2011年3月17日 - アメリカ合衆国ワシントンDC
ワシントンDC: 成人の大麻使用を合法化する事に賛成するアメリカ人の割合は1990 年には 16 パーセントであったが、今ではこれが 45 パーセントに上昇している。先週発表された Pew Research (訳注: ピュー・リサーチ; 米国の世論調査機関) の調査結果により判明した。
調査員の報告によれば、その賛成率は去年より 4 パーセント上昇したとの事である。
合法化に賛成した者は男性の方が女性よりも多く(それぞれ 48 パーセントと42 パーセント)、また民主党員の方が共和党員よりも多く賛成していた(それぞれ 53 パーセントと 30 パーセント)。若年層(18 歳から 29 歳)は最も高い割合で大麻合法化に賛成しており(54 パーセント)、65 歳以上の者についてはその賛成率は 30 パーセントでしかなかった。
回答者の中で大麻合法化に反対の意を表明した者は全体の 50 パーセントであり、これは過去に行われた世論調査結果の中では最も低い水準にあった。
今回の調査結果は去年の秋に行われたギャラップ世論調査の結果と酷似しており、その時にも大麻合法化に賛成するアメリカ人の割合は 46 パーセントという史上最高値を叩き出している。また反対者の割合も史上最低値である 50 パーセントとなっていた。
より詳しい情報については NORML 事務局長アレン・サンピエール (202)483-5500 にお問い合わせ下さい。
http://people-press.org/report/?pageid=1920 にも情報があります。
Source: NORML NEWS
Nearly One Out Of Two Americans Back Legalizing Pot, Says Latest Pew Research Poll
March 17, 2011 - Washington, DC, USA
翻訳 by PHO
アメリカで大麻合法化が支持される割合は年々増える事はあっても減る事は無く、その背景には彼の国において大麻というものについての客観的で理性的な理解が年々深まっている事実があるのだろう。もし逆に日本政府が今以って主張している通り大麻は百害あって一利ないものであり、それを喫煙すれば脳が破壊され統合失調症を発症し、免疫力の低下、白血球の減少、癌の罹患率の大幅な上昇などを引き起こして最終的には死に至るような危険な薬物である事が十分な根拠を以って証明されているのであれば、果たしてアメリカ人はそれを合法化する事に半数も賛成するだろうか? その可能性は低いだろう。
現在の日本における大麻合法化への反対意見は、主に次の四種類に類別する事
ができる。
1. 大麻は有害な薬物であるから、その所持または使用を罰する事は当然である。
しかし大麻の有害性についての主張は医学的根拠の無いものである事が知られており、むしろその有益性を支持する根拠が多数提示されている。それに加えて、もし仮に大麻が人体に対して実際に有害であったとしても、それは個人の使用を禁ずるための合理的根拠とはなり得ない。何故ならば、自己の責任においてその行動を決定する能力を持つような全ての人間は、その行動が他者の身体、財産、権利などに危害を与えない限りにおいて、何であれそれを自ら実行する権利を持つからである。死の危険があるからといって登山を禁じ、それに違反して山に登った者に懲役刑を科す事は、果たして正当だろうか。マラソンには心臓発作による死亡リスクがあるからといって、マラソンに対し刑罰を以って望む事は正当だろうか。飲酒は肝障害リスクを伴うから飲酒罪を制定し、違反者を投獄するべきだろうか。[1] の主張をする者でさえ、これらの主張には必ずしも賛同しないであろう。しかし本質においては、これらは [1] の命題と何も変わるところは無いのである。
2. 大麻は法律で禁じられているのであるから、それに異論を唱え合法化を主張する者は遵法精神に欠けており、不道徳であり、反社会的である。
そもそも法律とは、対立する利害を調整するために必要な規則としてこそ存在する。もしその目的を達成する上で既存の規則に何らかの不備があるならば、問題の箇所を改正し、不備を解消しなければならない。仮に現行法が完全無欠であって何らの改正も必要としないのであれば、国会は既にその存在意義を失なっているのであるから、行政機関と裁判所のみが存在すれば良い事になり、立法府は廃止されるべきであろう。
