大麻取締法は憲法違反である。そう主張して最高裁まで戦った例は私たちが直接関わっただけでも既に5件ある。個別的には、憲法12条(自由権)、13条(幸福追求権)、14条(法の下の平等)、19条(思想・良心の自由)、25条(生存権)、31条(適正手続きの保障)、などに反するという主張だった。
これまでの大麻取締法違憲論裁判のなかでも特筆すべきは、桂川裁判における憲法12条に関わっての主張だろう。
憲法12条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
法学館憲法研究所というサイトにはこの憲法12条の解説としてこう書かれている。
人権が生まれた国イギリスでも当初、人権はイギリス人の権利でしかありませんでした。フランス人権宣言ですら、そこでは男性しか想定されていません。つまり、人権は、歴史的に見れば人類の普遍的な価値ではありませんでした。人類が過去幾多の試練の中から勝ち取り、普遍的な価値であるべきだと主張し、拡大し続けてきたものなのです。ですから、私たちが権力などの強い力を持ったものに対して人権を主張し続けなければ、人権など消えて無くなってしまいます。私たちが日々の生活の中で主張し続け、実践し続けることによってやっと維持できるものなのです。
もちろん、他人に迷惑をかけたり、自分勝手が許されるわけではありませんから、公共の福祉のために一定の制限は受けます。この「公共」(public)とはpeopleと同じ語源を持つ言葉であり、人々を意味します。けっして天皇や国を意味する「公」や抽象的な国益のために人権制限が許されるわけではありません。
http://www.jicl.jp/itou/chikujyou.html#012
そして、桂川裁判で、金井塚弁護士は次のように喝破した。
◆憲法12条の保障内容
憲法12条は、「この憲法が保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」と国民の憲法保持義務を規定する。
「最高法規」である憲法が保障する自由及び権利は、「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」であり(同97条)現在の国民もこの遺産の上に安住することは許されず、国家権力による侵害のないように不断に監視し、自分の権利侵害に対して闘うのみならず、他人の権利のための闘争も支持する義務を課しているものである。
この規定は、立憲主義憲法の一局面として、政府、国家機関が権力を濫用し、立憲主義憲法を破棄した場合に、国民が自ら実力をもってこれに抵抗し、立憲主義法秩序の回復をはかることのできる権利、すなわち、抵抗権の趣旨を明らかにしたものと解されている(例えば佐藤幸治『憲法[第3版]』51頁以下)。
権力と自由の間には不断の緊張関係があり、立憲主義法秩序を維持するためには何をしなければならないか。
非実力的、非暴力的法違反行為としての「市民的不服従」や時としてこの「抵抗権」のように実力による闘争が必要であることを、国民に対し憲法内在的に自覚が促されていると解されている。
◆市民的不服従の権利
抵抗権は、実力を伴う闘争であるが、市民的不服従は、法違反行為でありながら非実力的・非暴力的なところに特色があり、抵抗権より、より現実的で具体的な意義を持つと言われている。
すなわち、憲法12条の保障する市民的不服従ないし市民的不服従の権利は、立憲主義憲法秩序を一般的に受容した上で、異議申立の表現手段として法違反行為を伴うが、それは、「悪法」を是正しようとする良心的な非暴力的行為によるものであるところに特徴があり、そのような真摯な行為の結果、「悪法」が国会において廃止されたり、裁判所によって違憲とされて決着をみることがあり得、そのことを通じて、法違反行為を伴いながらかえって立憲主義憲法秩序を堅固なものとする役割を果たし得る。
正常な憲法秩序下にあって個別的な違憲の国家行為を是正し、抵抗権を行使しなければならない究極の状況に立ち至ることを阻止するものとして注目されている(佐藤前掲書53-54頁ほか)。
主張を曲げずに貫徹した桂川さんは懲役5年という殺人罪並みの長期刑を喰らって獄に繋がれ、満期を務めて出所した。
「大麻取締法に対する非暴力による市民的不服従」という大麻取締法違憲論の実践的・思想的到達点は、逮捕され、長期に服役した桂川さんと、支援した者たちが、苦しくつらい戦いの末に勝ち取った成果であり、自由への戦いの道標だ。
憲法記念日に、改めて、「大麻取締法に対する非暴力による市民的不服従の精神」を確認し、麻の民のみなさんと共有したい。
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