖体

私にとって、カナビスを食べたり吸ったりして得られる至福感は素晴らしい。活性成分であるカナビノイドは、私の脳を奇跡のように害毒もなく潤滑にしてくれる。思考が開放されて、興味あることが次から次へと湧き出してきてほとばしる。

ハイになって、岩や木の切り株に座って自然と対話していると、崇高で聖なる瞑想の世界に引き込まれる。40年近くたった今では歓喜と敬虔に包まれた何かを成し遂げたような気がする。次の40年間も続けたいと思う。

人類は、農業という営みは始まって以来、精神作用を求めてカナビスを栽培し続けてきた。何千年もの昔からヒンズー教徒たちは、この地上に生きる人生の精神の世界を求めてカナビスを使って精神を高めてきた。彼らは、カナビスを人類に与えられた聖体だと信じている。

また、聖書の創世記(1:29-31)の第6日目にも次のように書かれている。(ちなみに、カナビスの種にはたんぱく質が33%も含まれている。)

『神は仰せられた。「わたしは、全地の上にあって種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与えた。それがあなたがたの食物となる。また、地のすべての獣、空のすべての鳥、地をはうすべてのもので、いのちの息のあるもののために、食物としてすべての緑の草を与える。」 するとそのようになった。神はお造りになったすべてのものをご覧になった。それは見事なものだった。』


子供たちにはどう教えればよいのか

だが、 ドラッグ・フリー・アメリカなどのような団体はどうだろうか? 彼らの独善的な正義感は、悲しいほどまでに悪趣味な冗談だ。政府から金をもらい、過剰なカフェインと薬り漬けと多量のアルコールで腐敗している。

アメリカのアスリートや競争馬はステロイドに侵され、われわれの社会では、あらゆる種類の医薬品の宣伝が毎日の執拗に繰り返えされ、至る所に溢れかえっている。聞くところによると、現在のアメリカでは40万種類の処方医薬品と売薬があると言う。

それでも、ファミリードクターを訪れる人たちは、魔法の成分が入ったさらに新しい薬を処方してもらいたいと思うのが普通になってしまっている。

そんな境遇のなかで、子供たちにはどのように教えればよいのだろうか? 私の 「ドラッグを安全に使うのための普遍的な経験則」 は、次の3つにまとめることができる。

1) 毒性があり、簡単に致死量を摂取できるようなドラッグはすべて避ける。(カナビスには毒性ななく、致死量もない)
2) 二日酔いや禁断症状の出るドラッグはすべて避ける。(カナビスはそのどちらも引き起こさない)
3) 毒性のないナチュラルな精神活性物質だけを求める。(カナビスは自然が人類に与えてくれた贈り物で、あらゆる精神活性物質の中でも最も安全で、治療効果すら備わっている)


みんな巣立って行った

今では、子供たちはみんな大きくなって巣立っていったが、その後も私のカナビス・ウォークは続いている。あらゆる機会をとらえて最低でも週に5日は出かけるようにしている。子供たちがまだ家で暮らしている時に、ハイになって森をトリップしながら多くのことを学んだ。

森を散策することは、心臓や慢性的な背中の痛みや弱った足にとても良いばかりか、何よりも精神に非常に良い。バドガー山に登り、スウェール・キャニオンの霧の中からの日が昇ってくるのを眺め、赤い尾をした鷹が私を呼ぶ声を聞く… 美しく神妙な日の出と日の入り… カナビスでハイになって歩き体を伸ばすことは私にとってこの上ない良い効果をもたらしてくれる。いっそう楽しくなるし感謝の気持ちも強くなる。さらに意欲的にもなる。

今では60才の農夫になったが、25才の頃にやっていたたくさんの肉体労働を同じようにこなしている。また、幸運なことに、私は医療カナビス法のあるワシントン州に住んでいるので、合法的にカナビスを使うこともできるようになった。ワシントン州では、1998年に住民発議による医療カナビス条例が、議会の反対を押しきって住民の賛成多数で成立している。

思うに、私がこのように長く幸福な人生を過ごせたのは、愛する妻と、野外の活動、精白していない穀物、果物、野菜、ビーフ、海産物、純度の高い湧水、それとカナビスにめぐまれたからだ。


愛する子供たちへ

私たちの子供は、現在では立派な大人になっている。今なら、カナビスについてどのように話すべきなのだろうか? また,孫たちが大きくなって物事が分かるようになってきた時には、私はどのように話すつもりなのだろうか? その答えを手紙にしてみた。

2008年父の日
愛する子供たちへ

カナビスは、人類に知られている中でも最も安全で治療効果もあるドラッグの一つだと証明されています。私も40年間にわたって使ってきましたが、害は全くなかったと言えます。

カナビスは、何十年の脳のアドベンチャーを経た現在でも興味と閃きを与えてくれます。大人になった時に、もしそのような目的でドラッグを選択することがあるならば、私が奨めることのできる唯一のドラッグはカナビスしかありません。

カナビスは私にとって喜びです。必要があれば簡単に離れることもできます。

また、カナビスは心や体を癒してくれる特性も備えています。この点については、その可能性を疑って夢だろうと思っていたこともありますが、年の重ねた今では確信することができます。

これからますます年を取って行くことになりますが、スポーツや仕事で痛めた怪我には今まで以上の癒しが必要になってきます。間違いなくカナビスは、私の人生の質を維持し、愛情ある生活を送るのに役立ってくれます。

愛の込めて
今は祖父にもなった父より

15年前、娘は本当のことを教えてほしいと言ってきた。だが、その時は答を避けてしまった。それ以来そのことをずっと恥じていた。今、その答えをやっと書くことができた。遅くなったけれども、ずっと何も言わないよりもよかったと言ってほしいと願っている。

NORMLの理事でもある ジョージ・ロールバッハー 氏は、アメリカ・ワシントン州東部で牛の牧場を経営している酪農家で、多角的な灌漑農場でグレープ、ミント・オイル、スイート・コーンを始めとする何種類もの作物も育てている。

国際的な農業コンサルタントとしても知られ、ロシアやエジプトでも指導している。また、数年間にわたって田舎の経済発展を促進することを目的とした非営利組織の理事長を務めていたこともある。その後、ワシントン州の上院議員(共和)やコロンビア川渓谷国定景観保護区(Columbia River Gorge National Scenic Area)の理事なども務めている。

また、ボード・ゲームの発明家としても有名で、農家経営をベースにした各種のゲームを製作販売している。国際的な賞も受賞している。

農場や家族のことを描いたエッセイも発表している。