オランダ、医療カナビス処方開始

コーヒーショップのメディウイードは不要に

ハーレム日報
コーエン・スプリンゲルカンプ
2003年8月30日

月曜よりすべての薬局で処方箋カナビスを取扱いが始まる。 ハーレムの場合、医療品としてカナビスを使っている約80人の市民はもはやコーヒーショップに頼る必要はなくなる。次の月曜日の9月1日よりカナビスは合法的な医薬品として認められ薬局で利用できるようになる。

ザンドフールの薬剤師でハーレム薬局組合長でもあるハンス・ムルダーは、地域のすべての会員の薬局でメディウイードを処方箋で提供できるようになるだろう、と述べている。彼はこの重要な決定でメディウイードの患者たちがもはやコーヒーショップに頼らなくてもよくなる、と考えている。  「街にあるコーヒーショップとは違って、薬局では標準化された製品を入手することができます。さらに、良いことに薬剤師が患者のカナビス使用に目を配れるようになります。」

ハーレムのコーヒーショップのオーナーでメディウイードの合法化運動の指導者ノル・ファン・シャイクもこの展開を歓迎している。 「この決定でウイードが医薬品として合法的であることが認められるようになります。」 彼のコーヒーショップではすでに1996年から何年にもわたってハーレム近郊の約80人の患者たちに卸値でメディウイードを提供してきた。 「もし、薬局でウイードが利用できるようになったら、私したちはゴールにたどり着いたことになります。」

カナビスには化学療法後の吐き気を抑え、痛みを和らげ、けいれんを軽減する働きがある。さらに ギレス・トゥーレット症候群で制御できない泣き叫びや運動に苦しむ人々の症状を緩和する。

政府に独占的な生産を働きかけた栽培業者2者がメディウイードを生産しすぐに薬局に出庫することになっている。 カナビスは収穫後、消毒して5グラムごとに包装して薬局に出荷される。価格は1グラムあたり9〜11ユーロになる見込みだ。 コーヒーショップのウイードに比べると、薬局ウイードは均質で、同じ量で同じ効果を持っている。 薬局での特別の診断や使い方の講習、配達などには別途に費用がかかる。健康保険会社がカナビスを医薬品として補償対象にするかどうかはまだ不明だ。




「コーヒーショップのメディウイードは不要に」
に対する注釈

ノル・ファン・シャイク

コーエン・スプリンゲルカンプ記者にも述べたように、私は、オランダ政府の見解としてカナビスがついに医薬品としての性質を認められたという事実を非常に歓迎している。しかし地方紙に書かれているのは私の意見の一部だけで、批判的な部分は掲載されていない。ここでその部分を補足しておこう。

●メディウイード(医療用マリファナ)・プログラムはワーナード・ブリューニングの発案で始まった。彼は、1972年にアムステルダムでメロー・イエローという最初のコーヒーショップを、さらに1986年にはヨーロッパで最初のグローショップ、ポジトロニクスを開いたことで世界的に知られているが、そこからメディウイードも始まった。 ワーナードは1996年にコーヒーショップを通じてメディウイードの配布を開始した。当時すでに薬局でも扱っていたが、薬局は病気の人が必要としているマリファナに高い値段をつけているのに対抗するためだった。薬局では1グラム12ギルダー(5.50ユーロ)もしていたが、健康保険会社は医薬品として補償していなかった。このことは、低額の社会保障金しかない病気の人々にとって、病気や痛みの症状から開放されるには高額の費用を払わなければならないことを意味していた。

ワーナードがこのことに気付き、患者たちはもっと安く薬を入手できなければならない、と彼は感じ、メディウイード・プログラムを思い付いた。処方箋や医師の証明書のある患者に対して、賛同したコーヒーショップやグローショップは卸値のグラム6ギルダーでメディウイードを提供した。このことで患者たちは費用を節約できるばかりか、症状の改善をもたらさない常用の保健薬の代替えとして予算内でさらにマリファナにお金をかけることが出来るようになった。


●1996年6月、私はメディウイード・プログラムのことを知るとすぐに参加した。参加するには500ギルダー(225ユーロ)を収め、しかも自分のウイードを利益無しで患者に売るように求められた。これでは持ち出しになるので加わる仲間はいないのではないかと思った。 お金はコーヒーショップの入り口に掲げるメディウイードの看板と患者50人分のパンフレットの費用だった。パンフレットは患者に無料で配られ、すでにマリファナを使っている患者の例をあげて、病気や痛みには医療用マリファナをどのように使って摂取したらよいのかが書かれていた。

