マスコミの事件報道は警察発表から始まる。
テレビや新聞は記者クラブでの当局発表を第1報として流し、各社とも「供述によれば」」とか「~と供述している」などと表現する。しかし、その供述は捜査当局の誘導によって為された可能性もあり、どこまで真実なのかは不明だ。
多数の死者を出した大阪の個室ビデオ店での火災についても、事件当初、マスコミは被疑者の供述として、当局が発表した「放火」によるものと断定的に報じた。そしてその第一印象が社会に定着してしまったように見える。だが、その後、被疑者に接見した弁護士によると、放火ではなく失火だった可能性を示唆している。これはマスコミの事件報道のあり方と同時に、取り調べの可視化とも関わる重大な問題だと思う。
当局の発表するまま一方的に事件を報道し、それによって国民には強烈な印象が植え付けられる。本来、捜査当局の発表だけでなく、接見した弁護士からの情報もなければとても公平な報道とは言えないが、テレビは被疑者の供述とされる部分について、わざわざ台詞のように扱い、被疑者がそのように喋ったかのような印象を敢えて視聴者に印象付けている場合も多い。
殺人事件などで、犯人の供述として、「誰でもよかった」という表現が使われることも最近は多い。だが、本当に被疑者がそう言ったのかどうか。誘導尋問でそのように表現されてしまっている可能性はないのか。辟易するような「大麻汚染」報道の嵐のなかで、マスコミの情報は最初から疑ってかかる必要があると私は改めて感じている。
●大阪・難波の個室ビデオ店火災、容疑者は放火を否認か/JANJAN
●「脱・記者クラブ」宣言/2001年5月15日 長野県知事 田中康夫
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