第5節(1) クラック問題 ─貧困階層とマイノリティへの差別的処遇

投稿日時 2007-03-01 | カテゴリ: アメリカ国内のドラッグウオーとその社会的影響

レーガン・ブッシュ政権下の80年代に、最もアメリカで社会的に問題となったドラッグはクラックである。

クラックは日本ではあまりなじみがないので、まずクラックの歴史とアメリカ社会でこのドラッグが広まった背景をみておく。

1980年代初頭にコロンビアからマイアミへのコカインの密輸ルートが確立すると、ペルーやボリビアでのコカ葉の作付け面積が増加し、コカインのアメリカへの密輸量が増加した。

上述したように、供給の増加により1981年には1オンスの純粋コカインの取引上の値段が120ドルであったのが、88年には50ドルと半分以下に値崩れしていた[39]。

こうした安価な原料コカインから開発されたのがクラックコカインであった。

クラックの起源は1974年のカリフォルニアといわれており、塩酸コカインを浸した水溶液にアンモニアとエーテルを溶かして作られる吸引可能な結晶型コカイン(freebase)がその原形である。

フリーベースは当初ハリウッドなどで一部のコカインマニアの間で流行したが、その工程が複雑で加工途中での引火事故が発生する危険性が高かったため、単に塩酸コカインを重曹と水に溶かして熱することでパイプでの吸引が可能な方法が普及した[40]。

これがクラックの始まりであり、吸引のため加熱する際にカタッ(clack)と音がすることからこの名がついたといわれている。

クラックはパウダーコカインに比べ単価が非常に安く、一回の値段が5ドルから10ドル程度である。

またフリーベース程ではないが効果が強烈で、その為精神的依存性が強い。

またパウダーコカインが使用量にもよるが30分から1時間は効果が持続するのに対し、クラックは一回の吸引で約15分程度しか効果が持続しないため、使用者が繰り返し吸引する傾向が強い。

値段の安さとそのインテンシブなハイにより、ヘロイン中毒者の多くもクラックの使用を開始し、クラックはロサンゼルスのサウスセントラル、マイアミのオーバータウン、ニューヨークのハーレムやワシントンハイツなどの都市部の貧困層の間で流行し、80年代中頃までには純粋なヘロイン中毒者の数は減少し、クラックがいわゆるゲットードラッグのメインストリームとなっていった[41]。

クラックはパウダーコカインと異なり、当時末端のディーラーはそのほとんどが黒人かヒスパニック系のマイノリティであった。

これはマイノリティを中心に構成された常用者のマーケットと、パウダーコカインから簡単に作ることができる商品であったことが影響しており、まともな仕事や教育を受けられない貧困層の若者にとって大きなビジネスチャンスを与えることになった。

ワシントンDCではクラックを密売することで一時間に30ドルを稼ぐことができたが、これは貧困層の大人の黒人が就くことのできる合法的な仕事で一時間に得られる当時の賃金の4倍以上であった[42]。

その結果、クラックの密売を始めるいくつものマイノリティのギャング集団が結成され、クラック密売の利益で彼らは武装し、マーケットを巡る抗争が80年代後半から頻繁に発生している。[43]

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[39]Courtwright, David T, “ The Rise and Fall and Rise of Cocaine in the United States”, in Goodman, Jordan, Lovejoy, Paul E and Sherratt, Andrew (eds.) (1995) Consuming Habits: Drugs in Hirstory and Anthropology, London and New York; Routledge, p.217.
[40]黒人の人気コメディアンでハリウッドスターであったリチャード・プライヤーが起こした引火事故は特に有名である。
[41]Ibid., p. 218.
[42]Ibid., p. 218.
[43]例えばマイアミを拠点とし、シカゴ、ニューヨークなど多くの都市で勢力を誇ったジャマイカ人組織、Shower Posseが有名である。文字通り、敵に対して銃弾をシャワーのように浴びせるのでこの名前がついた。






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