平成16年(う)第835号 大麻取締法違反被告事件
被告人 桂川 直文
控訴趣意書2
2004年(平成16年)7月20日
大阪高等裁判所 第6刑事部 御中
上記被告人に対する頭書被告事件について、弁護人の控訴の趣意は、先にご提出した控訴趣意書1、同補充1ないし3のほか、下記のとおりである。
主任弁護人 金井塚 康弘
弁護人 丸井 英弘
記
第1 緒論
原判決の言い渡した「被告人を懲役5年及び罰金150万円に処する」等とした判決は、刑事訴訟法335条2項の犯罪の成立を妨げる理由である違憲性の主張をとりあげたものの、証拠に基づかず合憲との判断をしたものであり、犯罪事実についても一部事実誤認があり、また、被告人が本件各行為を行った行為の目的、態様、さらに、長野県薬務課の対応の不手際等の本件の個別的な諸般の事情、また、1審判決後の情状等も併せ鑑みれば、量刑が重きに失するので、破棄を免れないものである。
第2 大麻取締法の違憲性
1 原判決とその誤り
原判決は、弁護人が大麻の有害性は証明されていないこと、大麻取締法が合憲とされる立法事実は、法制定時と大きく異なってきていること等を指摘し、法令違憲、適用違憲を主張したことに対して、大麻の「有害性が否定できないことは公知の事実といえる」(判決書5頁)と証拠もなく有害性ありと断じることを糊塗するために「公知の事実」論を持ち出し、その「大麻の有害性に鑑みると」と憲法13条、25条違反の主張を排斥しているが(判決書6頁)、もとより誤りである。
公知の事実とは、「世間一般の人が疑いをもたない程度に知れ渡っている事実をいい、例えば、歴史上の事実、大きな社会的事件、周知されているルールなど」をいうとされ、被告人が某日施行のA市長選挙に立候補して当選した事実はA市付近では公知であるとされたり(最判S31.5.17、刑集10巻5号685頁)、都内の制限時速は毎時40キロメートルであることは道路標識により公知である」と認定されたりしている(最判S41.6.10、刑集20巻5号365頁)。これらの判例の判示と原判決の認定態度は全く相反している。
大麻の花穂、葉等の部分に向精神作用のある物質(テトラヒドラカンナビノールTHC)が含まれていることは公知であるとしても、その「有害性」、刑罰法令の合憲性を基礎付けるほどの「有害性」は、公知の事実とは到底言い得ない。むしろ「有益性」「有用性」が近時特に科学的、医学的根拠に基づき指摘され、欧州各国や米の一部州では法改正さえされているところである。
2 大麻と人類
(1) 大麻と人類の歴史
歴史的に見ても、大麻の「有害性」の公知性はない。むしろ、1937年アメリカで法規制されて以降、各国で法規制されるまでの長い人類の歴史において、大麻は広く使用されていたことが、むしろ公知の事実である。
大麻は、学術名をCannabis staivaといい、桑科の1年草である。原産国は、中央アジア、カスピ海周辺だといわれており、新石器時代の初期から栽培植物となり、その生命力故にか現在では赤道をはさんで緯度60度付近にまで広く分布している。ギリシャの歴史家ヘロドトスは、その著書「歴史」の中でエジプト人の衣服が亜麻(Flax)からできていること、ミイラに巻く布も亜麻であることを記述している。
カスピ海周辺では、紀元前5世紀ごろ、小アジアの遊牧民族スキタイのシャーマンが使用し、4000年前のペルシャで大麻(Hemp)が栽培されていた記録がある。中国では少なくとも2700年前から生産されていたという。インドでは医薬用の栽培もされており、ヒンドゥー教では大麻に積極的な価値付がされていて「意識を変える草」として宗教文化的意味合いを持たされて利用されてきた歴史がある。
(2) 日本国と大麻
日本国でも1万2000年くらい前の縄文時代の遺跡である福井県の島浜遺跡で大麻の種が発見されている。縄文土器の文様は麻縄によるものである。日本国と関係が深いのは芋麻(Ramie、カラムシ)と大麻である。実は食用に、茎から得られる繊維で織物や紐、漁網や釣り糸、弓の弦、各種紐や縄に広く使用されていたと考えられている。
