新しい年の始まりに際して、改めて大麻取締法変革センター(THC)としての取り組みを考えてみたい。
年末に、談話室で読者から次のような指摘を受けた。
下品で無意味な記事、言動は控えたほうが良いのでは?
白坂様とTHCの行っている素晴らしい活動が霞んでしまう気がします。
これは、政府がスポンサーらしいFM東京の番組で、「間違いだらけの大麻伝説」と題し、大麻の医学的事実を無視した麻薬取締官の戯言が放送されたことに対し、下品なタイトルで嘲笑する記事と動画を当サイトに掲載したことへの忠言だろうと受け止めた。
大麻取締法変革センターは、取り組む内容が政治的であるため、法人化はできないものの、一昨年からNPOと自己規定し、会則を定め、会員としてのサポーターを募って再起動した。
現在、登録サポーターは100名程度だが、会費を負担してまで支援しようという者は10名足らずで、人的にも、財政的にも、白坂個人が勝手に始めた「嗜好目的大麻免許申請記」を僅かに膨らませたという域を出ていない。主体的に具体的な協力を申し出てくれて、実践的に参加してくれているメンバーもおり、それはTHCの取り組みにとって欠かせない力だが、個人的に利用する大麻を制度的に管理(合法化)するという目的から見れば、あまりにも無力だ。
その無力さは、言いだしっぺである白坂個人の力量のなさにも大きな原因があるだろうが、社会的な状況や、その基盤である日本人一般の特質に由来する原因もあるだろうと思う。
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年始、THCの取り組みのあり方について示唆的なメールを頂いた。さまざまな局面での議論に際し、反対者との合意形成を図るうえで、どのようなスタンスで臨むべきか、そのフレームワークについて、次のような指摘があった。
1.私たちは、民主的な法治国家を支持する。
2.私たちは、法には正義がなければならないと考える。
3.そのためには、透明で客観的な理由が示されている必要があると考える。
1に反対する人はいないだろう。だが、2については、「大麻を根絶せよ」という、合法化とは正反対の「正義」がありうる。これは避けられない。結局、最大で核心的問題は3にある。現在のように取り締まりの根拠も明確に示されていない状態は民主的な法治国家とは言えない。われわれはまず、透明で客観的な根拠のある理由を求める。それを明示しようとしない政府や行政、司法、マスコミは、民主的な法治国家を危うくしている。
われわれの活動の最大の目標は、透明で客観的な理由を明示させ、その上で大麻政策にどう取り組むべきかを議論できるようにすることだ。
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一昨年の関東学院大学ラグビー部の学生が栽培で逮捕されたあたりから、種を標的にした取り締りの強化が顕在化した。昨年の「大麻汚染」報道は、その流れが鮮明になってきたものだと思う。もちろんその背後には、取締当局の意図とメディア操作があるだろう。
政権与党である自民党と公明党の議員からばかりではなく、民主党の議員からも種の規制強化を求める声が出ているようだ。テレビ番組では評論家たちやテレビ芸人たちが同様の主張を繰り返している。なかには明らかに大麻経験があるだろう者たちもいる。
新聞の社説なども、大麻に使用罪がないことを法の不備と捉え、種の売買と併せて罰則の強化に向けた見直しを主張していた。
今さらマスコミに期待しているわけではないが、権力を監視するどころか、国家権力と一体となり、薬物乱用対策という政策の検証が全くなされない壊滅的なジャーナリズムや、御用文化人やテレビ芸人たち、そして大麻弾圧の馬鹿馬鹿しさを知っているはずの者たちの沈黙。天下りを含めた官僚の問題、ジャーナリズムの不在と商業マスコミの問題、機能しない司法の問題。それらは、大麻取締法の問題だけでなく、他の様々な日本社会の重大な問題を突き詰めると立ち現れる、崩しがたい壁のように思える。
日本にも既に相当数の大麻経験者がいて、大麻取締法の馬鹿馬鹿しさを知っているだろう。少量の大麻所持や栽培で逮捕された者たちも、逮捕されたという事実から派生して周囲に与えたダメージ以外には、反省などすべくもないだろう。むしろ、このような権力のあり方に、反感や欺瞞や憤りを持っているのではないだろうか。が、それにしては、大麻の事実を知っている者たちの声が、現状を変える方向にあまり作用していないように感じられる。
親しい者が逮捕されたという慌てふためいた相談への対応などでも、気安い無料相談所だとでも思っているかのような者たちが相変わらず少なくなく、実に、虚しさを覚えることもある。
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そのような思いのなかで、THCのあり方を含む、大麻合法化という取り組み全体のフレームワークへの意識が薄くなり、逆にフレームワークの明確化・社会化に、マイナスになるような意識が生じていた。
大麻に関する薬学的・医学的・社会学的なディティールの追求と、取り組みのフレームワークの明確化・社会化が、両輪となって前進するようなあり方を意識しなければいけないと、再認識した。
改めて、原点を確認し、ディティールとフレームワークを俯瞰する意識を持って、新しい年を始めてみようと思う。
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