From US Marijuana Party
刑務所産業複合体
そのグローバル経済の実態
Source: US Marijuana Party
Subj: The Prison Industrial Complex and the Global Economy
Web: http://www.usmjparty.com/article_4.htm
Authers: Eve Goldberg and Linda Evans
Date: Aug 2001
アメリカでは、現在、180万(訳注、2004年では215万)の人々が刑務所に入れられている。この数は、一人当りの投獄率が世界の歴史上最も高いことを表している。1995年だけで全米で150の刑務所が新設されたが、それも満杯になっている。
このような歴史的な高い拘束率がもたらされたのは、刑務所が、資本グローバリゼーションに統合的に組込まれた一部分となっていることを意味している。冷戦の終結によって労働と資本の関係が世界的なスケールで変質した結果、国内経済の不振、人種差別、世界の警察官としてアメリカの役割、国際的なドラッグ経済の拡大、といったそれまではばらばらだった流れがひとつにまとまって 「刑務所産業複合体」 が結実し、今では急速にアメリカ経済の基本構成要素にまでなっている。
刑務所はビッグ・ビジネス
軍事産業複合体と同様に、刑務所産業複合体は、私企業と国家利益が織り合さったもので、表向きの理由は犯罪に対抗するということになっているが、利益と社会のコントロールという二つの目的が重り合っている。
それほど過去のことではないが、かっては共産主義が敵だった。途方もない軍事費の浪費を正当化するために共産主義者は悪霊とされたが、現在は、犯罪の恐怖と犯罪者の悪霊化が同じ目的のために使われ、抑圧と投獄に税金を投入することを正当化している。
マスメディアは、冷酷な殺人や誘拐、無差別暴力などをセンセーショナルに取り上げて恐怖を煽ているが、現実は、大半の「犯罪者」が貧しさから罪を犯したのもので暴力を伴ってはいない。暴力犯罪は犯罪全体の14%以下で、傷害にいたるものは3%に過ぎない。カリフォルニアにおいて刑務所に送致された上位3事犯は、規制薬物の所持、販売目的での規制薬物所持、および窃盗で、殺人やレイプ、過失致死、誘拐などの暴力事犯は上位10番までにも入っていない。
冷戦時の共産主義への恐怖と同様に、犯罪への恐怖を煽ることが、まともとは言えないような産業の最大のセールス・ツールになってしまった。
武器の製造や警察力の維持とともに、刑務所の建設と維持もビッグ・ビジネスになり、投資信託会社や建設業界、さらに食糧、医薬、輸送、備品といった支援サービス業界が刑務所の増大で潤うことになった。特に伸びているアイテムとしては、フェンス、手錠、ドラッグ・テスト用品、防弾チョッキ、刑務所のセキュリティ関連備品などがある。
冷戦の嵐がおさまると、今度は、犯罪に対する戦争が熱を帯びてきた。ウェスティングハウスのような巨大防衛産業が、製品を国内の犯罪取締り市場向けにアレンジして、シェアを競ってワシントンでロビー活動を行っている。湾岸戦争で使われた暗視グーグルやNATOが危険性の高い軍事施設に採用している高圧フェンスなど、かつては軍事用品として使われていた備品が、現在では刑事犯罪向けのマーケットに流入してきている。
ATTやスプリント、MCIといった通信大手も同様に参入を果たし、受刑者の長距離電話に通常の6倍もの料金を科して稼いでいる。矯正施設専門の小さな通信会社も刑務所電話ビジネスに加わってきた。コンピュータで監視を完全自動化した刑務所電話システムを開発し、政府の関係当局に見返りとして利益の一部をキックバックして契約を勝ち取った。こうした会社が受刑者やその家族の費用負担から莫大な利益を吸い上げ、過大な電話料金を払えない受刑者は実質的にコミニュケーション手段を断たれる事態になっている。