正倉院には麻のセルロースで作られた紙に書かれた1000年以上前の仏典が保管されており、万葉集には、麻に関する歌は約30首あると言われている。身分の高いものの衣服は絹であったが、多くの民衆の衣服は麻で作られた。
日本国の土着宗教というべき神道でも大麻は穢れを祓う神聖な植物とされ、しめ縄等に使用されている。国技相撲の横綱のまわしも結婚の儀礼の際の結納等の飾りものも同様の理由から麻で作成される。
伊勢神宮のご神体は天照御大神の御神札であり神宮大麻と呼ばれ、現在でも例えば長野県神社庁が「お正月は神宮大麻と共に迎えましょう」等と呼びかけているように(弁15)、人々の晴れの場の習俗となってきている。仏教においても、特に密教において、座禅、祈祷等の際の護摩などに使用されてきたことは周知のとおりである。
このように、かつては日本国において大麻は広く自生し、また、栽培されていたのであり、長野県では現在でも大麻が自生している場所もある。長野県内の麻の生産量は、昭和35年ころまでは200トン程度あり、農家の経済を支えてきたが、以降激減したという(弁16、120頁)。
3 大麻の有用性
大麻の「有害性」が公知でないばかりか、最近では、大麻は地球を救う、とその産業的有用性、また、医薬的有用性、嗜好的ないし娯楽的有用性等が、わが国を含む各国で見直されてきている。
大麻は、将来においても、地球環境や人類に大きく貢献する可能性を有している。大麻油を軽油化した燃料は、軽油に比べて硫黄酸化物を出さない点で環境負荷が小さいとされており、その繊維は建築素材や土に分解可能なプラスチックとして活用され得る。農薬や化学肥料なしに3か月で生育し半年で2メートルにも生育する。その過程でCO2を吸収することも注目されている(弁7、8頁以下、弁10ほか)。
麻の実は、消化吸収されやすいタンパク質としてビタミン類、リノール酸や各種脂肪酸、植物繊維が豊富に含まれている。
酒や煙草と同様の娯楽としての嗜好品としての利用のほか、後に詳しく述べるが医薬品としても癌、エイズ、多発性硬化症、関節炎、緑内障、食欲不振、うつ病等の治療についても有用性が肯定され、2001年(平成13年)カナダを皮切りに、昨年はオランダでも医薬品としての利用が開始されるようになった(弁10、特に10頁以下、弁25、弁29、弁30ほか)。
4 大麻の危険性・有害性について
大麻に仮に危険性や有害性があるとしても、それは、合法的に使用されている煙草やアルコールに有害性があるのと同じことであり、あるいは、酒や煙草の有害性よりも少ない有害性に対比して、より大きな有用性が大麻にあるとすれば、両側面を冷静に、また、合理的に比較考量しながら使用の是非、あるいは、処罰の是非や軽重を決するのが理にかなう態度である。
そこで、大麻の有害性と有益性、有用性の立法事実を十分に検討し、比較考量して、処罰の是非、軽重を決する必要がある。まず、大麻の危険性、有害性について、有無、程度を証拠に基づき検討する。
(1) 大麻の依存性の有無、程度
大麻の依存性については、「文字通り世界の医師のバイブルとして無数の人々の治療に役立ってきた」医学書の権威である「メルクマニュアル」(第17版日本語版)によれば,「大麻の慢性ないし定期的使用は精神的依存を引き起こすが,身体的依存を引き起こさない。」「多幸感を惹起して不安を低下させるあらゆる薬物は(精神的)依存を惹起することがあり,大麻もその例外ではない。しかし,大量使用されたり,やめられないという訴えが起きることはまれである。」「大麻は社会的,精神的機能不全の形跡なしで,時に使用できることがある。多くの使用者に依存という言葉はおそらく当てはまらないであろう。」「多量使用者は薬をやめたときに睡眠が中断されたり神経質になると報告されている。」が「この薬をやめても離脱症候群はまったく発生しない」(弁27、「メルクマニュアル」第17版日本語版第15節精神疾患195章薬物使用と依存「大麻(マリファナ)類への依存」)
