もはや大麻しかない

大麻はマリファナであり、昔から日本で栽培されてきた麻である。

大麻使用の有益性が世界周知の事実となっている今日、わが国で大麻を規制する理由は、保健衛生上の問題でも社会秩序の問題でもなく、ただ単に「法律にそう定められている」というだけである。

私たちは十年近くに亘りあらゆる機会をとらえて、刑罰をもって大麻を規制することの不当性を、管轄する省庁、摘発に携わる現場の役人たちに訴え続けてきた。

だが、彼らの答えは必ず「だったら法律を変えろ」である。
これが国民から社会正義を付託され、国民の生命と財産を守るために働く公僕たる人たちの認識だという。

よくも主権者をたばかったものである。

「税金泥棒」という言葉がある。
これは高度成長期の頃、自衛隊の蔑称だった。
冷戦下において自衛隊はまったく無力だったことと、戦争に負けて、戦争責任を一人負わされた軍人には何の権威も発言力も無かったからだ。

しかし戦争責任を問うのなら、役人のほうこそより重大だったはずだ。
帝国軍人は自国民には銃を向けなかったが、内務省の役人達は戦争遂行のため国民の思想を統制し、それに従わない者は投獄した。
その理由も今からすれば「法律がそうなっている」だけである。
そして未だにその責任はとっていない。

戦後、日本は軍事国家から平和民主国家に生まれ変わったと私たちは学校で教わったが、事実はそうではなかったのだ。

占領軍がやってきて、戦前からの体制から軍人だけが追放され、内務省を中心にした官僚システムは日本統治のために、名前を変えて温存された。

現在、大麻規制に関わる法務・検察、警察、厚生労働等は旧内務省を母体にしている。

役人達は国民のために働いているのではなく、自己存続のため、権益を守るため、意識の自由を封印し、強いものに従っていることを麻は教えてくれている。
それは愚かしくも悲しい滅びの道である。

振り返って、違法下の日本で大麻を吸っている者は幸いだ。
人生のどこかで、身の保全より意識の自由を選択したからだ。

それは、人が何を吸おうが何を食べようが、そんなことは己自身には関係ないということなのだ。

人の行為で自らに危害が及ぶなら、それは自分に原因があることを自由な意識の者なら理解できるのだ。
そして、自らが変わらなければ世界は変わらないことを葉っぱ吸いは知っている。

だから私達はより多くの人に大麻を教え、より多くの人と大麻を吸っている。


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