刑務所産業複合体の中でも最も急成長しているのが矯正関連に参入した私企業だ。投資会社のスミス・バーニーはフロリダの刑務所の共同オーナーになっているほか、アメリカン・エキスプレスやジェネラル・エレクトリックもオクラホマやテネシーの私立刑務所の建設に出資している。また私立刑務所の最大手の一つであるアメリカ矯正コーポレーションは、すでに国際的に規模を拡大し、全米11州に48施設を所有するほか、プエリトリコやイギリス、オーストラリアにも進出している。
これらの会社は拘置所や刑務所の運営でも政府と契約し、受刑者一人当り定額の管理費を受け取っている。会社は、利益を出すために最も安上がりで効率的な管理をしようとするために、スタッフの給料を低く抑え、組合は認めず、貧弱な受刑者サービスとなって跳ね返ってくる。また、私企業との契約は公的な監査が行き届かない弊害も招いている。刑務所のオーナーは受刑者に犠牲を強いてまで節約に勤め、膨大な利益をかき集めている。標準以下の食事、極度の過密、訓練不足の職員による虐待などが報告されており、こうした施設では臆面のない金儲け主義に陥りやすい。
刑務所はひなびた田舎にとっても成長産業になっている。伝統的な農業がアグリビジネスの攻勢で押しやられ、アメリカの田舎の自治体の多くは困難に直面している。経済的に不振を続ける地域では、お互いが共同して刑務所施設を確保することに腐心している。刑務所の建設は雇用確保の切札とされており、サプライ品を納入する地元商店や刑務所のスタッフは税収の財源と考えられている。平均的な刑務所のスタッフは数百人の雇用を生み、年間の給料支払額は数百万ドルにもなる。
どのような産業でも元になる原料が必要だが、刑務所も同様だ。刑務所にとっての原料は受刑者たちだ。刑務所産業複合体にとっては、たとえ犯罪率が低下しようとも、収監される人間が多くなればなるほど成長する。例えば、罪を三度犯した者には本来の科刑に比較してより厳罰を科すという「スリーストライク法」や仮釈放を認めない最低固定刑量制の二つの制度は、受刑者数が増え続けることを保証するための手っ取り早い仕掛けになっている。
労働力と資本の逃避
刑務所産業複合体の成長は労働者の置かれている社会的な境遇と密接に関連している。1980年代にレーガン・ブッシュ時代が始まったときでさえアメリカの労働者は厳しい環境に置かれてきた。過度の組合つぶし、法人の規制撤廃、さらに決定的だったのが安い労働市場を求めて資本が逃避して空洞化したことで、苦境状況を致命的にまで悪化させた。
最初の資本逃避はすでに1970年代に始まっていた。それまでアメリカ北東部にあった繊維産業は、労働組合がなく賃金も安い南部のサウス・カロライナやテネシー、アラバマなどに移っていった。1980年代になると、鉄鋼や自動車などをはじめとする多くの産業が 「さらなる競争力環境」 のあるメキシコやブラジル、台湾など、賃金が比べのものならないくらい低く、環境規制が緩く、健康や安全の基準が低い場所に移動していった。工場の閉鎖やレイオフで最も深刻な打撃を受けたのが都市中心部の黒人や半熟練労働者で、まともな賃金を得られる仕事はなくなった。
アメリカの雇用がなくなり、空洞化した都市の経済に一気に流れ込んで来たのがドラッグ経済だった。
ドラッグ戦争
80年代半ばにレーガン大統領によって始められた「ドラッグ戦争」は、国外と国内の状況を連動させることで遂行されてきた。
国外向けのドラッグ戦争は、アメリカ政府のドラッグ取引の関与をあざとく隠蔽する一方で、第三世界への米軍を侵攻とコントロールを正当化するために行われた。
過去50年にわたるアメリカの外交政策は、軍事産業複合体と一体となって共産主義と闘い、企業の権益を守ることを第一の目標にしてきた。この目的を達成するために、アメリカ政府は一貫した戦略に基づいて世界中のドラッグ・ディーラーと手を結んできた。
