2700BC
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漢字が使われだした。蒼頡(そうけつ)という神が漢字を思いついたといわれている。ヘンプを表す古代中国の漢字は4700年前に作られ、雄と雌の植物が繊維を作るために乾燥小屋に入れられていたことを示している。(コンラッド説)
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2200BC
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パピルスに細かな手書き文字。おそらくエジプト最古の文献。パピルスは草の表皮を層状に張り合わせたもので紙とは違う。紙の発明は105ADころ。写真はパピルスに印刷した絵の例。
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1400〜 1300BC
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1899年に湖南省で発見された易断用の骨片には深く文字が刻まれていた。実体が残っているものとしては中国最古。骨には霊を表す短い文が書かれている。骨の細くて長い形状が縦書きの漢字の形成に影響を与えたと考えられる。
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500BC
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孔子(551-478BC)が存命中、中国はまだ本格的なインクや紙を持っていなかった。学者たちは木や草の枝にペンキのような顔料をつかって竹の短冊に文字を書いていた。
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400〜 300BC
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この時期にはシルクが書き物や本の材料として使われていた。おそらく木片や竹よりも早かったのではないか。
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255BC
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インクを用いず粘土に模様を付けるための印が使われたという記述がある。
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250BC
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秦の始皇帝に仕えた蒙恬(もうてん)によってラクダ毛の筆が発明された。これによって徐々に漢字が発展していった。
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200BC
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小アジアで子羊の皮から上質の羊皮紙をつくる改良された技術がPergumum 王(197-158 B.C.)によってもたらされたと考えられている。
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105
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中国の歴史によれば紙製造のアイディアは105年に蔡倫が、木の皮、ヘンプの屑、ぼろ布(ヘンプ)、魚網(ヘンプ)などを石臼で柔らかくしてパルプにして本格的な紙を作る方法を思いついたとされている。蔡倫は和帝(89-105)に仕える宦官で、紙の製造法を報告した。その後500年間パルプの製造法は中国の外には伝えられなかった。紙は書類として目録や建物や寺院の装飾品として使われた(ハンター)。この500年に中国では紙の製造と利用が飛躍的に発展した。
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150
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蔡倫の弟子のTso Tzu-yiが紙をシート状にする方法を改良した。
この時代の紙が万里の長城から見つかっている。ぼろきれから作られた。(オーレル・スタイン卿)
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175
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古い字体の漢字の文が石に刻まれている。後に印刷のための拓本に発展していった。
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250〜 300
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トルキスタンのニヤからこの時期の紙が発見された。(オーレル・スタイン卿)
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264
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初めて明確な日付が書かれた紙が発見された。中国の楼蘭(ローラン)。スエーデンの探検家スブン・ヘデイン博士。
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300
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中国の記録によると、この頃になると文字を書く紙は木片や竹、シルクなどの代替え品として定着した。
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400
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ランプのすすから本格的なインクが発明され毛筆とともに使われた。後に木版印刷に発展する。
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406
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吐魯番(トルファン)文書の作成が始まる。406-1035年にかけて手書きされたものですべて紙に書かれている。中国のトルキスタンの1つの洞窟から1万巻の文書が見つかっている。
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450
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中国で本格的なインクを使った印象印刷が始まる。印象は石、金属、木、ヒスイ、竹、角などで作られ現在のゴム印のように使われた。
トルキスタン以東で紙の使用が一般化し、文書用には他の素材はすべて置き換えられた。紙はぼろ布や木の皮で作られた。
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610
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紙が中国から日本に伝えられた。日本はすべての面で中国の文化や技術発展を受け入れた。
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650
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世界で最も発達した中国から初めてサマルカンド(現ウズベキスタン)に紙が持ち込まれ使われた。
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707
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メッカで本場の中国から運ばれた紙が初めて使われた。
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751
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サマルカンドで初めて紙が生産された。中国以外では最初。日本も中国人捕虜を通じて製造法の秘密を知った。
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770
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紙に文章が初めて印刷された。日本の聖徳太子が「百万塔陀羅尼経(ひゃくまんとう だらに きょう)」を百万部の印刷。紙は100%ヘンプで、木や金属、石、磁器などが版として使われたらしい。印刷された経文は現存しているが、印刷に使った版は見つかっていない。願い事をするときに各自が20センチほどの仏塔に奉納した。印刷は6年計画で行われた。印刷が行われた時代は中国の影響下にあったので、紙に文章を印刷する技術はほとんどすべてが中国が起源だったと思われる。
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793
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バグダットで初めて紙が作られた。千夜一夜物語のモデルにもなっているハルーン・アルラシド(766-809)によって中国から熟練工が連れてこられた。
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800
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エジプトで初めて紙が使われた。おそらくサマルカンドかバグダットから輸入された。
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868
