第5節(2) オランダのハームリダクション政策に対するアメリカ政府の反応

投稿日時 2006-12-09 | カテゴリ: オランダの薬物政策

この出来事で我々の関心を引くのは、なぜアメリカ政府はオランダの麻薬政策に対して、すぐに分かるような作為的な統計や根拠のないセンセーショナルな発言までしてこれを攻撃せねばならないのかという点である。

オランダ政府はこれまで、自国の麻薬政策を他国でも導入するように何らかの働きかけを行ったことは一度もないし、アメリカ政府の禁止政策を公式に批判したこともない。
上述したように、オランダはヘロインの中毒者数の減少や、IDU(注射針による薬物の使用者)のHIVへの感染率の低下(1996年のオランダのIDUがHIVの感染者全体に占める割合は10%であり、これはヨーロッパ平均の39%、アメリカの50%とも比べて著しく低い水準にある)など、独自の麻薬政策によって麻薬問題に対して一定の成果をあげてきた。[33]

こうした成果は、本来同じく麻薬問題に取り組むアメリカ政府にとっても歓迎されてしかるべき成果のはずである。
しかしアメリカ政府はこれとは全く逆の態度を取り続けてきた。このアメリカ政府の態度を、筆者は非合法麻薬問題の改善に向けての合理的態度というよりは、むしろ麻薬問題に対する態度を政治的にイデオロギー化した結果生じたもの考える。

アメリカ政府は非合法麻薬の使用をいかなる形であれこれを非道徳的行為と定義し、「止めよ、さもなくば罰する」という論理でこれに対処してきた。
もともと麻薬問題における実務経験も専門的知識もない元軍人のマキャフリーがONDCPの長官に任命されたのも、クリントン政権後期に議会で共和党が多数を占めたことにより、麻薬問題にタフな姿勢を国民に示すための政治的配慮による所が大きい。

ここには、ハームリダクションが重視する中毒者の生活と生存に関する人権の尊重や、麻薬問題を改善するためのオールタナティブな手法への実証的、科学的議論は排除され、既に第1章でふれたように、非合法麻薬の存在そのものを消滅させるという道徳的命題が先行している。

結果、その麻薬政策は、非合法麻薬が全く存在しない社会(drug-free society)が理念的目標に掲げられ、使用者には完全なアブスティナンス(使用停止)を要求し、政策的有効性よりは道徳的理念に対する一切妥協のない政治的主張の実践そのものに価値の中心がシフトしているように思われる。

ドラッグウオーに批判的なアメリカ人社会学者のレイルマンが指摘するように、「いかなる統計も、またいかなる経験的に有効性が認められる発見も、完全な解決の到来という幻影を却下することはありえない」という、アメリカの麻薬政策が持つイデオロギー的性格が、この一連のオランダの麻薬政策に対するアメリカ政府の嫌悪感の基礎にあるように思える 。[34]

歴史的にアメリカの麻薬問題は、階層的社会の中での人種差別、貧困の存在と常に密接な結びつきを持ってきた。
20世紀初頭の中国人のアヘン喫煙、黒人のコカイン、70年代の都市ゲットーでのヘロイン、その後の黒人のクラックなど、麻薬問題は常にマイノリティと貧困層の周囲に広がっており、アメリカ政府による麻薬問題に対する罰則的手法は、彼ら社会的弱者をさらに社会的に周辺化してきたという事実がある。

そしてこの背後には、メインストリーム文化の担い手である社会的マジョリティの外国人や異文化の流入と浸透に対する恐怖心が働いており、それは第1部で紹介したような20世紀初頭の反麻薬運動のディスクールに共通して存在していた、ドラッグの使用と結びつけられて表象されていた中国人や黒人による白人女性へのレイプ、ないし異種混交への白人男性の恐怖に典型的に現れていると思われる。

また包摂型社会と排除型社会の対比を論じる犯罪社会学者のジョック・ヤングは、逸脱者の排除をよりマクロな社会構造に要因を求めながら、これをヨーロッパ社会も含めた大きな社会動向と捉えている。

彼によれば60年代、70年代に興隆した包摂型社会においては、差異や問題性は修正されるものと捉えられ、逸脱者も我々と同じ存在(just like us)であるか、あるいは我々の中にあるものが欠けているだけ(lacking in us)の存在とみなす差異を極小化するディスコースが一般的であった。

それに対して排除型社会である現代社会では、差異は至高の価値として承認され誇張される。
この差異を強調するディスコースは、彼によれば生物学的また文化的な本質主義(essentialism)によって確定されており、個人に存在論的安心感を与える一方で、優越性の正当化、非受容の正当化、他者への非難や悪魔化を助長し、麻薬常習者などの逸脱者を排除する土壌を生みだしているとみなされている 。[35]
こうした傾向は、特にキリスト教右派や反イスラムの言説の台頭が著しい現代のアメリカ社会に顕著な傾向と思われる。
----------------
[33] 括弧内の統計は、Majoor, Bart “Drug Policy in the Netherlands: Waiting for a Change”in Fish, Feggerson M. (ed.) (1998) How to Legalize Drugs, Northvale, New Jersey and London; Jason Aronson INC., p.150.
[34] Ibid., p.156.
[35] Young, Jock (1999) pp.102-105.






大麻報道センターにて更に多くのニュース記事をよむことができます
http://asayake.jp

このニュース記事が掲載されているURL:
http://asayake.jp/modules/report/index.php?page=article&storyid=258