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逮捕された人たちの話 > 祐美さん(大麻密輸の冤罪)
上告趣意書 -この国の刑事裁判に希望はあるのか-
祐美さん(大麻密輸の冤罪) : 投稿者 : 白坂@THC主宰 投稿日時: 2008-01-15

2008年1月9日

最高裁判所第一小法廷 御中
平成19年(あ)第2225号
大麻取締法違反・関税法違反被告事件
被告人 木村祐美

弁護人 高野 隆

上告趣意書


本件について、弁護人の上告趣意は次のとおりである。

第1 原審裁判所は公判開始前に控訴棄却判決書を作成した
原審裁判所は、公判が開始される前に、あらかじめ控訴棄却を内容とする判決書を作成し、公判期日に同判決書に基づいて控訴棄却判決を宣告した。このやりかたは控訴審における判決手続を定めた刑事訴訟法の規定を無視するものであって、憲法31条に違反する。のみならず、被告人の公平な裁判所による裁判を受ける権利を侵害するものであって、憲法37条1項に違反する。


1 原審の手続
平成18年7月21日朝、被告人は、成田国際空港第1旅客ターミナルで税関職員の携行品検査を受けていたが、ソフト・スーツケースの中にあった缶詰から乾燥大麻合計約6㎏が発見され、大麻密輸の現行犯として逮捕された。彼女は、税関職員、警察官そして検察官に対して、自分は恋人のチャールズ・ンナディ・チュクメワカの仕事を手伝うためにオランダに渡航し、そこでチャールズの友人から缶詰を渡されたが、そこに大麻が入っているとは知らなかったと訴え続けた。しかし検察官は彼女を千葉地方裁判所に起訴した。同裁判所においても、彼女は冤罪を訴え続けた。しかし、千葉地裁刑事第2部吉田浩裁判官は、携行品検査を行った税関職員の証言に基づいて「税関検査時の被告人の言動、殊に、予想外の物を運ばされたとして驚愕しているといったような様子は窺えず、かえって、内容物が大麻であることを示唆するような発言さえしていることからずれば、被告人が缶詰の内容物が大麻であることの認識を有していたものと推認できる」などと述べて(第1審判決4頁)、被告人を有罪とし、彼女に懲役5年及び罰金100万円の実刑を言い渡した。

被告人は控訴した。原審弁護人は、控訴趣意書の中で、この事件が「ラブ・コネクション」と呼ばれる手口の組織的大麻密輸犯罪であり、うぶな女子大生である被告人はその犠牲者であると指摘した。弁護人は、「税関検査時の被告人の言動」というような多義的な情況証拠によって大麻の認識を認定すること自体に誤判の危険性があると指摘したうえ、税関検査時の彼女の言動は、むしろ彼女が缶詰の中身が食品であると信じていたことを示すものであり、「内容物が大麻であることを示唆するような発言」というのも、税関職員から様々なヒントを与えられて答えたものであって、当初から缶詰の中身が大麻だったことを示すようなものではないと述べた。

原審弁護人は、被告人自身の供述を記載した彼女の「控訴趣意書」「控訴趣意補充書」、彼女がいかに勤勉な学生だったかを明らかにする彼女の成績証明書、彼女の父親、姉、ゼミの指導教員の供述調書、恋人チャールズが自分の身分などについて彼女に虚偽の説明をしていたことを明らかにするアメリカ海軍の書簡や弁護人自身の報告書などの書証14点のほか、財務省東京税関成田税関支署が保管する監視ビデオの取り寄せを求める公務所照会請求を行った。

原審東京高等裁判所第6刑事部は第1回公判期日を指定したうえ、同期日に被告人の出頭を求める召喚状を発した。
平成19年10月30日午前10時東京高裁第718号法廷で定刻通り第1回公判が開かれた。検察官は、被告人作成の控訴趣意書など8点の証拠書類の取り調べに同意した。原審裁判所は同意書証の取調べを決定したが、その朗読などは一切省略され、100頁を超える書類がそのまま裁判官席に積み上げられただけであった。財務省東京税関成田税関支署あての公務所照会について検察官は「必要なし」の意見を述べ、裁判所は弁護人の申し立てを却下した。却下決定に対して弁護人は異議を述べたが、裁判所は異議を棄却した。

弁護人が証拠請求した被告人の父親、姉、ゼミの指導教授らの供述調書について検察官は不同意の意見を述べた。そこで弁護人は彼らの証人尋問を申請した。これに対して検察官は「必要なし」との意見を述べ、裁判所は申請を却下した。弁護人は、被告人の大麻の認識の有無を理解するためには、彼女の生活環境や大学卒業までの勉学状況、彼女の就職活動の内容などを理解する必要があるとして、裁判所に再考を求めたが、裁判所は弁護人の異議申し立てを棄却した。さらに、弁護人は第1審には提出されなかった、被告人とチャールズとの間でやり取りされた電子メールを新たに証拠請求した。これは被告人が懸命に就職活動をしていたことと、チャールズからだまされていたことなどを示す証拠であるがあるが、これについても、裁判所は検察官の意見を容れて証拠請求を却下した。

