今こそドラッグを合法化すべきとき

レトリックだけのドラッグ戦争は破綻している


エサン・ネルドマン、DPA代表

Source: Alter Net
Pub date: 20 Dec 2007
Subj: It's Time to Legalize Drugs
Author: Ethan Nadelmann, Foreign Policy. http://www.alternet.org/story/71033/?page=entire


ドラッグ禁止法は破綻している。禁酒法も含めれば2度目のことになる。・・・世界中の政治家たちは、違法ドラッグの需要を市場で扱うようにはせず、あるいは中毒者を患者として扱うことを拒むのと引き換えに、ドラッグ・マフィアに巨大な利益を与えて国家の支配まで許してしまった。その勢力は、アル・カポネが生きていたら間違いなく恐れをなすほどだ。

こうした惨状を目のあたりにして、レトリックによる「ドラッグ戦争」ではなく、現実を重視した体制を築いて賢くドラッグをコントロールすべきだという考え方が広がってきている。


●ドラッグ世界戦争は勝てる

No、勝つことはできない。 アメリカが現実的な目標だとする「ドラッグフリー・ワールド」は、アルコールフリーな世界よりもさらに達成不可能だ。かつてアメリカはアルコールフリーな社会を目指したこともあるが、1933年に禁酒法が撤廃されて以降、真顔でそれを語る人はいない。しかしドラッグについては、そのモラルやイデオロギーが破綻しているという証拠は山のようにあるにもかかわらず、いまだドラッグ戦争に勝てるという不毛なレトリックが繰り返されている。

1998年に国連ドラッグ特別総会が開催されたとき、「2008年までに、コカの木、カナビス植物、オピアム・ポピーの違法栽培を、根絶もしくは顕著に削減し……削減が求められている地域で顕著で目にみえる成果を2008年までに達成する」 という声明を出したが、今日、世界のドラッグの生産や消費は10年前とそれほど変化しておらず、一方では多くの生産者が技術を向上させて、コカインやヘロインの純度が上がり価格も安くなってきている。

レトリックで推進している政策には常に危険が付いてまわる。とりわけ 「ドラッグ戦争」 というレトリックは、民間人に死傷者を出してもしかたないという社会通念を生み出している。しかし、こうした風潮は市民社会での法執行とすれば決して許されるものではなく、ましては公衆衛生問題というレトリックは成り立つものでもない。

政治家たちは、いまだにドラッグの使用が人類を襲う伝染病であるかのように位置付けて根絶しようと話している。しかし、ドラッグに対するコントロールは、天然痘やポリオのような単純な伝染病をコントロールするのとは全く異なる。カナビスやアヘンは何千年も昔から世界中で栽培されてきたわけで、コカについても古くからラテンアメリカで育てられてきた。また、アンフェタミンのような合成ドラッグについても今では世界中どこででも製造することができるからだ。

特に違法なドラッグの需要については、単に入手しやすさばかりではなく、その時代や地域での流行やファッション、文化、刺激と気晴らしの他の方法との競合によって増えたり減ったりしてきた。しかし、全体主義国家を別にすれば、ドラッグに関する法律を厳しくして執拗に執行しても、その効果は全くと言ってよいほど上がっていない。アメリカでの違法ドラッグの使用率は、ヨーロッパと比較すればより罰則の厳しい政策をとっているにもかかわらず、同程度かむしろ高くなっている。


●ドラッグの需要は減らすことができる

グッド・ラックとしか言いようがない。 違法ドラッグの需要を減らすという政策は一見理に適っているように見える。しかし、自分の意識の状態を変えたいという欲求や精神に影響を与えるドラッグを使いたいという欲求はほとんど普遍的と言ってもよく、大半は問題になることもない。実際、ドラッグフリーな社会など歴史上存在したこともなく、多くのドラッグが発見されてきたばかりか毎年のように新しいドラッグが作り出されてもいる。

確かに、誠実な教育と前向きな代替を用意すればドラッグへの要求を減らすのに役に立つが、非現実的な 「ゼロトレランス」 政策に取り憑かれている限りは減らすことはできない。

トラブルを避けるためには、セックスと同様にドラッグの場合も禁欲が最善の方法に違いないが、そうできない人やそうしたくない人たちには別の戦略が必要になる。ゼロトレランス政策で一部の人たちはドラッグを止めるだろうが、一方では、止められない人たちに対しては非常に大きな害をもたらすばかりか巨額なコストがかかる。その間にドラッグの効力はますます強くなって危険が大きくなり、助け出さねばならない人たちをさらに社会から疎外する結果を招くことになる。

