第3節(2) フォード・カーター政権 ─寛容政策への転換

投稿日時 2007-02-23 | カテゴリ: アメリカ国内のドラッグウオーとその社会的影響

1977年に大統領に就任した民主党のジミー・カーターもドラッグに対してはフォード同様の寛容政策をとった。カーターがドラッグ問題の顧問としたのは先のボーン医師で、大統領の側近としてこの問題の全権を握った。

まずカーター政権は少量のマリファナの所持を非犯罪化し1オンスまでの所持を少量とみなす方針をとった。フォード政権と同様に罰金を中心とした罰則規定をとり、刑務所での留置などの服役刑が科されることはなかった。

しかし完全な合法化は1961年にアメリカも調印した国際麻薬統制条約である単一条約(Single Convention on Narcotic Drugs)違反になるので、マリファナ所持に関する処罰は各州の裁量に任せるという方針をとった。

1977年にカーターは議会で、「ドラッグの所持に対する刑罰は、ドラッグそれ自体の使用よりも個人により大きなダメージを与える」と述べ、マリファナの個人使用目的での所持に関して罰則をゆるめる意見を各州の行政機関に向けて発している[22]。

このカーター政権の麻薬政策の柱は、非合法麻薬すべての禁止ではなく危険性の高いドラッグに対してのみ国民に注意を喚起させることであった。ボーンが特に危険視したのは1977年に2,000人の死者を出していたバルビツレートで、これに厳しい規制をかけつつ、またトルコ産に代わってアメリカに流入していたメキシコ産のヘロインに対しても、経済援助と引き換えにメキシコ政府に除草剤の散布によるケシ畑の殲滅作戦に協力させこれに対処した[23]。

ここでボーンとカーターを思わぬところで悩ませたのは、メキシコ政府が1975年の後半からマリファナ用の除草剤として使用したパラコートであった。
パラコートは人間の食道、内臓に潰瘍を生じさせる毒性の高い物質で、これを散布されたマリファナの流入がNORMLによって大々的に喧伝され社会問題化された。

アメリカ政府はもともとメキシコから流入するヘロイン対策として、メキシコ国内のケシ畑に枯葉剤を散布させるためヘリコプターを供与していた。しかしアメリカ政府の意図に反しマリファナの撲滅にむしろ主眼をおいていたメキシコ政府は、ケシ畑に対して2-4-Dという除草剤を散布する一方、アメリカから供与された装備で大量のパラコートをマリファナ畑に散布していた。

NIDA (National Institute of Drug Abuse) はすぐにNORMLの指摘を受け、メキシコから流入するマリファナの危険性を報告し、保健教育福祉省も78年3月に、「強度に汚染されたマリファナタバコを一日3-5本づつ数ヶ月に渡って使用した場合、回復不可能な肺へのダメージを引き起こす」という報告を新聞紙上で発表しNORMLの要求に答えた[24]。

また1978年5月にはチャールズ・パーシー上院議員が、Foreign Assistance Actを見直し、パラコートの使用などの生産地でのドラッグ撲滅プログラムの抑制を検討する考えがあると発表した。

しかし政府のこうした協力的対応にもかかわらず、NORMLのリーダー、キース・ストロープは執拗にこの問題でカーター政権を批判しつづけ、あくまでもメキシコ政府にパラコートの散布を中止させるよう政府に求めた。

しかしこの問題はもとよりメキシコ政府が起こした問題であり、また本来非合法なマリファナの安全問題は政府がこれ以上取り扱うべき事柄ではなかった。
政府のPR活動によって多くのマリファナ使用者はこの問題に対する注意を充分に喚起され問題は実質的に終息していたにもかかわらず、ストロープは執拗にカーターとボーンを批判し続けた。

カーター政権時はこうした行過ぎたNORMLの運動とそれに対する政府の受け身の対応に象徴されるように、アメリカの歴史上ドラッグにもっとも寛容な時代のピークを迎えていたといえる。

一方で行き過ぎた解放運動と寛容政策は、未成年や子供への悪影響などこれまでの寛容政策の中で忘れられていた問題を世論の中に生みだすことになる。

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[22]Musto, David F (1987) op. cit. p. 267.
[23] ヘロインの使用は80年代に入ってから再び増加するが、この増加はカーター政権と無関係ではない。79年にカーター政権がアフガニスタンでソビエトに抵抗していたムジャヒディンゲリラに武器の援助を開始したことで、この地域でアヘン生産を行い軍事資金にしていたゲリラの活動を活発化させた。結果、アフガン産のアヘンがパキスタンなど隣国でヘロインへと大量に精製されるようになり、80年にはアメリカで消費されるヘロインのおよそ6割がアフガン産アヘンから作られたものとなっていたDavenport-Hines, Richard (2001) op. cit. p. 345.
[24] Baum, Dan (1996) op. cit. p. 107.






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