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本の形態としては初めての印刷物「金剛経」が王傑によって作成された。この本はオーレル・スタイン卿が敦煌の石窟から発見した。7枚の紙を継ぎ合わせた約5メートルの巻子本。日本でも「金剛般若経」が印刷されているが、制作は1157年。
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900
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中国人技術者の伝法でエジプトで初めて本格的な紙が作られた。
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950
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スペインで初めて紙が使われた。
中国で冊子になった最初の本が使われた。
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953
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後唐時代の明宗の命を受け馮道が儒教の古典を21年がかりで木版で印刷した。このことで過去のどの時代よりも印刷技術が大規模になった。本が安価になり入手しやすくなっていった。
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960
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宋の時代(960-1126)には印刷は技術水準が最高度に完成するまでに非常に発達した。様々な文献が印刷され、素晴らしい仕事の多くが公共や私的なコレクションとして残っている。
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969
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中国で遊技用カードについての記述。
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972
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13万ページにおよぶ大蔵経が12年かけて印刷出版された。毎行14字詰の巻子本の形式。仏典には、経・律・論の三種があり、総称して三蔵と呼ばれる。
チベットの教典の版木
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998
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この時点での中国の紙幣の流通額は113万貫に達していた。紙幣は一種の手形のようなもので「交子」と呼ばれていた。銅銭1000枚を紐に通してまとめたのが1貫になる。銅銭一枚は約30セント相当(1940年)。
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1035
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ペルシャの旅行家のナシリ・コスラウがエジプトのカイロを訪れたときに、野菜やスパイス、金物などの小売店が、買ったものをすぐに紙に包んでくれるのに驚かされた。おそらく「パケージング」を記録した最初の事例。使い終わった紙は再びパルプにされリサイクルされていた。
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1041〜 1049
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中国で畢昇(ひっしょう)によって活字が発明された。しかし漢字は無数にあるので活字に向いておらず中国では余り普及しなかった。
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1100
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モロッコで初めて紙が生産された。エジプトから伝わった。
コンスタンチノープルで初めて紙が使われた。
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1102
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シチリア島で初めて本格的な紙が使われた。中国で紙が発明されてから1000年後。
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1109
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ヨーロッパに現存する手書きされた最古の紙。ロジャー王によってアラビア語、ギリシャ語、シシリー語で書かれた。
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1150
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エルエドリシがスペイン・バレンシァ地方の都市ハチバについて「他の文明化した国には見られないが、ここでは紙を製造して、西や東に輸出している。」
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1151
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スペイン・ハチバではスタンプ・ミルによってぼろ布を水に溶かして紙が製造された。この種の製法は東洋から導入されたもので、1680年にオランダで新しい製法( ホレンダー・ビーター)が発明されるまでヨーロッパで使われていた。
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1154
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イタリアで初めて紙が使われた。1154-1166年にジョバンニ・スクリーバが目録用に使った。東洋から輸入された特別の紙だったと考えられている。イタリアではそれ以外の種類の紙はファブリアーノに製紙工場ができる1276年まで使われた形跡はない。
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1221
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ナポリとシシリーの王だったフレデリック2世(1194-1250)が公文書に紙を使うことを禁じた。しかし布告は全く実効力はなかった。
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1228
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ドイツで最初に紙が使われた。エジプトで版木による印刷が行われた。中国の影響が見られる。
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1276
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イタリアのファブリアーノに製紙工場ができたとの記述が残っている。
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1298
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マルコポーロは中国を訪れたときに紙幣が使われていたことについて書き残している。ヨーロッパ人が紙幣を見たのはこれが初めてで、以降ルネサンスまではすくなくとも8人のヨーロッパ人が紙幣について書いている。マルコポーロによる記述が最も総合的で最も広く読まれた。
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1309
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イギリスで初めて紙が使われた。
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1319 〜1327
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日本で初めて紙幣が使われた。紙幣は金や銀などの金属と兌換が補償されていた。
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1322
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オランダで初めて紙が使われたとされている。
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1348
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この年の日付の付いた製紙工場がフランス・トロア近郊のセント・ジュリアン地区に建てられた。おそらくフランス最古。
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1390
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朝鮮の王が活字の製造工場の設立を命じる。
ドイツで初めての製紙工場がニュールンベルグのルウマン・ストローマーに設立された。この工場の木版画が1493年版のシュヒーデルのニュールンベルグ・クロニクルに掲載さている。工場が始まる前のドイツはイタリアから紙を輸入していた。
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1403
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朝鮮で王立の工場が金属活字を生産。現物がソウルの博物館に残されている。
