薬物の使用開始を思いとどまらせたり中止させるためには、教育現場での麻薬教育が重要な位置を占める。この教育的予防プログラムは、対象者の薬物の使用状況から一般に次の3つに分類されている。
まず第1の予防教育、一般に一次予防(primary prevention)あるいは全般的予防(universal prevention)と呼ばれている段階では、未使用者を対象として教育によって薬物の未使用、あるいは不使用をそのまま継続させることを目標としている。
次に麻薬の使用を既に開始しているがまだ常用していない者、あるいは未だ使用者自身にさほどの害を与えていないレベルでの使用にとどまっている者には、使用にあたっての害を最小化したり使用を中止させることに焦点を置いた二次予防(secondary prevention)あるいは選択的予防(selective prevention)と呼ばれる予防教育が行われる。
さらに麻薬の使用が進み、既に使用者に一定の害を及ぼしていたり中毒になっているものには、三次予防(tertiary prevention)あるいは指示的予防(indicated prevention)と呼ばれる一般に中毒治療におけるカウンセリングが行われることになる[1] 。
アメリカの教育現場では、この一次、二次予防の実践は、政府からの資金援助を受けているDARE(Drug Abuse Resistance Education)が長年その役割を担ってきた。
DAREはもともと1983年にロサンゼルス市警と学校が協力して開始したプログラムで、5年生、6年生を対象に、毎週制服警官が学校に呼ばれ子供達に麻薬の危険性を教え、自尊心の育成と友人、大人からの麻薬使用の誘いへの断り方(peer pressure resistance skills)を身に付けさせるための講義が行われる。
現在、年間推定10億ドルから13億ドルの資金が使われ、全米のおよそ7割の学校で広く実施されているプログラムである[2]。
しかしおよそ20年近い歴史を持つDAREプログラムではあるが、このプログラムにはいくつかの科学的調査がその効果に疑問を投げ掛けている。
アメリカの会計検査院(General Accounting Office)が2003年に発表したケンタッキー、コロラド、イリノイ州での調査によれば、DAREのプログラムを受けた生徒は、受講後1年間は非合法麻薬の使用に対して否定的な印象を維持しておりその一定の効果が認められているが、2年、5年、10年の追跡調査では、DAREを受講した生徒と受講していない生徒の間での非合法麻薬の使用状況には差がみられず、その長期的効果がほとんどないことが明らかとなっている[3]。
またそもそもこの20年間でアメリカ国内の若者の薬物使用は一向に減少しておらず、費用対効果という観点から2000年にはソルトレイクシティがDAREプログラムを中止している[4]。
ではこのDAREの失敗の原因はどこにあるのか。
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[1] Marlatt, G.Alan, Weingardt, Kenneth R."Harm Reduciton and Public Policy "in
Marlatt, G.Alan (ed.) (1998) Harm Reduction: Pragmatic Strategies for Managing
High-Risk Behaviors, New York and London; The Guilford Press, p.365.
[2] Kalishman, Ariel (April 2003) D.A.R.E. Fact Sheet, Drug Policy Alliance, [http://www.dpf.org/library/factsheets/dare/index.cfm].
[3] General Accounting Office(Jan 16, 2003)Youth Illicit Drug Use Prevention: DARE Long-Term Evaluations and Federal Efforts to Identify Effective Programs,[www.gao.gov/cgi-bin/getrpt?GAO-03-172R],pp.5-7.
[4] Eyle, Alexandra,"An Interview with Salt Lake City Mayor Ross C. Rocky Anderson by Alexandra Eyle"in The Reconsider Quarterly Winter 2001-2002 Vol.1 No.4, pp.12-13.
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はじめに
麻薬の消費という社会現象は供給と需要の両者によって成立している。
どれだけ内外で供給対策を実施しても、需要が無くならない限りマーケットは存続し、供給側に麻薬の生産と密輸を行う経済的誘因を残す。
現行の禁止政策においてこの需要対策で中心的位置を占めるのは、取締りによる使用者への懲罰の他に、未だ薬物の使用を開始していない未成年者に対する予防教育と、既に薬物の使用を開始している者への治療プログラムである。
本章では、これら現行政策下での需要対策の具体的実施状況と問題点を分析し、ハームリダクションの視点からどのようなオールタナティブな麻薬政策が需要削減という観点から可能であるかを検討する。
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前回の「疑わしきは実刑」に、fuck you bitch!と書きましたが。
いくらなんでも下品じゃない?
というご指摘を頂きました。
すいません。英語、よく分かんないもんですから。
取り消しませんが削除しました。
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中国から健康食品などの商品を持ってきてほしいと騙されて、大麻密輸の運び屋をやさられ、何も知らずに税関で捕まり、6回の公判が開かれた一審では無罪だったのに、検察が控訴し、2審では1回の公判しか開かれず、検察からは全く新しい証拠も示されなかったのに、逆転有罪で懲役3年6月・罰金70万円の有罪判決を受けた、Tさん。
最高裁に上告しましたが、信じ難いことに、有罪実刑が確定しました。
事件の概要を示す上告趣意書を掲載します。
現在、Tさんは、騙されて大麻を持ち込んだだけなのに、3年半の服役、懲役刑の収監待ちです。受刑者が多くて刑務所に入るのも順番待ちだそうです。
一般の国民が漠然と思っているほど、日本の裁判所は公平でも正義でありません。
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平成19年(あ)第983号
被告人 T
上告趣意書
掲記の被告人に対する大麻取締法違反・関税法違反被告事件について、上告の趣意は下記のとおりである。
平成19年9月12日
弁護人 安武雄一郎
最高裁判所第三小法廷 御中
記
第1 上告申立の趣旨
1 本件の第一審(福岡地方裁判所)は、本件公訴事実について犯罪の証明がない(全証拠によっても合理的な疑いが残る)として、被告人に無罪を言い渡したが、原審(第二審・福岡高等裁判所)は、第一審の判断は誤っており、被告人が本件公訴事実にかかる犯罪を行ったことは明らかであるとして、これを破棄し、被告人に懲役3年6月および罰金70万円の実刑判決を言い渡した。
2 しかしながら、原判決には、次項に論ずる憲法違反(刑事訴訟法405条1号の上告理由)があるから、破棄を免れない。
3 かりに、原判決に掲記の憲法違反が認められないとしても、その他にも第3項ないし第5項記載の判決に影響を及ぼすべき訴訟手続の法令違反・判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認・刑の量定の甚しい不当(刑事訴訟法411条1ないし3号の職権破棄理由)が各存在するところ、これを破棄しなければ著しく正義に反することになるから、原判決を職権で破棄するのが相当である。
第2 憲法違反(上告理由)
1 序論
原判決には、次のとおり憲法31条が定める適正手続の保障(デュー・プロセス)および同法37条1項が定める裁判を受ける権利に違反する重大な違法があるので、明らかに破棄を免れない。
2 適正手続の保障違反