私は完全に納得した。参加する以前に、わたしはすでに自分のコーヒーショップでメディウイードのことを尋ねてきた多発性硬化症の患者さんから話を聞いていた。1年前からマリファナを使い初めてから状態が改善され、実際に痛みやけいれんは出なくなったと説明してくれた。さらに漏らさずに良く眠れるようになったと言う。それまでは膀胱の筋肉がけいれんしてベットに小便を漏らしてしまったが、いまでは自分や妻を濡らすとこなく眠ることができるようになった。かれの話、とりわけ最後の部分に私は深く打たれた。このことが、その日から今そしてこれからもメディウイード・マンになることを私に決心させた。

私は店のスッタフ全員にメディウイードのパンフレットを与え、マリファナの医学的性質や特定の病気や障碍の患者さんたちにどのような効果があるのかを教えた。そして深刻な病気や絶望的になっている人々に支援とアドバイスの言葉をかけてマリファナの提供を開始した。スタッフたちは非常に熱心に取組み、大半は現在でも活動を継続している。7年に渡って続ける中で患者たちの話に耳を傾け、さらにメディウイードについて学習している。

店の常任マネージャーのマーセルと私は、新規のメディウイード患者に対してプログラムの会員に登録してもらうためのガイダンスを行ってきた。メディウイード・カードを発行して、カナビスのメニュ表に半額のマリファナを加えて、欲しい量だけ買えるようにした。会員になるには、医者がメディウイードを治療のために使用することに反対していないことを示す処方箋か覚書を求めた。ガイダンスの間には、心の張り裂けるような話を患者さん自ら語ってくれることもあった。明らかにそれで胸のつかえが下りたのがわかった。


●1997年5月、私はゲール・デ・ズワンと出会った。ポジトロニクスが破産する直前、ポジトロニクスのスタッフの一人だったデニスに紹介されて会うことになった。デニスによれば、彼は個人で活動しているが医療カナビスについて言及し、自らもメディウイード患者で、マリファナを必要としている数百人の患者に提供している、と言う。 デ・ズワンに会うと、残り3冊になった「医療カナビスの実際」というパンフレットに目を落としながら、もし資金が無くなりやめようかと思っていると言った。パンフレットはワーナードのものを拡張したものだった。一方では、ポジトロニクスが破産したことがわかりメディウイード・プログラムもその基盤と設立者を失う事態に直面していた。

私はデ・ズワンを支援することを決めた。彼は自力で医療カナビス患者の会(PMM)の代表を務めていた。ポジトロニクスとズワンを失えば、患者たちを支援する価格でカナビスを提供するオランダで唯一のサプライヤーになってしまうところだった。次の年に開く予定になっていたヘンプ・ミュージアムの医療カナビスの展示をズワンに頼むと、彼はためらいもなく承諾してくれた。

最初に行ったのは、患者さんたちがマリファナを摂取するのに自分に合った最適の方法を知り、どのようにすればよいのか情報を伝えるためにズワンのパンフレットを500部追加作成することだった。その後ズワンに私のオフィスの一部を提供し、隣り合って仕事をすることができるようになった。彼の患者の多くはマリファナを手にすることができないでいた。私は始めるにあたって良質のマリファナ500グラムをズワンに進呈した。ズワンは主に郵便を使って患者に卸価格で販売していたので、その後は掛売として料金を回収してから払ってもらうことにした。

私たちは仲間のコーヒーショップやグローショップにも参加と支援を求め、計画を話し合う会議に出席するように約束を取り付けた。一部の店は以前のメディウイードの参加者だった。 ズワンと私はオランダ中を自動車で駆けめぐり参加してくれそうな仲間に合いに行った。大半が会ったその日に参加してくれた。1997年7月の終わりには、メディウイードの店としてPMMと連携してくれる43軒のコーヒーショップとグローショップの参加を取り付けた。

私たちは参加してくれた店には窓に張る認定シールとメディウイードのパンフレット50冊を渡し会費として500ギルダーを徴収した。これはデ・ズワンのPMMのスポンサー料で、ロッテルダムにPMMの場所を借りることができるようにするためだった。デ・ズワンはそこから患者へマリファナとアドバイスを提供し、患者たちはそこを訪れるだけで、実際に医療品としてマリファナをどう使えばいいのか他の患者たちと一緒に学べるようになっていた。


●1997年8月6日、ズワンが顔を出して、メディウイード・プログラムの打ち合わせで他の仲間のところに出かける前にコーヒーとジョイントで一服しようとしてズワンがコーヒーを飲もうとしたときに彼に電話がかかってきた。電話はダッチ・ニュー・エイジェンシーANPの記者が取材でかけてきたもので、オランダ健康相エルス・ボーストが、今後医師にマリファナの処方箋を書くこと、さらに薬局も提供することを禁ずるという声明を出したことを教えてくれた。