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1409
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朝鮮で活字を使った本が印刷される。知られているものでは最古。
写真はしばらく後のもの
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1420 〜1470
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インドのカシミール地方にサマルカンドから製紙技術が伝わる。バッドシャー王による。
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1423
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ヨーロッパで木版印刷が始まる。古来の中国の技法が使われた。絵やトランプ・カードなどが木版で印刷され、手で彩色された。
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1450 〜1455
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ヨハン・グーテンゲルグの聖書が印刷された。ヨーロッパで本の印刷が開始され、以前より大規模に紙が使われ始めた。この聖書の印刷に使われた紙は耐久性に特に優れていたというわけではないにもかかわらず、今日まで製紙技術の記念碑として残っている。ハンターはこの事情を次のように書いている「一地方の特定の工場だったにしろ、この紙は技術水準や職人の技法が現在ではほとんど見られないほど高い。紙質や丈夫さや調子といった要素はこの500年間でほとんど変化していない。500年のハンデはあるものの、漂白剤や化学物質を使った現在のほとんどの機械製紙や一部の手漉きした紙に比べれば、グーテンベルグ聖書は疑いもなく損傷しにくい。」グーテンベルグ聖書は、中国で105年に本格的な紙が発明されてから1340年経っていたが、やはりヘンプの屑や亜麻やコットンなどが原料として使われていた。
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1470
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ピーター・スコファーによって初めて本の広告が作られる。ヨーロッパでは紙に印刷された最初のポスターだと考えられている。
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1480
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ニュールンベルグの印刷所のアンソニー・コベルガーが印刷したチラシを顧客に配布した。たぶんこのような宣伝方法は初めて。この時期までにはヨーロッパ全域で印刷が行われようになり、本の印刷のために多量の紙が消費された。
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1491
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ポーランドに最初の製紙工場ができた。
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1493
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シュヒーデルによってニュルンベルグ・クロニクルが発行された。図入りの世界の歴史本で645枚の木版に1809項目。ヨーロッパの本としては初めて製紙工場の絵が掲載されてる。
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1495
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イギリスで最初の製紙工場がジョン・テートによってハートフォードシャー州に設立された。1496年にバルトロマエウスの英語版でウエンク・ワードがテートの紙に初めて印刷した。
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1535
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マイルス・カバーダールの翻訳で英語に完訳された最初の聖書。おそらくスイスのチューリッヒでクリストファー・フロスコーバによって印刷された。イギリスで実際に聖書が印刷されるようになったのは1537年以降。
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1549
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スペインの宣教師でイズマル修道院のディエゴ・デ・ランダがユカタン半島でマヤの教典を燃やした。ビクター・ウォルフガング・フォン・ハーゲン博士によると、マヤでは9世紀には木の皮で紙のようなものが作られていた。(アズテックとマヤの紙作り、ニューヨーク1944)
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1550
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スペインやオランダの商人によって中国の壁紙がヨーロッパにもたらされた。おそらくこの年にマーブル紙が初めてつくられた。ペルシャの発明。
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1575 〜1580
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メキシコで最初の製紙工場がクルワカンにつくられた。
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1576
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おそらくこの年にロシアでは最初の製紙工場がモスクワにつくられた。
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1580
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ヨーロッパで初めて商用の厚紙が製造された。中国やペルシャのボール紙はそれよりも何世紀も早かった。
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1586
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オランダで国営の製紙工場ができたと書かれている。
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1589
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ヨーロッパの印刷法がイエズス会の宣教師によって中国に紹介された。1591年には日本も初めて西洋の印刷法を受け入れた。
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1609
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定期発行される新聞が初めてドイツで出版された。イギリスでは1622年にロンドンで、ロシアでは1703年に最初の新聞が発行された。
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1630
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1611-1632年の間スエーデン王だったグスタブ・アドルファス(1594-1632)が
初めて紙製の弾薬筒を使った。
小型本を発行するグッド・オーダー社がトーマス・バッドによってニュージャージとペンシルバニアに設立された。イギリスに販売するために地域で生産されていたヘンプや亜麻を利用して経済的に本を作ろうとした。作物の貯蔵所は銀行の役割も担っていて、税金をヘンプや亜麻で払うことができた。また、バッドは公共学校の生徒たちに糸巻きの仕事を奨励した。
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1639
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イギリスのグリーンベリー兄弟が壁紙の装飾法で初めて特許を得た。
イギリスにペストが侵入。製紙用に輸入された亜麻やコットンのぼろと一緒に持ち込まれたと考えられている。当然ヘンプも含まれている。
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1638 〜1639
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北アメリカで初めての印刷所がステファン・ダイによってマサチューセッツ・ケンブリッジに設立された。最初に紙に印刷されたのはチラシだった。フリーマン・オーによると最初の本の形式は1639年にピース・アリマナクよって作られ、ケンブリッジで印刷されたものとしては現存する最古のもの。ジョン・エリオットの賛美歌の本には1640年の日付が見られる。
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1661
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アメリカで最初の新約聖書が印刷された。ジョン・エリオットがインディアンのアルゴンキン語に翻訳したもので、マサチュセッツ・ケンブリッジのサムエル・グリーンとマーマデューク・ジョンソンによって印刷された。旧約聖書は1663年に印刷され、アメリカで聖書一式が初めて印刷された。紙はヨーロッパ製。