(1)原審は、第1回公判期日(平成19年3月13日)において、検察官の控訴趣意書、弁護人の答弁書を各陳述のうえ、検察官が追加請求した各証拠(書証)の取り調べを行ったが、他方、弁護人が請求した証人2名の事実取り調べ(証人尋問)を却下し、検察官と弁護人の双方から申請された被告人質問(わずか30ないし40分)のみ実施し、次回を判決期日と指定して直ちに結審した。そこで、弁護人は、期日間の同年4月10日付けで弁論の再開申立を行い、あらためて元相被告人K新二郎(以下「K」という。)の証人尋問を事実取り調べ請求した。ところが、原審は、同月27日の第2回公判期日において、弁論再開申立を却下し、被告人に逆転有罪判決を言い渡した。
(2)この点、そもそも司法統計上の有罪率が99パーセントをはるかに超えている現在の刑事裁判において、一審無罪で検察官控訴された事件は、それ自体が極めて稀である。しかも、本件において、検察官は、事実誤認の控訴理由を展開しているのであるから、当然ながら、控訴審においても、単に事後審として一審判決の当・不当を論ずるのみならず、本件公訴事実について検察官による犯罪の証明が充分にされているか、念には念を入れてあらゆる観点から検討すべきことは、至極当然であるといわねばならない。
(3)しかるに、原審は、上記のとおり、実質的な証拠調べとして被告人質問しか行わずに、一審とは正反対の逆転有罪の結論を導いた。ここで、原審で検察官が新規に提出した追加書証が有罪認定の証拠として全く用いられていないことが原判決の判決理由から読み取れるが、ということは、原審は、基本的に第一審の証拠のみで被告人の有罪を認定したものと断言できる。控訴審の公判が始まる前から、第一審の記録を読んだ原審裁判体が、事実取り調べを行わずとも被告人の有罪は認定できるという予断と偏見を抱いていなければ、事実誤認が争われている控訴審で、しかも検察官控訴の事件で、被告人質問のみ実施して一回結審ということは、およそあり得ないからである。従って、第一審で無罪判決を受けた被告人としては、控訴審で実質的な証拠調べが行われないままに、わずか30ないし40分の公判廷、しかも一回結審により逆転の有罪判決、しかも実刑となったのであるから、「意外」を突き抜けて「唖然」としたというほかなく、まさに「不意打ち」「だまし討ち」の言葉が相応しい「不当」判決が下されたのである。
(4)このように、原審は、およそ被告人の主張が充分に汲み取られ、その人権保障のための充分な弁護を行い得る場が設定されたとは全く評価できない訴訟指揮を行ったもので、被告人の防御権が最大限に尽くされたとは言い難い拙速な審理経過をたどったものである。従って、原審が稚拙な訴訟指揮を行い、被告人の防御権・弁護人の弁護権を正面から侵害したということは、審理不尽という単なる訴訟手続の法令違反の領域をはるかに超え、憲法31条が定めるデュー・プロセス(適正手続の保障)および同法37条が定める正当な裁判を受ける権利を直接に侵害したことにほかならない。そして、これが判決に影響を与える重大な違法であることはいうまでもないから、明白な上告理由となる。
3 結 論
以上から、原判決には憲法違反という明らかな上告理由があるので、直ちに破棄されるべきである。
第3 判決に影響を及ぼすべき訴訟手続の法令違反(職権破棄事由)
1 序論
かりに、原判決に憲法違反が認められないとしても、次のとおり、原判決には、明白な審理不尽という判決に影響を及ぼすべき訴訟手続の法令違反があり、これを破棄しなければ著しく正義に反することになるから、刑事訴訟法411条1号に基づき、職権でこれを破棄すべきである。
2 審理不尽を基礎づける事情
(1)上記のとおり、本件は第一審無罪の検察官控訴事件であり、司法統計上も極めて稀な部類に属するから、控訴審においては、通常の被告人控訴事件以上に慎重に審理を尽くし、第一審判決に誤謬がないかを詳細かつ丹念に検討する姿勢が必要であることはいうまでもない。
(2)この点、第2項の憲法違反の項目でも指摘したとおり、原審がわずか一回の公判を開いたのみで結審し、それも30ないし40分という短時間の被告人質問しか行わず、第一審の判断を正反対に覆して有罪判決を言い渡したことは、これが憲法違反と評価できないとしても、明らかな審理不尽という著しく不正義な刑事訴訟手続上の法令違反となるもので、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。
(3)後述のとおり、本件の最大の争点は、被告人に大麻密輸の認識すなわち故意があったかであるが、この判断要素となるべき具体的事情は、本件が違法薬物の密輸入という事案であり、被告人が渡航先の香港・深センから帰国到着したばかりの福岡空港の税関で身柄を拘束されたことに鑑みれば、被告人が香港・深センでいかなる行動に出ていたのかに密接に関連することになる。すなわち、被告人が外国から日本に運ぼうとしている物品が大麻などの違法薬物であるのか認識し得る素材となるべき事情は、本件においては、まさに被告人の渡航先のみに存在するのであって、渡航先における被告人の行動を解明しない限り、被告人に大麻密輸の故意が存在するか否かの判断は不可能だからである。
(4)第一審は、被告人と連れ立って帰国した元相被告人緒方猛(以下「緒方」という。)およびKの証人尋問は実施したものの、被告人が香港・深センで接触した宮崎こと藤井文春(以下「藤井」という。)については、同人が被告人らより後に帰国した後、成田空港の税関において大麻取締法違反の容疑で身柄を拘束され、身柄を福岡に移送された後、福岡県警および福岡地方検察庁の取り調べを受けているにも関わらず(藤井の検察官調書(検甲52号証)の記載から明らかである)、同人の直接の証人尋問は実施されていない。同人の証人尋問については、第一審においては検察官・弁護人のいずれからも証拠調べ請求がされなかったようであるが、実体的真実の発見という刑事裁判の根本理念からすれば、同人を公判廷において直接に尋問し、被告人との接触の過程において同人の香港・深センにおける行動をより詳らかにしてこそ、被告人の大麻密輸の認識の有無が判断できることになる。しかも、藤井は身柄を拘束されており、実際に証人尋問を行うことは極めて容易であった。しかるに、この点が欠落した第一審・原審の訴訟手続は、明らかな審理不尽といわねばならない。
(5)さらに、被告人に香港・深センへの渡航を持ちかけた親戚(被告人の実父の従兄弟)の花房康弘(以下「花房」という。)とのやりとり(被告人は、渡航前に花房と直接に会って話をしている)についても、被告人が違法薬物を日本に持ち帰る仕事を請け負ったか否か、すなわち違法薬物を運ばされていることを想定することができたかという被告人の認識(内心状態)を解明する大きな事情となるところ、この花房については、行方不明になったという事情はあったにせよ、供述調書が一切なく、無論、公判廷での証人尋問も実施されていない。花房が、被告人の請け負った仕事の仲介者的役割を果たしたことは明らかであるから、実体的真実の発見の観点からすれば、やはり花房からの事情聴取は不可欠といわねばならなかった。だとすれば、この欠缺も審理不尽の違法と評価せざるを得ないのである。これらの審理不尽については、原判決を破棄し、再度、事実取り調べを実施しなければ明らかに正義に反することになることはいうまでもない。
3 結論
以上のとおり、原判決には、判決に影響を及ぼす重大な審理不尽すなわち訴訟手続の法令違反があることは明白であり、原判決を破棄しなければ明らかに正義に反する結果となるから、職権破棄事由が認められるので、直ちに破棄されるべきである。
第4 判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認(職権破棄事由)
1 序論
さらに、原判決には、次のとおり判決に影響を及ぼす重大な事実の誤認があり、これを破棄しなければ著しく正義に反することになるから、刑事訴訟法411条3号に基づき、職権でこれを破棄すべきである。
2 争いのない事実
関係各証拠から認められる事実のうち、明らかに争いがない事件の経緯の概要は以下のとおりである。
(1)本件の首謀者である藤井は、平成16年ころ香港に渡り、同所で知りあった外国人の誘いに応じて日本への大麻密輸に手を染めるようになり、平成18年1月ころから緒方を誘い、同人を大麻密輸に関与させるようになった。
(2)藤井は、平成18年2月上旬ころ、緒方に対し、大麻密輸の手助けとなる運び屋を増員することを提案し、これに同意した緒方は、自らの知人であった花房に対し、報酬を払うので香港から品物を運ぶことを手伝う者がいないか斡旋して欲しいと頼んだ。そこで、花房は、かつて自らが所属していた暴力団の兄貴分(故人)の子であるKに電話をかけ、同人の亡父の知人である緒方の依頼で、香港からお茶や漢方薬、健康器具などを日本に持ち帰る仕事があり、5、6万円の報酬になる旨を告げたところ、Kはこの仕事を請け負うことを承諾した。