したがって,大麻には依存性も耐性もほとんどなく,特に身体的依存は皆無であるといえる。
(2) 大麻の毒性の有無
大麻草成分である「テトラヒドロカンビナール(以下「THC」という。)はきわめて安全な薬剤である」(弁29、「マリファナの科学」197頁)。「大麻の不正使用は広く行われているが,大麻の過量摂取で死亡した例はほんのわずかしかない。英国では,政府統計で1993年~95年までの間に大麻による死亡例が5件挙げられているが,くわしく事情を調べるといずれも嘔吐物が喉に詰まったことが原因で,大麻に直接起因するものではない(英上院報告,1998)。ほかの一般的な娯楽用薬物と比較すると,この統計は際立ってくる。英国では毎年,アルコールに起因した死亡者が10万名以上,タバコに起因した死亡者が少なくともこれと同数だけ発生している」(同書197頁)。「どんな基準に照らし合わせても,THCは急性効果,長期的効果できわめて安全な薬剤だと考えなくてはならない」(同書200頁)。
マリファナの身体的効果については,マリファナ研究について最も権威のある報告書とされるマリファナ及び薬物乱用に関する全米委員会の1972年報告(以下「全米委員会1972年報告」という。)で「身体機能の障害についての決定的証拠はなく,極めて多量のマリファナであってもそれだけで人体に対する致死量があるとは立証されていない。また,マリファナが人体に遺伝的欠陥を生み出すことを示す信頼できる証拠は存在しない。」「結論として通常の摂取量ではマリファナの毒性はほとんど無視してよいといっている」とされている(弁31、「法学セミナー」1980年7月号31頁)。
「大麻の使用は薬物問題ではあるが,その毒物学的意味は不明である」としかいいようがない(弁27、「メルクマニュアル」)。
したがって,大麻には毒性もなく、少なくとも毒性までは医学的、化学的に証明されてはいない。
(3) 大麻の有害性その有無、程度
検察官は大麻の有害性を強調する。「マリファナを批判する人々は有害作用に関する数多くの科学的データを引き合いに出すが,重篤な生物学的影響があるとする主張の大部分は,比較的大量の使用者,免疫学的,生殖機能についての積極的な研究においても,ほとんど立証されていない」のである(弁27「メルクマニュアル」)。
マリファナの吸引について「習慣的使用者のかなりの割合で慢性の気管支炎を引き起こし,長期的に見た場合に気道のがんとのつながりが指摘される恐れがあるため,安全上長期的使用を勧めることができない。」とされるが,これはあくまでもタバコの吸引と同様自らの健康の問題であり,他者に対する有害性はない。しかも,米国医学研究所はその報告「マリファナと医薬」(1999)のなかで,安全性の問題について「マリファナはまったく害のない物質というわけではない。さまざまな効果をともなった強力な薬物である。だが,吸引にともなう弊害を除き,そのほかの用途ではマリファナによる副作用は許容範囲内にあるといえる。」(弁29、「マリファナの科学」231頁ないし232頁)とされている。
したがって,マリファナの有害性は証明がなく、その煙の吸引に関して、あるとしてもタバコと同程度か、それ以下の有害性しかないことが医学的、化学的にははっきりしている。
(4) 大麻使用による他者に対する危険性の有無と程度
刑事規制にとって大切なことは、他者への危害のおそれ、それを誘発するという危険性の証拠が明らかか否か、ということが指摘できる。
前記の全米委員会1972年報告によれば「マリファナが暴力的ないし攻撃的行動の原因になることを示す証拠もない」。さらに1973年報告によればマリファナ使用と犯罪との関係について,「マリファナの使用は,暴力的であれ,非暴力的であれ,犯罪の源ともならないし,犯罪と関係することもない。」と結論している(弁31、「法学セミナー」1980年7月号31頁)。「マリファナの科学」(弁29)でも、「アルコールは大麻と違って攻撃的な行動を促す傾向がある。アルコールは家庭内暴力(DV)の大きな要因である。」等と警告されている(同書、229頁)。