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1666
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製紙に利用する亜麻やコットンを確保するためにイギリスではこれらを埋葬に使うことを禁止する布告が出された。使えるのはウールのみだった。このようにして年間20万ポンドの亜麻とコットンが節約された。
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1680
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「ホレンダー・ビーター」が紙の原料を均質に打解するために使われるようになった。回転する歯車の間を通す。オランダの発明。
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1683
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活字鋳造に関する論文が初めて掲載される。ロンドンのメカニック・エキササイズ誌。ジョセフ・モクソン(1627-1700)
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1687
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ヨーロッパ初めて黄土色、暗褐色、朱色の紙が使われた。
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1690
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マサチューセッツ湾岸植民地で最初の紙幣が発行された。
ウイリアム・リットンハウスがフィラデルフィアのジャーマンタウン近郊のブリティッシュ・アメリカの初めての製紙工場を設立した。
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1704
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ボストンにボストン・ニュース・レター社がジョン・キャンベルによって設立される。アメリカでは永続している最古の新聞。
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1710
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ペンシルバニア植民地に2つ目の製紙工場がウイリアム・デウェーによって設立された。
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1714
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「次々に文字を転写していく」タイプライターが発明され特許が与えられる。特許はイギリスで1月7日にヘンリー・ミルに発行された。
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1718
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アメリカで初めてカラー印刷(赤と黒)。フィラデルフィアのアンドルー・ブラッドフォードによる。
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1719
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フィラデルフィアにペンシルバニアで最初の新聞社、アメリカン・ウイクリー・マーキュリーが設立される。
フランスの科学者ルネ・レアウマーはハチが巣を作る様子を観察して、木の繊維から紙を作ることができると初めて指摘。
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1726
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ニュージャージー州で製紙が始まる。
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1729
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トーマス・ウイルコックスがペンシルバニアのチェスター郡に3番目の製紙工場を設立。
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1736
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ドイツ人のキリスト教団がランカスター郡のエファラータにペンシルバニアで4番目の製紙工場を設立。
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1737
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輸入壁紙の宣伝がアメリカで初めて行われた。1763年には国産の装飾壁紙が生産され、1789年には月刊1万枚が作られた。
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1743
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ヨーロッハ言語の完全な聖書がドイツ語でクリストファー・ソアーによって初めてアメリカで発行された。ペンシルバニア・ジャーマンタウン。紙の一部はエファラータの製紙工場のもの。
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1744
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バージニア州で最初の製紙工場が設立された。
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1758
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イギリス紙幣に初めて偽札。
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1764
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ロードアイランドに最初の製紙工場ができる。
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1767
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コネチカットで最初の製紙工場が操業。
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1769 〜73
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ニューヨーク州で製紙が始まった。正確な時期については諸説あるがこの時期であることには間違いない。
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1770
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この時期に楽譜や帳簿の罫線を書く機械が初めて使われだした。6月15日にジョン・テトロウにイギリスの特許が認められた。これ以前の楽譜や帳簿の罫線は手書きだった。
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1772
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ヨーロッパで馬車の内装、セダンの椅子、飾り戸棚、本のケース、仕切り用スクリーンなどに初めて紙が使われた。
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1773
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イギリスで自国の紙幣をコピーしたり、透かしを模倣したりすると死刑にするという法律ができた。
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1774
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スエーデンの科学者カール・ウイルヘルム・シーレ(1742-1786)が塩素を発見。後に紙の漂白に使われるようになる。
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1776
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トマス・ジェファーソンの独立宣言の草稿はオランダ製の紙を使って4ページに書かれた。・・・たくさんの製紙工場のどこか一つで作られた・・・宣言の原本は1776年7月4日に採択され・・・署名入りの公式の独立宣言は1776年7月19日に議会の要請で羊皮紙(子羊の皮)に書かれた。
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1782
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ロバート・アトケンがフィラデリフィアでアメリカで初めて英語による聖書を印刷。付番のない1400ページから成り、大きさは32*6インチ。
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1783
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フランスの著名な製紙業者のジョセフ・ミカエル・モントゴルファー(174-1810)が初めて実用的な気球を発明した。ヘンプが使われた?