そして、この段階で、裁判長は、弁論を終結し直ちに判決を言い渡すと宣言した。そして、あらかじめ用意された手元の原稿を朗読し始めた。その内容は、被告人の控訴を棄却するというものであり、実質的には1審判決とほとんど同じ内容である。上述のとおり公判手続のなかで裁判所が採用決定した証拠書類の内容を検討する時間はなかったし、後記のとおり、採用された証拠書類は判決の中でまったく引用も言及もされていない。これらの事情に照らして、裁判官らは、公判開始前に控訴棄却判決書の原稿を用意していたことは明白である。

2 憲法違反
刑事訴訟法は、控訴審裁判所が口頭弁論を開かずに決定で控訴を棄却できる場合があることを認めている。すなわち、(1)「控訴の申立が法令上の方式に違反し、又は控訴権の消滅後にされたものであることが明らかなとき」(刑訴法385条1項)、あるいは、(2)控訴の申立てが適法であっても、控訴趣意書が時期に遅れたり方式に違反したりして不適法であるとき(同386条1項)がこれである。これらの場合には、わざわざ公判期日を指定して口頭弁論を聞くまでもなく、控訴棄却すべきことが明白であるので、法は決定で控訴を棄却することを許したのである。しかしながら、これ以外の場合については、たとえ最終的に控訴の申立て自体が不適法であったとしても(刑訴法395条)、控訴裁判所は「判決」によってその判断を示さなければならない。

「判決」によるとはどういうことか。判決は「口頭弁論に基づいて」下されなければならない(刑訴法43条1項)。これは事実の認定が証拠に基づいて行われなければならないのと同じように、近代的な刑事裁判の最も基礎的なルールの一つである。公開の法廷で口頭で自己の言い分を陳述する機会を与えられたうえで、裁判所が判決を言い渡すという手続は、裁判所で裁判を受ける権利の最も中核的な要素であろう。刑事訴訟法は、先に述べた例外的に口頭弁論を経ずに決定で控訴棄却できる場合を除いて、公判期日を指定して当事者の弁論を聴取し(389条)、控訴趣意書に包含された事項について事実を取り調べたうえで(392条以下)、判決を言い渡すことを要求している。そして、必要に応じて被告人の出頭を命ずることもできると定めている(390条)。

控訴審の判決が、口頭弁論に基づいて行われたというためには、当事者の弁論や事実取調べが終了するまで、裁判所が判断をしていない状態、心を開いた状態であることが保障されなければならない。口頭弁論が開かれる前に裁判所がすでに訴訟の結果について結論に達している状態では、口頭弁論の意味はない。それでは訴訟記録だけに基づいて決定をするのと実質的に異なるところはない。それは「判決」という名の「決定」である。

確かに、刑事控訴審は「事後審」であり、控訴理由は原審訴訟記録の中に求められるのが原則である(刑訴法379条以下)。したがって、原審の訴訟記録と控訴趣意書を受け取った控訴裁判所が、公判期日前に訴訟記録を検討して控訴理由について一定の調査をすることは許されるであろう。しかし、訴訟記録を調査するということと、終局的な判断をして判決起案をすることとはまったく性質を異にする。社会心理学にいう「公的コミットメント」の理論が説明するように、一定の選択を宣言することはその後のその人の行動を制約する。さらに、その選択を書面にした場合にはその制約は著しい。要するに、あらかじめ一定の判断をした上で手続に臨むというのはまさに予断を持った状態(prejudged; prejudiced)であって、裁判官の職にある者が最も禁忌すべき態度である。弁論が終結するまでオープン・マインドであることは、裁判官が守るべきもっとも基本的な倫理である。

原審裁判所は公判期日を指定し、被告人に出頭を命じ、弁護人に控訴趣意書に基づく弁論をさせ、かつ、証拠請求をさせその一部を採用する決定をした。しかし、これらはただの茶番だったことがすぐに判明したのである。裁判長は一部の書証以外の証拠を却下するや否や印刷された判決原稿をよどみなく朗読したのである。弁論を聞くということは、聞いてから判断するということである。被告人の出頭を命じるということは被告人の様子を法廷で見てから判断するということである。証拠書類を採用するということは、その内容を十分に検討してから判断するということである。原審裁判官は、これらの手続の意味をすべて無効に帰せしめ、そして、刑事裁判をただの儀式にしてしまった。

