被告人本人による上告趣意書(10) 予断と偏見に基づく判決/大麻の使用と思想の自由

投稿日時 2004-06-29 | カテゴリ: 白坂裁判

3.予断と偏見に基づく判決について

 控訴趣意書にも書いたが、これも黙殺されたので再度書いておく。

> 被告人が大麻についていかなる考え方を持とうと被告人の自由であり、
> 大麻取締法の違憲性を主張してその改廃を求める運動を展開するのも
> 何ら非難されるべきことではない。

 一審論告で検事は上記の通り述べている。ところが、一審判決は「量刑の理由」として、

> 被告人は、捜査、公判を通じて、大麻取締法の非合理性を主張するなど、
> その態度はよくなく

 と述べている。
大麻取締法の非合理性を主張することそれ自体は、まったく非難されるべきことではないにも関わらず、判決はそれを「態度はよくなく」と「量刑の理由」としているのである。これが思想と良心の自由に対する侵害であることは明白であろう。

 大麻取締法に使用罪はない。それなのに、「大麻の使用につながる所持や栽培等の行為を規制し、その違反に対して罰則をもって臨むことは、十分合理性が認められる」と裁判所は言う。昔、学校で「罪刑法定主義」という言葉を教わったような記憶があるが、「罪刑法廷主義」の間違いだったらしい。

 大麻取締法には使用罪がないにも拘らず、それにつながる行為として所持や栽培を罰することのどこに合理性があるのか。それは裁判所による法外な解釈でしかない。このことは辻褄の合わぬ大麻取締法の欠点を露呈している。司法はそのことをこそ、立法府、行政府に対して指摘すべきである。

 「大麻取締法の非合理性を主張するのは態度がよくない」とは、司法自身による思想と良心の自由への明白な侵害である。こんな予断と偏見に根ざした判決はとてもじゃないが「採用しえない」。

4.大麻の使用と思想の自由について

 大麻の使用は、それ自体がひとつの思想である。
大麻とさまざまな宗教が密接に関係していることは、先に引用した通り、公知の事実である。

 大麻の肯定的価値を確信する者にとって、大麻の使用は、思想、良心、表現、感性の、潜在的可能性を引き出す具体的行為に他ならない。

 大麻が、アルコールやタバコ以上に他者や社会の保護法益を侵害する危険性を持たず、カフェインと同程度の「毒性」しかないことが科学的にも明らかな以上、大麻を取り締ることは、思想の自由、良心の自由、表現の自由、感性の自由を取り締ることと同義である。

 大麻取締法は、憲法19条に定めた「思想及び良心の自由」をも侵害する悪法である。

 裁判員制度で裁かれてれば、私は無罪、大麻取締法は違憲だろう。
かつて、中世のヨーロッパではコーヒーが厳しく取り締まられ、魔女狩り的に弾圧されていたという。今回の裁判を経験し、大麻に対する弾圧は現代日本における三権共謀の魔女狩りのようなものだと私は実感している。

 そういえば、私が関連先として逮捕されることになった桂川氏や私の大麻を使用していた癌を患っていた者がしばらく前に亡くなったそうだ。亡くなる前、病床で、私たちの逮捕の事情を知った上で、仲介していた者に、「なんで麻を持ってきてくれねぇだ」と力なく冗談を言っていたそうである。

 これからもずっと、何度でも言う。
大麻取締法は人権蹂躙法であり、憲法違反の糞法である。

 最高裁の判事さん諸氏、あなたにとって正義とは、人権とは、公平とは、人生とは、なんですか?
高い所で威張ってるばかりが能じゃないでしょう。

 この邦に生まれ育ったことを感謝している一人として、怒りを込めて、以上、上告する。






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