また既に述べたように法律の目的は利害調整にあり、道徳、すなわち善悪の基準を定め、定められた基準をそれぞれの個人に内面化させる事を目的とするものではない。善悪の基準というものは個々人の良心からこそ自然に発せられるものであり、当然その具体的な内容は特定の個人により異なるのであって、また異なる事が許されなければならない。これはまさに思想・良心の自由に関する問題であり、仮に他者の持つ道徳が自己のものと異なっていたとしても、その事を以って他者の道徳に変更を迫る事は許されない。
次に反社会的なる概念について述べる。そもそも社会とは、互いに関係・交流を持ち合う多数の個人が存在する時、その総体を指して呼ぶ概念である。ある行為が反社会的であるとは、その行為が集団における不特定多数の個々人に対して何らかの害を為すことを言うのであって、単に集団の多数派が共有している観念に対して異論を唱えたり、そういった観念に反するような個人的行動を取る事を指して言うのではない。従って大麻合法化の主張を反社会的と呼ぶ事には合理的理由が無い。
3. 大麻が法律で禁じられてから既に 60 年が経っており、その法律の存在によって深刻な社会的損害が発生した事実は見られないのであるから、この現状を敢えて変える必要は無い。
「その法律があっても自分は特に困らないので、現状のままで良い」。これは確かに中立の立場を取る上でならば全くの正当な理由であり、その場合には何らの非難を受けるべき言明ではない。しかしながら、明らかにこれは規則の変更に反対の立場を取る上では十分な理由とはなり得ない。ある規則が大多数の者にとっては不都合とならなくても、その規則のために本来あるべき権利を損われる者が僅かでも存在するならば、実際に規則を変更すべきか否かはともかく、それを検討する価値すら無い、検討すべきでない、検討してはならないと断定する事は合理性を欠いている。
4. 大麻そのものは有害でないにせよ、大麻を喫煙する者はやがて覚醒剤、コカイン、ヘロインなどの所謂ハードドラッグを使用するようになるのであるから、その入口となる大麻を根絶せしめる事は合理的である。
これは所謂「ゲートウェイ理論」と呼ばれるものであるが、これには肯定的な研究結果も否定的な研究結果も共に存在している事から真偽が未だ決定されておらず、本来ならば理論ではなく仮説と呼ばれるべき概念である。またそれよりも重要な問題として、既に [1] で述べたように責任能力を持つ全ての人間は他者に危害を与えない限りにおいて自己の行動の全てを決定する権利を持つのであるから、いかに覚醒剤、コカイン、ヘロインなどが人体に有害であろうと、それを自己の責任において使用する者を罰したり、その使用に繋がるかも知れないような何らかの行動を予め罰しておく事は許されない。もし仮に覚醒剤を使用した者が一時的に判断能力を喪失し、その結果として他者に危害を加えた場合には、その危害を与えた事を以って罰すれば良いのであって、他者危害に繋がる可能性のある行為を事前に罰せよとの主張は決して正当なものとはなり得ない。何故ならば、そのような予備罪の制定には限度というものが無く、これを許すならば国家は望みのままに国民の個人的領域に踏み込む事が可能になるからだ。他者に危害を与える恐れがあるから覚醒剤の所持を罰する。他者に危害を与える恐れがあるから銃器の所持を罰する。ここまではまだ一般の理解も得られよう。しかし例えば次のような法律が制定されてはどうか。滑走中に誰かと衝突する恐れがあるからスキー板の所持を罰する。打ち返したボールが誰かに衝突する恐れがあるから野球バットの所持を罰する。酔って暴れる恐れがあるから飲酒を罰する。スキー板や野球バットやアルコール飲料は有害無益であり、法律で厳しく罰せられなければならない。現実の日本国がそのようなディストピアになっていない理由は、単に予備罪の線引きが「少なくとも今のところは」さほど著しくバランスを欠いているわけではないというだけの事に過ぎず、それも徐々に拡大されて行く銃刀法の適用範囲の例を見れば判るように、あくまでも危ういバランスの上に成り立っているのであって、他者危害の原則は依然として軽視されていると言わざるを得ない。この原則が侵されている限り、国家の政治体制がいかなるものであっても、個人の権利と自由は常に薄氷の上に立たされる事になる。
私がこのように大麻そのものから離れた抽象的な話を長々としているのは、この問題は大麻問題に限った事ではなく、より広い範囲における個人の自由、国家ならびに社会による越権行為からの個人の自由の防衛についての問題と密接に関わっているからだ。これは大麻が合法になればそれで解消されるという類いの問題ではなく、そして個人的に大麻に興味が無ければ自分は無関係で居られるという類いの問題でもないのだ。
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