現実的には、要求を減らそうとするアプローチよりも害削減のほうが優れている。ドラッグの需要を減らそうとすること自体は間違っていないが、死亡率や疾病率や犯罪率、さらにドラッグの誤用と禁止法の失敗に起因する苦しみの削減に比較すればあまり重要だとは言えない。

アルコールやタバコのような合法ドラッグで害削減と言えば、帰りのドライバーを指定して責任を持って飲むことを促したり、ニコチンパッチやチューインガム、スモークレスたばこに替えるように説得したりすることを意味しているが、違法ドラッグについては、注射針の交換プログラムで感染症の伝染を防止したり、解毒剤を利用できるようにして過剰摂取による死亡事故を防いだり、あるいはヘロインなどの違法オピエートに中毒になった人に医師がメタドンを処方できるようにしたり、さらには病院でヘロイン製剤を入手できるようにすることを意味している。

すでに、イギリスやカナダ、オランダ、スイスなどではこうした害削減政策を採り入れている。その結果、害削減アプローチによってドラッグの使用が増えることなく害を減らすことができることについては、もはや疑問を挟む余地すらなくなっている。

しかし、こうした政策が必ずしも広がっているとは言えない。その障害になっているのはコストではない。むしろ、害削減政策では、一般的に刑事犯罪システムや保険医療にかかっている納税者の税金を節約する効果をもたらしている。真の障害は、禁断しか認めようとしないイデオロギーや、ドラッグを使っている人たちの生命や健康に対する冷笑的な差別意識から来ている。


●ドラッグの供給源を減らすことが答だ

過去の歴史をみれば、答えにはならない。 供給源の削減は、需要の削減と同じような意味で理に適っているように見える。当然のことながら、誰もカナビスやコカやケシを植えなければ、売ったり消費したりするヘロインやコカインやカナビス製品はなくなる。しかし、この半世紀間に代替作物を作るように奨励するアメとムチの政策が数多く実施されてきたが、ごく僅かな例外を除いて成功した試しがない。

確かに、供給源の削減政策は局地的には成功することもあるが、大半は生産が他の地域に移動するだけの結果に終わる。実際、ケシの生産はパキスタンからアフガニスタンに移動し、コカはペルーからコロンビアへ、カナビスはメキシコからアメリカに生産地が移り変わっただけで、世界全体の生産量からすれば余り変化しておらず、むしろ増加する傾向すらある。

経済発展と支援をアメに合法作物に転換しようとする試みは、たいていの場合、時期が遅すぎるか、代替作物がその土地に合っていない。アメに組み合わせて、しばしばムチとして除草剤の空中散布による強制的な根絶作戦が展開されているが、除草剤によって違法作物だけではなく合法作物も同じように除去されてしまうばかりか、その地域の人と環境の双方に深刻な害をもたらしている。

また、たとえ供給源の削減がうまくいったとしてもそれは豊かな国の論理であって、貧しい生産国に流れるお金が少なくなることを意味している。貧しい国の農家が作物の根絶と引き換えに代替作物を生産しても、世界全体のドラッグ供給量は産地が移動して少しも減らない一方で、貧困の底辺であえぐ農家にとっては経済的に大打撃を受けるだけの結果になってしまう。

世界的な市場としてみれば、カナビスやコカやケシの製品であっても基本的には世界に流通する他の日用品と何ら変わらない。ある産地が悪天候に見舞われたたり、価格の上昇や政治的な混乱が起これば、すぐに別の産地が出現する。

もし、国際機関が世界全体のドラッグをコントロールしたいと望むのならば、どのようにして世界の供給源を減らすかという作戦をいくら練っても的外れで、戦略的には、世界的な悪徳をコントロールするという視点に立って、違法ドラッグの生産地をどこにしたら最も問題が少なくして最大の恩恵が引き出せるかを考える必要がある。ドラッグを根絶することなどは期待できないが、たとえ違法であっても地域を決めて管理できるようにすれば害削減効果が得られる。


●アメリカのドラッグ政策が世界のドラッグ政策になっている

残念だが、真実だ。 ドラッグ・コントロールのロールモデルとしてアメリカを検証することは、アパルトヘイト時代の南アフリカがどのようにして人種差別政策を遂行したのかを検証することに似ている。

アメリカの人口あたりの投獄率は世界最高で、人口は全世界の5%にも満たないが、世界の囚人の約25%を占めている。アメリカでドラッグ法事犯で投獄された人数は1980年には5万人程度に過ぎなかったが、今日ではおよそ50万人が刑務所に入れられている。この数は、西ヨーロッパ全体で投獄されている人の数をも上回っている。

