ウォルター・クロンカイト
ドラッグ戦争の真実
ウォルター・クロンカイト
Source: Drug Policy Alliance
Pub date: 02 Mar, 2006
Subj: Why I Support DPA, and So Should You
Author: Walter Cronkite
Web: http://www.drugpolicy.org/library/cronkite022306.cfm
CBSテレビの元看板ニュースキャスターで 「アメリカで最も信頼できる男」 「アメリカの良心」 と呼ばれたウォルター・クロンカイト氏が17日夜、ニューヨークの自宅で死去した。92歳だった。
マスコミ各紙は、彼が、ベトナム戦争、人類初の月面着陸、ケネディ大統領暗殺、ウォーターゲート事件などの数々のニュース報道に携わったと紹介しているが、ドラッグ戦争に強く反対していたことは全く伝えていない。
ここでは、クロンカイト氏が2006年3月にドラッグ・ポリシー・アライアンス(DPA)への支援を呼びかけた記事を再掲載して、彼の見識を学び直しながら追悼したい。
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CBSニュースのアンカーマンだった20年間、私はナイトリー・ニュースの終わりをいつも 「真実はこのような状況です (And that's the way it is.)」 というシンプルな言葉で締めくくってきました。
事件の結果や事件がまだ係争中であるかどうかにかかわらず、見た通りの事実を報道することこそニュース・マンの私にとって最も高い理想だからです。
でも残念なことに、特に戦時ともなれば、すべての政治家たちが熱心に説く倫理的価値観とこの理想は相容れません。
私はいつもベトナム戦争のことを思い出します。ベトナム戦争で語られた嘘、失われた生命。そして、当時の国防長官だったロバート・S・マクナマラが戦後20年も経ってから、最初から戦争は間違っていることがわかっていた、と認めた時の驚きを。
現在、わが国では2つの戦争を戦っています。1つは国外で、もう一つは国内で。イラクでの戦争は毎日ヘッドラインに登場しますが、もう一つの戦争はたいした話題にもならず、われわれの住む町の通りで繰り返されています。その被害のために、われわれ市民の生命が無駄に失われているのです。
そうです。私は、ドラッグ戦争のことを語っています。
私は、この先、ドラッグ戦争が失敗だという明白な事実を認める次のロバート・マクナマラが現れるまで、どれだけの生命とどれだけのお金が費やされるのか思うと気が遠くなりそうです。
政治家たちは、失地挽回にはもっと資金をつぎ込み、もっとたくさんの人を逮捕し、もっとドアを蹴破れば勝利を手にすることができるなどと当てもない言い訳ばかりしていますが、これに対して、ドラッグ政策アライアンス (DPA) はアメリカ国民に真実の姿を 「ありのままに」 語り続けています。
このことこそ、人々が、ドラッグ戦争の終結をミッションとするDPAを支持する理由だと確信します。そして、彼らの任務を支えるために、ここで私が、みなさんに心からの支援と献金を強くお願いする理由でもあります。
私がベトナムで学んだように、ハードルは決して高くはありません。
私は、ドラッグ戦争の真実の姿を理解したいと思い、ベテナムの戦争でやったのと同じアプローチを取りました。自分自身で通りを歩いて、この戦争の戦火の中で暮らす人々を探し出し、その姿を報告してきました。
そのいくつかをご紹介させてください。
ニコラ・リチャードソンが18才のとき、ボーイフレンドのジェフがLSD9グラムを連邦の囮捜査官に売ってしまったのですが、かの女は売買とは全く関係がありませんでした。私にはどう考えても、かの女がドラッグの取引に絡んでいるとは信じられませんでした。
ある時、捜査官が他のディーラーを装って電話でジェフについて聞いてきたのです。ニコラが、いま家にいないと答え、ジェフに連絡をとれそうな男の電話番号を教えてしまったのです。
何も知らなかった? 私にはそう思えます。しかし検察当局は、単に電話番号を教えただけなのにニコラ・リチャードソンをドラッグ販売の共犯者と判断してしまったのです。法定下限刑で過酷な判決が言い渡され、10年間連邦刑務所に投獄されました。
皮肉なことに、こうした不当な処置の上にさらにおかしなことが重ねられました。ドラッグ取引について知っていたボーイフレンドの方は情報提供と交換に5年の刑に減刑されましたが、ニコラは完全に何も知らなかったが故に司法取引する材料を持っていなかったのです。
ジャン・ワレンはニュージャジー州のシングルマザーで、ティーンエイジャーの娘と暮らしていました。妊娠し、お金もなく打ちひしがれたジャンは、囮とは知らず、やむなく北のニューヨークまで200グラム余りのコカインを運ぶことを請け負いました。落ち合い場所には警察官が待っていました。妊娠5ヶ月で体までおかしくなってしまったジャンにわざわざ手錠までかけて連行したのです。
かの女は犯罪を犯したのでしょうか? もちろんそうです。ですが、ジャン・ワレンが受けた仕打ちは常識に反するもので、同情に値するものです。ニューヨークの悪名高いロックフェラー・ドラッグ法の下で、逮捕直後に流産までしてしまったジャンに対して15年以上の終身刑が言い渡されたのです。ティーンエイジャーの娘は放り出され、かの女は2.5メートル四方の牢獄に押し込められました。
テキサス州のツーリアでは、一人の捜査官が証拠をねつ造してドラッグ事犯をでっち上げ、町のアフリカ系住民の10%も刑務所に入れてしまう事件がありましたが、私が見た中でも最もでたらめで卑劣な正義です。
連邦政府は、医者の薦めで苦痛緩和のために少量の医療マリファナを持っている末期的患者のところにまで押しかけています。化学療法の苦痛を伴う嘔吐を抑えるためにマリファナをもっている癌患者が社会を脅かす犯罪者だとまでいうのです。
薬で本当に問題を抱えて治療が必要な人たちも投獄されています。
こうした政策とはいったい何なのでしょうか?