したがって,マリファナは他者の法益を侵害する危険性もないか、煙草や特にアルコールより、その危険性は少ない。このことは、刑事罰をもって違反行為に対処しなければならないものか、刑事規制を肯定する根拠がないということを示している。
5 大麻の有用性:特に医療利用
(1) 原判決とその誤り
次に大麻の有用性、特に医療利用の有用性について検討する。
この点、原判決は、「大麻を用いた治療が国際的な医学界で標準的な治療方法と承認されているとも認められない。」として弁護人の違憲論の「前提を欠いている」等とするが(判決書6頁)、誤りである。
大麻の医薬的有用性を認め刑事規制の違憲性を論じることと「国際的な医学界で標準的な治療方法と承認されている」かどうかは、無関係である。もちろん、国際的医学界で標準的な治療方法と承認されていれば、日本国での規制、特に刑事罰を伴うような規制が無意味である、違憲であると優に言い得るが、そこまでの治療法と確立されていないものであれ、例えば、ハーブ療法や癌の代替治療とされているものは、合法的に行われ得るし、現に行われている。
逆に、日本の薬事法の規制があることから、世界的に効用が承認されている抗癌剤でさえも日本では(まだ)使用できない、使用すれば薬事法違反の問題が生じる(当然刑事罰も付されている)という問題点も近時指摘されている。国際的な治療法の確立と法規制の合憲性は、直接に結びつくものではないことに注意が必要である。
(2) 大麻の医薬的有用性
証拠として提出した文献によれば、「20世紀のほとんどの期間,西洋医学は大麻利用にわずかな関心しか示さず,大麻の使用が米国で1937年,法的に禁じられたのを皮切りに,1970年代には英国をはじめほとんどのヨーロッパ諸国がこれに追随する動きを見せた」が,「英国医師会(BMA)は、1997年,治療現場での大麻利用についてまとめた影響力のある報告のなかで『多くの通常法を順守する市民―おそらく先進国の何千という人たち―が,治療のために大麻を非合法的に使っている。』…と記している」のであり、「こうした非合法の自己治療にもっとも深いかかわりをもつのが,他の鎮痛薬では治すことのできない慢性の痛みに苦しむ人たちである。具体的には,痛みをともなう筋痙攣を頻繁に起こす脊髄損傷やそのほかの痙攣症状をもつ患者や,エイズ患者,多発性硬化症(MS)をわずらう患者などである」(弁29、「マリファナの科学」146頁)。
つまり、「大麻を使って自己治療している患者が指摘するような医療効果の一部を,そのような領域の人たちが享受できる現実的な可能性がある。自己治療の患者は通常,既存の薬が効かなかった人たちであり,症状を治すためのオルターナティヴ・メディスン(代替医療)に切り替えようとしている。大麻は多くの人たちにとって,何世紀もの間,民話や民間医療に根づいてきた自然療法・薬草療法として,付加的な魅力を備えている」からでもある(同書153頁)。
大麻に対して規制緩和傾向のヨーロッパ、カナダ(弁10、弁23、弁25、弁26、弁29。弁30ほか)に対して、アメリカ合衆国では強い規制が続けられているが、医療用としての使用は、アメリカ各州でも1970年代から広く試みられている(弁30、「医療マリファナの奇蹟」)。医療用としても有用性を認めようとしない厚生省(当時)の態度は全く科学的ではなく、有用性、有効性についての研究等もせずに非合理な刑罰をもってしての規制を続けていることは批判されるべきである(同書207頁等)。
21世紀に入り、世界の趨勢は、ソフト・ドラッグとしての大麻の規制緩和、非刑罰化に急速に大きく動き出している(弁10、弁21、弁25ほか)。
(3) 控訴審での立証予定
およそ薬に完全に有用なものも完全に有害なものもあり得ない。憲法13条の保障すなわち、自立的個人の幸福追求権を最大限保障すべきことを踏まえつつ、大麻の有用性、有害性の冷静で合理的な比較考量、刑事規制を根拠付けることができるのかを検討することこそが、今こそ必要である。
