人の為にならない役人はもう要らない

投稿日時 2005-06-15 | カテゴリ: 桂川さん裁判

桂川 直文

企業が倒産するとその理由として最も多く挙げられる言葉が組織の「官僚的体質」である。この言葉はずっと昔から使われてきたが今だに死語になっていない。それどころが日本国は官僚によって運営されているのだからいずれ日本が潰れるのは既定の事実といえる。だから私はここ何年かは国家の破産を前提に行動してきた。

官僚的体質と聞いて連想するのは「前例踏襲」「横並び」「責任回避」「権威主義」などだが、そうした悪弊を内部から批判できない「自由にものを言えない風通しの悪さ」が真の官僚的体質だと私は思う。日本のお役所では、黙して強い者に従って、決められた通りにやっている限り給料が貰えて生活ができる。そんな環境に居れば誰もが強いていらぬ波風を起こそうとはしないのだ。

大阪市の関淳一市長は市役所のあまりの腐敗に「このままでは大阪市は消滅する」と発言した。しかし現実的には大阪市が消えて無くなるわけでも他の都市に吸収されるわけでもない。将来も大阪の街は在るだろうし公務員も残っているだろう。従って大半の市職員は市長の言葉に高をくくっているようだ。
本当に生活が立ち行かなくなり、市民も役人も塗炭の苦しみを味わうようになって初めて自らの愚かしさを知るのである。そんな時になって役人の悪口を言ったところでどうにもならない。それこそ天に唾を吐くようなものである。私は精神のアリバイつくりと将来の免罪符のために役人を批判している。

実際、大阪ローカルニュースに接していると、市役所の腐敗ぶりは凄まじいものがある。この大阪市役所をはじめ、大阪府庁、大阪府警、JR西日本、そしてヤクザの町大阪、日本の腐敗のど真中、大阪市都島の大阪拘置所で今私は暮らしている。

私の居る雑居房の未決囚の半分はシャブでパクられた奴らだ。大阪では覚せい剤を所持していて検挙されても「西成で買った」と言えばそれ以上追求されない。大阪の西成地区では路上で堂々とシャブの密売が行われていて、サツはそこに買いに来る客を挙げていれば点数が稼げる仕組になっている。年に一度大がかりな摘発が行われるが、すぐまた違う密売人が湧いて出てくる。ここには密売予備軍はゴマンと居るのだ。

最近東京から若いヤクザが1人、シャブ密売でパクられて私の雑居房にやって来た。厚生労働省近畿厚生局麻薬取締部の捜査官、略して「キンマのマトリ」に踏み込まれて、メッタメッタにやられてボヤいていた。
「まんず、どっちがヤクザだか判かんねえべ」
彼は東北出身で訛りが抜けないので大阪弁でまくしたてるキンマのマトリにまったく歯が立たなかったようだ。(近畿麻薬は全国から捜査員が集まっているので全員大阪弁を話す訳ではない)彼が捕まった時には既にキンマによって図面が描かれていて、ろくに話もしないのに調書がつくられ、署名押印を強要されたことを怒っていた。

数々の薬害事件や汚職事件で判かるように、厚生労働省は厚生省時代から通して日本最低最悪の官庁であることは論を俟たないだろう。私はかつて、厚生省検疫課長だった宮本政於氏による内部告発の書「お役所の掟」を読んで、それまで漠然としか感じていなかったことが明瞭になった。そこには自分しか愛していない役人達のおぞましい狂態が書かれていたからだ。

厚生省のいくつかの汚職事件の中でも、私は元事務次官による特養老人ホーム丸投げ事件が最も印象に残っている。というのは、事件が発覚すると元次官はさっさと辞めて、まんまと退職金をせしめたことを、当時の部下達は「法律どおりだから問題ない」とコメントしていたテレビニュースを覚えているからだ。