さらに恐ろしいことは、注射針交換でエイズを減らそうとするプログラムに反対しているアメリカやそれに追随する国々でのエイズ死亡者数がとても多いことだ。もしアメリカが、注射針交換などの害削減プログラムを実施してエイズの感染率を低く抑えることに成功しているオーストラリア、イギリス、オランダといった国のような政策を採用して世界中に広めれば一体どのくらいの生命が救われるのだろうか? 答えは誰にもわからないが、おそらく数百万人に達するのではないか。

だが、こうした悲惨な結果にもかかわらず、アメリカは依然として自分の国の厳罰とモラル中心主義的なアプローチをモデルとして国際的なドラッグ禁止体制を築こうと試みている。国連を始めとする国際機関はアメリカの反ドラッグ関係者で支配されており、アメリカのドラッグ取締当局は一国家の警察組織としては初めて地球規模の影響力を持つまでになった。一国が、自ら失敗している政策を世界に広めることに成功した例とすれば極めて珍しい。

しかし、現在では、こうしたアメリカのドラッグ・コントロール覇権に対して初めて異議を唱える動きが活発化している。EUでは、これまでのドラッグ戦略について厳格な評価を行うことを要求し、また、何十年もアメリカのドラッグ戦争に密接に協力してきたラテンアメリカ諸国でも、アメリカのやり方には相当距離を置くようになってきている。さらに、エイズの脅威に目覚めた中国やインドネシア、ベトナム、あるいはイスラム教国のマレーシアやイランまでもが、注射針の交換などの害削減プログラムを受入れ始めるようになってきている。

実際、2005年には、イラン司法省を統括するアヤトラが、メタドンの使用や注射針の交換プログラムがイスラムの法典に合致しているとするファトワー(法解釈)を発布している。アメリカの対抗者を自認するこの国は、アメリカよりも分別をわきまえている。


●アフガンのケシ栽培には歯止めをかけなければならない

検証すれば間違いがわかる。 アフガニスタンのケシ栽培は、10年前には全世界の供給量の50%だったものが現在では90%達して記録的な高さになっている。こうした現実から、アフガニスタンのケシを除去できれば、ヨーロッパからアジア全域のヘロイン中毒からタリバンの復活問題まで一挙に解決できると信じたくなるのも無理はない。

だがしかし、アメリカとNATOとカルザイ政権が協力してアフガニスタンのケシ栽培を抑えることができたと仮定してみれば、それが間違いであることがわかる。品薄でオピウムの価格が急騰し、ストックを持っているタリバンと地方の軍勢、そしてブラック・マーケートの地下組織だけが巨額に利益を得ることになる。

また、多数の小作農たちが仕事を求めて都市へ押し寄せることになるが、他に技術を持たない彼らはろくな仕事にありつけず、その多くが次の年には畑に戻り、強まる根絶作戦をかわすためにゲリラから他の違法作物の栽培法を教わって農業を続けることになる。その時点ではオピウムの供給は一時的に下がるかもしれないが、すぐに中央アジアやラテンアメリカ、あるいはアフリカの貧しい農家でさえ市場に参入してくる。

結局、オピウムも世界に流通している日用品と変わらない。ヘロインが品薄になれば、消費地では価格が高騰して中毒者たちの犯罪が増えることになる。さらに悪いことには、彼らは安く済ませようとして鼻や経口摂取からより危険な注射へと移行し、エイズやC型肝炎の率が上昇することになる。こうして考えてみると、アフガニスタンのケシ栽培を根絶しても、一般に思われているよりはるかに利点が少ないことがわかる。

では、どのような解決方法があるのだろうか? あるグループは、アフガニスタンのすべてのケシを買い上げることを提唱している。そのほうが現在根絶に費しているコストよりも安く上がると言う。確かに、アフガニスタン一国で世界のヘロイン供給の90%を担っていることを考慮すれば、アフガニスタンの農家はヘロインの需要が続く限りケシの生産を続けることができて安定し、世界全体としても、産地が限定されて管理が進むことで状況は今よりずっとよくなる可能性がある。

いずれにしても、これまで異説とされてきた考え方が正面から検討されるようになれば、アメリカやNATO、そして何百万人ものアフガン市民の利益を内包した新しい政策をめぐってあらゆる可能性が俎上に上ることになる。


