ドラッグ禁止法を終結させる方法
ドラッグ戦争研究スペシャリストへのインタビュー
Source:
Wired Initiative
Pub date: 23 Dec 2007
Subj: How To End Prohibition
Author: Interview with Dave Bewley Taylor, University of Swansea, Wales
http://www.encod.org/info/HOW-TO-END-PROHIBITION.html
1.ドラッグ合法化議論に対する国際法の影響はどのようなものでしょうか?
どのような国であっても自国のドラッグ政策を大きく自由化しようと考えれば、国際的な枠組みについても考慮する必要に迫られます。その理由は極めて単純で、大半の国が、国連の3つのドラッグ規制条約に署名しているからです。その中でも、1961年に締結された麻薬に関する単一条約(Single Convention on Narcotic Drugs)が現在の国際的なドラッグ規制システムの大本になっています。
特に単一条約では、調印国に対して、ヘロイン・コカイン・カナビスといったドラッグの製造、輸出、輸入、配布、取引、使用および所持について、医療用途または科学研究を除いては制限するように義務付けています。
ですが、これらの条約では身動き一つ取れなくなっているわけではなく、明らかに何らかの余地も残されています。実際、「非犯罪化」 とか 「非罰則化」 などいろいろな呼び方はありますが、この範囲内で個人使用目的のドラッグ所持を容認している国もあるわけです。
確かに、そのような柔軟性は与えられていないという人たちもいます。条約の原理原則は、麻酔性や向精神性ドラッグの使用を医療用途と科学研究に限定しているのであって、嗜好用途に法的裁量の余地が残されているわけではないと言うわけです。
実際に、国際的なドラッグ規制システムの影響範囲を理解するうえでは、1919年から1933年までのアメリカ国内の状況と対比してみることが役立ちます。この時代は禁酒法時代として知られていますが、法律的には禁止法は一つではなく、合衆国修正第18条とボルステッド法の2つに分かれています。前者は嗜好用途のアルコールの製造・販売を禁止するもので、それを実施するための法律が後者になっています。
つまり、修正第18条は、各州に対してアルコール法を勝手に作ることを禁じているだけで、実行方法には触れていないわけです。国連の単一条約の場合もこれと同じで、加盟国が勝手にドラッグ法を作ることを制限しているだけで、実施方法については触れていないと解釈することもできるわけです。
2.国際的なドラッグ規制システム形成の歴史やそのキー・プレイヤーについて伺いたいのですが?
現在のシステムの起源は、20世紀の初頭の時代にまで遡ることができます。ドラッグ問題は多国間にまたがるのが性質がありますから、ドラッグ取引を規制しようとすれば国際的に何らかの協定を結ばなければならなくなります。
こうしたコンセンサスのもとで、国際連盟ができる以前からその存続中にかけて、いろいろな条約が作られたのです。そして、1961年になると、第2時大戦後に創設された国連がそうした一連の条約を整理して一つの条約にまとめたわけです。単一条約という名称はこのことに由来しています。
国際的には、ドラッグ政策に対するあるレベルの協定が過去にも存在し現在も続いているわけですが、現在の国際システムの形成と維持に関しては、アメリカが長い間キープレイヤーの役割を果たしていることは明白な事実です。アメリカが国内のドラッグを規制するのにあたっては多分に道徳的な側面があったのですが、それにはドラッグの使用を禁止してしまうのがもっとも適した方法だったのです。そして、アメリカは自分の国のやり方を世界中の他の国にも輸出しようと考えたのです。
実際、アメリカはほぼ1世紀にわたって、個人や私企業、政府機関、利益団体などが各国のドラッグ使用に対する法的決定に影響を与えようとしてさまざまな介入を繰り返してきた歴史を見ることができます。
日本を始めとしてスエーデン、多くのアラブ諸国、旧ソビエトなどの国でもアメリカと同じような考え方を取ってきましたが、アメリカほど強い影響力を持った国は他にありません。このことは、現在のシステムが構築された1945年から1961年にかけて特に強く言えます。こうした状況の中でアメリカはスーパーパワーの地位を獲得し、第2次大戦以前では成し得なかったような影響力を行使できるようになったのです。
3.なぜ多くの国が国連のドラッグ規制条約に署名したのでしょうか?
