独房のなかの自由

投稿日時 2003-09-07 | カテゴリ: 詩のようなもの

独房のなかの自由


この独房のなかに自由はあるだろうか。
購読できる新聞は読売と産経のみ。
朝日、毎日、日経や、
自宅でとっていた信濃毎日は買えない。

テレビはないし、
深夜まで本を読むこともできない。

夜9時に消灯就寝し、
朝7時半まで起きることはできない。
そんなに長く眠ることはできない。

冷たいビールを飲むことも、
辛口の純米酒を呑むことも、
煙草を吸うこともできない。

あんぱんやメロンパンやフライパンを購入することはできるが、
カレーパンやチーズパンやサンドイッチは選択肢にない。

起きぬけにシャワーを浴びることも、
気分転換に散歩することも、
女を抱くこともできない。

醤油とソースと七味唐辛子は買えるが、
味噌と塩と一味は買えない。

梅干やキムチや味付け海苔は買えるが、
沢庵や茄子漬けやお茶漬けは買えない。
カップヌードルミニは買えるが、
赤いきつねと緑のたぬきは買えない。

この独房のなかに自由はあるだろうか。

接見禁止が付き、
妻や子たち、
年老いた両親、
友人たちに手紙を出すこともできない。

パソコンもないから、
ホームページを見ることも、
メールをやりとりすることもできない。

布団を干すことも、
シーツを洗うことも、
ちょっと横になることもできない。

独房のなかの不自由の大きさよ。

それでも尚、
できることがある。

購読できる新聞を増やすよう、
法務大臣に情願を書いて出すことができる。

パンやジュースを一覧から選んで、
1日8点まで買うことができる。
但し、届くのは二日後。

この胸の思いを、
弁護士経由で外に伝えることはできる。

納得のいかぬことを、
納得がいかぬと看守に抗議することはできる。

考えること、
意思すること、
思うこと、
そっと口ずさむこともできる。

バレないように落書きもできる。
「造反有理 毛沢山」

怒りを蓄え、
出所した暁に備えることもできる。

恨むこと、
嘆くこと、
蔑むこともできる。

敬うこと、
思い出すこと、
笑うこともできる。

我が身の愚かさを呪い、
酷い思いをさせてしまった者たちを思い、
涙することもできる。

その気になれば死ぬこともできる。
舌を噛み切ることも、
二本のタオルを結び、
窓の格子に掛け、
首を吊ることもできる。

幾重にも閉ざされた鉄扉と鉄格子。
看守から鍵を奪い、
脱走を試みることもできる。

この独房のなかの大きな大きな不自由よ。

自分にはどうにもできないこと。

この不自由のなかで、
どのように自由であれるか、
それを確かめる自由。

生まれてくる星や時代を選ぶことはできない。
与えられた環境という制約のなかで、

何ができるか、
何ができないか、
何をするか、
何をしないか。

大麻を吸うこともできない日本という名の不自由な監獄。
それを変えようとすることはできる。
それを変えようとする、
一滴の雫となることはできる。

この独房のなかに自由はあるだろうか。

できることと、
できないことがある。

自由は、外にはない。
それは、自由であろうとする意思にのみ、ある。





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