確実にいえることは、町や通りが安全になっていないということです。その代わりに、皮膚の色によって差別し、他の人にはほとんど何も迷惑をかけていない人たちを、文字通りに何百万人と拘束してきたのです。本来ならば、テロリズムに対抗し、暴力犯罪を減らし、ホワイトカラーの犯罪者たちを捕まえるために費やされるべき資金を浪費してきたのです。
警察は過去にはなかった力を振りかざして、個人のプライバシーを侵害し、電話を盗聴し、気まぐれとしか思えない捜査に血道を上げて、われわれの市民の自由を非常に危うい状態に追い込んでいます。
何兆ドルもが費やされたというのに、誰一人としてこの失敗の説明責任を果たした者はいません。
ドラッグ戦争のいいかげんな理由に押しつぶされて、国は科学的な事実を見失ってしまったのです。指導者たちの狂った誇張に洗脳されて、人々は現実が見えなくなってしまったのです。現在行われているドラッグ戦争はあまりにも費用が過大で非人道的です。
しかし、誰かが勇気を持って立ち上がり、多くの政治家たちが個人的にはわかっている事実、つまりドラッグ戦争は失敗したという事実を言わなければ何も変わらないのです。
そこに ドラッグ政策アライアンス(DPA) が登場したのです。
DPAは、ドラッグの本当の危険について思慮深く確かな分析を行い、それを通じて根本からの改革の必要性を懸命に訴え、連邦議会や州議会やマスコミの至る所でドラッグ戦争の狂気に立ち向かっています。
彼らは、全米各州で、マリファナを医療目的で合法的に利用できるようにするために指導的役割を演じてきました。
2000年に通過したカリフォルニア州の条例36は、単一のものとすれば禁酒法の廃止以来アメリカでは最大の刑罰改革条項ですが、これも彼らの活動の成果です。このイニシアティブは今では5年目をむかえ、開始以来、12万5000人以上の人たちを刑務所ではなく治療に参加させるようにしてきました。
彼らは、一定以上の減刑を認めない法定下限刑(mandatory-minimum laws)にも反対しています。この法律があるために、ニコラ・リチャードソンやジャン・ワレンは人柄や境遇を考慮されることなく何年も刑務所に入れられることになったのです。
また、ありがたいことに、大半が彼らDPAの運動の結果としてニューヨークでは、ジャンが犠牲になったかの悪名高きロックフェラー・ドラッグ法の改革の第一歩を踏み出すことになったのです。
このように、DPAは、ドラッグ戦争を終結させ、科学と思いやりと健康と人権をベースにした新たなドラッグ政策を確立するために活動を続けています。
DPAは、指導的本流として人望を集めている、真実の結果をもたらす能力のある組織です。
ですが、彼らとて、彼らだけでそれを成し遂げることはできません。
これが、みなさんにできる限りの貢献と献金をドラッグ政策アライアンスにしていただきたいと私がお願いしている理由です。
アメリカ市民は、指導者たちが道理のある感覚を失ってドラッグ戦争にのめり込んできたために、人の暮らしと自由を失うという多額の負担を強いられてきました。ドラッグ政策アライアンスは、真実を語っている団体です。彼らは一歩一歩の歩みの中であなたを必要としています。
真実はこのような状況です。
敬具
ウォルター・クロンカイト
追伸。なぜ私のようなレポーターがドラッグ政策アライアンスを支持するのか疑問に思われるかもしれませんが、私は彼らの活動が非常に価値があると評価しているからです。彼らは、誰もやろうとはしなかったことを取り上げて、今日のアメリカでは余り語られていないながらも最も重要な問題の一つについてありのままを語っているからです。
30年前のベトナム戦争と同じように、政治家たちはドラッグ戦争が失敗であり、人々の暮らしを破壊していることを知っています。どうぞ、ドラッグ政策アライアンスがドラッグ戦争の真実を語り、われわれの国に分別のあるドラッグ政策をもたらす道を切り開いていることにご支援をお願いします。