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1793
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ケンタッキーで製紙工場が実稼働を始めたと記されている。工場は現在のスコット郡になっているジョージタウンに建てられた。
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1798
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フランス人のニコラス・ルイス・ロバートによって製紙用機械が発明された。
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1800
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コネチカットでは16の製紙工場が操業。
ロンドンに住むマチアス・クープスが木や麦を使うことや紙に印刷されたインクを取り除く実験を始めた。今日の製紙工業の大半はクープスの先駆的な仕事の上に構築されている。
ドイツでは500の製紙工場が稼働し年間1250トンの紙が生産された。スペインには200,スエーデンには24,ロシアには26の製紙工場があった。
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1801
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製紙機械に関する初めてイギリスの特許が4月20日にジョン・ギャンブルに与えられた。特許の題名は「幅が1〜12フィート、長さが1〜45フィート継ぎ目のない一枚紙を作る機械の発明」。
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1802
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漂白された木材パルプ紙によって英語の本が初めて作られたのがこの年だと思われる。この本は数理哲学の研究に関するもので、著者のジョン・ウイルキンの生涯についての序文が添えられている。C・ウイットミンガムによってロンドンで印刷された。
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1803
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カナダのケベック州で初めて紙が生産された。
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1806
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サウス・カロライナで初めての製紙工場ができたと書かれている。製紙工場について書かれた最初の手紙はベンジャミン・ワーリングからリチアード・ワーリングに宛てたもの。手紙には「私が製紙工場を建てたのは聞いていると思うが、古いぼろきれを手に入れて船でここに簡単に運べるかどうか教えてほしい。」この手紙では製紙工場にとってぼろきれが重要だったことを物語っている。アメリカの製糸業の先駆者の歴史を通じていつもこうした要請があった。
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1840
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アメリカ合衆国全体で185カ所の製紙工場。ペンシリバニア60カ所,マサチューセッツ48カ所でそれに続いた。
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1816
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4月26日に成立した法律によってアメリカに輸入されるすべての紙に30%の関税が科せられるようになった。これによって、アメリカでは1820年までには300万ドルの紙が製造され、1830年までには700万ドルに達した。
ビショップの記録によると、最初の蒸気機関の製紙工場がペンシルバニアのピッツバーグで操業を始めた。
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1817
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アメリカではじめてシリンタを使った製紙機械が作られた。フィラデリフィア近郊のトーマス・ギルフィンの工場で稼働。最初の機械は手製の工場の10倍の生産力があった。
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1822
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フィラデルフィアでリーリーの百科事典が完成。英語で印刷されたものではそれまでで最大規模。
41巻で147枚の版画が挿入され150万枚の紙が使われた。
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1824
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ボール紙用の紙を貼り合わせる機械が発明された。特許はシリンダ・マシンの発明者ジョン・ディキンソンに認められた。
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1829
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マサチューセッツには60の製紙工場があったが、機械による工場は6カ所だけで他は手漉きの工場だった。この時期は多くのぼろきれがドイツやイタリアから輸入されていた。
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1830
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この時期に商用のサンド・ペイパーが製造された。紙の片面にのりを塗り砂や細かいガラス、金剛砂などを塗布した。これ以前には自分でキャンバスや丈夫な紙にノリを塗って砂を振りかけて自家製の研磨材を作っていた。
1744年にシェーレによって発明された塩素漂白が、ボロを漂白して紙を作る目的でアメリカの製紙工場では初めて使われた。
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1834
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ミズリー州で初めて製紙が行われた。印刷はすでに1808年にジョセフ・チャールズによって行われていたが、その時は紙をケンタッキーのジョージタウンから調達した。ミズリー州は1803年のフランスからのルイジアナ地方の購入に際して合衆国に編入された。1821年には奴隷制のある州連合に加わり南北戦争終了まで連合に留まった。
チャールズによって設立されたミズリー・ガゼットは出版用の紙の調達が楽になったことはなかった。1809年3月には新聞をレターペイパーで印刷する有様だった。1814年1月に発行された中で編集者がケンタッキーとは定常的な取引ができず、金を送っても紙はミズリーの取引検問で待たされると苦情を述べている。
1834年1月にミズリーで初めて製紙工場が設立されるのに先立ってボロを集める宣伝が行われた。「良質で白いリネンやコットンのボロは1ポンドあたり3セント、ウール10セント、ジーンズのボロは1セント。」しかし原料不足は明らかに工場が操業を始めた年だけではなかった。1934年12月27日付けのミズリー・インテリゲンチャーは次のように様子を書いている。
