益戸・森山裁判を伝えるテレビのニュースで、いくつかの番組が大麻には使用罪がないことに触れていた。どの番組でも、MCが振ると、コメンテーターという人たちはもっともらしい顔をして、解説していた。
曰く、大麻に使用罪がないのは、大麻農家の人たちが罪に問われることを避けるため、とか、副流煙で無関係の人まで吸ってしまいそれが使用罪になりかねないため、とか、麻で注連縄を作る時になんちゃらとか。
大麻になぜ使用罪がないのか。マスコミがその点を取り上げて騒いだのは、もう10 年近く前、ラグビー部所属の学生が、寮で大麻を栽培していたのがバレた事件と、ロシア出身のお相撲さんが大麻入りの財布を落としてバレた事件と、別のロシア出身のお相撲さん2人の尿から大麻反応が出て事件になったとき。
「大麻にはなぜ使用罪がないのか」を厚労省の担当者に取材して記事にしたのはたしか週刊朝日だったかな。その質問に対する厚労省の担当者の回答が、大麻農家の人たち云々などだった。以来、有識者とか評論家という種類の人たちも、その厚労省の回答を踏襲するコメントをするようになった。
だが、大麻農家の人たちが罪に問われないようにするため使用罪がない、などというのは筋が通らない。だって、大麻農家の人たちは、都道府県知事から大麻栽培者免許の交付を受けており、尿だろうが頭髪だろうが、大麻成分が検出されても罪に問われることなどない。智頭町の上野氏が捕まったのは、免許条件外の大麻を所持したからだった。
副流煙とか、注連縄になると、ちょっとなに言ってんのか分からない。
大麻にはなぜ使用罪がないのか。それは、この法律、大麻取締法に、「目的」が書かれていないこととも大いに関係があるだろうと私は思う。
私の裁判で弁護士が述べたことでもあるけど、GHQによって大麻取締法の制定を求められたとき、日本の官僚や政治家には意味が分からなかった。内閣法制局長官を務めた林修三氏は次のように回顧している。
終戦後、わが国が占領下に置かれている当時、占領軍当局の指示で、大麻の栽培を制限するための法律を作れといわれたときは、私どもは、正直のところ異様な感じを受けたのである。先方は、黒人の兵隊などが大麻から作った麻薬を好むので、ということであったが、私どもは、なにかのまちがいではないかとすら思ったものである。大麻の「麻」と麻薬の「麻」がたまたま同じ字なのでまちがえられたのかも知れないなどというじょうだんまで飛ばしていたのである。私たち素人がそう思ったばかりでなく、厚生省の当局者も、わが国の大麻は、従来から国際的に麻薬植物扱いされていたインド大麻とは毒性がちがうといって、その必要性にやや首をかしげていたようである。従前から大麻を栽培してきた農民は、もちろん大反対であった。
参照:大麻取締法はなぜズサンか
当初、GHQは大麻栽培を全面的に禁止するよう求めてきた。日本は、それでなくても繊維としての麻が不足してる状態、というか、敗戦直後、不足しているのは麻だけではなく、全てが不足していたが、麻農家の生活もあり、耕地面積などに一定の条件が付けられ、免許制として、大麻栽培は存続した。繊維になった麻の重量まで届出が必要な、面倒な制度だった。
当時、日本国内で嗜好目的で大麻が使われることなどもなく、日本としてはなんでこんな法律を作るのか、意味不明だった。
大麻取締法には使用罪がなく、所持よりも栽培のほうが罪が重い。これは何を意味しているのだろう。
大麻取締法に使用罪がなく、栽培の罪が一番重いのは、もともとこの法律は大麻の栽培を禁止する目的で制定されたからであり、この法律に覚醒剤取締法のような目的が書かれていないのは、薬物としての大麻を取り締まる法律ではなかったからだろう。
日本はいつまでこんなアホな法律を後生大事に守り続けるのだろう。
参照:大麻取締法は産業政策として押し付けられた
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