歴史の中の今 世界は結局ドラッグを受け入れられるのか(2)
「フラッシュバックス ティモシー・リアリー自伝」を読んで
サル・パラダイス
ここで、ドラッグ(精神幻覚剤)による作用とはなんぞやというところをある程度伝えないといけないと思うのだが、これがなかなか難しい。
ただ酔っぱらうといえば、この状態からあまりにかけ離れていて、まるっきり納得感がない。感覚の表現であり、これを伝えるのはたぶん最も難しいのだ。
そのため、その行為はおろそかとなり、「大麻で酔わなくても、酒があるからいいじゃない」くらいの知識しか世間に広まらなかったのだろう。
このティモシーの自伝「フラッシュバックス」にはその感覚を実に正確に伝えている箇所がいくつかある。(まあ、この本ではとりあげられるのは、キノコやLSDといった強烈な幻覚剤なのだが、大麻も精神作用の方向性は同じと思う)
少し抜粋させてもらう。
メキシコで仲間と聖なるキノコをやった場面
「私は歓喜に身を委ねた。それは何世紀にもわたって、神秘主義者たちが蚊帳の隙間からのぞいて、この明らかに現実的な世界が、実際には人間の意識によって築かれたちっぽけな舞台装置にしかすぎないことを発見した時に感じたものと同じ喜びである。その外側(いや内側だろうか?)には可能性の海、もうひとつの未来へのプログラムが無限に連なっていた。」
もうひとつ。
「幻覚剤は、普段とは別のレベルの知覚や経験をもたらすので、その使用は、現実の本質、私たちが主観的に信じこんでいるはかない体系の本質に私たちを直面させるという、まったく哲学的な試みなのだ。その現実と、われわれの信じ込んでいる体系とのコントラストが笑いを生み、また恐怖をも生む。これまでずっと自分たちがプログラムされてきたこと、これまで現実だと思ってきたことがただの社会的な虚構にすぎないことに、突然気付くのである。」
ここで、トリップの時とその前の現実とのコントラストが恐怖を生む場合があるとの記述だが、これが俗に言うバッドトリップである。おそらく、これのみが大麻の本当の負の面である。
しかし、オレ的には恐怖からも得る物があり、つまり恐怖の先に大いなる気付きあったりすることもあるので、必ずしもバッドトリップはバッドとも思ってないのだけど。
さて続けよう。幻覚性キノコの民族植物学者の言葉
「キノコの利点は、この世の彼方にある世界をみせてくれる。過去と未来への旅が可能になる。存在の別の段階に入ることができる。インディアンたちが言うように神を知ることさえできる。」
又、別の時
「これらのドラッグが肉体の感覚-味覚、臭覚、触角、色彩、音、息づかいなどを強烈に敏感にすることは、ずっと前から分かっていた。そしてちゃんと正しく状況をセッティングすれば、被験者の間に強い絆が結ばれることも分かっていた。哲学的で精神的、あるいは科学的な方向に被験者の心構えやセッションの状況を設定することで、我々は官能や愛情の高まりという決して避けることのできない事実から目をそらしていたのだ。」
つまり、ここでは、彼はこれらのドラッグをするとSEXも超良くなっちゃうことに気付いて、これは科学的に進める上でまずいんではないかと悩むわけ。オレはかまわんというか、大いに結構なんだけど、ティモシーはまじめだね。
ティモシーがはじめてLSDをやった場面。(ティモシーは当初、研究をシロサイビンだけに限定すると決めていた。「このプロジェクトと世間で評判の悪いドラッグとの関係を一切断ち切るために、私は無害なマリファナでさえ使うことを禁止していた。」とある)
「クスリが効き始めるまでに30分ほどかかった。それはあまりにも突然で抗いがたかった。何かの中心のようなところから発する柔らかい繊維の束のような光の道を、私は転がり落ちていった。放射される光に身を浸した私は、全ての形、構造、有機的組織や出来事が中心にある目からテレビの画像のように送られてきた。これまで自分が経験したり読んだりしたことが、目の前で19世紀のブォードビルショウのようなバブルダンスを踊っていた。私の幻想、道化役の衣装、変わり続ける木々や人のような小道具から舞台装置まで、すべてが目の前に現れた。数10億年の年月を経て、私は現実という人形芝居のなかで自分自身の足で動いている自分を見出した。」
どうでしょう。このトリップ感は酒の酔いとは全く違っていますよね。そして、その気付きです。酔いのあとに、というか最中に学びがあるのです。これがティモシーが進化として追及していたものと思います。
(つづく)
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