例えば、第二次大戦が終了すると、CIAの前身であるOSSは、共産主義者が多いフランス・マルセーユ港の港湾労働者の力を削ぐためにヘロイン・トレーダーと同盟を結んだ。また、ベトナム戦争では、CIAはゴールデン・トライアングルのヘロイン製造に携わるモン族を支援し、ベトコンやベトナム開放戦線に対するアメリカ政府の戦争に協力した見返りに、CIAは東南アジア産のヘロインをアメリカに流した。1960年代にアメリカでヘロイン中毒が急増したのはこれと無縁ではない。
1980年代にアメリカでコカインが蔓延しはじめたのも偶然だったわけではない。中央アメリカは、南米コロンビアとアメリカの空路の中間にある戦略地帯だが、エルサルバドルの自由勢力に対する戦争と同様に、ニカラグア・サンディニスタ政権を転覆するためにコントラ側を支援した戦争も結局はこの重要地域のコントロールが目的だった。
アメリカ議会がコントラ側への資金援助を止める決定をすると、オリバー・ノースらはコントラ側への軍事資金を提供するために別のルートを模索し、一部がドラッグ取引で賄われた。コントラへの武器を積載した飛行機がアメリカ南部から発進し、ホンジュラスの私有地に作られたに滑走路に降りて武器を降ろすと、今度は帰り便にコカインを積んて持ち帰った。
1996年にサンノゼ・マーキュリーニュースが暴露した記事によると、CIAは80年代に、ニカラグアのドッラグ・コネクションを取り込んで、ロスアンジェルスの黒人地区に数千キロのコカインを持ち込んだディーラーのボス、ドナルド・ブランドン (現在は連邦麻薬局の情報提供者になっている) は、コントラとの武器とドラッグの取引がCIAの後ろだてで行われた事実を宣誓のうえで認めている。
中央及びラテンアメリカにおけるアメリカの軍事プレゼンスはドラッグの流れを止めることはなく、むしろドラッグ取引に影響力を保持することで地域社会を強力にコントロールしてきた。アメリカ軍による独裁者の支援も住民の反乱の鎮圧への介在も、現在では、ドラッグとテロに対抗する正当な戦争だったとして事実の隠蔽工作が行われている。
また、メキシコでは、南部のメキシコ軍を武装させるためにアメリカ軍がドラッグ戦争を操っていた疑いがもたれている。もともとドラッグの生産や輸送や配送拠点はすべて北部にあり南部にはないが、「ドラッグ戦争資金」と称される資金はもっぱら、南部のチアパス州で国際通商条約へまっこうから異義を唱え土地開放と経済政策の変更を掲げるサパティスタ国民解放軍との争いに費された。
南米コロンビアのカルタヘナ・デ・チャイラのジャングルではコカが唯一の換金作物になっているが、1996年、3万人の農民が飛行機による枯葉剤の散布を阻止するために滑走路へ通じる道路を封鎖した。ラテンアメリカでは最も古いゲリラ組織のひとつであるコロンビア革命軍(FARC)は、政府軍兵士60人を9ヵ月にわたり人質にとり、ジャングルからの軍の撤退や社会福祉の向上、コカの代替作物の利用を要求した。これに対抗するために、コロンビア政府高官がドラッグ・カルテルの力を取込んだことはよく知られているが、ドラッグ戦争の実態がゲリラ掃討のための支援であったことを示している。これを、アメリカ軍が陰で操っていたとしてもいまさら驚くに値することでもない。
刑務所の受刑者
国際的なドラッグ戦争の結果のひとつは、アメリカの刑務所受刑者の国際化として表れている。大半が、アメリカにドラッグを持ち込んで逮捕され投獄された末端の運び屋で、その数は増加の一途をたどっている。今日では増え過ぎたために、連邦刑務所に一時収監された容疑者の少なくとも25%は裁判が確定時点では国外退去処分になっている。
