警察国家とマスゴミと無差別テロ

投稿日時 2008-06-09 | カテゴリ: 白坂の雑記帳

秋葉原で起きた凄惨な事件。突然、命を奪われた人たち、家族の命を奪われた人たちの思いは想像を絶する。
マスコミがこの事件を大きく扱うのは当然だろうが、遺族にカメラを向け、マイクを突き付ける無神経ぶりには無性に腹が立つ。犯人が取り押さえられる映像が繰り返しテレビで流れているが、顔を含めた姿を映しながら、手錠を掛けられた手元の部分だけをぼかしていることにもマスコミの偽善を感じて吐き気がする。

日本は先進国のなかでも治安が良く、未成年者によるものを含め、殺人事件の発生件数は減り続け、昨年は戦後最低を記録したそうだ。
だが、「体感治安」は悪くなっているという印象がある。それは個々の事件を扱うマスコミが、警察発表を無分別に垂れ流し、社会不安を煽っていることも大きな要因ではないだろうか。警察の手先となって犯人を追うような番組すらある。
最近の事件報道をテレビで見ていて感じることだが、逮捕される前の犯人の様子が映し出されることが多い。多くの場合は街中を歩いているところだったり、自宅玄関を出入りする様子だったりする。まだ公表されていない事件なのに、なぜ逮捕前の様子をテレビが撮影できるのか。当局のリークによって、予め逮捕予定の情報がマスコミに流れているからではないのか。えげつない話だ。マスコミはすっかり警察の広報機関に成り下がっている。マスコミが警察国家の提灯持ちに堕している。

秋葉原の事件は、池田小の事件からちょうど7年後に起きた。今年に入ってからでも「誰でもよかった」という殺人が連続して起きている。殺人事件の発生件数は減っているそうだが、「誰でも良かった」などという殺人は、社会に対する無差別テロではないだろうか。
アメリカ様と資本の論理を最優先し、弱者を切り捨て、労働環境や共同体を破壊する政治、弱い立場の国民に苦痛を押し付ける「痛みを伴う改革」が、社会に対する無差別テロのような殺戮を惹起しているのではないか。
小泉純一郎がへらへらと笑っているのをテレビで見るたび、強烈な怒りを覚える。






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