当時はマリファーマ社が薬局にマリファナを供給していたが、何とこの会社は州のマリファナ栽培の許可証を取っていなかったことになる。ズワンと私は即座に行動をおこし、PMMと43軒のコーヒーショップが準備を整え終えて、オランダの医療カナビス患者たちに薬局の標準価格の半額で提供する予定なので患者たちには医薬品としての選択がなくなることはない、とプレスに発表した。メディウイードに参加している店のリストも加えた。 それから数日はプレスからの多くの反応や記者たちの訪問に忙殺された。新聞と雑誌の9社の他にもテレビでは3局がメディウイード計画についてニュースを流した。その一つでは、患者の要請でマリファーマ社から供給を受けている薬剤師が出てきて、患者の利益とカナビスの医学的効用のためにマリファナの供給を続けると語っていた。

また私たちは、マリファナ配布に参加してくれるカナビジネスの人々で構成することで合意を得ていた 「医療カナビス・アクショングループ」 の設立も発表した。ホリデーシーズン後に設立者総会を開く予定だったが、上のような事情で前倒しして行うことになり、43軒の店の準備と情報の整理のための時間も考慮して翌週に開催することした。

8月14日の当日には多くの仲間は休暇に出かけてしまって16人だけが出席しただけだったが、電話で個人的又は経営部門から31以上の委任状を得ていた。 会合は再び新聞やテレビの関心を引くことができた。オランダ全体に程良く分散した医療カナビス取扱店の位置を示すためにに43本にメディウイードの旗をピンで立てた地図も披露した。この計画には、社会党員でPvdAのオウデカーク博士と民主66のロジャー・ホン・ボクステルの両氏からも政治的に支持され、もし効くのなら病気や末期的な人々はマリファナを使う権利がある、という声明が発表された。

数週間後、さすがにボースト大臣もことの成り行きを理解し、コーヒーショップのメディウイードに対して医者が処方箋を書くことを認めた。


●PMMの支援でACMを立ち上げた後、ズワンはロッテルダムの自宅の近くに、彼に医療カナビス情報センターを開くのに良い事務所を借りることが出来た。 私たちはここをオランダで最初の医療カナビス・センターの本拠地にすることに決め、しばらくはコーヒーショップのメンバーからの寄付で家賃を賄い必要なものを揃えることにした。私は自分ところのスタッフの何人かと一緒にペンキ塗りを手伝い、開所式で患者さんたちのレセプションに間に合うようにした。 ズワンも妻もかかりっきりになってあらゆるパブリシティに働きかけた。そしてマリファナを必要とする新たな患者さんたちが押しかけてきた。私はその時もズワンに掛売りでカナビスを都合していた。

開所式から数日を経て、ズワンのことは地元のロッテルダムの新聞に掲載された。その中で彼は、今後は患者さんたちは陰鬱で煙っぽいコーヒーショップには行かないで済むような快適な代替えができた、と述べていた。私たちスポンサーやディストリビューターは真正面から中傷されていた。

私はズワンに何故そのようなことを言うのか問いただした。真意ではなく新聞が言葉をねじ曲げたとだと弁解した。しかしこの小さな行き違いで多くのコーヒーショップのオーナーが家賃に寄付することを止め、私もそれに従った。ズワンは最初に会った日の約束も守らず、1998年7月に開館したグローバル・ヘンプ・ミュージアムの医療カナビスの展示を仕上げることもなかった。


●私は単独で、会員証と卸値で医療カナビスの提供し可能な限りのアドバイスと支援を続けた。 1999年には「マリファナ、医薬品としての実際」という本を出版した。ヘンドリック・ギールスがグローバル・ヘンプ・ミュージアムのために、患者さんたちにインタビューを集大成して編纂し書き上げたもので、マリファナを始めてそれぞれの病気がどのように好転していったかその経過が示されている。さらに、どのぐらいの量が必要で可能な摂取法にはどのようなものがあるか、といったことを分かりやすく広範囲に扱った章もある。食べ物やスナック、ソースなどに医療カナビスを入れるレシピなどもたくさん載っている。

この本はワーナード・ブリューニングの努力に捧げたものだった。彼は本の発表会にやってきて、本に載っているすべての患者さんが出席する中で本を受取り、患者さんにスピーチをして会を盛り上げてくれた。後になって、ズワンはコーヒーショップ・オーナーと従業員たちのセミナーでヘンドリック・ギールスを盗作して公開したとして激しく侮辱した。ズワンも同様な本を作るつもりあり自分にはより多くの権利がある、と主張した。言葉の端々は書くのもいやになるほど悲しかった。