アメリカでのドラッグ戦争は、貧しい人々、とりわけ都市の貧しい黒人を攻撃する戦争になっている。新設された厳しい法律の執行を担当する警察が、有色人種の末端ディーラーに焦点を合わせていることは統計によく表れている。白人と黒人のドラッグ使用率はほぼ同じなのにもかかわらず、逮捕された黒人の数は白人の6倍も多い。さらに刑務所に投獄されている黒人の数は逮捕された率をも上回っている。1994年にはアメリカ成人の128人に一人しか収監されていないのに対して、黒人では17人に一人になっている。
粉末コカインとクラック・コカインでもの量刑の違いも、人種差別を内包する法律の側面を端的に表している。クラックで逮捕された人の90%が黒人であるのに対して、粉末コカインの場合、逮捕者の75%が白人になっている。連邦法の規定によれば、最高刑が仮釈放なしの5年の刑量はクラックでは5グラムでしかないのに、粉末コカインの場合は500グラムになっており、白人が圧倒的に有利な仕組みになっている。こうした甚だしい不公平は、1996年に連邦議会が刑量を同じにするという法案の成立を阻んだ際に、全米各地の連邦刑務所で暴動が起きたことで注目を集めた。
警察力の行使で大量の投獄を行ってもドラッグ取引を阻止できないことは統計が物語っている。末端ディーラーは追放され、チンピラは入れ替わり、もろい家庭はすでに崩壊しているが、ドラッグの需要は今だ健在で、150億ドル規模の国際産業にまで成長し、大元のディーラーは莫大な利益を上げている。
ある面からすれば、ドラッグ戦争は実質的に予防的先制攻撃の様相を呈しているように見える。国の弾圧的な組織は過剰に働きまくる一方で、貧しい人たちは怒りだす前に連れ去られ、投獄された社会底辺の人びとは変革を要求する前に孤立無援で希望を失っている。行動を起こし組織をつくるという公正な社会が備るべき権利自体を破壊している元凶が、実はドラッグそのものではなく、まさにドラッグ戦争と大量の投獄そのものになってしまっている。
ドラッグの厳しい取締りでドラッグの使用が無くなったことはない。むしろ多量の若い失業者や反抗的な不満分子を街にあふれさせ、刑務所人口を次から次ぎへと生み出すことになっている。
刑務所の労働力
かつてアメリカの労働者は時給8ドルを得ていたが、会社が日給2ドルのタイに移転すると職を失った。解雇され、社会から必要とされず邪魔扱いされた人たちは、生きていくためにドラッグ経済や違法な仕事に取り込まれるようになった。逮捕され、投獄され、役務を科せられる。新しい仕事の給料は時給22セントだ。
労働者から失業者になり、犯罪者になって刑務所の労働者になる。そして、この流れは循環する。かくしてビッグ・ビジネスだけが勝利者ということになる。
私企業にとって、刑務所の労働者は金の卵みたいなものだ。ストライキなし、組合なし、雇用保険なし、歳費がかからず、外国の場合のような言語の問題もない。塀に囲まれた薄気味悪い何千エーカーもの工場が建設され、新らしい弾圧国家と化した刑務所が誕生する。受刑者たちは、シェブロン石油のデータ入力やトランス・ワールド航空の電話予約を担当させられ、豚の飼育や堆肥作成、電子基板やウォーターベッドの製造、リムジンの内装、そしてヴィクトリアズ シークレット社のランジェリーまで作らされる。こうした 「フリー労働」 のコストはほとんど無きに等しい。
受刑者たちは法的権利がないために低賃金で働くことが強要される。奴隷制を廃止し、法のもとにすべての市民を平等に保護するとした憲法修正第14条でさえ受刑者に対する保護を除外している。
さらに、刑務所は囚人たちに対してますます負担を科し、最低限の医療ケアからトイレット・ペーパー、法律図書館の利用にまで料金を負担させている。また、多くの州では 「寮費と食費」 の負担まで強いている。例えばペンシルバニア州のバーク郡刑務所では一日あたり10ドルも請求しており、カルフォルニアでも同様の法案が提出されている。連邦政府は、囚人に法定の最低賃金以下で私企業の仕事をやることを要求できないはずだが、実質的に、彼らには他の選択肢はない。
