第一次世界大戦の前に、麻薬物質に関する国際的合意はアヘンと関連物質の規制の仕組みを増大させた。アヘン剤に向けて、1909年に上海で、アヘン委員会は1911-1912年のハーグでの第一回国際アヘン会議におけるアヘン規制に関する枠組み協約に貢献した。
ハーグ会議がアヘンに専心する一方で、この会議ではイタリアが、主として保護国トリポリタニアとキレナイカ(1911年の戦争の間にトルコから獲得した)におけるハシッシュ中毒に基づいて、大麻に関する国際的な禁止法を働きかけた。アメリカでは、幾つかの州が大麻の非医療的な使用を禁止した。カリフォルニア(1915)、テキサス(1919)、ルイジアナ(1924)。類似した進展はアルコール使用に対する法的制限であった:フィンランド(1919)とアメリカ(1920)における禁止法、スウェーデンにおける配給制(1914年から)。スイスでは、大麻は1924年に非合法化された。
20世紀初期の国際的な大麻禁止法の重大な動因は、万国阿片条約の改正(1925)であり、それは、アヘン剤のほかに大麻を包含するために拡幅された。条約は、その使用を禁止した国に対する大麻樹脂の輸出を禁止した(Bayer and Ghodse, 1999)。条例への大麻の包含の背後のプロセスは激しく議論され(e.g. Lowes, 1966) 、徹底的に批判された(e.g. Kendell, 2003; Holzer, 2004)。そこには、第二回国際連盟アヘン会議を勧告している大麻小委員会がエジプトの強い大麻の禁止法についての要求に屈したというコンセンサスがあり、代表者は確かに議題に関する十分な努力を遂行する時間をほとんど与えられなかった(Booth, 2003; Kendell,2003; Holzer, 2004)。
1925年の万国阿片条約の承認の後、ヨーロッパ諸国は徐々に大麻使用と所持を非合法化した(e.g. the UK’s Dangerous Drugs Act, 1928; Germany’s second Opium Law, 1929)。それにもかかわらず、大麻犯罪の有罪判決の最初の大きな波は1960年代まで起こらなかった。1960年代と1970年代の公式の犯罪報告書は大麻の有罪判決をその他の違法薬物と区別していないが、研究は大麻以外の事例は極めて少ないことを示す。Böllingerは、ドイツにおける1960年以前の千件未満の'麻薬事件'(警察記録)の大半が'年老いたモルヒネ常習者由来'に関連していたことを示す (Böllinger et al., 2002)。カナダでは、検知される最初のマリファナの押収は1932年まで起こらなかったが、遥かに後、1960年に合計261の薬物犯罪の有罪判決をと共に、広範囲に及ぶ法執行が報告された(しかし、大多数はヘロイン犯罪)。オランダでは、20世紀の最初の半分には大麻に関する問題や社会的論争は報告されていないが、1953年に、アヘン法が大麻を含め、国際条約に対応するために改正された。従って、一部の著者(e.g. Fischer et al., 1998)は、禁止法が法と執行の間の国家レベルでの緊急の問題(あるいはその必要性)というよりは '問題の存在しない解決策'として― より幅広い外交的コンテクストにおいて ― 主に国際的義務に応じて導入されたと主張する(2)。
国際法
国連の麻薬単一条約(1961)は、麻薬物質と大麻に関する規制をグローバルなレベルへと引き上げた。1961年に導入された(主に以前の条約から持ち込まれた)システムの下では、大麻は現存する最も危険な薬物の1つであると考えられた(3)。
この節では、国連条約の条文について議論する。この取り組み方は非専門家の読者にとって法規主義的に見えるかもしれないが、国際法の下での大麻の法的な位置づけの完全な理解は、問題に関わるそれぞれの国に与えられる‘room for manoeuvre(再考の余地)’(4)を理解する為に不可欠である。
大麻、大麻樹脂並びに大麻の抽出物及びチンキは、1961年の条約の附表I、その特性は依存症を引き起こす可能性があり、乱用の深刻な危険性を呈する物資の中にリストされており、それは、この条約に基づいて適用される全ての統制措置の対象とされている(5)。大麻と大麻樹脂は、乱用の危険性と極端に限られた治療的な価値という有害な特徴を理由として特に危険であると考えられる、既に附表Iに登録されている15の物質から成る1961年の条約の附表IVにも掲げられている。これら15の物質の中に、我々はヘロインと大麻を見出すことが出来るが、コカインは見出すことが出来ず、それは附表Iに(のみ)掲げられている。
(2) Giffen et al. (1991)は'1920年代までに連邦の規制の下に置かれた他の麻薬と異なり、マリファナはカナダにおいて社会問題として定義される以前の1925年に Schedule Iに加えられた。何故これがそうであったかは不可解なままである'と主張する。
(3)1961年の条約 第二条5(a)は、附表IVに含まれる物質の概念を紹介する。
(4)‘Room for manoeuvre(再考の余地)’はBritish charity Drugscopeによって依頼された国連条約とイギリスの薬物所持法体系に対する修正の潜在性に焦点を合わせた報告書のタイトルである(Dorn and Jamieson, 2000)。
(5)1961年の麻薬単一条約の下には4つの附表がある:附表I ― これらの物質は大麻、大麻樹脂並びにコカインと同程度の特に乱用されやすい特性を有する、あるいはその様な物質に転換できる;附表II ― 依存症を引き起こす、あるいは依存症を持続する特性を有し、コデインより強力でないが、少なくともデキストロプロポキシフェンと同程度のもの;附表III ― 正当な医療使用を目的とする調剤品であり、WHOが乱用の可能性が無く、悪影響を引き起こすことが無いとみなすものであり、容易に回復可能でないもの;附表IV ― 特に乱用されやすく、悪影響を引き起こし、そのような負の性質が実質的な治療上の利益で相殺されないもので附表IVの薬物以外の物質が有さない特性のもの。
Source:Addiction neurobiology: ethical and social implications
EMCDDA, Lisbon, June 2009
A cannabis reader: global issues and local experiences
http://www.emcdda.europa.eu/attachements.cfm/att_53377_EN_emcdda-cannabis-mon-vol1-ch7-web.pdf
[ 翻訳:野中 ]
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