サル・パラダイス
週刊現代 3/22発売号
元エリート裁判官が明かす 裁判官は正義より出世が命です
これは、一見大麻とは無関係ではと思いますでしょうけど、大麻で逮捕され裁判を受ける方が多数いらっしゃることを考えますと、とても大事な記事と思えます。
この記事読むと、あんなに状況証拠から有利と思え、上告書もすばらしいできだった「KYさん裁判」がなんで、簡単に負けてしまったのかがよくわかります。
全くひどい状況です。
普通、人は、裁判をやるとなると、いかに自分の正当性を証明しようかと真剣に準備をし、勉強をし、時にお金をかけ弁護士を雇い、法廷で争い、そこで負けたとなれば、おのれの至らなさを知って清く退場する、そういうものだと考えていると思います。
ところが、その法廷でのしくみが全く公正ではなかったとしたら。
今回、この記事を書かれた瀬木比呂志さんは、1979年の任官から2012年に大学教授に転身するまで、33年間にわたって裁判官を務めてきた方です。司法崩壊の実態を明らかにした「絶望の裁判所」(講談社現代新書)を出版されています。
さて、彼が裁判官となって、その内実に気付くのですが、そこには、最高裁の意に沿わない人材を排除する人事システムの問題があるというのです。
まず、司法の世界とは、最高裁長官をトップとし、その腹心の最高裁事務総長が率いる事務総局が支配する完全強固なヒエラルキー型の社会であるということ。そして、その世界は外部には完全クローズドで、システムの異常に内部の者が気づこうとも相談する窓口すら内部にはないとのこと。
で、どうなっちゃうかというと、裁判官は原告・被告の権利や結論の適正さを自分で考える前に、とにかく事務総局の意向ばかり気にするようになってしまうというんだね。
つまり、自分ではこの人は無罪だろうと思ったとしても、事務総局がこれを無罪にしたら怒るだろうなと思えば、有罪にしてしまうってこと。おいおい。
そうしないと、昇進を遅らされたり、地方に単身赴任させられたり、あるいは再任を拒否されたりってなるんだって。
そういうわけで、本来目指すべき「正義」はおざなりになり、出世ばかりにとらわれるということになるんですね。
さらにはね、裁判官となる人間の人格も問題ありと言ってる。
エリート意識が強く、閉ざされた世界で生きているため、自己中心的で他人を思いやる能力の欠如してるような人が多いという。
また、刑事系の裁判官は日常的に検察官と接しているため、考えがどうしても検察寄りになってるって。
んーえらいことだ。これはどういう状況なんでしょう。
法廷という舞台でジャッジをする席には、一般人からすると非常識な人で、検察寄りで、さらには、最高裁長官の考え(前の判例を踏襲するのだと思います)と反対の結論は出せない方が座ります。
ということは、大麻で裁判となると、公正な判断は望めないということなのでしょうか。
サッカーで言うと、審判全員が相手チームである中で試合をするようなもんですね。
大麻裁判を闘った方というのは、こんな不利な状況でやられた方々だったんですね。ほんとに悔しい思いをされたと思います。つらかったと思います。
内容ではどんなに勝っていたとしても、最後に、紋切り型にばさっとやられてしまう。
この仕組みを変えるには、どうしたらいいんでしょうか。
我々にできることはあるのでしょうか。
一つ思うのは、この状況をできるだけ多くの人にひろめることでしょうか。裁判所の内情を告発した瀬木さんがいたから、我々は知ったわけで、これをさらに次へとつなげていかなければならないと思います。
ネットでなるべく拡散する。気になる裁判は、その最初から、どういう対応がなされるか、そして、どうなっていくか、そして、どういうふうに帰結するか。そこに、どういう作用が働いたと考えられるか。すべてをオープンにしていくのです。
ここは、プロにお願いすべきでしょうかね。マスコミに大麻裁判等の行方を追ってほしいです。
ちゃんと公正に行われるのか。全く、そうでなく行われるのか。
どこに問題があるのか。それを、しっかり追及していきましょう。
先人たちの借り、やられたらやり返す、倍返しだ。
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