一部の巨大刑務所には国や州が運営しているところもある。連邦刑務所産業はユニコー(UNICOR)というブランドのもとで、囚人たちに、週40時間、月給40ドルで家具のリサイクル修理をやらされている。また、オレゴン州の刑務所産業では 「プリズン・ブルース」 というシリーズのブルー・ジーンズを製造している。カタログの広告に登場するハンサムな囚人は 「みんなでベル・ボトムを作っているよ。みんなから、俺は長いから上手だと言われているんだ。」 無茶苦茶だが真実だ。服に付いている販促用のタグには、受刑者たちの更生と職業訓練のためなどと盛んに宣伝しているが、本当のところは、出所しても雇ってくれるような衣料品工場など決してない。
刑務所産業はしばしば民間の私企業とも正面から競争をしている。田舎の小さな家具工場は、時給23セントのユニコーが政府との契約で有利な競争をしている、と不満を訴えている。ほかの例では、USテクノロジー社が150人の従業員を解雇し、テキサスのオースチンにある電子部品工場を売却したが、6週間後、刑務所の隣りに工場をつくり操業を再開している。
刑務所は、世界新秩序歓迎
アメリカにおける刑務所の急増は、資本のグローバリゼーションというジグソーパズルのひとつのピースに過ぎない。
冷戦が終結してからというもの、資本主義は国際的なビジネスに入れ込んでいる。もはや、ソビエトや中国の支援による社会主義経済への転換とか民族開放運動の脅威などに悩まされせず、多国籍企業は世界で何でもやり放題になった。世界貿易機関(WTO)や世界銀行、国際金融基金などの機関はNAFTAやGATTの協定をてこに各国の政府を締めつけ、多国籍企業にますます力をつけさせた。
支配の源泉は債務と呼ばれる借金だ。ここ数十年にわたり、発展途上国は外国からの借金で国家運営を行ってきたが、その結果としてグローバル・エコノミーを掲げる多国籍企業の戦略へ抵抗する力を弱めた。国際的な信用や援助は、「構造調整」 として知られる特定の条件に政府が合意した場合のみしか受けられないようになっていた。
要するに、構造調整とは、社会福祉の削減、国有企業の民営化、労働協約と最低賃金の見直し、多目的な農地を輸出用の換金作物用に転換、国内経済を保護している法律の撤廃、などを意味する。構造調整下で国家の支出が奨励されるのは警察と軍の費用だけになり、国家主権は譲歩を迫られる。例えば、ベトナムでは、キャメル・タバコ社が国中で看板を掲げることを許可するか、またはアメリカの画策するドラッグ取締りに費用を注ぎ込むと約束しない限り、貿易制裁措置を取ると脅した。
多国籍企業の根本の哲学は、世界は単一市場、天然資源は使い放題、人は消費者、というもので、利益を阻害するあらゆるものは排除と破壊の対象になる。こうした哲学の実践からもたらされるものは、経済成長と引き換えに、貧困や環境破壊や子供の労働搾取も厭わないという社会だ。世界中いたるところで、賃金が下がり、原住民は土地を追われ、川は工場のゴミ捨て場になり、森林は破壊された。第三世界ではどこでも飢餓が蔓延し、「世界銀行暴動」 が頻発するようになった。
世界中で伝統文化や社会構造が破壊されたために、人びとの多くが生存のためにやむなく違法行為に染まるようになり、必然的に犯罪率や投獄率も上昇した。それに伴い、アメリカの法執行機関が国内ばかりではなく国際的にも前面に顔を出し、最新鋭の弾圧用具や刑務所が配備された。
アメリカにおける構造調整は、いわゆる 「アメリカとの契約」(Contract With America)という政策綱領のもとで、福祉や社会保障のカット、巨額の軍事費支出の継続、刑務所費用の急増という形になって押し進められた。都市の貧困地区を歩いてみれば、学校が崩壊し、放課後の活動場所となっていた図書館や公園、ドラッグ治療センターが閉鎖されているのを目にする。それに引き換え、警察署や警察官ばかりが目に付く。こうした地区では、貧しい若者が唯一受けられる 「社会保証」 は刑務所以外にないことも珍しくない。
