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●人類とカナビスの係わりは5000年以上に遡るという。植物から採れる繊維を利用してロープや布や紙を作り、食品や医薬品や嗜好品としても広く使われてきた。その日常性と重要性は現代文明を支える石油にも劣らない。ナポレオンのロシア侵攻などもカナビスをめぐる覇権戦争だったことが知られている。

現在、多くの国ではカナビスを薬として利用することは禁じられ、植物の栽培そのものも厳しく規制されている。だが、このような状態が当たり前だったことはなく、実質的には1937年にアメリカで 「マリファナ税法」 が施行された以降のここわずか70年ほどの現象に過ぎない。

●19世紀後半を過ぎるとアメリカでは、木材パルプや石油を利用した化学繊維や合成薬品などが次々に開発され、それまで重要な資源であったカナビスを締め出すことで市場を拡げようとする勢力が現れた。彼らは事業の拡大とともに政治的な発言力を獲得していった。また、1933年になると、1919年から10年以上にわたって続いてきた禁酒法が廃止され、それまで法の執行に携わってきた役人や警察が自らの職業の維持のために新たな禁止対象を必要としていた。

こうした産業界と役人の思惑がカナビスを禁止することで手を握らせた。禁止の謀略は2年間にわたって秘密裏に行われ、カナビスやヘンプという広く知られた言葉を避けてあえてマリファナという当時は馴染のない用語を採用して弾圧体制を整えた。アメリカではカナビスは19世紀末ころからは医薬品として非常にポピュラーに処方されていたが、法案審議の直前までアメリカ医師会ですらマリファナがカナビスのことだとは知らなかった。

法案の根拠は、「マリファナを吸うと気違いになる」 という全く根拠のない口実だった。当時嗜好品としてマリファナを吸っているのがほとんど黒人やラテン系の人だったこともあり、人種差別的な要素も加わって歪められた世論操作が盛ん行われ政治的な基盤を固めた。その後、アメリカの経済発展にともなってカナビスの禁止は世界中に輸出されることになった。

●このようなことが何故可能になったかといえば、それが一部の人たちにとって経済的な利益や利権になるからにほかならない。こうした現象は人間の世の中では至る所に見られるが、カナビスの場合ほど露骨でストレートに現れている典型的なケースも珍しい。

政治家やマスコミには、自分たちに都合のよい社会正義を実現させるためには嘘や誇張が許される、といった漠然とした了解がある。根拠も示さず、「麻薬」 とか 「カナビス精神病」 とか 「ゲートウエイ」 などというレッテル貼りに終始し、事実を見ようとすることさえ悪だといわんばかりである。

1980年にアメリカ大統領になったレーガンは 「ドラッグ戦争」 という虚構の神話を作り上げ、「Just Say No!」 というスローガンを掲げた。戦争なのだから議論は無用、ただダメと唱えよう、というわけだ。このような政策の隠された目的は、人々をUS ( “uninformed stereotype” 情報をコントロールされたステレオタイプ) にしておくことなのだ。

しかし、民主的な法治国家を支える法には正義と透明性が備わっていなければならない。嘘と詭弁に支えられたアンフェアーな法律は、法の尊厳そのものを傷つけ法を軽視する社会を生み出す。悪法も法なりという正当化やFUD (恐怖心 Fear、無根拠 Uncertainty、疑念 Doubt) で固めた宣伝でまともな人々を弾圧し、一部の人が利益を享受するような社会が健全なはずはない。

●幸いわれわれの前には、カナビスを直視しコントロールして容認することで社会の安定と福祉をめざしたオランダの実例と経験がある。精神病が増えたか? 否。ヘロイン中毒が増えたか? 否。カナビスの使用が激増したか? 否。社会混乱が増したか? 否。…

一方では、世界中で、カナビスの医療品としての利点が広く知られるようになり、カナビスから環境に負荷の少ない多様なエコ商品が開発され始めている。また、カナビスをアルコールのように合法化して課税すれば巨額な税収が見込めるという試算もある。今、知らなければならないのはこうした事実だ。

また、カナビスがまったく無害であるという一部ユーザー側の神話も見つめ直す必要がある。比較的無害ではあるもののいろいろな問題もある。喫煙によるタールの問題、異物混入、農薬使用、銘柄偽称、アルコールやタバコなど他の薬物との混用、過度の乱用などユーザー自身の無知による健康被害も少なくない。そうした事実を知り、具体的な害削減の方法を学ばなければならない。

●さらに問題なのは、カナビスに賛成する人にしても反対する人にしても実際にはカナビスそのものについての知識がきわめて不足していることで、そのために議論では、カナビスそのものを素通りして、もっぱら社会制度・人権・政治・裁判・憲法といった周辺問題にばかり終始してしまう。

そこでは、思い込みから 「カナビスを認めれば犯罪が増えて生産性も落ちる」 「カナビスを吸うと肺癌や統合失調症になる」 「カナビスはゲートウエイ」 といったような十分な証拠もないステレオタイプが当然のような前提になっていたりする。

あるいは、たとえ専門家と称する肩書きの人であっても、カナビスそのものに関するハードなエビデンスについての知識不足から、麻薬といった曖昧で恣意的な用語に頼ったり、他のドラッグや医薬品の類推(アナロジー)やごく限られた経験にもとづいた印象論ばかりで、きちんとした科学的ソースを示して論理を展開することは全くと言ってよいほどない。

しかしながらレトリックのみで、カナビスそのものの事実を知ろうとしなければ、結局そうした議論は実りのない単なる観念論の言い争いにしかならない。カナビスに反対する人たちの狙いは、カナビスそのものについての議論を避けて、観念論に引きずり込むことにあるのかもしれないが、だとすれば、法の正義と透明性はますます危うくなるばかりだ。

以前に比較すれば、今はインターネットのおかげで、カナビスそのものについての実態調査や科学的なハードエビデンスを知ることが格段に容易になっている。政府機関のプロパガンダやマスメディアのニュースだけに頼って議論しなければならなかった時代は終わった。

時代が変わったようにスローガンも変わった。


●カナビス・スタディハウスは、アルコールと同様に、カナビスを合法化・課税・規制管理して現在のような狂気な状況を終わらせることを願っていますが、カナビスの使用を奨励するものでも法律を犯すことを奨励するものでもありません。カナビスに賛成あるいは反対の人の双方の間できちんとした議論が成り立つように、カナビスの歴史と現状と事実を学ぶための資料と情報を提供することを最大の使命としています。

カナビス・スタディハウス ダウ