第3節(2) カナビス非犯罪化政策への社会的諸条件

投稿日時 2006-12-03 | カテゴリ: オランダの薬物政策

こうした法適用の考え方の特殊性とは別に、オランダ人社会学者のコルフは、1976年のカナビスの非犯罪化の決定にはヘロイン中毒者の増加という問題以外に、カナビスの使用者それ自体の増加を背景にした、医療専門家の間でのカナビス使用者に対する認識論的レベルでの態度の変化が影響していることを指摘する 。[12]

上述したように、当初カナビスの使用者は被差別的な社会階層である「ニグロ」の習慣であった。そのころはカナビスの使用に対して医療専門家らは、現在でも日本の厚生労働省がカナビスの副作用として認定しているカナビス精神病や、意欲喪失シンドロームなどを誘発する危険な行為であり、ハードドラッグの使用への入り口となる危険な麻薬(いわゆるstepping-stoneあるいはgateway drug)として認識されていた。

しかし60年代以降、カナビスの使用者が中産階級化(enbourgeoisement)し、使用者の社会階層が「普通の若者」へと変化したことによって、カナビスの使用に対する認知的ノーマライゼーションが起きた。
20世紀初頭のアメリカで問題となった中国人のアヘン喫煙、黒人のコカイン、アイルランド人移民の飲酒と同様、ドラッグの使用やある特定集団の習慣に対する嫌悪感や道徳的反発は、それを実践している集団の社会的地位と密接に結びついており、使用者の社会階層が低ければ低いほど彼らに逸脱者としてのレイベリングが行われる傾向が強くなることがコートライトによって指摘されているように [13]、オランダではカナビスの使用者が中産階級化したことにより、その使用は病理学的行為からレクリエーショナルな行為へと社会的な認知変化が起き、カナビス使用者に対するスティグマ化が急速に影を潜めていった。

このような他の社会的価値規準とリンクした道徳的認知の変化という社会的条件があって初めて、オランダではカナビスの非犯罪化論が、荒唐無稽な言説から一定の社会的妥当性を持つ言説へと変化したのである。

またこれと関連して、コルフはカナビスの非犯罪化にあたって、これを支持する若者の社会運動が果たした影響をあげる。
社会学者のブルデューは権力あるいは支配構造の源泉として、経済資本、文化資本と社会資本の三つをあげているが、コルフはオランダ人社会学者のリッセンバーグ(Lissenberg, E)がこれに加えた道徳資本(moral capital)という概念に着目する 。[14]

多くの政策は、道徳的価値を決定する権力を付与された特定の集団によってその善し悪しが判断され、その判断を通じて制度化されたり実践される政策によって社会秩序は維持ないしは再生産されている。
麻薬行政においてこの道徳資本を握っているのは、医療や司法などの専門家集団であり、彼らにとって道徳的に「正しい」とされる麻薬政策が一般的に道徳的にも正しいものとして制度化される。
しかしオランダでは麻薬問題に対処する政策決定に際し、異なった道徳的価値を持つ若者やサブカルチャー集団など多様な社会集団が発する意見を尊重した。

60年代後半のアムステルダム市議会では、新しく結成された政党の若いメンバーが当選し、彼らはメインストリームの文化に抵抗し市庁舎内でハッシュを喫煙したり、また保険行政の担当大臣を母親に持つ当時の有名なカナビス非犯罪化論者であったコース・ツヴァルトが、毎週ラジオ番組の中でカナビスの価格と質を放送するなどの行動をとった。これらの若者を中心とした運動が社会的に弾圧されることなく容認されたことは、麻薬政策の転換を引き起こす新たな道徳的コンセンサスの形成に大きな役割を果たしたといえる 。[15]

このようにオランダでのカナビスの非犯罪化は、ヘロイン使用者の増加、カナビス使用者の社会層の変化、サブカルチャー運動に対する一定の理解と容認、またオランダ独自の法執行システムという多様な社会的条件が揃って初めて制度化したものである。

ゆえにこの制度を単純に社会的背景の異なる他の国や地域に適用しようという考えには一定の慎重さが必要である。
しかしながら90年代を通じて、スイス、ドイツ、スペイン、ベルギー、イタリアがオランダと同様のカナビスとハードドラッグを法的に明確に区別する方向性に麻薬政策をシフトさせ、2001年にはポルトガルがカナビスを完全に非犯罪化した。
また2004年1月にはイギリスがカナビスをクラスBドラッグからクラスCドラッグへとダウングレードさせ、単純所持は依然として非合法ではあるものの実質的にほとんど逮捕、起訴されることはなくなった。またヨーロッパ以外では、カナダとニュージーランドが2004年現在カナビスの非犯罪化を検討中という状況にある。

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[12] Ibid., pp.50-51.
[13] Courtwright, David T. “The Rise and Fall and Rise of Cocaine in the United States”in Goodman J., Lovejoy, P.E. Sherratt, A. (1995) Consuming Habits: Drug in History and Anthropology, New York and London; Routledge, p. 206.
[14]Korf, Dirk J. (1995) op.cit., p.51.
[15]しかしながらオランダ国民のすべてがカナビスの非犯罪化や喫煙に賛成していると考えるのは大きな誤解である。1970年から行われている世論調査では、一定して16歳以上の国民の3分の2がカナビスやハッシュの使用を厳しく罰するべきと考えており、この割合はドイツよりも高い。Ibid., p.52. 特に保守層が多い地方では、カナビスの喫煙に対して否定的見方が一般的である。にもかかわらずこうした政策が維持されているのは、筆者がオランダで何人かのオランダ人にインタビューした限り、この政策の持つ合理性と一定の効果が国民の間で認められているからと考えられる。






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