原審裁判所は、控訴申立の方式や控訴趣意書の方式が不適法であることが明白な場合以外は判決手続によることを定めた刑訴法を無視して、実質的に口頭弁論を経ずに控訴棄却の判決をした。これは「法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない」と定めた憲法31条に違反する。そして、原審裁判官は裁判を開く前に判決を起案するという最も恥ずべき方法で予断排除のルールを踏みにじり、公平な裁判所の公開裁判を受けるという刑事被告人の基本的権利を奪い去った。

第2 原審裁判所は公判で採用決定した証拠を無視した
原審裁判所は、弁護人請求の証拠書類を証拠として採用する決定をしながら、取調べをしないまま控訴棄却判決を言い渡した。証拠書類の取調べ方法を定めた法律の規定及び「事実人の認定は、証拠による」という刑事裁判の基本を定めた法律の規定を無視して、あらかじめ用意した控訴棄却判決の言い渡しに突き進んだ原審裁判所の訴訟進行は憲法31条に違反する。

原審の裁判所書記官が作成した「第1回公判調書(手続)」が引用する「証拠等関係カード」には、原審裁判所は弁護人が請求し検察官が同意した証拠書類につき、その結果欄に「決定・済」と記入されている。しかし、これらの証拠書類について公判廷で証拠調べがなされたことは一切なく、この「済」という記入は事実に反する。

法律が定める証拠書類の取り調べ方法は「朗読」である(刑訴法404条、305条1項)。しかし、原審が採用した証拠書類が公判廷で朗読されたことは全くなかったのである。そもそも、原審第1回公判が開始されてから、裁判長が控訴棄却判決の朗読を始めるまで30分足らずしかなかった。原審が採用した証拠書類の分量は100ページを優に超えるのであって、これらをその時間で朗読するのは不可能である。

原審裁判所が自ら採用決定した証拠書類を無視したことはその判決文からも明らかである。これらの証拠書類は判決文のなかでまったく引用されていない。彼らは「原判決[千葉地裁の判決]が掲げる証拠を総合すれば……[その事実認定を]是認することができる」と述べて(原判決2頁)、1審の証拠しか検討していないことを明らかにしている。そして、具体的に引用しているかどうかは別にして、原判決が弁護人提出の証拠に言及している個所は全くないのである。

さらに、判決内容からも、原審が採用した証拠を検討していないことが明らかである。その典型的な例をあげよう。原判決は、後述のように、結局のところ、被告人が「1年も経たない短期間に6回もベルギーに渡航し、その都度押収された缶詰と同様の形状の缶詰を本邦に持ち帰っ[た]」という事実に依拠して、被告人が缶詰の中身を知っていたと認定した。ところで、被告人は「控訴趣意補充書」(弁2号証)のなかで60頁以上のページ数を費やして、6回の渡航のいきさつを詳細に説明しているのである。しかし、原判決はこの被告人の詳細かつ具体的な説明が信用できない所以を全く示さない。それどころか、そのような説明があることにすら言及していない。

被告人は、冤罪を晴らすために、自ら「控訴趣意書」(原審弁1)を執筆し、さらに、6回の渡航がいずれもチャールズからその都度頼まれた仕事上の渡航であり、現地で「アフリカンフードの缶詰」を渡され、缶詰の中身に全く疑いを抱かずに帰国したいきさつを説明するために「控訴趣意補充書」(原審弁2)を作成したのである。これらの文書は詳細かつ具体的なものであり、単身で未知の国を旅する女性の不安定な心情や旅先で親切にしてくれた人を過剰に信頼してしまう旅行者心理などをも含めて、彼女が缶詰の中身を疑うことなく繰り返しそれを日本に持ち帰ったとしても不思議はないことを読者に理解させるに十分な説得力を持っている。これらの証拠書類の内容が一顧だに価しないというようなものでないことは明らかである。もしも、その記述に何らかの疑問があるのであれば、法廷でその点について直接被告人に問いただすこともできたはずであり、そうするのが公正な裁判所の態度であろう。

原審裁判官らは公判開始前にあらかじめ控訴棄却判決を用意していた。先に指摘したように、いったん結論を出してしまうと、その結論に反するあたらしい証拠を受け入れることは心理的に困難となる。彼らは、表向き新しい証拠を採用した。しかし、実際にはそれを受け入れるつもりはなく、黙殺したのである。