(3)また、花房は、同じころ、自らの従兄弟のセン藤昭博の子である被告人に電話をかけ、香港から荷物を日本に持ってくる仕事があり、5、6万円の報酬になる旨を告げたところ、被告人もこれを承諾した。そのうえで、花房は、平成18年2月13日ころ、長崎県諫早市にある同人の知人である北村という人物の自宅において、被告人とKを引き合わせ、仕事の内容が香港から荷物を運ぶものであること、渡航期間は2ないし4日であること、報酬が5、6万円であること、渡航費や滞在費は依頼主が全て負担することなどを説明した。この場には、北村の妻、被告人の婚約者およびKの交際相手が同席していた。
(4)藤井と緒方は、平成18年2月25日に香港に向けて先に出発し、翌26日に深センに移動した。他方、被告人とKは、同月27日に福岡空港で待ち合わせ、あらかじめ指定された飛行機の便に搭乗し、台北経由で香港に移動し、香港空港で緒方と落ち合った。Kは以前から緒方と面識があったが、被告人と緒方は初対面であった。被告人ら3名は、同日、香港から深センに移動し、同所のマッサージ店に宿泊した。
(5)被告人ら3名は、一夜明けた平成18年2月28日、藤井と合流し、深センの街を散策し、夕食をとったりした後、同所にある藤井のマンションの一室に3名で一緒に泊まった。
(6)被告人ら3名は、さらに一夜明けた平成18年3月1日、深センのショッピングセンターに行き、緒方が、同センター内の茶店舗において、前日に藤井が注文しておいた空の茶箱20箱などを受け取った。緒方は、茶店舗で空の茶箱を受け取った際に、自分のキャリーケースに全部の茶箱が入り切れなかったので、被告人かKのバッグに茶箱が入らないかを尋ね、被告人のバッグにスペースがなく、Kのバッグに余裕があったことから、最終的に同人のバッグに茶箱の一部を入れさせた。
(7)その後、被告人ら3名は、香港に移動し、藤井の定宿である安宿に行き、被告人とKは15階の同じ部屋に、緒方は14階の別の部屋に泊まった。藤井も、同日、深センから香港に移動し、被告人ら3名が泊まっている安宿の15階の別の部屋に入り、緒方から受け取った空の茶箱20箱に大麻樹脂を分散して隠し、セロハンをかぶせて密封し、本物の茶箱に見えるように工作した後、緒方が持ち込んだキャリーケース3個に、これらの工作した茶箱20箱を分けて入れた。さらに、藤井は、別に準備した運動靴などを上記の各キャリーケースに入れ、それぞれのキャリーケースに収納した内容物を記載した税関提出用の申告書のひな型を作った。これらの作業は、藤井が一人で行ったもので、被告人やKが見ていないことは当然のこと、緒方もこの作業を直接には見ていない。
(8)さらに一夜明けた平成18年3月2日、緒方は、藤井から前項のキャリーケース3個および税関提出用の申告書用紙とそのひな型を渡され、さらに被告人とKに対し、それぞれキャリーケース1個と税関提出用の申告書用紙とそのひな型を渡して、このひな型の内容に沿って申告書を作成して税関に提出するように言った。その後、被告人ら3名は、前項の安宿から香港空港に向かったが、その途中、緒方が場を離れた際、被告人とKは、各人が持たされたキャリーケースのチャックを開けたが、キャリーケースの中身と緒方から手渡された申告書のひな型の記載が逆さまになっていたため、各々のキャリーケースを交換して持つようにした。被告人は、香港を出発する際、自身とKが搭乗する飛行機と、緒方が搭乗する飛行機が別の飛行機であることに気づき、自ら航空会社と交渉し、自身とKが搭乗する便を、緒方が乗る先に出る便に変更してもらい、被告人ら3名が同一の飛行機で帰国することができるように手配した。
(9)被告人ら3名は、香港空港から台北経由で福岡空港に到着し、被告人と緒方が先に税関を通過した(ただし、被告人は自らの判断で税関申告書を提出していない)。そして、被告人は、Kが乗って帰ると言っていた長崎行きの高速バスの時刻表を見たりしながら同人が出てくるのを待っていたが、しばらくして空港のアナウンスで呼出を受け、再び税関検査場に行った。実は、Kが税関検査場での態度が不審であったことから、税関職員に見咎められ、禁制品の輸入の疑いがあるということで足止めされていたもので、同行者に緒方と被告人がいると申告したことから、両名とも税関に呼び出されたものであった。そのうえで、被告人が携帯していたキャリーケース(緒方から託されたもの)から大麻樹脂が梱包された茶箱が発見された。
3 大麻密輸の認識(故意)の有無
(1)原審の判断
1.被告人に大麻密輸の認識(故意)があったと認められるか否かが本件の事実認定上の最大の争点であり、被告人に営利の目的があったか否か、被告人ら3名の間に共謀があったか否かということが、これに付随する争点である。
2.この点、第一審判決は、被告人が体験した香港・深センにおける出来事(状況証拠)を詳細に検討し、被告人が大麻(を含む違法薬物)密輸の認識を有していたと認めるには合理的な疑いが残り、かつ、被告人の捜査段階における自白についても、その信用性には疑問があるとして、犯罪の証明がないことから被告人を無罪とした。
3.ところが、原審は、被告人を無罪に導いた第一審が摘示した各状況証拠について、むしろ被告人に大麻を含む違法薬物密輸の概括的故意が存在した証拠となる旨、第一審と正反対の証拠評価を行い、かつ、被告人の捜査段階の自白も信用できるとして、第一審判決を破棄し、被告人に逆転有罪の判決を言い渡した。
(2)証拠評価の対象となる状況証拠
そこで、被告人の大麻密輸の認識(故意)の有無を判断する要素となる状況証拠のうち、主だったものは次のとおりである。なお、これに加えて、被告人の捜査段階での自白の信用性の有無が重要な判断要素となっていることは前記のとおりであるが、この自白の信用性については、別項で詳細に検討する。
1.被告人が花房から依頼された仕事の内容がいかなるものであり、それにより被告人に報酬が支払われるということが、いかなる意味を有しているか。
2.今回の仕事の実質的な依頼者、仲介人である花房が、いかなる人物であるか。
3.被告人が香港から運搬する荷物が何であると聞かされていたか。また、第三者に報酬を支払ってまで、そのような荷物を人力で運搬することに合理性があるか。
4.被告人が、香港・深センにおいて、緒方および藤井に対し、運搬する荷物が何であるか明確に確認しなかったことに合理性があるといえるか。
5.平成18年2月18日、被告人ら3名が深センにある藤井のマンションの一室に一緒に泊まった際、緒方が被告人およびKに対し、運搬する荷物についてどのように説明したか。とりわけ、緒方が「覚せい剤のような危ないものではない。」との趣旨の発言をしたか。また、被告人が緒方の発言を聞いていたか。
6.税関に提出するためのの申告書のひな型を前もって準備しておくことが自然な行動といえるか。
7.被告人が、福岡空港の税関検査場において、同所の通過時に自分が運んできた荷物を自ら買ったものと虚偽の内容を申告したことが自然な行動といえるか。
8.被告人は、最終日の平成18年3月2日、香港市内から香港空港に移動した際、緒方から託されたキャリーケースをKとの間で交換しているが、その際、キャリーケースの中をどこまで見たか。とりわけ茶箱が入っていることを認識していたか。
9.被告人が茶箱を託されていることを認識していたとして、それが約束された報酬額と見合う行為であると被告人が認識していたか。
(3)状況証拠の評価の不合理性
1.原判決の証拠評価
これらの状況証拠のうち、原審が、第一審の証拠評価を覆し、被告人の弁解を不自然であるとして排斥した点は以下のとおりである。このうち、原判決が特に重要視したのはウの点であると考えられる。
ア 被告人が、平成18年2月28日に深センのマンションでKおよび緒方と同じ部屋に泊まった際、緒方が「覚せい剤などの危ないものではない。」と述べたにも関わらず、被告人はこれを聞いていないと供述しているが、この弁解が不自然であること。
イ 最終日の平成18年3月2日に、香港市内から香港空港に行く途中で、被告人とKが託されたキャリーケースを交換した際、キャリーケースの中に茶箱が入っていたことを被告人は当然に分かっていたはずなのに、被告人がこれを見ていないと供述しているのは不自然であること。
ウ 被告人は、藤井・緒方から中国茶などを運ばされていることを認識していたと考えられるが、中国茶は、複数の人間で手分けして運ぶことにより輸入時に免税の措置を受ける必要もない利幅の少ない物品であり、そのような細工をして輸入する必要がないことを被告人も分かっていたと考えられること。要するに、中国茶は大した金額の物品ではないのに、わざわざ第三者に報酬を払ってまで人間の手で運んでもらわなければ損をするような利幅の大きい物品とは考えられないこと。
2.原審の予断と偏見
ア そもそも、原審が、これらの状況証拠を第一審と正反対に被告人に不利に証拠評価し、被告人の行動が全て不自然であると判断したことについては、報酬をもらう約束をして外国で物品を託されて日本に運んでくるという仕事に合法的なものはあり得ないという先入 観を抱いているからだと勘繰らざる得ない。
