医療大麻を求める患者の声(7) 障害への理解と無理解の狭間で

投稿日時 2010-05-05 | カテゴリ: 医療大麻を求める患者の声

好き好んで病気や怪我をする人はいません。しかし健康な時には病気や怪我といった事を忘れがちであると痛感しています。障害を背負うという事で、社会に対して助力を求めなければ社会生活・日常生活が営めないという現実があります。
この現実を自分が受け入れるまでの道のりは大変険しいものであり、何度となく現実逃避をしたいと願った事でしょう。場合によると、今現在でも現実を受け入れる事ができていないのでは?と思います。
後遺障害を煩っても何もしない訳にはいきません。生きていく為には最低限、日常生活という物が必ず付きまといます。しかし、日常生活の中で、私にとって何が問題なくできる事なのか?それとも、間違うとそれは命に関わるのか?区別のつかない事が多々あります。

実際に日常生活の中で、転倒により、命を落とすかもしれないと思う場面に何度も遭遇しています。何時、何処で起こるか判らない、激しい電撃痛により転倒する場所次第で大怪我をするか、死ぬ可能性すら否めません。外出中の交差点の真ん中で転倒をしたり、階段で転倒をしたり、風呂で浴槽に入ろうとした時に転倒し風呂桶に倒れこみ溺れたりと。。。数え上げれば限がありません。

それでも今日まで歩んで来る事ができたのは、家族他、ほんの一部の方のではありますが、身体障害というものを心で理解してくださった方のおかげだと思っています。人と人が関わっていく上で言葉では説明しきれない事も多くあり、外見から見えない障害は、障害を持った人同士の間でも理解をしてもらう為には、説明をする事すら苦痛な程に理解を得られない事です。

それでも、きちんと説明し、理解して頂く努力をしなくては社会参加すらできません。今までの経験上、健常者に説明をしても、殆ど理解してもらう事は不可能に近い問題ではないかと思われる程です。

カウザルギーにより独立歩行は適わず、移動には常時両杖か車椅子を必要とし電撃痛を堪える必要があります。私は尋常ならざる疼痛のため、整形外科医師に何度も右足の切断を願い出た事があるほどの痛みです。しかしながら、今までに患部の右下肢だけでも6-7回手術をし、更に知覚神経切断をしていても疼痛がある事から、右下肢を切断しても疼痛が軽減するとの保証はなく、現状の発作性電撃痛が続く可能性が高いとの理由により右足の形態は温存されています。

しかし下肢の機能として歩行その他に役立つものではありません。私にはむしろ疼痛の発生源であり不要な物、邪魔な物だと感じており、医師の診断では右下肢機能全廃とされています。

(この項つづく)





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