From Hempire Cafe

ジェフリーとの旅路


http://www.jeffreysjourney.com/

Source: http://www.thehempire.com/index.php/cannabis/news/journeys_with_jeffrey/
Pub date: 16 Feb, 05
Subj: Journeys With Jeffrey
Author: Ellen Komp, AlterNet


行動欠陥障害や暴力的性格を抱える7才の少年にとって、それを克服するの唯一の救いが医療マリファナの処方だった。

クイック・アメリカン・プレス発行の手記「ジェフリーの旅路」は、幼い息子の病状に立ち向かう母親の賞賛すべき物語だ。著者のデビー・ジェフリーズは保守的なクリスチャンで、医学を学ぶつもりで海軍に入隊したが、新兵訓練のキャンプで夫となる人と出会いすぐに息子のジェフリーを生んだ。

ジェフリーは、すでに1才になる以前から、強迫観念と暴力的性格が合体したADHD(注意欠陥障害)の行動障害を起こすようになっていた。

快活で人懐っこいジェフリーはしばしば荒れるようになり、数々の深刻な障害があると診断された。医師は、精神障害やてんかんの大人に使うリタリンや抗うつ剤までも処方して少なくとも16種類以上の薬で治療を試みた。だがどれも助けにならないばかりか、ジェフリーの状態さらに悪化させるという深刻な副作用を招いた。彼は薬のオーバードーズで死にかけて3度も緊急入院させられた。

ジェフリーが7才になった時、デビーの働いている学校で学生たちが医療マリファナについて議論しているのを聞いて、彼女の人生は変わった。

「そのことについてはそれまでは全く何も知りませんでした。マリファナなんてやったことはないし、まわりでも経験のある人は誰も知りません。私たち家族は保守系のクリスチャンですから、1996年の医療マリファナを認めたカルフォルニアの住民条例215にも反対票を入れました。マリファナについては主力メディアが出す情報しか持っていませんでしたし、私たちの普通の見方では、ポットとかドープとかグラスとかいった言葉はどれも無価値なカウンターカルチャーを意味するものでしかありませんでした。」

デビーは、マリファナが古代から精神の病に処方されてきたことを学んで驚愕した。折しも、ジェフリーの学校からは30日以内に他の学校を探すか州外の施設に移すかどちらかを決めるように勧告され、彼女はさらなる調査に取り組んだ。

デビーたちは、医師の処方があれば住民条例215のもとで、息子が合法的にマリファナを利用することができることを知った。彼女はインターネットを徹底的に調べて、サンタ・クルズの医療マリファナ団体WAMM(the Wo/Men's Alliance for Medical Marijuana)にたどり着いた。そこでサンフランシスコの隣にあるオークランドのマイク・アルカレー博士に出会い、広範囲な診断を受けてジェフリーに実験的な治療を施すプランを勧められた。

「2001年5月21日、期限までもう9日間しかなくなり、息子を施設に入れなければとほぼ覚悟を決めていましたが、その日ジェフリーはWAMMが用意してくれた医療マリファナ入りのマフィンを初めて食べたのです。そのとき彼は7才半になっていましたが、今にして思えば、ジェフの人生がその日から始まったのです・・・」

「ラッシュアワーで渋滞するときには学校まで車で45分かかります。フリーウエイを出るために車を右レーンに車線変更し、街の通りに入って行きました。そこで、私は息子と握り合った手がいつもの感じと違うことに気づいたのです。ジェフはいつもは強く握りっぱなしなのですが、それが突然ゆるんだんです。いつもは私の指にしがみついているのでびっくりしました。」

「息子を見つめると微笑んでいました。静かに「ママ、ハッピーな感じがするよ。変にならない。頭の中の雑音もないよ・・・」  マフィンの最初の一切れを食べて30分、私に新しい息子が生まれたのです。その時、運転を続けたのか停めたのかも今は記憶にありません。ただただ泣き続けました。」

