クラック問題と並び、80年代に麻薬問題と密接に結びついて社会問題となったのは、ヘロイン使用者の注射針の共有によるHIV感染の広がりである。
HIV感染はいわゆる4Hクラブと呼ばれる社会集団 (Homosexual, Heroin abusers, Haitian entrants, Hemophiliacs) に多くみられ、流行当初からヘロインユーザーの間に感染者は多かった。
アメリカでHIV感染のため治療を受けに来たヘロインユーザーの割合は、1981年に3%だったのが1984年には17%へと上昇している[56]。
ちなみに、同じ時期HIV感染の増加が問題化していたオランダでは、1984年には処方箋なしでの注射針の購入の許可と、政府財源による注射針の無料交換制度が実施されている。
こうした措置には、注射針の所持を禁止してもヘロインユーザーは結局注射針を使い回すことになり、禁止政策が事実上HIV感染を悪化させているという客観的な事実認識が背景にあった。
しかしアメリカでは注射針の交換に対して政府から激しい反対意見が相次ぎ、1988年に注射針の交換に政府として資金を出すことを禁止する法案が逆に通過した。
アメリカ政府が主張したのは、注射針の交換プログラムはヘロイン使用の増加につながるという論理で、注射針の交換が効果的でかつヘロインの使用を増加させないということを保険社会福祉省が宣言するまでこの方針を維持する態度をとった。
しかしその後、数多くの政府機関による公式の調査により、注射針交換がHIV感染予防に効果的でかつヘロインの使用増加にはつながらないことが証明されたにもかかわらず、クリントン政権、その後のジョージ・W・ブッシュ政権下においても政府としての資金援助は禁止されたままである[57]。
こうした政府の対応には麻薬使用者への嫌悪感が見え隠れする。
1987年に事実調査のためにHIV感染が特にひどかったニューヨークを訪れた健康相のサー・ノーマン・ファウラーは、「多くのホモセクシャルのコミュニティは、中流階級で教育もあり、間違いなく死にたいとは思っていなかった。一方、静脈注射を行うドラッグユーザー達は、彼ら自身の将来に対してより無関心であった」と述べ、ドラッグを使用するものは最初から生きることに関心がなく、死んでも仕方がない存在であるという見方を公言している[58]。
また麻薬の使用によるHIVの感染者数は、白人よりも黒人が圧倒的に多い。
これは麻薬の使用者数が黒人の方が多いということではなく、一般に警察によって職務質問される割合が黒人の方が圧倒的に高いことに関係している。
警察に職務質問される割合が高いことによって、手元に自分専用の注射針を所持するリスクが高まり、彼らは自分で注射針を所持することを避け、他のユーザーと注射針の共有を選択するからである[59]。
近年アメリカではHIV感染者の死亡数は医療の進歩により減少しているが、注射針を原因とするHIV感染数自体は一向に減少していない。
94年から2000年にかけてCDC (Centers for Disease Control and Prevention) が25州で行った調査によれば、注射針によってHIVに感染した麻薬使用者(DIU)は、HIV感染者数全体の25%を占めており、その内訳は黒人65%、白人23%、ヒスパニック10%と黒人が圧倒的に多く、また彼らとの性交渉を通じてHIVに感染する二次被害も深刻である[60]。
ちなみに他の西洋先進国、ヨーロッパ、オーストラリアなどではDIUがHIV感染者全体に占める割合は10%程度にとどまっている[61]。
しかしこうした政府の対応とは対照的に、草の根レベルでの注射針の交換はアメリカでも既に行われている。
また行政レベルでも1987年には全米で最初にオレゴン州で、1989年にはウイスコンシン州でそれぞれparaphernalia law(薬品使用に関連する道具を規制する法)が緩和され、処方箋なしに注射針を所持することが許可されている。
90年代に入ると、1992年にコネチカット州、1993年にはメイン州でそれぞれ処方法が緩和され、10本以下であれば処方箋なしに注射針を購入できるようになるなど、各州が独自の判断でこの問題に対処している。
コネチカット州ニューヘーブン市で1990年から始まった注射針交換プログラムでは、バンで市内を周り中毒者に注射針を配り、その際警官が集まったドラッグユーザーを逮捕しないことが約束された。
このプログラムでは、古い注射針との一対一の交換を原則とし注射器に番号を登録し、中毒者は匿名でサービスを受けることができる。
プログラム開始の数ヶ月後、配付した10本のうち2本の注射針が交換によって回収され、うち68%がHIVに感染していることが確認された。
2年後には10本のうち7本が回収されるようになり感染率は44%にまで低下し、さらに利用者の6人に1人が離脱プログラムを受けるようになっている。
一方、新しい注射針がもらえることでヘロイン中毒者の数が増えることもなかった[62]。
このニューヘーブンでの成功を受け、ニューヨークやワシントンでも同様のパイロットプログラムが開始された。
2000年の段階で注射針交換のプログラムは35州、106都市で行われておりその数は152に上っているが、うち州や地方政府の財源によるものは未だ半分以下の62にすぎない[63]。
ドラッグユーザーのHIV感染を減少させるには、注射針の所持の合法化、処方箋なしでの購入の許可、注射針交換のための資金の充実の三つが基本的要件であるが、これらの対応は未だ充分になされていないのが現状である。
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[56]Davenport-Hines, Richard (2001) op. cit. p. 377.
[57]公的機関による注射針の交換プログラムがドラッグの使用の増加につながらないことを実証した研究報告は、National Commission on AIDS (1991) “The Twin Epidemics of Substance Use and HIV”. General Accounting Office (1993) “Needle Exchange Programs: Research Suggests Promise as an AIDS Prevention Strategy”. Institute of Medicine of the National Academy of Science (2000) “No Time to Lose: Getting More from HIV Prevention” など多数ある。
[58]Davenport-Hines, Richard (2001) op. cit. pp. 378-379.
[59] Bluthenthal, Ricky N, Lorvick, Jennifer, Kral, Alex H, Erringer, Elizabeth A and Kral, James G “Collateral Damage in the War on Drugs: HIV Risk Behaviors Among Injection Drug Users”, International Journal of Drug Policy, vol. 10, 1999, pp. 25-38.
[60] U.S. Department of Health and Human Services. Center for Disease Control and Prevention (CDC) (July11, 2003) HIV Diagnoses Among Injection-Drug Users in States With HIV Surveillance -- 25 States, 1994-2000, Morbidity and Mortality Weekly Report, [http://www.cdc.gov/mmwr/preview/mmwrhtml/mm5227a2.htm].
[61]United Nations Programme on HIV/AIDS (UNAIDS) and World Health Organization (WHO), AIDS Epidemic Update December 2003, p.30.
[62]Baum, Dan (1996) op. cit. pp. 315-316.
[63]Day, Dawn, Health Emergency 2003: The Spread of Drug-Related AIDS and Hepatitis C Among African Americans and Latinos, Harm Reduction Coalition, p.7.
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