社会保証の削減などアメリカ政治での右翼的政策が優勢になってきたのは、60から70年代の公民権運動や開放運動を抑え込むことに成功したことが少なからず影響している。運動のリーダーだった、マーチン・ルーサー・キング牧師やマルコムX、フレッド・ハンプトンなど多くの人が暗殺され、ジェロニモ・プラット、レオナロド・ペルティア、ムミア・アブ・ジャマールなどは投獄された。その他にも黒人開放運動やプエルトリコ独立運動などの抵抗勢力の150人以上の政治リーダーたちが刑務所につながれたままで、その多くが40から90年の懲役刑に科せられている。抑圧社会は、人びとを導くはずだったラジカルな政治リーダー盗んで奪い取ってしまった。この盗みの報いをいまわれわれは受けている。
アメリカの刑務所人口は1980年には50万人だったものが1997年には180万人と17年間で3倍以上に急増している。現在では、仮出所者や保護観察、あるいは刑事司法制度の監視下で刑に服している人は500万を越えている。また、カリフォルニア州では高等教育施設よりも刑務所の建設のほうに資金を費しており、ここ10年で作られたされた刑務所が19カ所なのに対して大学は支部が1カ所増えただけだった。
さらに、投獄される女性の数も急増しているという事実がある。1980年から94年にかけて女性の服役者は5倍も増加し、現在では刑務所人口で最も急増している部分になっている。大半の女性が母親で、次代を担わなければならない残された子供たちは養護施設に入れられるか街頭に投げ出されている。
どうすればいいのか?
刑務所には犯罪を減らす機能はない。壊れやすい家庭やコミュニティーを滅茶滅茶にしているだけだ。
貧しい有色人種が不釣合に多く拘束されている。そのほとんどが暴力犯罪ではないのに、アメリカ人の多くが安全が脅かされていると感じている。
「犯罪」が、世の中の四苦八苦している経済や社会構造の悪化のスケープゴートにされるようになって、刑罰の処遇から「更生のため」という建前すら消えてなくなってしまった。何のために更生が必要なのか? 仕事もないのにどうやって復帰するというのか? 希望もないコミュニティーへ戻ってどうなる? こうした理由から、教育訓練などの刑務所更生プログラムは縮小されるか、大半は一斉に削除されてしまった。かくて、刑務所は巨大で過密状態のタコ部屋の集合体となり、さらに悪いことには格子の裏がわ全体が工場になってしまったのだ。
さらに、刑務所の労働者の賃金がカットされたことで、アメリカ中の労働者や低所得層も巻き込まれて傷ついてしまった。賃下げによって労働組合は分断化し弱体化し、経営者側との交渉もままならなくなった。
資本側はグローバル化しても、労働側はそうなっていない。文字どおり多国籍企業は地球全体を一つの村に改造してしまったが、未だ世界中の労働者同士はほとんど交流もなく協力することもできないでいる。多国籍企業の力にチャレンジできるのは、実質的に、労働運動が国際的に連携した場合だけになってしまった。
労働者が団結して成功した輝かしい例もある。古くは1980年代初頭、3M社のニュージャージー州の労働者のストライキを支援して、南アフリカの労働者が職場放棄した。最近の例では、リバプールの港湾労働者のストライキで、デンマークやスペイン、スエーデンなど数ヶ国で沿岸労働者が港を閉鎖して団結し、会社を交渉の場に引き出した。ルノーがベルギーの工場を閉鎖した時には、ブラッセルで10万人のデモ隊がフランス政府やベルギー政府に圧力をかけて工場を再開させることに成功した。