イ というのは、裁判所は、この種の薬物密輸犯を数多く審理し、密輸の手口には色々と巧妙なものがあり、報酬目的にそれに携わる者が少なからず存在するということを知識として知っているため、そのような裏社会の事情を全く知らない素人が、報酬を餌に物品を外国から運んでくるはずはないという予断と偏見があるからにほかならない。
ウ しかしながら、本件で判断の対象となっているのは、あくまで被告人の認識であり、それは「裁判所」という特殊社会の「常識」ではなく、一般人を基準として、社会通念(常識)をもとに合理的に判断されねばならない。従って、裁判官は、座学で裏社会の実情を知識として知っているがゆえに、経験則を働かせた状況証拠の積み重ねによる事実認定の際、ともすれば予断と偏見に流されやすいということを自制しながら、虚心坦懐に事実を見つめなければならないのである。
(3)被告人の人格・性格から見て取れる合理的行動
ア そのうえで、被告人の人格・性格をもとに、その客観的行動を関係各証拠から丹念に追った場合、次に述べるとおり、被告人の行動に明らかに合理性があり、通常人と何ら変わりない行動を取っていたということが見て取れる。
イ すなわち、緒方にしろKにしろ、被告人の人柄について聡明である、落ち着いた人物だと公判廷で供述している。現に、被告人は渡航前の平成18年2月中旬に花房・Kと打ち合わせた際、同人が海外旅行に慣れておらず、不安がっている様子を見て、海外旅行の注意点を細々と教示している。また、香港への出発日である同月27日、福岡空港でKと待ち合わせた際も、先に着いた同人が待ち合わせ場所が分からなくて戸惑っていると、的確に電話で待ち合わせ場所を指示し、不慣れな同人をリードしている。
ウ そのような落ち着き払った被告人の態度は、渡航先の香港・深センでも同様に見られ、藤井や緒方が買い物する際に言葉が通じなくてまごついているのを見て、あるいは茶店舗で茶箱等を買い受けるなどの際に手間取っているのを見て、段取りが悪いと思ったほどである。
エ さらに、香港から福岡に戻る際も、自分とKが乗る便と、緒方が乗る便が違っている(緒方が先発する)ことに気づいて、航空会社のカウンターで交渉し、自分とKが乗る便を緒方が乗る便に変更させている。また、緒方から手渡された税関申告書のひな型についても、同人から託された荷物ぐらいであれば、経験上、免税の範囲であると思われるから、税関申告は必要ないと明言し、現に税関申告を行わなかった。
オ もちろん、被告人は、福岡空港の税関検査場においても、狼狽したような不自然な様子を見せることなく堂々と通過しており、出口から出てこないKのために、同人が乗って帰ると言っていた長崎行きの高速バスの時刻を調べるという余裕ある行動に出ている。これに加え、空港の館内放送で呼び出しを受け、のこのこと自ら税関で再検査を受けに行っているのである。被告人は、このような落ち着き払った行動に終始しており、この渡航の前後を通じて、まごついた、あるいは当惑した行動を見せていないことは明らかであっ て、いわば自信に満ちた行動を取っていると評価できる。
カ 被告人には前科・前歴が全くない。要するに、それまで犯罪とは無縁の生活を送ってきていたということである。万一、被告人が海外から禁制品を運ばされていることをわずかでも認識していたとすれば、心の動揺を隠せなかったはずであり、とうてい落ち着き払った態度を維持することは無理だったと思われ、それなりに不自然なそわそわした態度を見せたはずである。しかるに、被告人がそのような素振りを見せたことがなかったということは、当初から確信犯として大麻を密輸することを意図していたか(すなわち、当初から覚悟があったか)、それとも事情を全く知らなかったかのいずれでしかあり得ないというべきである。
キ しかしながら、被告人が、渡航前すなわち花房から仕事の依頼を受けた段階から違法薬物を密輸する仕事を託されたことを認識していたことを裏付ける証拠は皆無である(花房の知人である北村宅での花房・Kとの事前打ち合わせの際も、被告人の婚約者が同席しており、禁制品に関する話題が出たこともなく、仲介者の花房とて、緒方から運び屋の斡旋を依頼された仕事の内容を詳しくは理解していなかった)。原判決にしろ、被告人が違法薬物密輸の概括的故意を生じたのは、渡航先の香港・深センから福岡に帰国するまでの間と認定しており、被告人が当初から確信犯であったとは認定していないのである。だとすれば、この被告人の落ち着いた態度は、被告人が違法薬物を託されていたことを微塵も疑っていなかったことを現す顕著な事実であるといわねばならない。この被告人の態度は同人が何回も海外旅行した経験があるということ(それでも、被告人の渡航回数(10回程度)からすれば、取り立てて海外旅行の経験が豊富とはいえない)から単純に説明できるものではない。仕事で健康食品を仕入れに渡航するということと、違法薬物を運ぶということでは意味合いが全く違う。被告人は、その違いが分かる程度の分別は当然に持っていたからである。
ク 被告人が、真に違法薬物を運んできたことを認識していた、またはその疑いの気持ちを持っていたということであれば、被告人は先に税関をすんなりと通過しているのであるから、Kがなかなか出口から出て来ないのが分かれば、同人が税関で足止めされたと察知し、同人を待つことなくその場から立ち去って逃亡すればよかったはずである。しかるに、Kが出てくるの待って呑気に高速バスの時刻を調べたり、館内放送で呼出を受け、自らに違法薬物密輸の嫌疑がかけられていることを疑いもせず、再審査を受けに税関に再び赴いたというその態度は、まさしく「飛んで火に入る夏の虫」である。聡明な被告人が、事情を知っていて、なおかつ罪を着せられようとする場所に自発的に出頭するものであろうか。違法薬物密輸の認識がある者の態度として、これすら不自然ではないという原判決の証拠評価が、被告人の行動を素直に評価しておらず、「やましいことをやっていることは分かっていたはずだ」という予断と偏見を抱いているとことが間違いないと思われる所以は、まさにここにある。
(4)報酬約束の評価
ア 次に、被告人が花房から仕事の依頼を受ける際に報酬をもらう約束をしていたことが、違法薬物輸入の認識との関係で、どのように評価されるかということであるが、いやしくも他人に仕事を頼む場合、その仕事のために必要な実費を依頼者が負担することは当然であり(依頼者が実費すら負担しないようでは、受託者は稼働しても実質的に損をすることになる)、それに加え、相応の日当(報酬)を支払うべきことも、仕事の受託者を拘束する以上、経済原理に照らし当然のことである。仕事の中身が海外から物品を運んでくるというものであっても、仕事の内容に貴賤がない以上、この理は当然に当てはまる。原審は、どうも渡航費と日当(報酬)を依頼者が負担するという約束のもとに海外から物品を運んでくるという仕事の依頼を受けたこと自体がうさんくさいことだとの先入観を抱いてい ると思われるが、これこそ予断と偏見に満ちている。
イ このように、渡航費や滞在費は実費に属するから、仕事の依頼者が全額を負担するのは当然であり、そのこと自体が、仕事の依頼内容が禁制品の輸入に結びつくという論理必然はない。だとすれば、被告人やKに5、6万円の報酬を支払って香港・深センに最長で4日間ほど行ってもらい、帰りに荷物を持って帰ってくるという仕事の内容が、この5、6万円の報酬と対価性ある行為であるといえるかという点が問題になるに過ぎない。この点、原判決は、およそ利幅があると思えない物品を日本に運んでくるのに、わざわざ第三者に報酬を支払ってまでする必要はないという前提のもと、報酬を支払ってまで第三者に運んでもらっても経済的にメリットがある物品といえば、裏社会で流通する禁制品しかないという観点に立ち、そのような仕事がまともであろうはずはなく、だから報酬の約束は禁制品を運んでいるという認識につながるとの持論を展開し、被告人の違法薬物の輸入の認識を肯定する事情と評価している。
ウ しかしながら、これは報酬を支払う側の論理であり、依頼を受けて報酬をもらう側からすれば、そのような事情は考慮するに値しない。報酬を支払って仕事をしてもらってもペイするかは支払う側が考えればいいことで、もらう側が慮ってやる必要は全くないからである。原判決が、海外から物品を運んでくるだけの仕事なのに報酬が支払われるとは、仕事の内容を疑ってかかるべきではないかという価値観に立っていることは明らかであるが、これは受託者に依頼人の事情を慮って物事を考えるよう強制しているに等しい。要するに、報酬をもらう側としては、請けた仕事の内容と報酬額が対価的に相償っているかだけを考えればよいのであり、それ以上を詮索する必要はどこにもないのである。