第3 事実誤認
被告人は、大麻密輸組織の一員と思われるチャールズに騙されて、「携帯電話の輸入ビジネス」の手伝いをするつもりで、ベルギーやオランダに渡航し、現地で彼の友人からお土産として渡された缶詰を、その中に大麻が仕込まれていることを知らずに、持ち帰ったのであり、大麻密輸の故意がないのである。第1審及び原審で採用された証拠を総合すれば、少なくとも、被告人が缶詰の中身を知っていたと考えることには合理的な疑問が残る。そうであるにも関わらず、原判決は、被告人が今回を含めて合計6回にわたってヨーロッパに渡航して缶詰を持ち帰っていることを主要な根拠にして、「本件渡航の際にも、大麻が隠匿されていることを知って缶詰を本邦に持ち込んだと認められる」と認定した。これは刑事裁判における証明の基準を無視して単なる蓋然性によって有罪を認定するに等しいものであって、事実を誤認するものである。そしてその誤認が判決に影響を及ぼしかつ著しく正義に反することは明らかである。

1 原判決の有罪認定の根拠
原判決が言う有罪の根拠は第1審千葉地裁が言う有罪の根拠とほとんど同じである。整理すると以下のとおりである。

(1)成田空港での携行品検査の際の被告人の態度
(2)平成17年11月から平成18年4月にかけて5回ベルギーに渡航し、同様の缶詰を持ち帰っていること
(3)平成18年3月ベルギー渡航の前日にチャールズから「感謝のメール」を受け取ったこと
(4)平成18年5月頃缶詰の処分についてチャールズとメールを交わしていること

ところで、弁護人は、原審に提出した控訴趣意書の中でこれらが被告人の有罪の根拠となりえないことを詳細に説明した(控訴趣意書4~15頁参照)。原判決は、弁護人の指摘する点にまともに答えていない。弁護人の提起する重大な疑問を黙殺し、1審の説示を表現を多少変えて繰り返しているにすぎない。

2 成田空港での携行品検査の際の被告人の態度
原判決は被告人の携行品検査を行い大麻密輸の「現行犯人」としてその身柄を拘束した税関職員、天野賢一と大泉誠也の証言に依拠して、彼らの証言通りに「携行品検査の状況」を認定した。原判決は、天野と大泉の公判証言は「本件直後に作成された報告書等の客観的な証拠に裏付けられている」から信用できる、これと対比して被告人の供述は信用できないという(原判決4頁。強調は引用者)。

しかし、天野らの報告書は被告人を現行犯逮捕した後に作成された彼ら自身の報告書であり、「客観的な証拠」とは到底言えない。さらに、天野らの証言は客観的証拠に反する。天野証人は、エックス線検査に向う税関職員を見て、被告人は、大きなため息をつき、少し目に涙がにじんでいるようであったと証言した(天野・記録10頁)が、このときの被告人の様子を撮影した写真(甲19・写真撮影報告書添付写真1、5、33)には目に涙がにじんでいる様子など全く映っていない。弁護人は控訴趣意書でこの点を指摘した(控訴趣意書9頁)。原判決はこれに答えていない。そしてさらに、同じ場面をみているはずの天野と大泉の証言が矛盾している。すなわち、大泉証人は、被告人の表情に変ったところはなく何も感じなかったと証言している(大泉・記録25、45頁)。この点も弁護人が控訴趣意書で指摘したが、原判決には何らの応答もない。

弁護人は、成田税関支署が旅具検査台に監視カメラを設置していることを確認して、原審裁判所にその内容を確認するための公務所照会をするよう求めた。しかし、原審はこの申し立てを却下した。このように、より信憑性の高い文字通り客観的な証拠がある(少なくともその可能性がある)のに、あえてそれに目をつぶり、一方当事者にすぎない捜査機関の報告書を「客観的証拠」と称して、明らかな矛盾を含んだ証言を信用できるなどという原審の態度は、明らかに偏っている。少なくともとうてい理性的な対応とは思えない。

原判決は、天野と大泉の証言に依拠して、「携行品検査の状況」をこうまとめた。「被告人が携行品検査の際に、他人から預かった物はない、缶詰はベルギーのスーパーで買ったなどと虚偽の説明をして携行品を検査されることを避けようとし、缶詰が開けられた後は、その中身について知らなかったという簡単な弁明をすることなく、かえって中身を知っていたかのような応答をして逮捕に応じた」と(原判決4頁)。しかし、このまとめには明白な誤りがある。天野と大泉の証言を前提としても、被告人には携行品検査を「避けようと」する様子はみじんも見られなかったのである。彼女がパスポートを提示して旅具検査を受け始めたときの状況について、天野は「特に普通の旅客と変りありませんでした」と言う(天野・記録6頁)。彼女は、税関職員に視線を合わせており、特にそわそわした様子はなかった(天野・記録12頁)。スーツケースをあけるよう職員に求められたときも嫌がる様子はなく、彼女は「いいですよ」と答えた(天野・記録14頁)。税関職員が缶詰を取り出したときも「特にそれまでと変っていないようでした」(天野・記録9頁)。エックス線検査をしてもいいかと問われて被告人は拒否せず同意した(天野・記録9頁)。エックス線検査を終えて旅具検査台にもどったときも、被告人の表情に不審な点はなかった(大泉・記録27、35頁)。エックス線検査の結果缶詰の中に液体が入っていないと感じた税関職員は、缶詰を開けても良いかと尋ねた。これに対しても被告人は「はい、開けてもいいです」と答えている(大泉・記録29、55頁)。そのときの表情にも特に変ったところはなかった(大泉・記録30、31頁)。そしてさらに、缶詰の中身を取り出して鑑定することについても、被告人は拒否的な態度を一切とっていないというのである(大泉・記録42頁、43頁)。