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彼は1968年2月に、「私はベトナム戦争に反対する。アメリカ軍の名誉ある撤退を求める」 と発言し、当時のジョンソン政権の補佐官トム・ジョンソンは悲痛な面持ちで、大統領が番組を見終わった後、「われわれがクロンカイトの支持を失ったということは、アメリカそのものを失ったということだ」 と語ったと述べ、ジョンソン大統領が次の大統領選挙に出馬しないことを発表した。
クロンカイトのベトナムレポート
(隅井孝雄、国際ジャーナリズム論 第9回 国家とメディア〜ベトナム戦争報道への介入)
ベトナム戦争初期には放送で言ったことはないかったのですが、私は、アメリカは正義の戦争をしており、目的は正しいと思っていました。
私が最初にベトナムに行ったのは1965年です。今その時のビデオをみると、はしゃいでB57に乗り爆弾を落とすスリルが楽しくて仕方がないといった調子で、とても恥ずかしく思います。
やがて、アメリカはベトナムに巨大な基地を作り介入を強化していったのです。それは政府がマスコミに説明している以上の規模でした。そして68年のテト攻勢が始まり、アメリカ大使館も包囲されたのです。アメリカ国民は困惑し、私も困惑しました。そこでまたベトナムに出かけて行ったのです。そして私自身の目で事実を見極めたいと思いました。
海兵隊と行動をともにしました。ヘリコプターから運ばれてくる海兵隊員の死体も見ました。政府や軍はベトコンを追い詰めて殲滅しているといいます。しかし現地の海兵隊やヘリの中にこの戦争の現実を見たのです。
そこでアメリカに戻ってドキュメンタリーを作りました。私はベトナムの真実を私の見たまま率直に語り、初めて私の考えを述べました。ベトナム戦争から手を引いて、アメリカはベトナムから出て行くべきだと。
7時のニュース/きよしこの夜
(サイモン&ガーファンクル)
夜のニュース早版をお送りします。
下院議会で行われていた、公民権法案の住宅入居差別撤廃条項に関する審議が終了しました。しかし、現状維持派の抵抗が大きく、支持派は強力な支持を取り付けることができませんでした。当初、ジョンソン大統領は、すべての人々にあらゆる種類の住宅を提供するためにすべての差別の撤廃を提唱してきましたが、議論が開始される前から議員の誰もが実現不可能だと考えていました。結局、下院司法委員会で行われた議論は苦肉の妥協に終わりました。
今日、ロサンジェルスでコメディアンのレニー・ブルースが亡くなりました。死因は麻薬の過剰摂取だと考えられています。42歳でした。
マーチン・ルーサー・キング牧師は、日曜日にシカゴのシセロ郊外で予定されている住宅入居差別撤廃デモ行進を中止するつもりはないと語っています。一方、クック郡のリチャード・オグリビー保安官はデモの取り止めをキング牧師に要請しており、シセロの警察当局もデモが実行された場合には州兵の出動を要請すると述べています。キング牧師は、現在、ジョージア州アトランタに滞在中ですが、シカゴには火曜日に戻る予定になっています。
シカゴで9人の看護学生を殺害したとされるリチャード・スペック容疑者が大陪審に出廷し、起訴手続きが行われました。看護婦たちは、シカゴのアパートで刺殺や絞殺体で発見されています。
本日のワシントンは、下院反国家活動委員会の特別小委員会でベトナム戦争反対の抗議活動に関する証拠調べが続き、緊迫した雰囲気に包まれています。傍聴していた反対派が反戦スローガンの連呼をはじめたために、公聴会から強制退去させられました。
リチャード・ニクソン元副大統領は、外国派兵在郷軍人会で行ったニューヨークの演説の中で、現状のベトナム戦争で実質的な戦果が得られない限り、合衆国はさらに今後5年間継続して戦争を続けるべきだ語っています。また、反戦運動が合衆国に対する最大かつ唯一の脅威になっている、とも述べています。
以上、7時のニュースでした。よい夜をお過ごしください。
静かな夜、聖なる夜
聖母と子のまわりは
すべてが静まり、すべてが輝く
聖なる御子は優しく微笑む
神の平和の御心の内に眠りたまえ