エ この点、被告人・Kの渡航期間は4日ほどであり、花房から聞いていた報酬額は5、6万円であるから、一日当たり1万円強であるに過ぎない。他人の時間を拘束して仕事に従事させるについて一日当たり1万円強の日当を支払うということは、その仕事の内容がいかなるものであるにせよ、とりたてて不相当な金額ではないと考えられる。極端な例で恐縮であるが、平成21年春から実施される裁判員裁判においては、裁判員の日当は一日当たり1万円程度になる予定とのことであり、この金額にしても、裁判所が規則をもって定める日当の中では最上級の金額となのである。いくら国民の義務とはいえ、一般市民を実質的に丸々一日拘束して1万円の日当というのは安すぎるという巷の評価である(そのような意見が市民から出ているという記事が新聞紙上に掲載されたこともある)。被告人が請け負った仕事は、依頼者から託された物品を運んでくるというものであり、渡航先で勝手な行動を取ることはできない。しかも海外であるから、日本国内ほどの自由さや気楽さはない(言葉も不自由であるから、逃れようと思っても逃れられない)。従って、実質的には丸々24時間身柄を拘束されて仕事に従事させられているに等しく、これで一日当たり1万円強の日当は、安いと受け止めたことはあるにしても、高い(割がよい)との印象を受託者に与えることはないと断言してよい。だから、被告人としては、海外から物品を運んでくるのに一日当たり1万円の日当(報酬)は当たり前であるという感覚しかなかったのである。
オ 被告人は、緒方に対し、渡航先において、今回の仕事は花房からの依頼であるが、同人から5、6万円の報酬と聞いており、他方、依頼者は10万円と言っているようであるから、花房がピンハネするつもりではないか、次に依頼があるときは直接に話してもらえないかと話したということであるが、これは、まさに被告人が今回の仕事は一日1万円強の日当では不充分であり、海外で24時間拘束されて仕事に従事する以上、その倍額は日当をもらわなければ割に合わないと認識していたからである。この理は、運んでくる物品が禁制品であるか否かとは無関係である。被告人が、万一、禁製品を運んでいるということを認識していたならば、その危険性からして、およそこの程度の日当で仕事を請け負うはずはない。金に困っていたとしても、摘発された場合のリスクを考えれば、一日1万円の日当で刑務所に入ることは馬鹿らしいことだと考えるのが一般人だからである。被告人は、第一審の公判廷において、途中で気づんいれば帰国していたはずだと供述しているが、まさに海外旅行の経験がある被告人ならではの供述であり、極めて合理的な弁解である。 カ 以上から、報酬約束の存在は、禁制品の存在の認識を肯定する事情とはなり得ず、原判決の証拠評価は偏っているといわざるを得ないのである。
(5)利幅のよい物品の存在
さらに、原審は、被告人が請け負った仕事の内容が中国茶を運ぶことであると聞かされていたとしても、中国茶は利幅がよくない物品であるから、これを人の手で運んだところで、運び屋に報酬を払い、その渡航費や滞在費を負担するとなれば、とうてい赤字にしかならないはずであるから、そのような依頼は経済原理に反するもので、むしろ、運ばせようとしているものが禁製品であるからこそ、報酬や実費を負担しても相償うのだという思考に立っているものと考えられるが、これも中国茶が廉価な物品に過ぎないとの先入観に 基づく偏見である。
イ 別紙のとおり、中国茶には、それこそピンからキリまであり、日本国内で流通している品物のうち、最高級の部類(いわゆる「鉄観音」が多いようである)になると100グラムあたり1万円を超える価格(従って、1キログラムあたり10万円を超える高値)で流通している。これが卸値か売価かは判然としないが、かりに売価であったとしても、その下のランクの中国茶の価格と比較すれば、最低でも仕入れ値として1キログラム当たり5万円以上にはなると思われる。だとすれば、最高級の中国茶を4キログラム買えば、それだけで20万円以上することになるのであり、さほど多量ではなくとも、ひとりで持って帰ろうとすれば、前記の免税の上限をたやすく超えてしまうことになる(だから、被告人は、緒方に対し、「中国茶って高いんですか」と尋ねているのである)。このように、中国茶をいくら個人で持って帰ろうが、そもそも利幅が少ないから免税の上限に抵触するはずはないという原判決の証拠評価は、その根底から誤っているのであり、誤った思い込みも甚だしいといわねばならない。
ウ 被告人の認識としては、今回の仕事については、本来的に運んでくるものが調達できずに失敗に終わったか、もしくは、せいぜい中国茶を運ばされたに過ぎなかったということになろうが、上記のとおり、「お茶って高いんですか」と被告人が緒方に質問しているとおり、被告人とすれば、中国茶であっても高級なものがあるんだろうから、それを運ばされたとしても、とりたてて不思議なことではないと内心で思ったことは想像に難くない。 エ なお、原判決は、被告人が何を運ばされるのか、藤井や緒方に明確に確認をしなかったことが意図的であり、その態度が不自然であると指摘しているが、被告人としては、もともと禁制品を運んでくるという認識が全くなく、単に託されたものを運んでくれという依頼を受けたに過ぎないのであるから、運ぼうとするものが何であるかを執拗に確認する必要はない。だから、被告人が運ぼうとする物品が何であるか確認しなかったことが意図的であるという評価を受けるべき筋合いはなく、不当な言いがかりというべきである。この意味で、深センの藤井のマンションに被告人ら3名が一緒の部屋に宿泊した際、緒方が「覚せい剤」という言葉を発したか否か、被告人がこれを聞いていたか否かということは、被告人にとっては、何を運ばされるかに意味を感じていなかったのであるから、何ら問題にならない。
(6)被告人がキャリーケース内の茶箱に気づいたか
ア 前記のとおり、原判決は、被告人が香港空港に移動する途中にKとキャリーケースの中を見て、緒方から渡された税関申告書のひな型と食い違っていたので交換した際、キャリーケースの構造と中身の状態からして、その中に茶箱が入っていたことを被告人が見たことは明らかと考えられるところ、キャリーケースのチャックを開けて上から覗き込んだので、運動靴などは見えたが、茶箱が入っていることは気づかなかったとの被告人の公判廷での供述は不合理であると指摘している。
イ この点、被告人とKが託されたキャリーケースは、キャスターと伸縮式の手持ちがついている構造であり(検甲31号証)、立てたままで収納部のチャックを開けて、上(手持ちがついているところ)から中を覗くことができるようになっている(同号証のキャリーケースの写真から明らかである)。すなわち、キャリーケースを横に寝かせなければ収納部のチャックを開けて中身を見ることができない構造ではないから、被告人が供述するとおり、チャックを開けて上から覗き込んで内容物を確認したとの被告人の供述も、あながち不合理とはいえない。
ウ さらに、原判決が、キャリーケースの中身の状態からして、上から覗き込んだとしても、茶箱が入っていることは分かったはずだと指摘する点については、原判決は、検甲45号証に添付されたKが日本に持ち込んだキャリーケース(すなわち、これが交換前に被告人が持っていたキャリーケースということになる)の中身の写真に基づいて、かかる中身の収納状況であれば、上からキャリーケースを覗き込んだとしても、茶箱が入っていることは容易に分かるという証拠評価に立脚していることは明らかである。しかるに、この検甲45号証の写真は、Kが税関で手荷物の検査を受け、いったんキャリーケースの中身の全てを税関職員が取り出して(検甲32号証の税関検査の経過から明白である)、茶箱に隠匿された大麻の存在を確認した後に、あらためてキャリーケースの中に内容物を詰め込み直された後に撮影されたものである。というのは、Kの税関での再検査は、午後8時ころから午後8時47分ころ(この時刻は本件の大麻樹脂の仮鑑定が実施された時刻である)(検甲32号証)まで行われたが、上記の検甲45号証のキャリーケースの中身の写真は、この検査終了後の午後9時57分以降に撮影されたものだからである。従って、被告人が香港空港に行く途中で見たキャリーケースの中身の収納状況と、検甲45号証の写真に写っているキャリーケースの中身の収納状況が同一であるという証拠はなく、税関でキャリーケースの中身が取り出され、再び写真撮影のために詰め直された際、収納状況に変化が生じた可能性が高い。だとすれば、原判決が検甲45号証の写真に基づいて、被告人がキャリーケースの中に茶箱が入っていたことに気づかなかったはずはないと指摘していることは、その前提を欠くことになるもので、あながち被告人が茶箱が中に入っていることに気づかなかったとしても、これを不合理な供述だとして排斥することはできないといわねばならない。このような細かい証拠の見方についても、原審が予断と偏見を抱いていたことが分かろうというものである。
(4)概括的故意の認定の欺瞞性
1.原判決の判示内容
