雪隠詰めの数え唄

投稿日時 2010-01-12 | カテゴリ: 白坂の雑記帳

もう40年近く前、小学3・4年の頃、自宅のトイレに入り、和式の便器を跨いでしゃがみ、大きいほうの用を足しながら、数を数える癖が私にはあった。トイレを出るまでに、いくつまで数えることができるだろうか。暇潰しのような、単純な脳内ゲーム。
でも、ほとんどの場合、いつしか他のことを考え始めていて、トイレから出るまで数を数え続けたことはまずなかった。用を済ませて、トイレから出ようと、ドアに手をかけて思い出す。あれ?いくつまで数えたんだっけ?

数を数えていたはずの「自分」が、いくつまで数えたところで他のことに気を奪われたのかも分からず、何に気を奪われたのかも覚えていない。そんなことの繰り返しだった。
数を数えていた「自分」はどこにいったのか。なぜトイレを出るまで数えていられないのか、いくつまで数えたのか、なんで他のことに気が逸れたのか。何に気が逸れたのか。それが不思議で、トイレに入るたび、数を数えていた。

人はいつも何か考えている。仕事のこと、家庭のこと、人間関係のこと、お金のこと、昨日のこと、今日のこと、明日のこと、人はいつも、考えるともなく考え、あれこれと思いを巡らせ、そのような「自分」の思念のうつろいに、気が付いてすらいない。

あなたは、トイレに入って、出てくるまで、数を数え続けることができるだろうか。いくつまで数えられるだろうか。
私は、小学3・4年のあの頃から、もういくつを数えてきたのだろう。

思うに、人生は、この世というトイレに生まれて、数を数え始めるようなものかもしれない。そして、いつの間にか、他のことを考え始める。他のことを考え始めたことにも気づかずに、また他のことに思いを巡らす。きっと、そうしているうちに、怒鳴られるのだ。

「早く出なさい!」

(※写真は私の部屋の西側の窓の軒先です。1月11日午後1時。携帯電話で撮影。)





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