要するに、まさに缶詰が開けられ中身が取り出されるその瞬間に至るまで、被告人は、スーツケースの開被検査、缶詰のエックス線検査、缶詰の開被検査を全く拒んでおらず、缶詰が開けられ中身が取り出される瞬間まで被告人にはうろたえたり狼狽したりする様子は一切なかったのである。この点についても、弁護人は控訴趣意書のなかで指摘している(趣意書9頁)。これに対する原判決の答えは、「仮に所論指摘のように被告人にうろたえたり悲しんだりする様子がなかったとしても、その余の被告人の携行品検査時の言動や前記のような被告人の渡航歴、チャールズとのメールの内容等に照らし」大麻の認識を認定できるというだけである(原判決7頁)。まったくなんの反論にもなっていない。そうであるにもかかわらず、被告人が携行品検査を「避けようとした」とまとめる原判決の認定は、証拠上の根拠を全く欠く恣意的な事実認定と言うべきである。

確かに、被告人は缶詰について税関職員らに対して「私が買った物もあります」と答えたことがある。しかし、それは、被告人が缶詰を開けることを承諾して、そのために検査室に移動した後の話である(大泉・記録31~33頁)。したがって、「買った」という説明も携行品検査を避けようとしたと認定する根拠とはならないのである。この点でも原判決の認定は証拠に反している。

次に、缶詰が開けられ、中から、フルーツや野菜ではなく、異臭を放ちながら葉っぱのようなものが登場してからの被告人の態度についてである。1審千葉地裁は「予想外の物を運ばされてたとして驚愕しているといったような様子」はなかったとして、この態度を有罪認定の根拠とした(1審判決4頁)。これに対して、弁護人は、控訴趣意書において、「意外な出来事に出会ったときの人の反応は千差万別であり、何も言えずに沈黙してしまう人もたくさんいるだろう。血相を変えて反論したり、言い訳がましく弁じたてる人が、実は一番怪しいということもよくある話である」と指摘し、また、そのとき、被告人がまだ開けられていない缶詰を指さして「私が買った物もあります」と言ったが、もしも中身が大麻であることを知っていたならばこのような発言をするはずはないと反論した(趣意書10頁)。

原判決は、「確かに、予期に反する出来事に対する人間の反応は千差万別である」と前置きだけして、1審判決の説明を繰り返す。当初から自分の物であると何度も言っていた缶詰から不審な物が発見されたのであるから「何らかの合理的な説明をしなければ嫌疑を免れない立場にあるとわかったはずである」にもかかわらず、「驚いた様子を見せず、中身を知らなかったことを弁明することもないまま逮捕に応じている」のは、「缶詰の中身について知っていたことを推認させる事情である」と(原判決8頁)。原判決が認めるように、予想外の出来事に対する人の反応は千差万別である。驚きのあまり何も言えなくなってしまうことはありがちな一つの反応である。その場で即座に「合理的な説明」ができなかったとして、これを故意の証拠というのは、あまりにも一面的な評価ではないだろうか。

控訴趣意書のなかで、弁護人は、被告人がこのときまだ開けられていない缶詰を指さして、「買った物もあります」と言った事実を指摘し、中身が大麻だと知っていたら「自分が買った物」などとは言わないはずではないかと疑問を提起した。この疑問に対して、原判決は「それまでの発言が全部うそであると認めることができずに、そのように発言してしまったとみることもできる」という(原判決8頁)。しかし、缶詰が次々に開けられ、いま指さしている缶詰もじきに開けられてしまうのはわかりきっている。そうであるにもかかわらず、それが「自分が買った物」というのは、そこに大麻があることを知っているならば決してするはずがない発言ではないか。むしろ、まだ開けられていない缶詰を指して「私が買った物」と言うその態度には、「その缶詰からは食材が出てくるはずである」という含意があるのであり、その態度こそ「私は知らない」という、嫌疑を晴らすための「合理的な説明」そのものということができる。