加えて、原判決は、第一審が摘示した各状況証拠の証拠評価に基づき、被告人には、キャリーケース内に収納された茶箱に隠匿された物品を違法に輸入するという認識があり、中国から運び屋が違法に輸入することができて茶箱に隠匿できる物品としては、偽札や違法薬物などの禁制品が容易に想像でき、これに被告人の自白の内容を併せ考慮すると、被告人が香港空港に向かう途中、キャリーケースを開けて、中に茶箱が入っているのを見た後ころまでには、大麻等の違法薬物を含む禁制品を運搬するという概括的認識かあったことが推認されると判示している(原判決17ないし18頁)。
2.概括的故意に関する判例の解釈
ア この点、覚せい剤の輸入・所持罪と概括的故意について判断した最高裁判決(最判平成2年2月9日裁判集刑事254号99頁)によれば、覚せい剤の輸入罪・所持罪が成立するためには、輸入・所持の対象物が覚せい剤であることを認識していることが必要であるが、その対象物が覚せい剤であることを確定的なものとして認識するまでの必要はなく、覚せい剤を含む数種の違法薬物を認識予見したが、具体的にその中のいずれかを特定した薬物として認識することなく、確定すべき対象物について概括的認識予見を有するに留まるものであっても足り、いわゆる概括的故意が成立するとの原審(東京高判平成元年7月31日判タ716号248頁)の解釈論を指示し、概括的故意であっても違法薬物輸入罪の故意として充分であるとの一般論を容認している。
イ しかしながら、この判例解釈は、行為者が禁制品一般の存在を認識していたとしても、違法薬物輸入罪の概括的故意としては不充分であり、かつ、概括的故意の対象である違法薬物の種類の中に、行為者が輸入している薬物が含まれていると認識していることが必要であるという前提に立っているもので、概括的故意の対象に一定の絞りをかけていることは明らかである。
ウ 従って、この判例の解釈に立てば、被告人に本件公訴事実にかかる大麻輸入罪の概括的故意が認められるためには、被告人が禁制品一般を運んできたことを認識しているだけでは不充分であり、大麻を含む違法薬物を運んできたことを認識していることが最低でも必要となるのである。
(3)原判決の論理飛躍
ア しかるに、原判決は、掲記の状況証拠から被告人が禁制品を運んできたことを認識していたものと推認できると述べているが、これをもとに、被告人に「大麻等の規制薬物を含む輸入禁制品を運搬する」概括的故意の存在も推認できると認定したことの理由付けが不足しており、明らかな飛躍であるといわねばならない。
イ すなわち、被告人が認識していたと推認できる輸入禁制品について、「大麻等の違法薬物を含む」と判例解釈に沿った絞りをかけることができる理由付けとして、原判決は、中国から運んでくるもので、茶箱に入るものといえば偽札か違法薬物が容易に想定できるとと述べているが、どうして「中国」から運んでくる「茶箱」サイズの禁制品として容易に「違法薬物」が想定できるのか、その合理的理由について何ら説明できていない。この点、原判決は、被告人が運んできた具体的な物品名を特定できていないことを理由として掲げているが、これは被告人の認識として「大麻を含む違法薬物」という絞りをかけることができる理由には結びつかない。なぜなら、被告人が香港から何を運んできたのかを特定し、これが禁制品であることを特定する立証責任、すなわち、被告人が「大麻を含む」違法薬物を運んできたと認識していたことを立証する責任は検察官にこそあれ、無罪推定が働く被告人に反対事実を立証すべき責任はないからである。
ウ だとすれば、原判決が、被告人の禁制品輸入に関する認識について、「大麻を含む違法薬物」の認識があったと推認できる根拠としては、まさに概括的故意を認めた被告人の捜査段階の自白の存在しかないのである。要するに、原判決としては、被告人の自白がなければ、大麻取締法の構成要件該当性に必要な概括的故意の存在を認定することは不可能だったことは明らかである。被告人の捜査段階の自白の信用性については、次項で詳細に論ずることにするが、まさに、ここに原判決の事実認定が極めて苦し紛れであることが露呈しているのであり、相当に無理な推論を重ねていることが容易に見て取れる。予断と偏見に基づく不当な判決というべき所以がここにある。
(5)まとめ
以上から、被告人が大麻を含む違法薬物を密輸しているという認識はおろか、その疑いすら抱いていなかったことは明々白々なのであって、これには一点の曇りもないといわねばならない。原判決の事実認定は甚だしい誤りを犯しており、とうてい看過できない重大な誤謬といわねばならない。しかも、原判決は、被告人の有罪を導くために、相当に無理な推論を重ね、飛躍した事実認定に陥っている。看過できない不当性があることはいうまでもない。
4 自白調書の任意性・信用性
(1)原判決の判断
1.原審は、被告人の捜査段階での自白調書について、その信用性を排斥した第一審とは正反対に、この内容が信用できるものとし、これを被告人が大麻密輸の(概括的)認識があったことの有力な証拠として位置づけている。
2.思うに、原審には、被告人の自白調書は基本的に信用できるという先入観があり、これに基づいて被告人の公判段階における供述を不自然で信用できないと排斥しているものであり、佐賀の北方事件、鹿児島の志布志事件という虚偽自白がもとになった重大な冤罪事件が相次いで無罪確定した現在、今更ながら自白偏重の悪しき刑事裁判の残滓が存在しているのかと思うと、まさに刑事裁判は「絶望的」状態からいまだ脱却していないという感は拭えない。
3.しかしながら、この被告人の「自白」調書については、その変遷の過程および供述内容に照らし、極めて不自然であり非合理的であることが一目瞭然であるといわねばならない。また、明らかに許されない起訴後の検察官の取り調べで「自白」調書が作成されていることについても、まさに看過できない事実である。
(2)供述の変遷過程
1.被告人は、平成18年3月3日午前3時7分に逮捕され、司法警察員によって弁解が録取されているが(検乙26号証)、大麻密輸の認識について全面的に否認している。
2.さらに、同日、司法警察員による身上関係の供述調書が作成されている(検乙10号証)。
3.同月4日、被告人は検察庁に送致され、午後2時30分、弁解が録取されているが(検乙27号証)、ここでも全面的に否認している。
4.同月5日、裁判所において勾留質問が実施され(検乙28号証)、勾留決定が発令さているが、被告人は、ここでも全面的に否認を貫いている。
5.被告人は、勾留後、連日にわたり早朝から深夜まで警察官の取り調べを受け、同月10日、同月13日、同月15日、同月16日(この間に同月14日に勾留延長されている)と4回にわたり、司法警察員の手で本件の経緯について詳細な供述調書が作成されている(検乙21号証ないし検乙24号証)。しかしながら、被告人は、この時点では本件の経緯を自己の体験したままに客観的に淡々と述べるだけであって、肝心の大麻密輸の認識については全く触れられていないため、否認を継続したのか、それとも自白に転ずる姿勢を見せたのか、その点は明らかでない。
6.そして、同月17日、司法警察員に対する供述調書(検乙25号証)において、被告人は、禁制品を運んできたのではないかとの趣旨の供述が録取されている。しかしながら、この段階では、大麻を含む違法薬物を運んできたと認識していたと明確には録取されておらず、いわゆる「半割れ」のような体裁となっている。
7.被告人は、その後も連日的に取り調べを受けているが、供述調書は作成されておらず、起訴前日の同月23日、検察官に対する供述調書2通が作成されているが(検乙11号証ないし検乙12号証)、この中で、被告人は、偽札か大麻を含む違法薬物を運んできたのではないかと認識していた(概括的故意があった)と突如として供述している。
8.そして、翌日の同月24日、被告人は福岡地方裁判所に起訴されているが、いわゆる求令起訴であったため、同日、裁判所で勾留質問が実施されているが、この際、被告人は再び否認したとされている。
9.さらに、起訴から約1週間が経過した同月30日、検察官は再び被告人を取り調べ、違法薬物か偽札を運んできた旨の密輸の概括的故意を認める自白調書(検乙13号証)が作成されているのである。
(3)自白内容の不合理性
1.このように、被告人は、捜査段階で否認から自白に転じ、起訴後の勾留質問で再び否認に転じたものの、起訴後の検察官の取り調べにおいて、またもや自白が維持されていることから、原審は、検察官から押しつけや理詰めの誘導があったと弁済しているわりには、変遷の仕方に合理性がないとして、結論的に自白に信用性が認められると判断している。しかしながら、問題は、被告人の変遷のみならず、自白調書に記載された自白の内容そのものに合理性があるか、自白内容が不自然ではないかということである。
