毎日新聞 1977年(昭和52年)9月14日 5面「記者の目」
関 元(編集委員)
重罪扱い 厳しい日本
全米委員会の報告(「マリファナ―誤解のしるし」)―習慣性・禁断症状なし、犯罪誘発の危険少ない―大統領も刑罰緩和を呼掛け
マリファナ(大麻)で挙げられた井上陽水は警察にとって金星か、マスコミにとって堕ちた天使か、ファンにとって殉教者か。彼がそれらのいずれにもならぬことを願いたい。いまどき有名スターがマリファナで捕まって全国的なスキャンダルになるのは世界広しといえども日本ぐらいのものだ。たかがマリファナぐらいで目くじら立てて、その犯人を刑務所にやるような法律は早く改めたほうがいい。
陽水は「自分は酒が飲めないので、くつろぐためにマリファナを吸った」と自供したそうだ。それが、わが毎日新聞を含め日本のマスコミでは極悪犯人扱いである。マリファナはそんなに悪いものか。陶酔感を求めて酒の代わりにヘロインや覚せい剤を乱用すればたちまち身体的依存(習慣性)にとりつかれ、すさまじい禁断症状を呈し、犯罪を誘発し、やがては廃人になったり死んだりして本人にも社会にも不幸をもたらすから、乱用はいけませんというのは常識である。だがマリファナは身体的依存をともなわず、それがもたらす陶酔感も悪影響もともにマイルド(おだやか)だというのが世界的な常識になりつつある。全体主義国はいざ知らず、この常識が政府とマスコミによって真っ向から否定されているのが日本だ。
マリファナに関し、今までに行われたおそらく最も包括的な調査研究はマリファナおよび薬物乱用に関する全米委員会(委員長・シェーファー元ペンシルベニア州知事)が1972年に出した報告である。米大統領と議会によって設置されたこの委員会はスタッフ70人、委託研究者に医師、心理学者、法律家ら80人を使い、米国民を対象にマリファナに多角的なメスを入れた。その要点は次のようなものである。
一、マリファナの酔い心地(マリファナは、その花や葉を刻んで普通は紙でシガレットのように巻き、火をつけて煙を吸い込む)=少ない摂取量なら、まず愉快になり、うっとりして屈託を忘れてくつろぎ、さわる、見る、においをかぐ、味わう、音を聴くなどの感覚が鋭くなり、空腹感を覚える。吸い過ぎるとひとや物がゆがんで見え、感覚的、精神的幻覚が起こる。しかしマリファナが原因の精神異常のケースはほとんどない。
一、短期的影響=相当多量のマリファナを一日一回ないし数回与えて21日間、人体実験をしたところでは、身体機能、運動機能、個人的、社会的態度、作業状態に有害な効果はみられなかった。被験者は一様に体重が増えた。身体的依存や禁断症状の証拠は認められなかった。耐性は脈搏など身体機能、時間推定、射撃など知覚運動機能に関しては現れたが、酩酊に関しては現れなかった。
一、長期的影響=適度の吸い方なら器官損傷はなかろうが、情緒不安定な人間は生活態度に影響を受けるかもしれない。大量に吸い続ければ心理的依存が強まり、生活態度に変化を生じ、また肺機能減退など器官損傷の可能性がある。
報告はこの他、マリファナが生命とりになる、各種犯罪を誘発する、性的退廃をもたらす、生殖機能を阻害する、ヘロインなど一層危険な麻薬乱用に至る、などの俗説を根拠なしと否定し、結局政府に対し「マリファナを法律上、麻薬扱いしない。個人的にマリファナを所持し、吸っても罪にしない。ただし売るためにマリファナを栽培、所持した場合は従来通り犯罪とする」ことを勧告した。
この結果、米国ではオレゴンやカリフォルニア州は、すでにマリファナ使用に対する実刑を廃止し、カーター大統領もことし8月2日の麻薬教書で、5年前のこの報告の「基本的な勧告を実施すべき時である」として、(1)一オンス以下のマリファナ所持には実刑を廃止して罰金刑のみとする (2)しかしこれらは合法化ではなく密売は引続き犯罪扱いする―よう連邦法を改正することを議会に求めた。
先入観に立脚 日本の取締り
これに対し、井上陽水を捕えた警視庁の河越保安二課長は「マリファナを常用すると慢性中毒になって早発性痴呆症になる」と信じている。また厚生省麻薬課が去年出したパンフレット『大麻』には「マリファナを吸えば狂乱し、挑発的、暴力的となる…急性中毒による死亡報告がある…慢性中毒の症状としては多彩なる精神異常発現作用、長期常用による人格水準の低下がある」と書いてある。このパンフレットは全米委員会の報告の趣旨はほとんど無視し、日本内外のマリファナに関する極端に否定的な報告例を断片的に集めたに過ぎない。全米委員会報告が短期的な人体実験および2年から17年に及ぶマリファナ常用者観察例に基づいているのに反し、厚生省は人体実験をしたことが全然ない。
従って日本のマリファナ取締りは科学的というよりタブーめいた先入観に立脚しているが、河越課長は「マリファナはひと握りの隠れた愛好家が吸っている程度で、覚せい剤犯と違って彼らは他の犯罪に走らず、社会に迷惑をかけてもおらず、暴力団の資金源になってもいない」とみて、日本の大麻取締法が所持に5年以下、密売に7年以下の懲役刑を定めながら罰金規定を欠いているのは「意外と重いねえ」と感じている。
しかし取締りの「主管」を自認する厚生省麻薬課の山田課長は「わが国のマリファナ事犯は増えており(昨年で900人を送検)アメリカがマリファナに甘いのはヘロイン取締りに追われてマリファナにはもうお手上げの状態だから」と主張する。確かにカーター教書によれば全米人口2億人中、マリファナ経験者は4千5百万人で彼らを刑務所に送るのは不可能である。そのうち常用者は千百万人にのぼる。ではその千百万人は日本の当局のいうように、やがて「早発性痴呆症」や「人格水準の低下」を来すのだろうか?
