祐美さん本人が書いた控訴趣意書です。
叫びのように聞こえませんか?
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控訴趣意書
2007年9月6日
被告人 木村祐美
東京高等裁判所第4刑事部御中
記
私は、氏名不詳者らと共謀の上、大麻を営利目的で密輸入したとして、千葉地方裁判所で有罪判決を受けましたが、それは事実無根です。
私は大麻の密輸入を誰とも共謀していませんし、アムステルダムでチャールズという人から缶詰を持っていって欲しいと言われて持ち帰っただけです。その中身が大麻であるということは全然知りませんでした。これから今回の事実について説明します。
1、幼少期から大学までの過程及び背景
一、栃木県での生活
私は、栃木県で父■■■■、母■■■■ の娘として生を受けました。昭和58年5月13日に次女として生まれ、姉であるさゆり、妹、弟の4人兄弟の中で育ちました。家庭はとても貧しかったので物心ついた頃から「大きくなったらひとりで事実して生活しよう」「親にも、誰にも迷惑をかけたくない」と強く心に誓っていました。そのための手段として勉学に励むことは自分にとって重要な意味を持っていましたし、大学へと進学する意思は固く、絶対に奨学金をもらって通うんだ、と計画を立てていました。成績は、小学生・中学生時にも良い方でした。地元の中学校に通い、3年時には10クラス程度あった学年の中で各クラスに1名ずつ選出される優秀生の一人として警察署で表彰を受けたこともあります。
高校への進学は学費の面と大学受験を考慮して県立に行こうと思い、栃木県立矢板東高等学校の普通科に平成11年4月入学しました。進学校であり、クラスは文系・理系に分かれており、私は文系の中で、1クラスしかない国公立クラスという選抜クラスに属していました。成績は、4・5位だったと思います。県立だったので学費は非常に安かったのですが、それが払えずに滞り状態がずっと続いたため、途中から奨学生として学費免除をしてもらえることになりました。
また、部活動として山岳部に入っていたこともありました。栃木県内の山に2泊3日の短期日程等で、他の高校と合同で登頂したり、20キロ以上のリュックを背負って移動したりしました。夏期には、日本アルプスの八ヶ岳に登ったりしました。険しい道程を乗り越えた後の達成感、目的に向かって努力すること、やり遂げることを学んできました。
高校卒業後は、高校が受験生や各中学校等、一般的に配布する学校案内のパンフレットを作成するとのことで、元担任の先生の推薦で卒業生の代表として、文系の代表で紹介文を書くようにとお話をいただき、高校生活について拙文載していただいたこともあります。
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