2.とりわけ、平成18年3月23日付けの2通の検察官調書を詳細に検討すると、被告人は、それまで大麻密輸の認識はなかったと否認していたが、実は違法薬物か偽札を運ばされてきたのではないかと疑っていたとして、薬物輸入の認識が概括的に存在していたとの趣旨の供述に転じているが、それまで頑強に否認を貫いていた被告人が、何故このように概括的故意を容認する供述に至ったのか、否認から自白に転じた具体的理由については何ら記されていない。
3.さらに、上記の検察官調書にかかる被告人の供述内容は、茶箱の中に「違法な物が隠されているのだろうと思った」(検乙12号証8頁)と記載されているのが、次の段落では、「お茶の葉のように覚せい剤や大麻等の薬物を隠しているか、お茶の箱の中に偽札が隠してあると思いました」(同9頁)と唐突に具体的な禁制品の種類を特定する供述にすり代わり、その後は「薬物か偽札」で供述が統一されて推移している。このように、いきなり『薬物か偽札』という具体的な禁製品の種類が出てきた理由についても、合理性ある説明が論理的に展開できていない供述内容となっている。
3.このように、当初、禁制品の認識ありと概括的に認め、その次に禁制品の種類を特定して認識していたとのワンランク上の概括的認識に移行したという被告人の供述内容(変遷内容)自体が、まさに検察官が取り調べにおいて被告人を理詰めで誘導し、あるいは後述の威迫によって半ば無理やりに被告人の自白調書を作成したということが見て取れるのである。
4.では、どうして検察官は、このような不自然な自白の取り方をしたのかということであるが、これは、薬物輸入事犯における故意の程度を論じた前記の最高裁判決(最判平成2年2月9日裁判集刑事254号99頁)が、薬物の密輸入という犯罪の成立に必要な故意としては、違法薬物の種類を特定せずとも、違法薬物を輸入していることの概括的認識があれば足りるとの解釈論に立脚しているが、裏返せば、禁制品一般の存在を認識しているだけでは、薬物密輸入の概括的故意としては不充分であるという前提に立っているからにほかならない。すなわち、検察官は、禁制品との認識があれば、その禁制品の種類は問わないという自白内容では不充分であり、最低でも『違法薬物』であることの認識が必要であるとの判例解釈を知っていた。だから、単に「違法な物」に留まらず、せめて「違法薬物」との供述を自白調書に盛り込まなければならないと考え、検察官は、「違法な物」には何があるか、「偽札」は含まれるかなどとワンクッション置いた後、被告人を「違法薬物」という具体的供述に導いたものにほかならない。
5.要するに、検察官は、香港や中国から物品を人力で運んでくるとい う被告人の行動がいかに常識外れであるかを散々に指摘して、禁制品を運んできたことを被告人は分かっていたはずだと誘導し、長時間・長期間の連日の取り調べで否認を続けることに疲弊した被告人が、次第に検察官の刷り込みによって揺れ動き始めるや、検察官は、禁制品にはどのようなものがあるかと質問し、穂香港や中国から持ち運ばれる禁制品にはどのようなものがあるかと誘導し、さらに「違法薬物」の認識という終着点に被告人を一気呵成に引っ張っていったのが、被告人に対する取り調べの実態であるといっても過言ではない。このように、比較的に否認が多いとされる薬物密輸入犯について、かかる誘導型の取り調べが行われることは日常茶飯事であり、故意の否認の場合、まず禁制品一般から攻めて被疑者を動揺させ、徐々に禁制品の
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麻薬問題に対するハームリダクション政策には、様々な政策目標とその実施形態が想定可能であり、その組み合わせと政策的効果は多岐に渡る。
また、その実施形態はそれぞれの国と地域が抱える麻薬問題の状況、法制度、文化、道徳的観念を考慮して決定されるべきであり、ある特定の地域、国家での成功事例が一概にすべての地域に適用可能かつ有効な政策であるとはいえない。
従って、現在、中毒や注射針を媒介としたHIV感染が深刻な社会問題となっている東南アジアを始めとして、今後、それぞれの国と地域で問題の状況に応じたハームリダクションの実施形態が個別に研究される必要がある。
日本を含めた地域、国別の代替政策研究は今後の筆者の課題でもあるが、このような一定の代替政策を模索する努力によってのみ、中毒症状や感染症に苦しむ人々を犯罪者化やスティグマ化する代わりに、彼らに何らかの実効性の伴う救済手段を提供することが可能となると筆者は考える。
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談話室で自転車さんが提起してくれた「たかじんのそこまで言って委員会」に、せっかくなので下記を投稿してみました(一部編集)。
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題:大麻と大麻取締法を見直そう!
大麻取締法はGHQに押し付けられた産業政策です。
・参照「大麻取締法被害者センター/大麻取締法は産業政策として押し付けられた」
厚生労働省は大麻の有害性について学術的検証に耐えうる研究をしたことなどありませんし、厚労省の委託を受けて運営されている(財)麻薬・覚せい剤乱用防止センターの「ダメ。ゼッタイ。」ホームページの大麻情報は14年以上前にアメリカから輸入した薬物標本の説明書を訳しただけのもので、医学的根拠どころか出典すら不明です。そのことを厚労省の担当者も防止センターの専務理事(厚労省の天下り)も認めており、大麻情報の内容を見直すと専務理事は明言しています。
・参照「大麻取締法被害者センター/ダメゼッタイ大麻情報見直し決定」
「ダメ。ゼッタイ。」ホームページの大麻情報がデタラメだらけであることは、某医大で腫瘍の研究をしている医師によっても検証され、厚労省とダメセンターにも修正や削除を申し入れましたが、腐った役人どもや元役人は木で鼻をくくったような、国民をナメた対応しかしません。
・参照「大麻取締法被害者センター/検証:ダメ。ゼッタイ。」/
「同/厚労省と麻薬防止センター:要望書への無回答」
大麻取締法の違憲性については、これまで何度も最高裁まで争われていますが、科学的データに基づいた被告弁護側の論証を、司法はあほーで、まったく審理すらしようとしません。大麻取締法に関して最高裁は、または三権分立は機能していません。
・参照「大麻取締法被害者センター/大麻取締法違憲論裁判」
一方、海外に目を向けると、大麻がさまざまな疾病に対して治療効果があることが科学的に明らかになり、癌を抑制する働きも注目されています。イギリスの科学技術委員会によっても、大麻にはアルコールやタバコほどの害はないことが報告されています。
・参照「カナビス・スタディハウス/英科学技術委員会ドラッグ新分類を提言」/「同/カナビスとアルコールは比較できない」
マスコミは大麻の事実を伝えていません。著名人が逮捕されると、さもとんでもない犯罪でも犯したかのように虚しいバカ騒ぎをするだけです。
大麻は産業的にも、環境的にも注目されている素材ですが、日本では腐った厚労省が陶酔成分の極めて低い、THC含有量0.3%以下の、薬物として意味のない大麻栽培まで訳の分からない非科学的な態度で否定し、日本の大麻産業の可能性を閉ざしています。
・参照「カナダ大使館サイト/カナダの麻栽培」/「厚生労働省 非予算(特区・地域再生再検討要請回答)」(pdf)*厚労省の非科学的な姿勢
厚生労働省は腐りきっています。国民のこと、国のことなど全く考えていません。あのバカどもが考えているのは保身と権益だけです。
大麻取締法は日本を闇に閉ざす岩戸です。
ぜひ大麻取締法の矛盾と腐った厚労省を番組で取り上げて下さい。
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このように麻薬政策には様々な形態が考えられ、ハームリダクションはこれらすべての政策的オプションの中でその実践が可能である。完全な合法化と、アルコールなど合法麻薬と全く同等の扱いは先進国では実践されていないので推論の域を出ないが、医療化政策の国家レベルでの実施は、スイスで既に1994年1月から 3カ年計画でのThe Medical Prescription of Narcotics Programme (PROVE)が実施されている。この計画は、メタドン治療や何らかの治療に失敗した1,000人のハードコアなヘロイン中毒者に限定して、ヘロイン、モルヒネ、注射可能なメタドンを医療機関を通じて供給し、同時に中毒者の健康、住居、雇用、また家庭問題や生活パターンへのカウンセリングと支援を平行して行い、その結果ヘロイン中毒者のリスク行為がどのように改善されるかを調査するハームリダクションの実験プログラムである。
1997年7月にスイス政府が出したこの実験の結果報告では、プログラムを受けた中毒者に以下7項目の改善点がみられたことが確認されている。