そして次に、缶詰から取り出された葉っぱが何かと問われて、被告人が「ソフトドラッグ」「大麻」と答えたことについてである。一審判決は、この発言を抜き出して、「内容物が大麻であることを示唆するような発言さえしていることからすれば、被告人が缶詰の内容物が大麻であるとの認識を有していたものと推認できる」と言った(1審判決4頁)。
弁護人は、控訴趣意書のなかで、被告人がこの発言をするに至った経緯を述べて、缶詰から出てきた葉っぱのようなものを示され、違法薬物の写真やリストなども示されて、「何だと思いますか」と尋ねられたときにそう答えたものであり、当初から中身が大麻であったことを示すものではないことは明らかだと説明した(趣意書11頁)。

これに対して原判決は、被告人が「オランダではソフトドラッグは合法だと聞いている」と答え、更に「例えば何ですか」と質問されて「大麻とか」と答えているのであるから、「缶詰の中身を知っていたことを推認させる事情」であるということができるという(原判決8頁)われわれにはこの文章の意味が理解できない。缶詰が開けられる前にこのような発言がなされたならそれは「缶詰の中身を知っていたことを推認させる事情」と言えるのかもしれないが、缶詰の中身が外に出された揚句、違法薬物のリストを見せられてから「何か」と問われ、「ソフトドラッグ」「例えば大麻」と答えたのである。どうしてこれが中身を知っていた証拠になるのだろうか。被告人は、税関職員からさまざまなヒントを示されながらしつこく何かと尋ねられるので、推測を述べたにすぎない。そう考えるのが自然であろう。

控訴趣意書の中で指摘したように、税関検査の際の被告人の言動は、彼女が缶詰の中身が大麻だったことを示すものではない。むしろ、それは、彼女がそれを正真正銘の缶詰だったと信じていたことを物語っているのである。

3 平成17年11月から平成18年4月にかけて5回ベルギーに渡航し、同様の缶詰を持ち帰っていること
千葉地裁は「被告人はこれまでチャールズに頼まれて5回渡航し本件缶詰と同じ様な缶詰を持ち帰りチャールズに渡していること」を有罪認定の根拠の一つにしている(1審判決5頁)。これに対して控訴趣意書は次のように反論している。

これは明らかにおかしい。5回の渡航の際に彼女が持ち帰った缶詰の中身が大麻であったという証拠はどこにもないからである。このことが証明されない限り、この「過去の悪事による故意の認定」という性格証拠禁止の例外(最3小決昭41・11・22刑集20-9-1035)はありえない。
***ところで過去5回の渡航の際にも同じような缶詰をチャールズの友人から渡され、それをスーツケースに入れて帰国し、チャールズに渡したという事実を証明する証拠は金井さん自身の供述以外にはない。もしも、彼女が缶詰の中身が大麻であることを知っていたとしたら、彼女は進んでこの話をするだろうか。決してしないだろう。彼女は、缶詰の中身がアフリカンフードだと思っていた。そう信じて疑わなかった。だからこそ、彼女は税関職員や警察官に、以前にも同じような缶詰を渡されたことがあると進んで話したのである(控訴趣意書12頁)。

原判決は、これに対して、次項で述べるチャールズとのメールのやり取りを引用して「缶詰の持ち帰り以外に、被告人がチャールズから依頼されて、1年足らずの間に6回もベルギーと日本を往復する理由は見当たらない」と述べるだけである(原判決9頁)。もう一度整理しておくと、弁護人は、

(1)過去5回の渡航歴を故意の認定の根拠とするためには、その際に持ち帰った缶詰の中に大麻が入っていたことが証明されていなければならないはずであるが、その証拠はどこにあるのか。

(2)過去にも缶詰を持って来たことがあるというのは被告人の供述で初めて明らかにされ、他にその証拠はないのだが、缶詰の中身が大麻であることを知っていたならば、彼女がわざわざ「以前にも同じ缶詰を持って帰った」と言う訳はないのではないか。そして、

(3)彼女が自分から進んでこれを言ったということは、缶詰の中身が本当に食品だと信じていたからではないか。

という3つの疑問を提起したのである。この重大な疑問点に原判決は何一つ答えてない。これらの疑問は、被告人を有罪とすることに対する合理的な疑問である。原判決がこの疑問を解消することなく被告人を有罪としたのは、この刑事裁判の鉄則を無視するものである。