日本国における大麻の有用性、特に医療用大麻の有用性について、その立法事実に踏み込んで、控訴審においては、さらに書証、人証をもって、立証する予定である。
6 大麻取締法の違憲性
(1) 原判決とその問題点
原判決は、先に批判した証拠にも基づかない有害性認定とそれを根拠にした合憲論と「懲役刑の下限の低さ等に照らし」て罪刑の均衡に反するものではないとする合憲論を併せて展開するが(判決書6頁)、誤りである。
(2) 大麻取締法の規定とその問題点
まず、下限論で言えば、選択刑としての罰金刑がないことは、欧州の立法例等と比較して、つとに指摘されているところである。
大麻取締法は,大麻の栽培,輸出入について懲役7年以下,所持,譲渡について懲役5年以下という重罰が規定され,選択刑としての罰金刑が予定されていない(罰金は併科される)。
そもそも、この大麻取締法の保護法益は判然としない。毒物及び劇物取締法1条や麻薬取締法1条のような目的規定がないため法文上明確ではないからであるが,通常国民の保健衛生であると考えられる。しかし,国民の保健衛生といった抽象的な概念が保護法益とされていること自体問題である(弁7、3頁以下、弁10)。
また,アルコールやタバコが大麻の吸煙以上に保健衛生上害があることは前述のとおり医学的にも明らかであり、なぜ大麻がより強く規制されなければならないかという点も全く不明確であり、不合理極まりない(弁10)。大麻取締法は、1948年(昭和23年)制定されたが、GHQの要請で一方的に制定されたと考えられるのみで、その法律を支える立法事実はまったく不明確である。
立法当時はもとより、また、現在においても、強い刑罰を伴う規制を必要とする立法事実は希薄である。少なくとも十分に科学的な根拠のある議論、また、国民的な議論を経ているとは、とても言い難い状況である(同法受理人員数は、検察統計年報によれば、統計資料のある1951年(昭和26年)以降、1962年(昭和37年)まで、1952年(昭和27年)を除き年間わずか50件以下であり、その後100件台になり、1964年(昭和39年)から1969年(昭和44年)までは400件まで、1970年(昭和45年)以降、800件から70年代に1000件に達するも、1500件前後を推移し現在に至っている(弁10、4頁ほか))。裁判所による現時点での立法事実の検討が急務である。
(3) 大麻取締法の違憲性(法令違憲)
基本的人権は「公共の福祉に反しない限り」最大限尊重されなければならない。とりわけ自立的個人の幸福追求権は各種人権の源ともいうべき包括的権利であり、刑事罰、特に懲役刑は人の身体,行動の自由に対する重大な制約であり、人権保障の観点からして必要最小限のものでなければならないことは当然である。
したがって,大麻取締法による刑罰規制が憲法13条や31条(適正手続の保障)に適合するためには,その保護法益が具体的で明確でありその立法目的、規制目的に比例適合したもの,すなわち法定刑も適正なものでなければならない。
ところが,大麻取締法の保護法益はきわめて抽象的であり,しかも大麻は他人にも自らの健康にもアルコールやタバコ以上には害を与える危険すらないのである。
また,大麻が医療利用され,大麻を使って自己治療している患者が医療効果を享受しているにもかかわらず,大麻取締法をもってこれを禁ずることは患者の自分の望むより良い医療を受ける幸福追求権や生存権をも侵害するものである。
よって,大麻取締法の罰則規定は,幸福追求権(憲法13条)ならびに生存権(憲法25条)を侵害し,その制約は必要最小限のものではなく,さらにその法定刑は一律に過度に重いことから,憲法13条、同25条及び同31条に反し違憲である。
(4) 大麻取締法の違憲性(適用違憲ないし運用違憲)