●合法化が最善のアプローチ

たぶん正しい。 世界のドラッグ禁止法は、明らかに財政的大失敗だ。国連は、全世界の違法ドラッグの市場価値について、全世界の市場取引額の6%に相当する4000億ドルに達すると見積もっている。

尋常でない利益のためにリスクを冒すことを厭わない犯罪者やテロリスト、政治過激派、さらには汚職政治家から政府まで加わって利益を貪っている。多くの都市や州はアル・カポネが支配していたシカゴを思わせる。ラテンアメリカやカリブ、アジアの国家に至ってはその50倍にもなるだろう。

こうした状況は、ドラッグ市場をオープンにして合法化すればすべては劇的に変わり、より秩序のある良い世界が実現するに違いない。さらに重要なことは、合法化によって中毒が本当は健康問題であることが顕在化することだ。ドラッグを使う大半の人たちは、実際には、責任あるアルコール・ユーザーと同じようで、自分にも他人にも害を起こさない。こうした人々は行政の面倒の対象ではなくなる。

また、合法化は、管理されていないドラッグ製品に付随する過剰摂取や感染症のリスクを減らし、危険な犯罪市場からドラッグを入手する必要をなくし、中毒に苦しむ人は、犯罪者として扱われることなく患者として治療を受けることができるようになる。

現在、破綻しているドラッグ政策に世界中の政府は全体でどれほど費用を負担しているかは知る由もないが、おそらく少なくとも年間1000億ドルにはなっている。これは、アメリカの連邦、州、地方政府をあわせた財政支出のほぼ半分に匹敵するが、これに加えて、合法化されたドラッグの販売による税収も年間数百億ドルになるだろう。

この全体が合法化によって出てくる収入と考えることができるが、この中からドラッグに関連した病気や中毒に対応する費用として3分の1が支出されるとしても、現行のシステムの中で犯罪や政治から利益を得ている人たちを別にすれば、合法化は実質的にすべての人々に利益をもたらすことになる。

合法化は不道徳だと言う人もいる。だが、この主張には、他人に迷惑にならない限り自分の体に何を摂取するのも自由だという思っている人たちを差別して扱おうとする考え方が土台になっており、その意味においてナンセンスだ。

また、合法化は、禍の蓋を開けて際限のないドラッグ乱用をもたらすことになると言う人もいる。しかし、そう言う人たちは、われわれがすでにあらゆる種類の精神作用ドラッグが簡単に入手できる社会に住んでいることを忘れている。さらに、ドラッグを買えないような貧しい人たちは、その代わりにガソリンやシンナーなどどんなドラッグよりも危険な工業製品を嗅いでいることも忘れている。

あるいは、合法化の最大の欠点は、ドラッグの合法市場がアルコールやタバコや医薬品の会社の手に渡ってしまうことだと言う人もいる。だが仮にそうだとしても、汚職や暴力や組織犯罪がはびこる現在のシステムの中で暮らすよりも合法化の方がはるかに現実的な解決策だと言える。


●合法化は絶対に起こらない

絶対ないとは絶対言えない 大規模な合法化はずっと先のことだろうが、部分的な合法化はそれほど先ではない。

一番可能性があるのはカナビスだ。何億人もの人がカナビスを経験しているが、その大多数は何の害に苦しむこともハードドラッグを使うようにもなっていない。ヨーロッパでは、全域でカナビスを犯罪として扱う世論の支持は徐々に弱くなってきている。そのような中で、スイスでは、上下両院議会の片方が僅差で否決して成立しなかったとは言え、別の片方では2度にわたってカナビスの合法化案が通過するまでになっている。

一方、アメリカでは、年間のドラッグ事犯逮捕者180万人の内およそ40%がカナビスの少量単純所持になっているが、世論調査では、全国民の約40%がアルコールと同様にカナビスに課税して規制管理して合法化すべきだと答えている。

またコカについては、ボリビアのエボ・モラレス大統領が、信頼できる健康上の理由がないとして反ドラッグの国際条約のリストからコカを削除することを提唱しているが、ラテンアメリカやヨーロッパでもそれを支持する動きが拡大している。コカには、アルコールなど問題の多いドラッグよりも競争的にも好ましい製品になる可能性が指摘されており、伝統的な栽培者たちにとっても経済的な恩恵を得られる。

世界でドラッグ戦争が続いている理由の大きな部分は、多くの人々がドラッグ乱用による害と禁止法がもたらしている害を区別できないことにある。だが、合法化議論ではまずそれらを区別することから始まる。アフガニスタンのケシ問題は、基本的には禁止法の問題なのでありドラッグの問題ではない。同じことは、ほぼ30年間にわたってラテンアメリカやカリブ諸国を苦しめてきたドラッグ取引がらみの暴力や汚職についても言える。

