本人による控訴趣意書(7)

投稿日時 2007-11-27 | カテゴリ: 祐美さん(大麻密輸の冤罪)

四、初めての海外旅行と携帯電話の購入
就職活動の合間である2005年2月の時でした。チャールズが
「君は今まで海外に行ったことがないんだよね」
「洋服とか靴が安く買えるから2泊3日の短い日程で中国が韓国へ行こうと思う」
「私が連れていってあげるよ」
「中国の杭州には友達もいるんだ。彼は中国語が話せるんだ」
と話をしてきました。
私はそれまでパスポートを作ったことがなく、海外旅行に行ったことがないことを彼は知っていたのです。チャールズがその時、なぜ休みを取ることができたのかというと、同年夏ごろに米軍での仕事を辞めて一般企業に勤め始めだからです。チャールズは
「イラク戦争の人事に関わる仕事は精神的にとっても苦痛であり、これ以上やりたくない」
「自分は黒人だからこれ以上は昇格できない。仕事を辞めて、新しい仕事を探そうとずっと思ってきた。タイミングは今が良いと思う」
「自分の父親の具合がとても悪い。父親はニューヨークにいるから、このまま仕事を続けると休みをもらうこともできないので父親へ会いに行くことができない。ニューヨークにいる弟や妹たちも一度戻ってきて欲しいと言っているので、休暇を取れる一般企業で働きたい」
などの理由を話していました。私が聞いたときには彼が思うようにするのが一番よいのだろうと思っただけで話しに納得していました。

上述した事情から、チャールズは夏ごろアメリカへ渡り、しばらくして帰ってきたあとに”PREXTON(プレクストン)”という会社に、2004年秋ごろから勤めるようになったそうで、その会社は
「PCのシステムプログラミングをしている会社であり、自社開発したソフト販売している」
「自分はその会社でシステムエンジニアとして働いている」
とのことでした。その会社を選んだ理由は、先述した
「父親に会いに行きやすいように、休暇を取れる企業を探していた。企業へ行って面会で相談したら休みをくれると言われた」ことや「滞在ビザも、会社で労働用のビザを申請してくれるという確約ができたから」
と聞きました。

また、彼は同時に、自分のパスポートをアメリカから両親が保有していたナイジェリア国籍に移したのだそうです。米軍に勤めるのをやめるなら色々なしがらみもあるから、どうせなら国籍の変えたいのだと言っていました。私は、国籍や軍に関する知識をほとんど持っていませんでしたので、そういうものか、と思っただけでした。そして、チャールズは「いつかナイジェリアに住みたい。自分のルーツである国だからナイジェリアで家を持ちたい」のだと言っていました。だから、私にとって、ナイジェリアの国籍に彼が変えると言っても不自然なことには感じられませんでした。

また、チャールズはPREXTONで働く間に上で杭州行った際に洋服・靴といった、アパレルが格安で買い物できると知ったからまた行ってみようと思っていたのだ、と行き先を決めた理由を話していました。
この旅行することが確実になり、彼に促されたので私のパスポート作りました。

以上の状況下、チャールズと私は中国へ旅行に行きました。チケットやホテルの手配等は彼に任せきりで、文字どおり右も左もわからなかった私は彼について、杭州へと行きました。現地に到着すると彼が出張で行った時、杭州で知り合ったという友達が同行してくれることになっており、中国語が話せない私たちに代わって買い物や料理店など、行く先々で通訳をしてくれました。そして私たちは地元のお店で洋服やバッグなどを大量に買いました。このとき、チャールズは
「友達からジーンズや靴を買ってきてほしいと頼まれていた」ことや「安く買ったものを多少高くして他人に売ろうと思った」らしく、たくさん買い込んでいました。その後、チャールズが「携帯電話を買いたい」と言い、その友人とチャールズと私で携帯電話の店に行きました。そこで、チャールズと友人は店員と交渉しながら20個購入することにしたようで、一個一個携帯が本当に使えるのかを確かめながら決めていました。メーカーはニキアだったと思います。チャールズによると購入した携帯電話を知り合い、友達に売るとのことでした。これらの電話はプリペイド式の携帯電話でその番号にチャージするといくらでも使い続けることができるそうで他国でも使えるのだと説明されました。

私自身は世の中のことについて、そして国外における携帯電話事情をまったく知らないし、彼は外国人であるから他国の状況について、私なんかよりもよく知っているのだという意識が彼に対して強かったのです。彼の発言・説明に対して、「そういうものなのか」と疑うことなく信じていました。実際その場で、彼が携帯電話に通話できるか試し、できていたので、彼の説明をなお一層真実だと思っていました。

日本への帰国の際にはスーツケースで預託荷物として持ち帰りました。空港に到着し、検査台に並ぶと、検査台の職員にスーツケースを開けるよう指示され、中身を全て検査されました。
後日、「持ってきた携帯電話は全て売れた」と、彼は喜んでいました。この仕事に関する話は出ないまま、しばらく時間が経過しました。
次に携帯電話に関する話が出たのは2005年8月ごろだったと思います。
「中国の携帯電話を買ってもらった人たちから壊れてしまったと苦情言われた。きっと中国で購入したから品質がよくなかったのだろう。全て売り切れたから、再び中国へ行ってまた購入しようと思っていたけれど、もう買うのはやめる。良いビジネスだと思ったのに」
と言っていました。私が聞いたのはこれだけでした。






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