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館長  リチアード・M・デビス

ミュージアムの目指すもの

●ミュージアムの私のコーナーへようこそ。私は60年の人生で35年をヘンプに囲まれて生きてきました。1972年に初めてヘンプを経験しました。当時はUCLAの公衆衛生学部で博士課程に在席していたので、ポットの効用について研究したいと要望を出しましたが拒絶されてしまいました。

動物学と植物学を学び、外にいることが大好きでした。十数年間を山の小さな牧場で過ごしたあと、本来、憲法で許められているはずのポット栽培者になることを目指し、現在の法律の不合理を訴えて連邦議会の選挙に出たりしました。数年して、アメリカ軍が緑掃除作戦で地元に侵入してきたとき、ジャック・ヘラーの本でヘンプを学び、彼の援助もあってヘンプ・ミュージアムを始めました。

●ヘンプの茎は合法だと知ってから、76年製のホンダのワゴン車の上に大きなヘンプの茎を載せました。それがメンドチーノ移動マリファナ・ミューシアムになりました。メンドチーノ移動マリファナ・ミュージアムが最初にしたことは、州政府を訪れて、法律上のマリファナという用語をヘンプに変えることを要請することでした。小さな机2台の間にヘンプのシャツを立てて、議会の職員数百人と専任された役人に文書を配り、ヘンプとヘンプ医薬品を合法化するメリットを訴えました。

  
サクラメントにあるカルフォルニア州議会の階段の前で
屋根にのせた植物は車全体よりも大きく見えた


後継のアメリカン・ヘンプ・ミュージアムのトラック
キャンパーの上には医療用ヘンプ草が置かれている
トラックを使うことでより認知度が高まり、ステッカーを張るスペースも増えた

●移動ミュージアムによる7年間の全米ツアーについてはいずれ書きたいとは思っていますが、それが現在ご覧になっているバーチャル・ヘンプ・ミュージアムへと発展してきました。バーチャル・ミュージアムを始めた当初はその時に行われていたアリゾナの自分の裁判に関することが中心でした。フロリダのジェームス・ドーソンがウェッブ・マスターを引き受けてくれ、ロスアンジェルスのブレンダ・カーシェンバームとチームを組んで最初のサイトが立ち上がりました。

後に写真家のビル・ブリッジによる60枚ほどの写真がティム・パーキンスの協力でサイトのギャラリーに加わりました。ミュージアムのサイトをいろいろな展示室に再構築して、分野ごとにヘンプがどのように利用され、禁止されたことによって起こった結果について焦点を当てることにしました。ここでお見せしているのはその第一歩に過ぎません。

●ヘンプ・ミュージアムが真に目指しているのは、世界のヘンプの歴史を見つめ直し、ヘンプの禁止が何をもたらしたのか、そしてもちろんヘンプの将来について考えることです。ヘンプを取り巻く世界が改善され、ヘンプが禁止から自由になることによって、牢獄に入れられている友が解放され、様々な問題に新しい解決策をもたらすことで病人が癒され、戦争が終わるようにしたいのです。


医療カナビスの展示


経歴  1940年アリゾナ・フェニックス生まれ。アメリカ空軍の退役軍人。ロスアンジェルスのカリフォルニア州立大学で生物学の博士号取得。アメリカ公衆衛生局の奨学金を得て4年間UCLAの公衆衛生学科に所属。55才のときにアリゾナで初めて逮捕される。現在はカルフォルニア州メンドチーノに住み、レンボーファームを主催。各地のヘンプ・イベントで展示コーナーを設けてヘンプと医療カナビスの教育に努めている。