ドラッグと死刑制度

投稿日時 2009-02-24 | カテゴリ: 白坂の雑記帳

現在、30か国以上がドラッグ事犯に対する死刑制度を持っているようだ。
実際の執行は年々減る傾向にある。だが、アジアではまだまだ多く、マレーシアでは2004年7月から1年間に36人、ベトナムでは毎年約100人、中国では2005年6月には2週間でまとめて55人が処刑されている。
●ベックレー・ファンデーション 『国連のドラッグ政策には人権ベースのアプローチが必要』28p(PDFファイル)

特に顕著なのがタイで、2003年にタクシン首相が厳罰化したドラッグ戦争を立ち上げ、最初の3か月で2500人が処刑された。しかし、彼が失脚した後に設けられた調査委員会が調べたところ、全体の半数以上の1400人がドラッグとは無関係だったことが判明している。

また、ドラッグで死刑になるとよく引き合いに出されるシンガポール(人口500万人)では、1991年以降400人以上が死刑になっており、その76%がドラッグ事犯で、2000年には17人、2001年には22人が処刑されている。こうした数を日本に当てはめれば約500人に相当する。

ドラッグ事犯での死刑制度は、もともと治安維持的な側面を強く持っている。当然のことながら、アジアでは独裁体制の国ばかりなのも無関係ではないだろう。
●Most Killed in Thailand’s 2003 Drug War Not Involved With Drugs, Panel Finds (2007.11.3)

ドラッグは、なぜ治安維持の理由にされやすいのか。体制側にとって、敵対するターゲットの荷物に現物を簡単に紛れ込ませることができるうえ、ドラッグ撲滅という大義のもとで動かぬ証拠を突きつけられるからだろう。

大麻に使用罪を新設しようと画策している日本政府も似たようなものではないのか。大麻は、吸うのでなければ、本人の意志とは無関係に食べさせたり飲ませることが簡単にできる。だから、陥れようとする人間に気付かれないように摂取させ、尿検査が陽性になるように画策することが簡単にできる。
昨年、ロシア人力士2名が尿検査で大麻の陽性反応が出たとして解雇されたが、本人たちが故意に吸引したという証拠は何もなかった。それなのに、検査を担当した「学者」は、副流煙ではなく、相当量を自己吸引した反応だと言い、マスコミはそれを疑いもせず、スポーツ競技のドーピング検査と、職場における違法薬物使用検査の区別もしないまま報道した。

独裁国家や警察国家では、ジャーナリズムは体制の補完物に過ぎない。戦前・戦中の日本がそうであったように。そして、日本でそのような社会体制が崩れたのは、日本人自身の闘いや努力によるのではなく、敗戦によるものだった。ギブミーチョコレート、ギブミーデモクラシー。現在の日本における「民主主義」の脆弱さは、日本人自らが勝ち取ったものではないところに根本原因があり、それはお上に弱い日本人の精神性を示してもいるだろう。

ノーベル経済学賞受賞者のミルトン・フリードマンも指摘しているが、大麻禁止法は被害者のいない犯罪だから、販売者と購入者が自発的に取引しただけでは何も事件は起こらない。つまり、禁止法をまともに機能させることはできないのだ。政府が人々の自発的な活動に干渉し、強権的に禁止法を執行しようとすれば、結局は密告に頼るしか方法がない。この点でも大麻禁止法は治安維持法とよく似ている。
●ミルトン・フリードマン インタビュー ドラッグ禁止法とドラッグ戦争(2008.7.31)

治安維持法と同様に、独裁的な体制側にとって、ドラッグは国民を逮捕するのにとても便利なトビ道具だ。ドラッグ政策に限らず、ジャーナリズムの死滅を見ても、マトモに機能しない司法を見ても、いともたやすくマスゴミに煽られる世論を見ても、日本はますます警察国家の色彩を強めつつあるように思う。





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