大麻取締法は米の押付けだ
井上陽水は「アメリカでマリファナの味を覚えた」と自供したそうだが、マリファナを吸うことも、それに対するタブー意識も、第二次世界大戦後アメリカから日本へ直輸入されたものである。大麻取締法がまさにその象徴だ。これは米占領軍が日本に強制したポツダム政令をそのまま法律化して今日まで続けてきたものだ。
敗戦まで日本でマリファナには何の規制もなかったが、全国に野生し、また栽培されてきた大麻、つまりマリファナを日本人は麻酔剤や下剤に古くから利用し、日本薬局方にも「印度大麻草エキス」は鎮静、催眠剤として収められていた。日本産のマリファナは陶酔物質THC(テトラハイドロカナビノール)含有量が少ないといわれているが、その国産マリファナを日本人が古くから快楽のために使っていた可能性は否定できない。それにだれも目くじらを立てなかっただけの話だ。それは現代において、バナナの皮を乾かして火をつけて吸うとあやしい気分になるからといってバナナを禁制品にしろとだれもいわないのと、多分似たようなことだったろう。
さて、なぜアメリカ人はマリファナを目のカタキにし出したか。「マリファナ」とは中南米に発生したスペイン語だ。これはアラビア語では「ハシシ」といい、それが英、伊、仏、西各国語で「暗殺者」を意味する「アサシン」などの語源となったように、キリスト教世界には昔、十字軍がマリファナを使うアラブのゲリラ戦術にひどい目にあわされた歴史的背景がある。そしてアメリカの中西部にはマリファナが大量に野生し、農民から「ロコ・ウィード(気違い草)」と呼ばれていたが、これを吸う習慣が持ち込まれたのは、全米委員会報告によれば、今世紀はじめごろ、メキシコ移民とジャマイカ移民によってであった。禁酒法を実施(1920~33年)させたアメリカ人の清教徒的ヒステリーがビール好きのドイツ人やウイスキー好きのアイルランド人ら新移民への嫌悪感と結びついていたように、米国民は後の新移民への嫌悪の象徴としてマリファナをやり玉にあげ、1937年、連邦法によって禁止した。
ではなぜアメリカ人はいまや多分、世界一のマリファナ愛好者となったか? それが反体制のシンボルとなったからだ。1950年代にめい想とジャズにふけったいわゆるビート派がマリファナ公然化の先頭に立った。十年後、ベトナム戦争が激化し、アメリカの若者は戦争を憎み、管理社会をきらい、親どもの偽善と物質主義とカクテル・パーティーのわい雑さをさげすみ、繁栄と死の影の下で対抗文化をはびこらせ、その象徴にマリファナをすえた。
60年代のアメリカの若者の旗手ボブ・ディランは歌った。「車に乗っては石ぶつけられ、ギターひいては石ぶつけられ、イエス、だがオレはそんなに寂しくないぜ、みんな石ぶつけられなきゃならないぜ」―「石ぶつけられる」にはアメリカの俗語で「麻薬(主にマリファナ)をやる」の意味がある。だからこの歌は、俗物どもに迫害されても、仲間同士でマリファナに酔って対抗しようという反俗宣言だった。アメリカの大人がマリファナを毛ぎらいするほど、その息子と娘たちはわざといやがらせに吸いまくった。そのころのニューヨーク・タイムスにある学生はこう語った。「中毒しないし、酒より安いし、酔い心地もいい。酒に酔えば自分をコントロールできなくなるが、マリファナに酔ってもコントロールを保てる。二日酔いにもならない」
いま米国では 大人も堂々と
アメリカの若者は大人にマリファナ戦争を仕掛けて勝った。マリファナはアメリカでもはや若者の独占物ではもちろんない。いまのアメリカで、きちんとした、だがちょっとさばけた大人のパーティーで女主人は客にこうたずねる。「お飲みになる?それとも、お吸いになる?」―もちろん、酒かマリファナかを、だ。
マリファナをめぐってアメリカはずい分大騒ぎしたあげく、やっと個人使用への実刑撤廃という大統領提案にこぎつけた。その理由をカーター氏は「個人が薬を所持していることに対する罰則は、その個人がその薬を使ってこうむる損害を上回ってはならない」といっている。要するにたかがマリファナを吸ったぐらいで刑務所に送ってはならない、ということだ。
日本の当局がこのカーターさんの言葉をよくかみしめて、大麻法を同様に改正しても、対米追随にはならない。なぜならそもそもマリファナに対する過剰反応こそ、敗戦によるアメリカの押しつけだったのだから。
1977年、約30年も前の時点でこのような論説が毎日新聞に出ていたことを思うと、大麻についてのマスコミの報道は、寧ろ後退してしまっているのではないでしょうか。タブー視されている感がある。反面、麻の実の食糧としての価値は、マスコミでも近年見直されつつあるように感じられます。これもその方面で尽力されてきた方たちの存在があったからで、黙っていたら麻の実の価値がひとりでに見直されてきたわけではないでしょう。医療用途についても、産業的な利用価値についても、嗜好目的についても、同じ流れにあるだろうと感じています。
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