歴史の中の今 世界は結局ドラッグを受け入れられるのか(1)
「フラッシュバックス ティモシー・リアリー自伝」を読んで
サル・パラダイス
すごい時代である。今年に入って、時の変化をますますダイナミックに感じます。
今、目の前で起こっている事は、脱原発というエネルギー政策への転換でもあるのですが、大企業、政府等、既得権益をがっちり固めて、マスコミとも癒着した少数の選ばれた民の支配する現システムから、個人個人の自由及び幸福を追求できるシステムへの転換のきざしともみえます。
次の変化は、今、ニュースで毎日とりあげられてるアメリカ、ヨーロッパのデフォルトをはじめとした先進国中心の世界経済の破たんであろう。
それはまもなくと思います。
さらには、地震、干ばつ、熱波、大雨等異常気象や災害も世界中頻発しています。
これから数年はきつくつらく感じられるかもしれません。しかし、決して悲観することはないのです。我々には、5000万人もの死者を出して、世界中が焼け野原になった第二次世界大戦からの復興という歴史があるのです。
今回、経済の破たんにより、世界中の現国家システムの大半の崩壊が起こったとしても、我々は又、新しいシステムのもと復活できるでしょう。
理想社会へ近付くためには、既存社会の破壊の作業がどうしても必要なのかもしれません。
さて、こんな中、大麻はどんな状況なのでしょう。
いろいろな意見があるでしょうけれど、オレには、そろそろ日の目を見るべく準備されつつあるように思えます。
恐らく今までの拡大強大化社会にあってはじゃまな存在だったのです。
大麻はそれをやれば、物事の本質をわからせ、他者他物への愛に目覚め、今のままでいいんだって教えるからね。
これまでの社会ではそれはこまるからね。
なので、ドラッグといえば酒でした。これは物事の本質をぼやけさせ、さらなるハッスルを喚起させるものだからね。
つい最近までが、欲と不安による発展を目指した世界であったのに対して、このあとは愛による発展のそれへとアセンションする時なのでしょう。
ここに、「フラッシュバックス」という本があります。
1960年代に活躍したドラッグ博士ティモシー・リアリーの自伝である。1995年の発行です。
科学の世界では異端者であって、マッドサイエンティストとして取り上げられることが多い人と思われるけれど、自伝にあらわれる彼は非常に好人物である。
まずは、データーにもとずく研究をする厳格な科学者のティモシーがあり、ドラッグにより自己の内面へどこまでも飛び込んでいく冒険家のティモシーがいる。
そして映画や音楽にもかかわり、その当時のビッグネームたちと広く関わっていく社交家のティモシーがあり、妻との死別や離婚、投獄など、あらゆる苦難に負けない不屈のティモシーがある。ついでにあらゆる場所、監獄の中でさえ女に不自由しないプレイボーイのティモシーがある。
この本は60年代という多くの人が変化を求め運動を起こした時代背景の中、当時のドラッグ解放運動家が何を目指していて、そして、その先に何があるのかをちょっと垣間見せてくれる。
ティモシーが目指していたのは、究極的にはドラッグによる人々の脳のさらなる進化であり、直近の政策では囚人や学生といった連中のドラッグによる更生であったり、学習飛躍といったことである。
そのための研究を彼は科学者らしく、細心の注意の中で日々行っていたのである。
初めは幻覚キノコに含まれるシロサイビンから、後にはLSDを中心にである。
例えば、学生に向けた行いはこんな風である。
「このハーバードに設けたような訓練センターを、全国どこの医学校や神学校、大学の哲学、人類学、社会学の学科にでも設立できると私たちは信じていた。1、2年のうちには、哲学的な野心や、知能を向上させたいという思慮深い欲求のある者なら、だれでもドラッグを効果的に使用する術を学ぶことができるようになると考えていた。」
囚人に対しては、こんなふうである。
「彼らがみせた客観的な変化は、心理学者にとって実に驚くべきものだった。憂鬱度、敵意、反社会的傾向などが減少し、やる気、責任感、協調性などが増していた。彼らの人格テストの結果は精神的健康の方向へと著しい劇的な向上をみせていた。」
そして、実際成功していたのである。それは次の言葉にあらわれる。
「私たちはこの刑務所の囚人の再犯率を70%から10%に減らしているじゃないか。このまま計画を続行させてくれるなら、いまある監房だって半分は必要なくなるよ。」
しかし、この計画は中止させられる。刑務所の運営にかかわる様々な既得権益のために囚人が減ることを良しとしない連中がいるのだ。
恐らく、客観的にみて、当時も今も、ティモシーの行っていた研究は人類のさらなる明るい発展へとつながっていたはずである。
しかし、支配する側はそうした発展を望まないようだ。
それが社会がドラッグを拒む理由なのだろうか。
(つづく)
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