また,本件の場合,栽培及び所持は主に医療利用目的,一部自己使用であるところ,少なくともかかる医療目的及び他者に迷惑をかけない自己使用の栽培及び所持に懲役刑が主体の大麻取締法の罰則を適用することは,その限りで憲法13条,25条,31条に違反すると思料する。
(5) 最高裁判例の問題点
大麻取締法の合憲性は、最高裁判所が認めているとされているが(最決昭和60年9月10日、同9月27日等)、20年も前の知見等に基づく判断であり、その後、少量の大麻製品の非常習的な自己使用目的の行為は訴追を免除すべきであると結論付け、大麻法自体と基本法違反と断じた少数意見も付されているドイツ連邦憲法裁判所の1994年3月9日決定(弁6)等の海外の動向も参考にされるべきであり、また、21世紀に入って加速している大麻についての欧米の最近の非刑罰化、非犯罪化、医療用合法化等の顕著な合法化傾向(弁10、弁21、弁25、弁26ほか)からも、規制緩和が要請されているわが国の昨今の社会情勢(特に薬事法の数次の規制緩和のための改正)からも、見直しが求められている。
上記の最高裁判例の再検討は、犯罪学者等からも指摘されているところである(弁11、吉岡一男 京都大学教授、法学教室67号110頁、弁6、44頁以下、工藤達朗 中央大学教授ほか)。
(6) 控訴審での立証予定
弁護人としては、控訴審においては、専門家証人による鑑定等での違憲性の立証を予定している。
裁判所におかれては、大麻取締法の違憲性については、現時点での立法事実にも是非ご判断頂きたく、科学的、合理的根拠に基づき、国際的評価に耐え、世人の納得できる判示をして頂きたいと考える。
第3 情状
1 緒論
第2に述べたとおり、大麻取締法の刑罰規定が違憲(法令違憲あるいは適用違憲)・無効とすると同法違反事件について、被告人は無罪である。
仮にしからずとしても、被告人には、本件各犯罪事実に関して、次に述べる諸般の情状が存する。原判決の言い渡した「被告人を懲役5年及び罰金150万円に処する」等とした量刑は、重きに失し破棄を免れない。
2 家族、経歴等について
(省略)
3 2003年(平成15年)10月22日付 ●●●に対する譲渡罪について
(省略)
4 2003年(平成15年)10月22日付訴因変更にかかる大麻所持罪、覚せい剤ほか所持罪、大麻栽培罪について
これら罪についても事実はそのとおりであるが、大麻以外の薬物等は他人が手みやげ等に置いていったものをそのままに放置し存在すら忘れていたものである点、各分量も微量であり多量とはいえない点が考慮されるべきである。また、古いもの、マジックマッシュルームなどは、法規制される以前に譲り受けたものであること等が考慮されていない。
大麻の栽培については、前科に処せられて以降は、合法的な栽培と大麻の有効性等の研究、作物としての品種改良等を指向し、そのためにわざわざ栽培者許可まで受けて栽培していたものであること、少なくとも1998年(平成10年)9月17日より2000年(平成12年)12月31日までは栽培者免許を有した合法的栽培であった点(弁1、弁2)が十分に考慮されていない。
2001年(平成13年)以降においても、正々堂々と神経性疾患等の治療のために「個人的に使用すること」を栽培目的に明記して許可を申請しており(弁3)、免許不交付となったがあくまでも異議申立をして合法的に争っており(弁4)、それを放置した長野県知事にも相応の責任があること、被告人が自分は栽培や使用が欧州並に認容、黙認等されたと勘違いしたこと等の酌むべき事情も斟酌されていない。
被告人は、前刑の執行猶予の満了した1998年(平成10年)9月、長野県知事から「採取した繊維から名刺用の紙を制作し販売すること」等を条件に大麻栽培者としての大麻取扱者免許を取得し、以降、毎年更新して、少なくとも2000年(平成12年)12月31日まで、2年3か月余り、大麻取扱者免許を有していた(弁1、弁2)。