グローバル・ヘンプ・ミュージアムはハーレムやアムステルダム、さらに遠くの患者さんたちにとって情報センターになった。患者さんたちがどのような種類のカナビスやメディウイードを取っているかをはじめ、人生の質がどのように変わったかを調べて、必要なだけのマリファナやハシシを郵送したり来店してもらって提供した。


●今度の新聞にはコーヒーショップのカナビスが患者には不向きだと書かれていたが、それを見た私たちの患者さんの幾人かは、ウイリー・ウォーテルにはいろいろなマリファナを選択できるようになっていて大変幸せだと言ってくれた。一部の人は薬局カナビスを試してみて、店で安く買ったメディウイードよりも効力も効果も低い二級品だと述べていた。 私たちは、ハシシやマリファナそのものだけではなく、マリファナを吸うことができなかったり、いやだったりする患者さん向けに、粉にしたTHCとホット・チョコレートを混ぜて作ったTHCチョコレート・スティックやTHCチョコレート・バーなどもストックして提供している。

では、患者さん側の目でこの新聞記事を見てみると、今度の法律の変更で何が変わったというのだろうか?

何もない。カナビスが彼らに利益があることは自ら体験してすでに知っている。薬に保健が適用されないままでは、例え公認の薬局で買ったにしても、コーヒーショップのマリファナよりも効果が低いものに2倍の料金を払わなければならず、多くのお金を失うだけだ。コストが高いばかりではない。強いマリファナと同程度の効果を得ようとすれば量を増やさねばならず、薬局でさらに多くのマリファナを買って吸わなければならない。いずれにしても経済の問題に行き着く。州から提供されるマリファナは乾燥させて消毒したカナビス2種類しかない。

オランダの新しい医療カナビス計画は患者たちには何ももたらさない。ビジネスと金だけの話だ。医薬品業界は、トランキライザーや鎮痛剤、筋肉緩和剤などの化学医薬品のすべてがマリファナに市場を奪われることを恐れているのだ。どん欲で利権にさとい彼らが競争を避けて州のマリファナの価格を決めているのだ。

ワーナードに話したところ、彼はこのような状態を決して望んだことはなく、政府や州の栽培者や薬剤師に示すために再びコーヒーショップにメディウイードを半額で提供するように働きかけると言っていた。私のコーヒーショップでも、ワーナードが医療カナビス・プログラムを開始したときの精神に従い、求める人がいる限りメディウイードを卸値で提供し続けるつもりだ。


●私はまだ州のウイードを見たことがないので薬局マリファナガ良くないといっている訳ではない。しかし、ホランド州のマリファナ認定栽培者の一人で、アメリカのベトナム退役軍人ジェームス・バートンはごく普通のウイードを薬局に供給するつもりで、それが個々の患者にとって好ましいやり方だと述べている。バートンはポット栽培の罪でアメリカの刑務所に1年間服役していたこともあるのに、「均一の品質のウイードを適正価格で納品することができる」 という理由でライセンスの一つを獲得している。

バートン自身が緑内障を患っているとはいえ、どのようにして州の栽培業者基準をパスしたのか私にはさっぱり分からない。ひとつ考えられるとすれば、医療目的でマリファナを栽培できるライセンスが得たものには不法なマリファナ栽培に関与させないため、というものだ。この基準はオランダでも最も経験豊かな栽培者の多くを閉め出すことになる。彼らはこれまでコーヒーショップのために違法なマリファナを生産してきたからだ。 マリファーマ社は8年前から薬局にマリファナを供給してきたが、現在では法の執行を恐れて納入を中止している。広報のヨーランダ・ファン・ハークはマリファーマがカナビスの栽培を継続するか言葉を濁している。

州の医療カナビス局(BMC)のウイリヘム・ショルーテン局長は、ズワンのPMMはウイードの販売許可もなく、ましてはコーヒーショップのライセンスも持っていないので警察の家宅捜査の対象になる、と述べている。ショルーテンは明らかに競争を望んでおらず、反対者にはマフィア・スタイルの処罰をするために法の力を使おうとしている。 ズワンは 「警察や軍が来たら入り口を閉めて、破らなければならないようにする。」 と語っている。PMMは約2500人の患者にグラム3.5〜4ユーロでメディウイードを提供している。

私はこの記事を読んで一晩眠らずにすべてを考えてみた。私たちは勝ったのだ。でも負けたところもある。そして、カナビスが医薬品として公正な一歩を進めたとはいえ、患者さんたちには何も得るところがない、と思った。


ノル・ファン・シャイク
医療カナビス・アクショングループ共同創設者
医療カナビス・デストリビューター
コーヒーショップ経営者


http://www.hempcity.net/cannabisshops/news/news03092003/index.html