4 平成18年3月ベルギー渡航の前日にチャールズから「感謝のメール」を受け取ったこと
千葉地裁判決は、チャールズが2006年3月21日に被告人に送信した次の電子メールを取り上げて、被告人が薬物の運び屋として「大きいバッグを運搬することを感謝する趣旨」であると決めつけた(1審判決5頁)。

thanks for coming today. you made my work very easy for me. thanks a lot. i know it is not easy to go and come back and carry big bag. i am so sorry. i hope to see you genki when you come back. take care.
(訳文)今日は来てくれてありがとう。おかげでうまく行った。本当にありがとう。行ったり来たりしたり、重いかばんを持ち歩くってのは大変だね。申し訳ない。また元気な君に逢いたい。気をつけて。

弁護人は控訴趣意書において次のように1審判決を批判した。
チャールズからはこのメールの前に「カメラはどこで買えるかな?」「今、終わった。カメラを欲しがっている友達には話していないんだ」「いま、池袋にいます」「待ってます」というメールが送信されている。そうすると、この感謝メールは、彼がカメラを買うのに彼女が付き合い、その過程であちらこちら行き来したり、かばんを持って歩いていた状況があった、このようなことにつき合わせて申し訳ない、というメールであった可能性が十分にある。

この1片の曖昧なメールを、大麻の「運び屋」をやってくれたお礼のメールだと決め付ける原審裁判官の想像力は非常に偏っている。言い換えれば、原審裁判官は木村さんを有罪と決め付け、「何か有罪の証拠はないのか」という姿勢で証拠を評価しているのである(控訴趣意書13頁)。

さて、この批判に原判決はどう答えたか。原判決はこの批判に対してもまともに答えていない。原判決は、携行品検査の際の被告人の態度、そして、短期間に5回もベルギーに渡航していることをここでも繰り返し指摘して、次項で述べる「缶詰の処分」のメールに言及して、「大麻の隠匿された缶詰を運ぶことについて感謝する内容のメール」であると決めつけるのである(原判決9頁)。

この日チャールズからは、このメールを含めて6通のメールが届いている。順番に並べると次の通りである。

10時59分25秒:「元気?午後4時ころには終わる。昼休みが取れたら電話します。彼らは野球をしているの?」
11時01分42秒:「カメラはどこで買える?」
16時14分59秒:「いま終わった。カメラを欲しがっている友達にはまだ話してない。外に出たら君に電話します。」
18時52分41秒:「いま池袋です。気をつけて。」
18時57分48秒:「はい、待ってます。あわてなくて良いよ。」

このあと、21時20分26秒に前記の「今日は来てくれてありがとう」で始まるメールが届くのである。この経過からすると、このメールは、被告人が池袋まで来て、カメラを買うことにつきあってくれたことに対する感謝のメールと考えるのが自然ではないだろうか。そうすると、「大きいバッグ」というのもこの買い物に関するものと考えられるのである。買い物に付き添ったお礼のついでに「大麻の運び屋」をしてくれたお礼をするというのは不自然な話である。

5 平成18年5月頃缶詰の処分についてチャールズとメールを交わしていること
2006年5月2日にチャールズから被告人あてに"Please can you do me a favour by going to ikebukuro tomorrow around 7 pm to give my friend 2 cans of the juice. peach is ok."(「明日午後7時ころ池袋に行って、私の友達にジュースを2缶渡してくれないか。ピーチが良い」)というメールが送られている。千葉地裁判決は、これを根拠に「チャールズの意を受けて[大麻入りの]缶詰を運搬」したと認定している。弁護人は控訴趣意書のなかで「この記載から、彼女が缶詰の中に大麻が入っているのを知りながら『運び屋』としてこれを池袋に運搬したと認定するのは強引過ぎる。フルーツやジュースの缶詰の中から、友達がピーチのジュースを欲しがっているので、僕の代りに渡して欲しい、という趣旨のメールであるに過ぎない。」と述べた。そして、次の疑問を提起した。
「ピーチが良い」(peach is ok)と言うのは、もしも缶詰の中身が全て大麻であることを金井さんが知っているのだとしたら全く意味のない表現である。チャールズが「ピーチが良い」と言ったのは、少なくとも彼は彼女に対して、缶詰はラベルごとに中身が違うという前提で話しをしていること――より端的に言えば、彼女に対して中身が大麻であることを隠していたこと――を示しているのである。
原判決は、この疑問を黙殺した。

千葉地裁判決は、また、5月20日付の次のメールを根拠に被告人が「[大麻入りの]缶詰の譲渡について意見を述べていた」と認定した。すなわち、

Thanks for your advice today. I was thinking about that guy before you called, just that I promised that guy that I will give him the remaining cans for cheap price.
(訳文)今日は助言をありがとう。あなたが電話をくれる前に、あの男のことを考えていました。彼に残りの缶詰を安い値段で譲ることを約束したばかりだったんです。

