ではカナビスの非犯罪化は実際にどのように実施され、またオランダの麻薬問題の改善にどのような効果をもたらしてきたのであろうか。
上述したようにカナビスの非犯罪化は、カナビスの使用者をハードドラッグのマーケットから引き離すことを目的として実施された。
カナビスが非犯罪化された70年代当初は、ストリートの密売人を排除するため、カナビスは国や地方公共団体が出資して作られたユースセンター(アムステルダムでは現在はクラブやコンサート会場として有名なMelkwegやParadisoなど)でハウスディーラーと呼ばれる人々によって販売されていた。
こうして警察がストリートの密売人への取締りを継続する一方で、販売状況を監督、統制できるハウスディーラーの販売が容認されたため、カナビスのブラックマーケットは徐々に縮小していく。
1979年には正式にハウスディーラーのカナビス及びハッシュの販売に関する4つのガイドラインが設けられ、後に加えられた1項目を含め、このガイドラインは後述するその後のコーヒーショップでのカナビス販売に対する5つの基本的な規制項目となり、現在でもカナビスの販売者にはその厳守が義務づけられている。
その内容は、宣伝の禁止(Affichering)、ハードドラッグの販売の禁止(Hard drugs)、騒音などの近隣への迷惑の禁止(Overlast)、未成年者(18歳未満)への販売と立ち入りの禁止(Jongeren)、卸売りが可能な量(500グラム)の在庫所有の禁止(Grote hoeveelheden)であり、これらの頭文字をとってAHOJ-Gクライテリアと呼ばれている 。[16]
その他基本的な禁止事項としては、1ヶ所での5グラム以上の販売の禁止、通信販売の禁止、アルコールを同時に販売することの禁止(一部アルコールを販売している店もあるが、現在当局は新たなアルコールの販売ライセンスをコーヒーショップには発行していない)などが義務づけられている 。[17]
またその他地方公共団体によっては誓約条項という形で、駐車場の設置の禁止、夜10時半までの閉店などの追加的規制が課せられている。
1980年代に入ると先のコーヒーショップと呼ばれるパブやカフェのようなスタイルの店でカナビスは販売されるようになった。当初、当局はコーヒーショップへの取締りを積極的に行ったが徐々に販売が容認されるようになり、やがて主にヘロイン中毒者が行っていたストリートでの密売・ユースセンターのハウスディーラー販売を圧倒し、カナビスの主要な小売り形態として定着していく。それとともにカナビスの使用者がヘロインの使用者と接触する機会は減少し、80年代の早い時期にソフトドラッグとハードドラッグのマーケットの分離はほぼ完成した 。[18]
またカナビスの非犯罪化によるマーケットの分離によって新規のヘロイン使用者数を抑える一方で、既にヘロインの使用を開始している者に対しては、Junkiebond(ロッテルダム)、Jellinekcentre(アムステルダム)、Main Foundation(アムステルダム)など、政府や市からの資金援助を受けた団体が、様々なハームリダクションプログラムを同じ80年代始め頃から実施してきた。それぞれの団体が、移動バスによるメタドンやコンドームの配付、注射針の無償交換、中毒者への健康相談、麻薬の使用に関する情報誌の配付などを行い、麻薬使用者が抱える問題の改善に取り組んでいる 。[19]
こうした逮捕、拘禁に代わるサービスの提供を通じ、支援者と中毒者とが接点を持ち、中毒者の抱える様々な問題の相談に乗り、フォーマル、インフォーマルなカウンセリングを通じて、最終的にアブスティナンス(使用の完全停止)を目指すプログラムが提供されている。アムステルダムでは、およそ60-80%の中毒者がこれらの支援プログラムを通じて支援団体と何らかの接触を持っており、彼らの活動が麻薬問題の改善に向けての不可欠な要素となっている 。[20]
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[16] Ibid., p.69.
[17] 留学先のアムステルダム大学での最初の大学での全体オリエンテーションの際にも、大学のプログラムマネージャーがカナビスとアルコールとは併用しないようすべての留学生に注意を行っていた。
[18] その後アムステルダムでは、コーヒーショップの数が急増し1990年にはその数は480軒にまで上った。しかしアメリカ、フランス、ドイツ、北欧諸国などからの要請を受け、1990年に税務署の他、公衆衛生、ライセンス許可、麻薬取締り、社会福祉などの関係部署の合同によるHit-Teamsをアムステルダム市が組織し、先のクライテリアに違反していたコーヒーショップを厳しく取締りその数を大幅に減少させた。筆者が留学していた2001年には市内で279軒のコーヒーショップが営業しており、現在その数はおよそ300軒弱程度で安定している。またその道徳的善し悪しは別として、現在コーヒーショップは社会福祉税の貴重な財源としてだけでなく、アムステルダムの重要な観光資源として経済的に大きな役割を果たしている。
[19] 筆者は2003年にヤリネック(Jellinekcentre)で勤務していた看護士にインタビューをしたが、2003年の選挙による政権交代以後、ヘロイン中毒者に対する警察の取締りが厳しくなる傾向がみられるようになり今後の活動に不安を持っていた。
[20] Marlatt, G.Alan (ed.) (1998) Harm Reduction: Pragmatic Strategies for Managing
High-Risk Behaviors, New York and London; The Guilford Press, p.35.
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