「ミズリー・インテリゲンチャーが印刷される用紙は地元のブーン郡コロンビア近郊のロック・ブリッジのメッサー・ラメ・ケイサー&カンパニーの製紙工場で作られていた。この製紙工場が長く操業を続けて欲しいというのが正直なところだ。この設備は力のある先進的な起業家たちが多額の投資をしてつくったミズリーやイリノイにとっては唯一のものだ。これらの2州、とりわけミズリーには印刷所や商売をしている人たちからのあらゆる面で惜しみない支援を心より望む。
機械は真新しく工場の規模も大きいのに・・・ブーンの工場から数十キロしか離れていないフェーエットの新しい新聞が、魂も何も入っていないようななよなよした紙に印刷されているのを見ると悲しくなる。編集者がコネチカットから多量に調達しているのだ! われわれも将来そんなにならないように望む。ブーン界隈の編集者はみんな同じ気持ちだ。」
ミズリー州で最初に作られた紙は機械で製紙されたものだった(形は不明)。
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1837
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マニア麻の古いロープがアメリカでは初めて製紙に使われた。マサチュセッツのサウス・ブレインツリーにあるライマン・ホリングワースが経営悪化してリネンやコットンにかわる原料の調達を余儀なくされ、マニラ麻が使われるようになった。
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1847
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イギリスで初めて切手が使われた。「ペニー・ブラック」
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1841
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カナダ、ハリファックスのノヴァ・スコティアンでチャールズ・フェネルティが木を主体とした紙を西半球では初めて作った。
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1842
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イギリスのアーティスト、ウイル・エグレイがオリジナルなクリスマス・カードを作成した。このことにより高級な紙の需要が徐々に増えてクリスマスを祝うすべての国に普及していった。
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1844
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メイン州ブランスウイックの自宅で靴屋をしていたアンドリュー・デニッソン大佐がアメリカでは初めて商用の紙箱を作った。これがデニッソン・マニュファクチャリング・カンパニーの始まりだった。
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1845
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マサチューセッツ州には89の製紙工場があり年間3億枚の紙を生産していた。この年にはアメリカでは2軒が手漉きを続けているのみだった。他はすべて機械製紙で操業していた。ドイツでは1043カ所の工場が手漉きで稼働していた。
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1847
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イギリスの「ペニー・ブラック」に関するジョージ・プリットの報告書に、合衆国ではこの年にはじめて切手が使われたと書かれている。
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1850
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初めて紙袋が作られた。すべてハンドメイドだった。自動ペイパーバック・マシンが登場したのが1876年。アメリカでは人口が当時の倍になった1941年は1年間に大小500億枚のペイパーバックが消費された。
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1851
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ヒューイ・バーガスとチャールス・ワットにより化学処理された木の繊維から実用的な紙が初めて作られた。この方法は1854年にアメリカで特許を受けた。
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1854
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ユタ州で最初の紙が手漉きで作られた。トマス・ホリスの助力を得てイギリス人モルモン教徒のトマス・ハワードによる。この小さな一歩はブリンガム・ヤング(1801-1877)とモルモン教会の資金援助を受けた。最初の紙は1854年6月27日に製造され、おそらく1850年6月15日に出版が開始されたヤングの新聞であるデザート・ニュースの印刷に使われたと思われる。この新聞はソルトレイクでの出版の始まりだった・・・。彼の新聞には次のように記されている。ボロ!ボロ!ボロ!ボロを確保して!砂漠のみなさん、ボロを確保してください!馬車の古くなった幌(ヘンプ)、テント(ヘンプ)、キルト(ヘンプと亜麻)、シャツ(ヘンプ)・・・などが紙のために必要です。アメリカ西部で最初の製紙工場が設立された。
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1856
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アメリカの紙の消費量がイギリスとフランスの合計と同じになった。
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1856 〜57
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カルフォルニアに最初の製紙工場ができた。アメリカ西部では2番目。
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1860
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このころは全製紙材料の88%がボロだった。
この年の1月にオーガスタス・スタンウッドとウイリアム・タワーがメイン州ガーデナーの自分たちの製紙工場で木を主な原料にした紙を作った、と言われている。
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1865
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この年から1885年にかけては製紙に関連した特許がアメリカ特許局によって多数発行されている。これほどの量が発行されたことは他の国ではない。
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1867
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マサチュセッツ州カーティスビルのアルブレヒト・パゲンステッチャーがアメリカでは木を使った最初の製紙工場を設立した。
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1868