俗に「クスリ九層倍」と言って、タダみたいなものが何倍にもなるのが薬品の製造販売事業である。厚生労働省が所管する薬務行政は巨大な利権なのだ。誰にでも栽培できて、様々な病気に効果がある大麻が1930年代にアメリカで禁止されたのは製薬会社による圧力が大きかったと言われているのも頷ける話である。

キンマのマトリ達の頭の中は本音と建前が完全に分離している。私が調書を取られた時も、マトリ達のやり方を非難する私に向かって担当官は「実に我々は建前で生きている」と胸を張っていた。そして私達の大麻使用を否定することなく「大麻を吸うならパクられない方法でやればいい、現物を所持しないようなやり方なら我々は捕まえようがない」と開き直っていた。また大麻自由化運動など青くさいガキの所業であると斬って捨てられ「何故そこまでして桂川さんは大麻自由化を成そうとするのか?」と訊かれたものだ。そんな麻薬取締官の中にもロックやレゲエを好む者がいる。ジョン・レノンやボブ・マーリーのファンでありながら、大麻規制は仕事であると割りきることが大人の分別であるとする麻薬取締官のメンタリティこそ私には理解し難いものがある。

あんなに私の前では威張っていたマトリ達だが、検事の前ではペコペコしていた。検察庁で私の家から押収した大麻を前にして、あーだこーだやっている姿は葉っぱごときでタヌキに化かされて、まるで「バカとアホウの絡み合い」である。何も知らない人からすれば、こんな役人達でも社会正義のために麻薬撲滅のために一生懸命働いている公務員ということになるだろうか。これが戦後愚民化教育の成果であり、精神の荒廃、堕落ではないだろうか。

それぞれの職能の手本となる人物は歴史上に登場している。それは我々のよく知っているヒーロー達である。遠山の金さんや大岡越前が今日の大麻裁判を傍聴したらどう思うだろうか?国定忠治が金融利権と結託して庶民を泣かせている現代ヤクザを見たら何と言うだろうか?公務員の手本ならば第二次世界大戦中に何千人ものユダヤ人を救った「命のビザ」で有名な元リトアニア公使代理の杉原千畝だろう。公僕の鑑と言われる人が規制を破った人というのは何とも皮肉な話だ。

私が大麻自由化を成そうとするのには大きな理由がある。それは運動の過程で信頼できる葉っぱ吸いのネットワークをつくることにあるのだ。葉っぱ吸いの中にもデタラメでいい加減な奴はいるが、それ以上でも以下でもない。刑罰による規制下で大麻を手にしている者は初めから自らの本質を晒している。大麻愛好者達はどんなに世の中が変わっても自己保存のために豹変するような者はまずいない。そん葉っぱ吸いの実業的職能集団によって経済が完結するのが私の理想である。

国家が破産するような事態になればインフレによって紙幣など限りなく紙キレに近いものになるだろう。ちょっとした買物でも札束を鞄に入れて持っていかなくてはならないかもしれない。そんな時に自分たちの仲間うちだけで通用する通貨があったらとても便利だと思う。(一時的には極上のハイブリット大麻がその役割を果たすだろう)しかしそんな仲間になるためには必ず人の役に立つ、農業でも大工でも何かのワザを持っていなければいけない。何も無いところで通せんぼをして金を巻き上げるようなことを仕事と称している役人達は絶対仲間になれないのだ。私は地域通貨の理念を大麻ネットワークで実現しようと思っている。

12年前、私が大麻自由化運動を始めた頃は、私の発言があまりにも過激で当局を刺激するとして、同じ葉っぱ吸い達に「ハタ迷惑だ」と袋ダタキにあったものだ。しかし今日ではカンナビストや医療大麻のサイトで当時の私より大胆な書き込みを散見することができる。大麻愛好者だけは確実に意識が進歩していることから私は間違っていなかったと自信を深めている。

大麻自由化は役人と民衆の力関係で決まる。人間は平等ではなく上下差別があり、何も生み出さない役人は一般国民より下である。だから私はこれからも威張った役人達の批判を続ける。

以上






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