その日、ジェフリーの学校の先生は「とても素晴らしいです」で始まり、攻撃的な行動は見られずとても従順で反応も素早い、と告げる手紙を送ってきた。

それ以降ジェフリーは数ヵ月にわたってマリファナを使い続けた。家族たちは、サティバとインディーカの配合基準を作ってバーキング・シートで焼き、マフィンの味が好きになれないジェフリーが飲み込めるようにピルに仕込んだ。デビーの母親も、最初は医療マリファナを使うことには強く反対していたが、孫の見違えるような変化を目の前にして「ピル・パッキング・グランママ」の役割を担ってくれるようになった。

「6ヶ月を過ぎて8歳になった息子は何に対しても怒りをみせるようなことはなくなった。」彼女はすぐに「夢に見ていた親子関係」を築き上げることができた。

マリファナ治療を開始する以前のジェフリーは、薬の副作用でオーバーウエイト気味だったが、新しい治療を始めてから興味深い反応が表れた。通常の体重に戻るまで食事が少なくなったのだ。「ジェフリーの変化は驚異的でした。エネルギーに満ちあふれ、生きることを楽しむようになったのです。」  デビーに30日の最後通告を送ってきた学校も今では、ジェフリーを1年生か2年生の普通クラスに編入することもできるのではないかと期待するほどになった。

ジェフはまだしばしば怒りや反抗的態度を見せ協調能力に欠ける部分もあったが、最終的には解決の方向に向かって着実に前進していた。扁桃腺摘出手術などで入院してマリファナが処方できなくなるとジェフリーの悪い行動がすぐにエスカレートしたりすることもあったが、マリファナを投与すると1時間もしないうちに症状がなくなった。「まわりの皆んなは、ジェフが初めて自分の問題を認識して自身でどのように取り組めばよいのか真剣に考えるようになった、と思った。」

デビーにとっては以外だったが、友人や教会の仲間や牧師からさえも次々と支援と理解が寄せられた。しかし、新しい治療を開始してから1ヶ月半を経過したところで、誰かが児童保後サービスに通報し裁判闘争が始まった。裁判は2001年7月に山場をむかえ、12月には画期的な判決が出て事件は取り下げられた。新聞には「ママ、息子のマリファナ治療を継続」というヘッドラインが踊った。

2003年3月にテレビ番組「48時間」でジェフリーの物語が放送された。賛否を問う投票を呼びかけたところ視聴者の88%がジェフリーのマリファナ利用に賛成した。その後何週間にもわたってデビーのところには、同じ境遇にあえぐ全国の親たちから数え切れない電話とメールが送られてきた。マリファナやマリノールで子供の自閉症や攻撃的性格の治療に成功した親たちもいた。

デビーの闘いはまだ終わってはいない。再婚し住居を変えたが、ジェフリーの新しい学校区からは、学校が治療することを認めると連邦予算援助の削減の懸念を指摘された。彼女はこの障害を、自ら昼食時に学校まで車で出向いてジェフに薬を飲ませることで克服した。

さらに、2002年9月にWAMMが連邦麻薬局(DEA)の手入れを受け、250人の患者用の植物が潰された。ジェフリーはWAMMから無料で薬の提供を受けていたが、唯一の供給源を失なって薬が途絶えてしまった。彼はここ数ヵ月間で体重が20ポンドも増え、その分、暴力的傾向が強まってしまった。別の治療も試したが数週間しか効果がなかった。

再びデビーは時間との闘いを強いられた。医師からは、このまま思春期までジェフリーの症状がコントロールできないと改善の見込みがなくなる、と聞かされた。デビーは手記の最後で、ジェフリーを泣く泣くユタ州の問題児収容施設に入れることにした、と結んでいる。彼女は持ち前の勇気で政府に対する怒りに対峙しながら、ジェフリーがマリファナ治療を受けた時間が彼の次の人生を切り開いてくれることを願っている。

エレン・カンプ。

Jeffrey's Journey - Healing a Child's Violent Rages With Pot  (You Tube)
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