なぜ国がドラッグの国際条約に調印するのかという理由については、多くの入り混じった要因を考える必要があります。まず第1には、特に単一条約について言えることですが、いわゆるドラッグ問題というのは一度に多くの国が相互に関連し合う性質があることが上げられます。
多くの西側諸国では、1960年代以降になってドラッグの使用が急激に広まったわけですが、ごくわずかとはいえ単一条約がそれに先行して作られていました。そのために、各国は、条約の内容が禁止法を志向しているかどうかなどあまり問題にせず、とりあえず目の前で起こっているドラッグ問題に対処するために進んで条約に署名したのです。
第2の理由は、国連に対する見方は様々あったものの、特にドラッグ政策については慈悲深いイメージを持たれていたことが上げられます。例えば、国連のドラッグ関係の文書では、「人類の危機」 といった言葉が散りばめられていていましたし、ドラッグ規制が 「国際社会の従来の慣例」 では収まり切らない不正問題に対処することとして描かれていましたから、その結果として、このシステムの外にいることが一種の下等国家に見なされる恐れがあって、ほとんどの国がそれを嫌がって署名したわけです。
第3の理由としては、アメリカが国連のドラッグ規制条約を精力的に支持していましたから、自分の国でもっと自由なドラッグ政策を取ってアメリカに楯突くことが国家の利益になるかどうか考えざるを得なかったという事情があります。その点で、大半の国が条約に署名するほうが利益に叶っていると判断したのです。
4.ドラッグの合法化を真剣に考えている国にとってはどのような選択肢があるのでしょうか?
上でも触れたように、国がドラッグの合法化を考える場合には、国際法にどのように対処するつもりなのか決める必要があります。つまり、国際法の枠の中で行うのか外で行うのか選択しなければならないということです。
国際法の枠内で行う場合には、いくつかの方法があります。国連のドラッグ規制条約では加盟国に条約の修正や改定を提案することを認めていますから、技術的にはそうしたオプションを利用することが可能です。
しかしながら、現実問題として、修正にしても改定にしても手順や政治的駆け引きを一つにまとめることは非常に難しく、逆に、いかなる変更にも反対する国にとっては、そうした動きを阻止することは非常に容易です。アメリカなど現行のシステムを支持している国が変更を阻止しようとすることはまず間違いありません。
また、国際条約の枠組みから自由になろうとする場合は公式にその制約を非難することになりますが、条約自体がなくなるわけではなく、単に国内レベルでの活動が自由になるだけに過ぎません。当然のことですが、この方法のマイナス面は、特にアメリカなど現在の条約を支持している国際社会からの批判を免れないことにあります。また、前にも触れたように、国連には慈悲深いイメージがありますから、それを踏みにじっても国の国際的なイメージにプラスになることはほとんど期待できません。
最後のオプションは、条約内にあるループホールを利用する方法です。ドラッグ規制条約の条項については、国の憲法や基本的な考え方に反しない限りにおいて機能することになっていますから、もし調印国の最高裁判所がカナビスなど特定のドラッグの禁止を憲法違反だと裁定すれば、その国はもはや条約の制約に縛られることがなくなるわけです。
しかし、繰り替えしますが、国がこのオプションを選択すれば、国際社会から多大な摩擦を受けることを覚悟しなければなりません。ですが、志を同じくする国がグループになって密接に協力し合って行えば、非難を薄めることもできるかもしれません。
また、こうした条約内のオプションに魅力を感じない場合は、単に条約を無視するという手もあります。この方法は、これまでにもアメリカがまさに他の分野でしばしば取ってきたやり方でもありますが、国連の条約システムに多大な悪影響を与えることにもなります。もっとも、特にEUで結ばれているヨーローッパ諸国に関して言えば、このような国際的枠組みを弱めるリスクを冒すとはとても思えませんが。
5.国が条約に挑戦するにはどのような状況が整う必要がありますか?
鍵になるのは、国家の利益と政治力学的な状況だと思います。俗に 「潮の目」 とか 「転換点」 といわれる時代が変わる時です。
「転換点」は、国際条約に関連したコストが利益を上回った時に訪れると考えられます。コストには財政的なものばかりではなく、公衆衛生や法と秩序に関わる人的なコストなどさまざまな形のものが含まれますが、「転換点」においては、国際的な非難を受けてでも、国内法を変更したほうがより国家の利益が見込まれる状態になります。
現実の政治では、選挙民がドラッグ政策の劇的な変更を望んでいるのかといった点についても、政府は一種のコスト対利益比較分析をすることになりますが、状況が整えば、現在の国際ドラッグ規制システムの制約に挑戦しようとする機運が出てくると思います。
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『アメリカと国際ドラッグ規制:1909-1997』 (Pinter 1999 & Continuum 2001) の著者で、アメリカの外交、アメリカとオーストラリア・イギリス・ヨーロッパ大陸諸国・EUとの間のドラッグ政策についてさまざまな面から論じた論文を発表し続けている。
また、ヨーロッパの国際ドラッグ政策機関のコンサルタントとしても活動しており、イギリスのベックレー・ファウンデーション(BFDPP)や国際ドラッグ政策分析ネットワーク(INDPA)にも加わっている。BFDPPでは報告書やブリーフィング・ペイパーを共同執筆したり、オランダのトランス・ナショナル研究所から報告書も出版している。
また、論文は、国際ドラッグ政策ジャーナル、外交と国政術、中毒の研究と理論、ドラッグとアルコール・レビューなどに掲載され、2003年には、国連の違法ドラッグに関する条約に焦点を絞った国際ドラッグ政策ジャーナルの特別号も共同執筆している。彼の論文は、エコノミストを始めとする雑誌や学術系の出版物でも広く引用されている。