政府はドラッグ取引の親玉を次から次へと逮捕して処刑することもできるが、究極的な解決策は逮捕や裁判にあるのではなく、全体の仕組みを作り直すことにある。今ではドラッグ戦争が負けたことを疑う人はもはやほとんどいないが、新しい時代を迎えるには、勇気とビジョンを持って人々の無知や恐怖を取り除き、現行のシステムを支えている既得権益に打ち破る必要がある。

この論文は、もともと フォーリン・ポリシーの9・10月号 に掲載されたもので、8月末の発売と同時に大きな話題となった。雑誌の表紙にはずはり 「合法化せよ」 と書かれている。

著者のエサン・ネルドマンは、ドラッグ・ポリシー・アライアンス (DPA) の設立者で現在も代表を務めている。論旨の明快さはスピーチなどでもよく知られており、非常に説得力に富んでいる。



フォーリン・ポリシーでは、この論文に並行して、ネルドマンとホワイトハウス麻薬撲滅室のチーフサイエンティストであるデビット・マーリーの ビデオ・インタビュー を対論形式で提供している。その中でネドルマンは、マーリーのオフィスは 「正確性と真実性において、かつてのソビエト・スターリンの情報省に酷似している」 と批判している。

また、フォーリン・ポリシーの11・12月号では、この論文に懐疑的な専門家の コメント も特集しているが、どれも見方が表層的で説得力がなく、明らかに事実を誤認しているものすらある。例えば、禁酒法を終結しても犯罪は減らなかったとと述べている専門家もいるが、実際の殺人と小火器による犯罪発生率は禁酒法時代にピークを構成している。


ドラッグ全面解禁論、デイビッド・ボアス編、第三書館、1994 (原著1990)


DPAは、カナビスの合法化だけではなくすべてのドラッグの合法化を目標に活動している。したがって、この論文でもドラッグ全体がテーマになっており、カナビス中心の合法化運動とはかなり趣が異なっている。

しかし、カナビスを中心にした運動であっても国際条約など反ドラッグ全体の仕組みや問題点を理解しておく必要がある。その点でこの論文は非常に役に立つ。

特に2008年は3月にオーストリアのウィーンで過去10年間のドラッグ戦争を総括する国連の麻薬委員会 (United Nations Commission on Narcotic Drugs) の会合が開催されることになっているので、国際的なドラッグ政策の成り行きを観察しながら知識を得る絶好の機会が訪れる。

現在、ヨーロッパでは、それに合わせてさまざまな会議やイベントが盛んに行われている。ヨーロッパで勢力的にドラッグの開放運動を展開している ENCOD は、国連の会合の直前の3月7、8、9日にウイーンで イベント を計画している。


ドラッグの全面合法化というと、あらゆるドラッグを自由に好きなだけどんどんやろうといった趣旨だと勘違いする人も少なくないが、実際には、害削減という観点から禁止法よりも合法化のほうが全体の害が少なくなるということで、その理由についてはこの論文でも繰り返し語られている。

ドラッグの全面合法化議論は決して新しいものではなく、アメリカでは1980年台から正面切った議論が始まっている。エサン・ネルドマンはハーバード大学を卒業後、1987年からプリンストン大学の教授になり、ドラッグ全面合法化議論の論客として注目を集めるようになった。

1994年には、ドラッグ全面合法化運動に取り組むためにプリンストン大学を辞めて、ジョージ・ソロスの資金提供を受けて現在のDPAの前身となるリンデスミス・センターを設立している。

こうした筋金入りの運動家に対して、アメリカの連邦麻薬局(DEA)は心底恐れを抱いている。現在、DEAでは、医療カナビスの合法化がドラッグの全面合法化の隠れ蓑になっているとしきりに主張しているが、その根拠としてネルドマンの発言を ウエブサイト で取り上げている。

ここでは、ネルドマンがうっかり発言して本音を漏らしたような書き方になっているが、彼の活動を知っている人には、DEAが言葉尻りを歪曲していることはすぐわかる。この部分を読むだけで、DEAがネルドマンをいかに恐れているかがよくわかる。また、この部分は、今でもカナビス反対派が好んで引用しているのであちこちで見かける。

ドラッグ全般の合法化を求めているグループとしては、DPAのほかにも、現在のドラッグ政策が誤っていると考える現役および退役警察官を中心に組織されている LEAP やヨーロッパの ENCOD 、イギリスの トランスフォーム などがよく知られている。