さらに被告人は、2年余の実績等を踏まえて、2001年(平成13年)3月27日、長野県知事に対して、「大麻草の茎、実以外の葉、花穂を神経性疾患の治療薬・予防薬として経口及び喫煙摂取して個人的に使用する。」との栽培目的で大麻取扱者免許の申請を行った。事実上黙認等されていた実体を申請内容に合致させようとしたもので、被告人は県薬務課担当者らにも、自己使用を従来から公言していた。
ところが、同年6月26日に至り、長野県知事は、被告人の申請を認められない旨の免許交付却下の処分を行った(弁3)。しかし、同年8月21日、被告人は、却下処分に対する行政不服審査法4条に基づく異議申立を行った(弁4)。その理由は、大麻草の繊維、種子を採取しようとすれば、当然、葉や花穂も付帯して収穫できるのであり、法律上は、葉や花穂は処分物の扱いとされるも、使用自体には罰則はもともと規定されていない(大麻取締法に使用罪はない)。大麻使用が、人間生活に有益なものであることは先進諸国では国民周知の明白な事実であり、それを実地に体験し、正確に認識している者が、自身の健康のために自らが栽培した麻の葉、花穂を使用することを率直に栽培目的に明記することは、自然かつ合理的であり、大麻取締法第2条2項に該当する等とするものである。長野県知事に対しては、納税者から薬務行政を付託された者として行政が大麻問題の正確な認識、大麻解禁、合法化に向けた将来的展望を示すべきであると意見し、処分の撤回を求めたのである(以上 弁4の[理由])。
長野県知事は、この異議申立に対して、何らの応答もせず、被告人が公道近くで遮蔽物もないので大麻を栽培していることが容易に見渡せるところで前年と同様に大麻栽培を継続していることを知悉しながら、焼却を指示したりしたことがなかったことは勿論、何らの対応策も対処策も執らなかった(被告人質問、弁13ほか)。
これらのことから、被告人は、自身の栽培がヨーロッパと同様に当局からも黙認状態になったとの誤解をしてしまい、大麻の栽培、使用を事実上継続してしまったもので、ことさらな犯意ないし他意はなかった(被告人質問)。
控訴審においては、長野県薬務課が放置していた問題点もさらに立証する予定である。
5 2003年(平成15年)12月4日付 中島裕之こと中島らも に対する譲渡罪について
この罪についても事実はそのとおりであり、被告人としては前田耕一氏が作家で文化人である中島氏を紹介してくれるというので大麻論をはじめ色々な文化論を懇談したさにわざわざ長野から大阪まで会いに行ったものである。対価も被告人の方から要求したものではなく、グラムあたりで商売として売買したものではなく、被告人としてはあくまでも近づきの印としての手みやげであった。商売としての営利性がなかった点を十分に考慮頂いていない。
また、中島氏側からしても、眼病や抑うつ症等の治療という医療目的の譲り受けで、いわばやむにやまれぬ側面があった(中島証言)。
被告人は、大麻草を癌や多発性硬化症、緑内障、不眠症等の治療のためにと患者等から所望されれば分けたことがあり、治療ないし症状の緩和を感謝されたことは数限りがない。カンパを払える人からもらったことはあるが、被告人から要求したものではなく、商売として行っていたものではない。分け与えた先を公表等できないのも上記のとおり病人を告発することになる事情による。決して暴力団等に流出させているわけではない(被告人質問)。
控訴審においては、この中島氏の使用例のように、医薬治療目的の利用等について、さらに人証等で立証する予定である。
第4 結語
以上に述べたとおり,大麻取締法は違憲であり,その点で被告人は無罪であるが,仮に違憲でないとする場合にも,先に述べた医薬利用目的や長野県の対応の不手際等の諸般の情状に照らし、刑期をできる限り短期間とした上で、保護観察付の執行猶予判決とし、故郷安曇野の地で、友人知人ら隣人の支えのもとに更生と社会復帰の道を歩ませるのが相当な事案である。
原判決は重きに失し、破棄しなければ著しく正義に反する、と考える次第である。
以上
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