控訴趣意書で弁護人は、このメールが、被告人の「あなたが帰って欲しいというのであれば、私はいつでも戻ります。大丈夫ですか。何かあったんですか」というメールに対する返信であることを指摘して、このメールにいう「アドバイス」というのは缶詰の譲渡に関するものではなく、ナイジェリアに滞在するチャールズに代わって千葉の保税蔵置場にある荷物を被告人がとりに行く提案をしたことを意味するのだという被告人の公判供述(被告人質問・記録137~138頁)が裏付けられるのだと指摘した。後段の「安い値段」云々の部分も、要するに、ナイジェリアにいる彼に代って、売った缶詰を渡してくれないかという単純なお願いがなされているのであって、缶詰の処分について彼女が意見を言ったなどということではないと、弁護人は具体的に説明したのである(控訴趣意書14頁)。
これに対する原判決の応答はどうか。前段の指摘については黙殺。そして、後段の指摘については一言「フルーツ等の缶詰を安い値段で譲渡することなどを交際相手の男性からメールで依頼されるというのは不自然である」というだけである(原判決9頁)。チャールズはこのメールで「譲渡」を依頼しているのではない。譲渡の約束をしたが、自分がナイジェリアにいるため渡せない、と言っているのである。言外に「自分に代わって持って行ってくれないか」という依頼が含まれているが、どうしてこれが「不自然」なのだろうか。われわれは携帯電話のメールで様々なやり取りや依頼をする。交際相手にメールで頼むことについて、どんな依頼が自然でどんな依頼が不自然なのか。われわれには原審裁判官の基準が理解できない。

6 原審弁護人が指摘した被告人に有利な情況証拠について
さて、原審で弁護人が指摘したように、本件には被告人に有利な多数の状況証拠が存在する。
まず第1に、被告人が大麻の密輸にかかわったことを示す客観的な証拠はまったくない。被告人の自宅からも何らの証拠も発見されなかった。それから、本件の缶詰については指紋掌紋が採取されたが、被告人の指紋も掌紋も検出されていない。

第2に、被告人が大麻密輸というような犯罪組織にかかわっていることを示す状況証拠もない。被告人が大金を手に入れたり、派手な生活をしているという証拠もない。むしろ被告人は勤勉な学生生活を送り、一生懸命に就職活動をしていたのである。

第3に、チャールズは被告人に対して様々な嘘をついていた。アメリカ国籍の軍人というのも嘘であり、独身というのも嘘であり、軍をやめて会社勤めをしているというのも嘘であった。チャールズはこれらの嘘を見破られないように様々な工作をしているのである。先ほどのメールにもあったように「4時ころに終わる」とか「昼休みが取れたら」などという何気ない表現も、彼が会社勤めしていると被告人に信じ込ませるための工作の一つなのである。被告人はチャールズの嘘を何一つ見破ることができなかったのである。どうして、「缶詰の中身」についてだけ、チャールズが本当のことを言ったと言えるのか。

第4に、被告人は、非常に熱心に勉学に励み、就職活動をしていた。そして、念願かなって物流会社の総合職の内定を得た。そのような彼女がどうして、大麻の運び屋になんかなるだろうか。被告人は、卒業ぎりぎりに内定を辞退した。そして、その理由について、ゼミの恩師や友人などに対して「友人とビジネスを始めた」「輸入業をしている」と報告しているが、これは彼女の本心からの説明であるといえるのではないか。

これらの情況証拠について原判決は何の反論もしていない。無視するだけである。そして一言、「[チャールズと]親密に交際しており、そのような関係にある者のためであれば、本件のような犯行に関与することも考えられないことではない」と言う(10頁)。「考えられないことではない」。確かに。想像はいくらでもできる。問題は、提出された証拠がその想像を裏付けているかどうかである。問題は、「本件のような犯行」に関与したと考える以外の想像が否定されるのかどうかである。

この国の刑事裁判では、被告人は自分が無実であることを証明しなくても良いはずである。被告人を犯罪者であると訴えている当事者である検察官の方が被告人の有罪であることを合理的な疑いを容れない程度に証明しない限り、被告人は無罪とされなければならないはずである。もしも、「被告人が犯行に関与することも考えられないことではない」という裁判官の想像力をも否定することに成功しない限り無罪判決を得ることができないのだとしたら、一度起訴された被告人にはもはや希望はない。しかし、それは被告人という一個人の希望を吹き消すだけではない。そのような刑事裁判が続けられ、最高裁もそれを是認するのであれば、もはやこの国の刑事裁判は信ずるに足りない。
この国の刑事裁判に希望はあるのか。
もちろん、ある。われわれはそれを信じているからこそ、上告したのである。

付属資料
横浜市立大学商学部経営学科、柴田典子ゼミ同窓生の上申書 14通

以上

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