三、寮での生活
量は学部・学科こそ異なれど、同じ大学の先輩・後輩合わせて30名が定員であり、自治寮として規則を自分たちで積み上げてきたので、皆が寮生であるという自覚を持ち、行動し、互いを尊重し合い、規律を順守することによって秩序が保たれていました。
門限があり、女子寮なので家族とはいえ、男性は一切入ることができず、月に1回は寮生会議が行われていました。その際、門限を破った者、規則に従わなかった者は罰を受けることになりました。集団で生活する以上は規律を守ることは当たり前という意識を持っていましたし、それを破れば、罰せられるのも納得でした。ルールが存在するのも意味があるからであって、ルールは基本的な事項として認識していました。一人の行為で皆にどれほどの迷惑をかけることになるかも痛切に学びました。
寮生は全国各地から集まり、親元から離れて暮らすことから月日が経つにつれて私にとっては家族同然の存在となり、とりわけ親しい寮生とは、何でも話せる、とても親しい仲間となりました。その中で、寮生の先輩の一人がダンス部に所属しておりました。定期的に横浜にあるBRIDCE(ブリッジ)やLOGOS(ロゴス) というクラブでダンスのイベント行ったり、その後の人がDJをしていました。それで、先輩が誘ってくれたのがきっかけとなって、寮生の数名と一緒に行きました。高校までずっと勉強一辺倒で生きてきた私にとって、遊びといったら読書をしたり、映画を見たりするくらいでした。お酒も二十歳になるまで飲んだことはありませんし、煙草に至っては、今に至るまで、1回たりとも吸ったことすらありません。
高校時代は、3年間、土日は模試で学校に通うことも多く、長期の休みに入っても、友達と学校にほぼ毎日通って、勉強するのか日々の日課でした。
そんな中で、大学の寮に入ったことで、クラブに行く経験を初めてしたのが、2年生の8月ごろだったと思います。もともと音楽を聴くのは大好きでした。特にR&Bが好きで、普段から聞いていました。高校の時の英語の先生を非常に尊敬しており、その先生の影響を待って、語学という、異なる文化を持つ人とさえも意思疎通を図れるツールである英語を、他の科目よりも重要視していた私にとって、洋楽は生きた英語の勉強にもなりますので尚更魅力的でした。
重ねて、過酷な受難の歴史を歩んできた黒人史に、自分の母親の故郷である沖縄の親戚や人々を合わせて見ていたことから、非常に興味を惹かれました。独学だけでなく、大学でもアフリカの経済史を学んだり、アメリカ文化史として黒人史を講義でとりました。これらの背景からも、自分の好みを大音量、友達や先輩といった気の置けない人々と聴くことのできる空間は、私にとって心地良い、安全な場所でした。怖いという印象はなく、同じ大学の学生ばかりがいる状況だったのです。
扨(さて)、平成15年9月ごろのことです。非常に個人的な話で恐縮ですが、横浜にあるバーで、ラファエル・オテロという男性と知り合い、デートを何度かし、交際するようになりました。彼が初めておつきあいした男性でした。彼はアメリカ、カリフォルニア在住で、来日したのは米軍の仕事の主張としてでした。そのため、2・3週間滞在すると帰国しなければなりませんでした。普段はワイン会社で働くサラリーマンであり、休日に時々、副業として米軍で働いていました。とても仕事熱心な人で、毎日勤勉に働き、努力を惜しまない人でした。私は彼の心の底から尊敬していました。心が豊かな人で、広い心を持つ彼と一緒に居られると、私も暖かい気持ちになれました。また、彼は前向きで、私は彼の影響で、スペイン語や英語を学ぶようになり、彼に釣り合いの女性となれるように、勉強にも身が入り、私に良い刺激を与えてくれる、努力することの大切さを教えてくれた人でもありました。彼が日本にいる間、厚木にある基地に入り一緒に食事をしたり、横浜を彼と彼の友達を案内したり、抹茶や日本食を食べに行ったりして過ごしました。とても充実した、素晴らしい日々でした。その為尚更、彼がアメリカへ帰国してしまって以来、一緒に過ごせたあの頃の思い出が素敵で輝いていた分、激しい空虚感・孤独・寂しさが募っていきました。彼とは毎日必ずメールでやりとりをし、連絡をとり続けることで、気持ちをつなぎ、気を紛らわせるものの、あくまで一時的なものでしかなく、焦心は消えず精神的に不安定になっていきました。月日が経つにつれて、一体次に会うまでどれだけこんな苦しみを味わって行かなければならないのか、という先が見えない感覚に捉われていきました。
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