アメリカでも、わずかながら明るい兆しが見えてきた。アメリカ連邦労働者-議会総同盟 (AFL-CIO) は、新しいタイプのより進歩的なリーダーに投票するようになった。これがどのように展開し、この50年間続いてきたアメリカの反共的で生活追求型労働組合主義が本当に過去のものになるのかは今後を見守る必要がある。
いずれにしても、多国籍企業の方針に対抗する抵抗勢力が世界中で成長していくに違いない。そうした例をあげると・・・
1996年、パプアニューギニアの小さなブーゲンビリア島では鉱山の開発に対抗して、島民たちは強制移住と環境破壊を阻止するために分離要求運動を組織した。政府は自国軍の対ゲリラ戦を訓練するために南アフリカから傭兵を雇ったが、軍が半旗を翻して傭兵を追放し、首相を退陣に追いやった。
1997年が始まったばかりの1月1日には、ハイチでゼネストが行われ、首相が国際通貨基金・世界銀行と交渉することを棚上げするように要求した。国際通貨基金・世界銀行側は公務員7000人のレイオフと電気・電話会社の民営化を軸とする緊縮財政を求めていたが、ストライキはそれを阻止する目的でおこなわれた。
ナイジェリアでは、オゴニ族の人びとが8年の長きにわたってシェル石油と争議を繰り返した。その間に酸性雨や度重なるオイル洩れとガス燃焼で肥沃な土地は不毛の荒地と化した。彼らは国際的な連帯を求めて平和的なデモや選挙ボイコットで対抗したが、政府の暴力的な弾圧を受け、最後にはオゴニ族のリーダーで作家のケン・サロウィワが処刑 (1995年) されるまでに発展した。
1995年フランスでは、何百万の労働者が、民営化、政府職員の賃金凍結、社会福祉の削減などに反対して1ヶ月のゼネストが決行された。通信、航空、電力、郵便、教育、医療、金属などの業界労働者が結集して仕事をボイコットした。やむなくシラク右翼政権(ジュペ首相)はわずかな譲歩をしたが、結局、選挙で左派の社会党(ジョスパン首相)に敗れた。
1997年3月、ミネソタ州オークパーク・ハイツ刑務所で、囚人150人が最低賃金を保証する支払いを求めてストライクを行った。法廷では権利を勝ち取ることはできなかったが、このストは周囲の関心を引き、地元のいくつかの労働組合の支持を獲得した。
アメリカ経済の中で、刑務所産業複合体がますます中心的な存在になってくるに従って、囚人が多国籍企業の方針に鋭く対抗する一大勢力になってきた。彼らは、隠蔽され、力を奪われ、孤立させらているが故に、あまりにも一般と隔絶し、国際的な連体から取り残されている。
だが、刑務所産業複合体の拡大に異義をとなえ、囚人たちの基本的人権や人間性を支援することは、刑務所に入れられてしまった友人や家族、あるいはあなた自身を含め、人びとをさらに抑圧しようとする政治状況をかろうじて回避することのできる唯一の道かもしれない。明らかに、地球規模の資本の力に立ち向かう唯一の方法は、国際的連体しかない。だからこそ、みんながいっしょになって取り組もうではないか。
「国際的連体は慈善運動ではない。同一の問題に向かって別々の地域同士が連体して一つになって運動を繰り広げることなのだ。こうした問題の中で
最も重要なことのは、人間性を最大限にまで発揮できるように連体支援することなのだ。」 --
サモラ・マーシャル(1933〜1986)、モザンビーク解放戦線(FRELIMO)指導者、モザンビーク初代大統領。
リンダ・エバンス(Linda Evans)
北アメリカ反帝国主義運動家。現在、政治犯としてカルフォルニアで服役中。
イブ・ゴールドバーグ(Eve Goldberg)
作家。映画作家。囚人連体・囚人権利活動家。
Comic Books from the Real Cost of Prisons Project
PDFコミック、ダウンロード
参考:
カナビス禁止法の新目的、浮上する新経済秩序
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