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この頃までに紙は考え得るあらゆる用途に加工されるようになった。紙箱、カップ、皿、洗浄瓶、樽、テーブル掛け、窓のブラインド、屋根、つば、ベスト、カフス、エプロン、タオル、ナプキン、シャツ・ブサム、ボタン、帽子、ハンカチ、レインコート、コルセット、スリッパ、ペチコート、カーテン、カーペット、機械用ベルトなど・・・ロンドンのミュージック・ホールでは「紙の時代」という曲が流行った。
ニューヨーカー新聞が木材パルプから作られたアメリカ製新聞紙に印刷された。ニューヨーク市での最初の新聞には木の紙が使われた。
オーストラリアのメルボルンで印刷や筆記用の上質紙の生産が始まった。それまではアメリカやヨーロッパからの輸入に頼っていた。
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1871
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ロール状のトイレット・ペイパーがアメリカで初めて使われた。この年にセス・ウイーラーにアメリカの特許が発行された。トイレット・ペイパーが使われた最初の記録は875年の中国。トイレット・ペイパーの使用は余り急速には普及しなかったが、1899年までにはどこでも使われるようになった。1940年にはアメリカで30万トンが使われた。
シカゴの大火の直後から「防火防水紙」が多量に使われだした。ウエスタン・ペイパー・カンパニーは大火で家を失った人たちの再建のため1万戸の家が並ぶ長さの紙を生産した。
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1880
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この頃のアメリカでは製紙用に年間35万トンのボロが使われていた。そのうちおよそ8万5千トンが外国から輸入されていた。
太平洋湾岸では初めて木材パルプがオレゴン州アストリア南のヤング・リバーにR・M・ブランのよって作られた。これが後にウイルメット・パルプ・ペイパー・カンパニーになる。
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1882
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亜硫酸パルプが商用ではアメリカでは最初に作られた。ロードアイランド州プロビデンスでウリールライトによる。
この亜硫酸パルプは酸の化学的方法を応用して作られたもので、亜硫酸を木にしみ込ませて組織を分解して繊維質を強度の高いフェルト状にして紙にする。
木材パルプの産業に対する影響については「原料としての木は製紙業に目覚ましい発展を可能にし、高級な紙を作るための原料としてのボロを節約することができるようになった。現在では、当初ボロの代替えとして考えられた木は、増え続ける紙の新しく多様な目的に対して一層重要な原料になっている・・・」
「現在のところ、経済的にセルロースを取り出し多量生産に向いている植物や木は比較的限られている。繊維を含んでいる植物としてはコットン、亜麻、ヘンプ、ジュート、シュカー・コーン、麦、エスパルトロ、コーンの茎などがある。木としてはトウヒ、バルサム、モミ、バンクスマツ、アメリカツガ、南方松、ポプラ、ハコヤナギなどがある。」
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1888
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亜硫酸パルプがカナダでは初めてオンタリオ州メリットンでチャールズ・リオードンによって生産された。
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1889
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アメリカで紙の年間生産量が100万トンを初めて越えた。
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1891
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紙が電話線の絶縁材料としてベル・システムによって使われた。紙厚は0.0025インチ。
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1894
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この時期までに紙箱を製造する自動機械が一般的になった。パッケージ時代の始まり。
ジョージ・ワシントン・カーバー(1860?-1943)が南方松から紙を作った。商用ベースになる25年前。カーバーはミズリー州の農場主モス・カーバーの奴隷として生まれ、アメリカで最も優れた農化学者になった。
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1895
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ロンドンで発行された世界の紙取引概況によると、この年にイギリスで紙で作られた教会が建設された。建築資材はワイヤーで補強したハトロン紙を圧縮したものだった。聖オーエン教会の本堂はダウンハム・イルの村にある。計算によれば、建物は現在でも十分に通用し、あらゆる面から考えてイギリスの過酷な気候にも50年は十分に耐えられると考えられている。
無地と模様入りのペイパー・ナプキンが大規模な商用ベースで日本から初めてアメリカにもたらされた。1940年にはアメリカで世界の様々な国で生産された様々なタイプのペーパー・ナプキンが400億枚使われた。
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1899
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この年のアメリカの紙生産量は2,167,593トン。
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1900
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ジャック・フリツァーによると、この年までにすべての新聞とほとんどの本と雑誌が化学処理された木材パルプ紙になった。
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1901
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イギリスではこの頃までに圧縮した紙が、馬車、鉄道の客車のインテリア、下水管、ドラム管、軍の病院の建物などの標準的な資材になった。アメリカで紙が重量のある資材として使われ始めたのはもっと前だった。
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1903
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木箱に代わってダンボールの箱が初めて多量に使われるようになった。アメリカの鉄道で紙箱が正式に認められたのは1906年。
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1906
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牛乳の紙パックがカリフォルニアのサンフランシスコでG・W・マックスウエルによって作られた。
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1907
