「現代人の疎外」と言う本 投稿者:かっちゃん 投稿日:2009/06/05(Fri) 19:14  No.5120   [返信]
 人間疎外という問題を書いた本昔読んだ事があります。その基本的な概念はマルクスの労働疎外から引き出したという事の様でしたが、こういう冤罪事件が取り上げられる様なときいつも思い出します。
 今日、元容疑者の菅家さんが弁護士さんと一緒に今日テレビに出ていましたが、その中で気になることがありました。
 「一目見て、あ、この人はやってないと思った」という弁護士さんの発言です。

 冤罪事件に関わった弁護士の言葉としては、ほぼ同じ言葉が多く発せられています。何故なんでしょうか?警察官、検察、裁判官の言葉として聞いたことは先ずありません。
 狭山事件などは初公判中に突然被告の石川氏が立ち上がって「俺はやっていない」と立ち上がって叫んだそうです。それは全国ニュースとしてテレビで流れたんですよ。その前には新聞の報道によると犯人(扱い)の石川は拘置所で反省の色もなく、どんぶり飯を平らげている等と報道もされていました。
 死刑判決後、今度は無罪だと控訴したら「石川も反省しているので無期懲役とする」などと新聞に2審の判決が載っていましたが、おかしいですよね。(やっていないから)反省などするわけがないのに、勝手に裁判で反省させられたことになる。

 僕がまだ中高校生から大学生にかけての事です。それ以降ですが、実際に自身の身内や自身の裁判などを経験して、裁判官以下検察官や警察官などは想像以上に社会に無知で論理より大事なものとして「権威」の伴ったある種の「秩序」を保守する事のみが一番大事な物だと思って行動しているらしい。

 こういう風に段々と気づいて来ました。
 今裁判員所制度が始まりましたが、裁判員に選ばれた人達に対しては是非とも「裁判官、検察官、警察官」は普通の社会人としては著しく社会性の劣った人種として接してその言動を注意する必要がある。

 と言いたいです。いわゆる法曹の中で一番信頼性のおける「弁護士」という職業についている人でもそれは程度の問題で、裁判を舞台とする限りそこで働き、報酬を得る限りは違う社会における理解しがたい考えをもって事を運び、それは多くの人を傷つけてしまう。と思って間違いないと思います。

 裁判官たちは、足利事件の菅家さんの釈放後の言葉で「謝ってもらいたい。(しかし)それで棲む問題ではない」という言葉についてどう思うのか語って貰いたいですね。日本の法曹と言われる人全員と全警察官にこの事件についてどう思うか記述させてそれをデータベース中にファイリングしておく事はどうなんでしょう。

 このホームページにもしらさんが紹介した「ダメ、ゼッタイな弁護士」の存在ですが私の経験からしても実はいたって普通の存在だと思います。私が今まで仕事も含めて多くの弁護士とあいましたが、まともな人は決まってヒマでもうかっていなさそうな人でした。一番良い人だと思った人は国選弁護士さんでした。全てあてはまるわけでは勿論、ないと思いますが。