これまで取り組んできた大麻取締法違憲論裁判を改めて検証しています。違憲論自体は認められることなく推移してきましたが、各裁判の判決を読むと、司法判断に微妙な変化を読み取ることができます。また、違憲論に対する検察の反証にも、検察上層部は問題点を認識しているのではないかと思わせるような論述があります。
行政機関や天下り財団法人への働きかけでは、厚労省も麻薬防止センターも公的大麻情報の古さ、最近の科学的知見との矛盾を認め、予算を付けて検討委員会を設置し、情報を見直すと明言しましたが、そのまま放置されています。
違憲論を主張しての司法への問いかけ、大麻取締法の立法根拠を質す行政への働きかけ、その両方で、既に実質的には私たちの主張の正当性、科学的知見に基づいた論理的整合性は明らかになっています。ディベートとしては既に明白な決着が付いているのです。
違憲論については三権分立を反故にするような司法の無機能、立法根拠については厚生労働省の不作為が歴然としているのです。
来年から実施される裁判員制度では、殺人や強盗といった凶悪犯罪の審理に国民を巻き込み、短時間で裁判を終結させる予定になっています。このような裁判が実施されると、このような事件で最も大切な事実認定についての審理が十分に尽くされない危険があります。裁判員制度はこのまま実施されれば、裁判員に選ばれた国民は、物心両面で大変な負担を強いられることになるでしょう。しかも、審理自体は今よりさらに不十分になる可能性が高い。
さらに問題だと思うのは、裁判員制度が殺人や強盗といった犯罪にしか適用されない点です。私は、大麻取締法の違憲性を問う裁判を裁判員制度で行えば、司法が依拠する昭和60年の最高裁決定というカビの生えた判例は覆せると思います。それこそ、裁判員制度を導入する目的のひとつとされている、国民の感覚を反映させる裁判になるだろうと思うのです。
また、裁判員制度では、行政訴訟が対象になっていません。薬害問題などで、被害者が行政を訴える裁判は数々行われてきましたが、行政責任を認める判決も散見されるものの、一般的な傾向としては、司法は行政寄りの判決を下すことが多いようです。このような、国民が行政を訴える裁判にこそ、裁判員制度を適用すべきではないでしょうか。それでこそ、国民の感覚を裁判に反映させることができ、行政の怠慢や腐敗を国民の手で裁くことができるだろうと思います。
最高裁長官は内閣が指名し、最高裁判事も内閣が任命するので、長期政権が続けば続くほど、司法は行政の顔色を窺うような判決ばかり出すようになるのでしょう。立法府である国会で多数を占めた政党が内閣を構成し、その内閣が最高裁人事を決定する現状は、三権分立どころか、三権一律だというのが実態でしょう。
裁判員制度は、法の違憲性を問う裁判や、行政責任を問う訴訟にこそ適用しなければ意味がないと思います。が、敢えてそれを避けて制度設計されているところに、この制度の本質(正体)が垣間見えているのだろうと思われます。
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