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この頃までに医療の治療で紙が広く使われるようになった。消毒した紙には、膿吸着紙、クリスティーのゼラチン包帯、イースト・インディアンの軽い切り傷用の絆創膏、からし軟膏紙、リコウの喘息マスク、水疱紙、ガウティアのヨウ素紙、衛生紙ハンカチ、タオルなど・・・
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1910
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アメリカではこの時期までにパンの包装に印刷した紙を使うのが一般的になった。果物のラッピングにも紙が使われ始めた。
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1915
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カリフォルニアでブドウを干すためのペーパー・トレイが初めて使われだした。1940年にはブドウ乾燥用のトレイの80%が木材パルプ紙で作られた。以前は木で組み立てていた。
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1916
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合衆国農務省公報404には、レスター・デゥーイとジェーソン・メリルは「紙原料としてのヘンプ材」に対比して木材パルプを紙に使うことの危険性について強い警告を発している。「森林は成長するよりも3倍の多く切り倒されている・・・危険な状態になる前に、もっと有望な植物を使った紙製造の研究を行うことが望ましい。」
公報404はヘンプの屑やパルプの価値を検証している。ヘンプは4ヶ月毎に収穫できるが、木はきるまでに20年を要する。ヘンプは同じ面積から木材の4倍のパルプを生み出し、あらゆる品質の紙の安価で持続的な原料になる。
また公報はヘンプが生産や取扱や輸送が容易で作業に必要なすべてを満たしていると言及している。「ヘンプは持続的な供給には全く問題がないと思われる。ヘンプのパルプ材はソーダ処理ポプラ材に似ているが、いくぶん粗い丈夫な紙になり折り返しの耐性も勝っている。実際、ヘンプ材は、亜硫酸パルプを製造している現在のミシガンやウイスコンシンの製紙工場設備にも書籍用材として歓迎される可能性が非常に高い。」
1916年の公報404の結論は今日でも的を得たもので繰り返すに足りる。
「疑いもなく、森林を利用し消費する現在のシステムの下では現状の供給では需要に追い付くことは出来ない。森林利用の方法が改善され生産と消費のバランスが取れるようになったとしても、その時は木材パルプの価格は他に利用できる原料の方法と競合することは避けられないだろう。
民間の製紙工場と協力して半官半民でヘンプ材の製紙実験が行われたが、パルプ材で行われている処理や製法に比較してより好ましい条件で幾つかの試行を行った結果、ヘンプ紙は実験者と取引業者双方から非常に好意的なコメントを受けた。この実験で作られた紙は機械製造では最高の印刷用紙だろう・・・」
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1917
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この時期の短い間、スクリップ新聞社チェーンは紙としてカリフォルニアのインペリアl・バレーで育ったヘンプ材をG・W・シュリッテンが発明した剥皮機で使うことを考えた。しかし不運にも第一次大戦の経済の影響で会社は計画を中断せざるを得なくなり、研究段階から先に進むことができなかった。(コンラッド)
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1920
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1920年10月23日に紙の製造速度は1分間で1000フェートに達した。ウイスコンシン州モジニーのワッソー・サルフェート・ファイバー社。
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1921
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アラバマ州でマツ科トウヒを原料とした製紙が初めて商用ベースで生産された。
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1916〜37
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繊維を生産する際にできる屑であるヘンプ繊維やヘンプ・パルプに新しい用途が見つかり、紙やプラスチック、火薬、織物、燃料などが作られた。
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1930
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ペイパー・トレード・ジャーナル誌は、技術の進歩を調査し、木材パルプを凌ぐヘンプの優位性を示した多数の論文を引用して掲載した。
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1937
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ニュージャジーの技術誌は次のような警告を報告した。「最近の洪水や砂嵐は森林の破壊に警鐘を鳴らしている。おそらくこれまで以上に亜麻やヘンプの屑がまた需要を満たしてくれるだろう。」(コンラッド)
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1937
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機械工学誌はヘンプを「栽培可能で最も収益性の高く望ましい作物」と記述。(コンラッド)
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1937
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マリファナ税法が施行されすべてのヘンプ栽培が禁止される。
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1938
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1937年に編集されたポピラー・マカニクス・マガジンの記事は、ヘンプを「新たな10億ドルの作物」と賞賛して、農民や産業の大鉱脈になるだろうと予想した。ヘンプには25000の用途があり、アメリカ全国の労働者に数千の仕事をもたらしてくれるだろう。
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1940
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合衆国の紙生産量は1437万トン。この時の新聞用紙の世界全体の生産量は897万トンでカナダが5分の2を占めていた。アメリカ北西部では毎シーズンごとに果物のラッピングに貨車350台分の紙を消費し、ウールの結束用に紙ひもが57台分使われた。また、この年にはアメリカで400億枚のペーパー・ナプキンと30万トンのトイレット・ペーパーが使われた。1941年には年間で50億枚の様々なサイズのペーパー・バッグが消費され、1942年にはアメリカのクリスマス産業は30億枚のクリスマス・カードを生産した。1945年には14000種の紙製品があったと書かれている。
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