カナビス禁止法の新目的

浮上する新経済秩序

Pub date: July 01, 2005
Author: Dau, Cannabis Study House


●1600年初頭に北アメリカ大陸にヨーロッパ人が移住を開始して以来、1776年の独立と建国時代を通じて、アメリカではヘンプは常にタバコと並んで非常に重要な農作物だった。

 

ヨーロッパとの交易をになう帆船の帆にはヘンプが不可欠だったのに加え、西武開拓の幌馬車の幌やテント、さらに聖書を印刷する紙の確保も重要だった。農民たちはヘンプより換金性の高いタバコを栽培することを望んでいたが、国の発展に不可欠なヘンプの栽培は半ば義務化されていた。

このようにアメリカの建国を経済的に支えたヘンプだったが、1800年代に入り帆船が蒸気船にかわり、南北戦争で奴隷が開放されて労働集約型のヘンプ生産はコスト高となり、布はコットンに、ヘンプ紙は新たに開発された安価なパルプ紙に置き換えられて、徐々にヘンプは経済の主役から退いていった。


●1937年にアメリカでカナビスが禁止されたとき、その理由として 「カナビスを吸うと気違いになる」 という 「正義」 が掲げられたたが、根底には経済的な動機があった。産業用ヘンプをつぶして経済的利益を独占したいパルプやナイロン業界と禁酒法の廃止で職場がなくなりそうな取締り当局の利害が一致して、強力な 「リーファー・マッドネッス(カナビス精神病)」 プロパガンダが繰り広げられた。

当時マリファナを吸っていたのは貧しい黒人やメキシコ人だけで、白人一般にはマリファナ喫煙の習慣はなかった。唯一の反対勢力といえるのはヘンプ農家だけだったが、代替商品の進出で将来に不安を抱いていたヘンプ農家は、転作補助金という経済的な餌で簡単に丸め込まれてしまった。結局、正義の仮面をかぶった経済利権がマリファナ禁止法の推進役だった。


●それ以降、こうして確立した経済の新秩序は長く有効に機能し続けてきたが、1960〜70年代にかけて 「リーファー・マッドネッス」 の嘘が暴かれ、カーター政権時代は合法化(非犯罪化)寸前まで追い詰められた。しかし、冷戦の終結で経済の構造が変化するとカナビス禁止は再び新たな経済利権のなかに取り込まれてしまった。そこで登場したのが刑務所産業複合体だ。


Comic Books from the Real Cost of Prisons Project

資本のグローバリゼーションで国内産業は空洞化し、失業者が溢れ、多くの地方自治体は破綻状態に追い込まれた。追い詰められた自治体は、当時、民間資金を使った公共施設の整備(PFI)の対象になっていた刑務所を誘致し、確実な職場と収入を確保することで次々と起死回生をはかるようになった。

刑務所経営の要は囚人の確保だ。囚人はまた「更生」の美名のもとに低賃金でこき使える労働者にもなる。ここで狙われたのがカナビスのユーザーだ。カナビス・ユーザーはマフィアのように武力抵抗はしないし、所持だけで簡単に捕まえることができる。カナビスを使っていると無気力で怠惰になるなどといわれているが、実はカナビス・ユーザーが中毒症状なども起こさず従順で質のよい労働者なるのを刑務所産業複合体はちゃんと知っている。

アメリカの刑務所人口は1980年には50万人だったものが、刑務所の増加とともに、2004年には210万人と24年間で4倍以上に急増している。増加の大半はカナビス事犯だ。囚人をリクルートするために盛んに密告を奨励し、子供にまで自分の親がカナビスを使っていないか知らせるように教育が行われた。病んだアメリカは、経済利権のためなら親子の絆さえ引きちぎることも厭わなくなった。自らが生きていくためには犯罪者という資源が必要不可欠な国家になってしまったのだ。


●最近、日本でも、地方自治体によるPFI刑務所を誘致合戦が繰り広げられている(山口県美祢市美祢社会復帰促進センターなど)。民間からはアメリカと全く同様に、警備、通信、建設の大手会社が加わっている。刑務所を 「社会復帰促進センタ-」 と名付けてオブラートに包んでいるところまでアメリカそっくりだ。おまけに、過疎に悩む自治体にとっては、刑務所に入っている人たちも自治体の人口に含まれるという補助金がらみのからくりもある。

数年後には数十の刑務所が新設される。当然、それに伴って囚人のリクルートが活発化するだろう。日本の場合は外国人がまっさきに狙われるだろうが、カナビス人口が増えていくに従ってカナビス・ユーザーがターゲットになっていくかもしれない。

カナビスが健康を害しないというカナビス擁護派の単純な「正義」だけでは、たぶん、「社会正義」の仮面を被った無慈悲な経済利権に対抗することはますます難しくなるだろう。

参考:   刑務所産業複合体、そのグローバル経済の実態