1) 犯罪件数、及び犯罪者数が60%に減少し、 非合法な活動による収入が69%から10%に減少した。
2)非合法なヘロインとコカインの使用が劇的に減少した。
3)安定した雇用が14%から32%へと増加した。
4)健康状況の著しい改善とオーバードーズによる死亡事故がなくなった。
5)処方ヘロインが横流しされブラックマーケットが形成されることはなかった。
6)途中で半数がプログラムを中止し他の治療プログラムへ移行し、83名がアブスティナンス(使用中止)セラピーを開始した。
7)刑事司法と医療コストの減少によって一人当たり一日30ドルの経済的便益がもたされた[13]。
このスイスでの社会実験を他の事情の異なる社会に単純に援用することはできないが、スイスでの成功はハームリダクションとしての医療化政策が一定の効果をあげる可能性があることを証明する結果といえる。非犯罪化政策はオランダを始めヨーロッパ各国で麻薬使用に伴うハームリダクションの成果を挙げている。
また完全な禁止政策下においてもハームリダクションの実践が全く不可能なわけではない。禁止政策を掲げているアメリカでも、「アメリカのドラッグウオー」で論じたように、ニクソン政権下の70年代からメタドンプログラムは既に実施されており、また州レベルでは注射針の交換や処方箋なしでの注射針の購入も認められている。しかしながらFDA(Food and Drug Administration)によるメタドンへの厳しい規制によってクリニック数は伸びず、2000年の段階での利用状況はヘロイン中毒者全体の2割弱にとどまっており、注射針の交換プログラムへの国の予算の拠出も未だに認められていない[14]。
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[13] Nadelmann, Ethan A. (February 1998)"Commonsense Drug Policy"in Gray, Mike (ed.) (2002) Busted: Stone Cowboys, Narco-Lords and Washington's War on Drugs, New York; Thunder's Mouth Press/Nation Books, p.180.
[14] U.S. Office of National Drug Control Policy (ONDCP) (April 2000) Fact Sheet Methadone,[http://www.whitehousedrugpolicy.gov], p.1.
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以上のような議論からすれば、現行の非合法麻薬に対する抑圧的禁止政策とハームリダクション政策は、一見相いれない考え方のようにみえるが、現実にはハームリダクションにはいくつもの存在形態があり、必ずしも禁止政策との間で親和性が存在しないわけではない。
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このような薬物使用に対する道徳的是非を括弧に入れ、具体的な問題の改善に向けた現実的アプローチを志向するハームリダクションの考えは、プラグマティズムの思想から大きな影響を受けていることが表明されている。
プラグマティズムは、ある行為が善であるか悪であるか、正しいか間違っているかの判断は、抽象的価値体系や思想、一般道徳にその判断規準を求めない。
初期のプラグマティズムの代表的存在であったウイリアム・ジェームズを引用すれば、プラグマティズムでは、「抽象的概念や不十分なものを退け、言葉の上だけの解釈、まちがった先天的推論、固定した原理、閉じられた体系、いかにももっともらしい絶対者や根源などには一顧をも与えない」、「諸君はこれら一つ一つの言葉の実際的な掛け値のない価値を明示して、それを諸君の経験の流れの中に入れて、実際に活用してみなければならない」、と主張する[8]。
このようにプラグマティズムとは、ある行為実践のもととなる道徳、価値観、理念、イデオロギーを絶対化せず、その行為の実践が、現実社会あるいは人間の経験的生活にもたらす実際の効果と帰結からその行為実践を評価、判断しようとする姿勢であり、これがハームリダクション政策の基本理念として援用されている。
このようなプラグマティズムの考えに基づき、ハームリダクション政策では、道徳的理想主義者が目指す「ドラッグフリー社会の実現」という理念とそこから帰結する実践から距離を置き、多数の非合法麻薬の使用者が事実存在し彼らの存在が今後も継続するという現実認識に立ち、彼らが非合法麻薬を使用することによって現在生じている使用者と社会への有害性の削減へ向けた具体的実践を提唱するのである。
ここで我々が誤解してはならないのは、ハームリダクションが非合法麻薬の使用を奨励しているわけではないという点である。
ハームリダクションの支持者にとっても非合法麻薬の使用は望ましい事ではない。しかしそれが現実に行われ当面無くなる可能性がない以上、非合法麻薬の使用によって個人と社会が被る有害性を最小限に留めることが選択されているだけである。
しかしハームリダクションの主張と実践はしばしば強硬な反対に遭う。例えば、彼らの実践の一つである注射針の無償交換プログラムは、既に科学的データによって反証されているにもかかわらず、これが麻薬の使用者を増加させる結果を招くとして反対されてきた。
反対者にとっては、このプログラムがHIVや肝炎の感染率を低下させ、中毒者の健康だけでなく社会全体の公衆衛生を向上させることを可能にするという事実よりも、非合法麻薬の使用がいかなる条件であれ継続されることに対する拒否の態度を貫くことと、このプログラムによって自分達が信ずる理念が傷つけられることへの拒否の感情が優先される。
こうした理念優先型の実践の帰結が、刑務所での麻薬事犯の収容率の増加とコストの増加、中毒者のHIV感染率の高止まり、生産国でのドラッグウオーによる様々な弊害を生みだしたとしても、これらは社会と麻薬中毒者が甘んじるべき正当な代償として価値的に容認される。
対照的にハームリダクション政策の支持者は、道徳や理念が本来人間にとって何のために存在しているのかという問題意識に基づき、問題改善に向けての現実的アプローチが禁止政策の理念には欠落しているとしてこれを批判するのである。
このような対立点は、近年日本で進められている犯罪への厳罰化による威嚇効果を巡っての議論とも類似している。
犯罪学者の浜井浩一氏は、「犯罪対策の効果に対する科学的エビデンス、コスト分析を含め、より安価で副作用の少ない代替案などの検討」を行う「エビデンス(科学的根拠)に基づく犯罪対策」と、「まず刑法の重罰化によって国民に規範の何たるかを示す」という刑法改正における法務大臣の発言に見られるような、「(刑罰)信仰に基づく犯罪対策」とを分類し、後者の政策によって日本が今後アメリカ同様の大量拘禁の時代を迎える可能性を憂慮している[9] 。
このように理念信仰型政策と現実的な問題改善型政策との対立は、麻薬問題に限らず他の様々な社会問題においても同様にみることができる[10]。
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[8] W. ジェイムズ著、桝田啓三郎訳『プラグマティズム』、岩波文庫、1957年、43頁、45頁。
[9] 浜井浩一著「『治安悪化』と刑事政策の転換」、『世界』2005年3月号、岩波書店、112頁。
[10] 例えば、この麻薬問題に対する理念優先型の禁止政策とプラグマティックなハームリダクションの基本的姿勢の違いは、未成年者の性交渉への社会的対応にもみられる。未成年者のセックスに関する世論と実践は、婚前交渉の完全否定から、行きずりのセックスの許容まで幅広い。不特定多数のパートナーとのセックスや仮に特定のパートナーとのセックスであっても、セックスに対する不充分な知識はHIVや性病への感染、望まれない妊娠などのリスクが伴う。このリスクを軽減させるための方法として、教育現場での性交渉の実践的教育やコンドームの配付などが考えられるが、いわゆる純潔教育を支持する立場の人々からは寝ている子を起こすことになりかねない不適切な対応として強く反対される。このように、道徳的理念や理想を追及する禁止的政策と、ハームリダクションの対立は他の様々な社会的場面でみることができる。
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では既に麻薬を常用している中毒者やリスクの高い行為を実践している者にはどのような対応が可能であろうか。
ハームリダクションの最初の目標はリスク行為をいきなり中止させることではなく、まずリスク行為を修正させる方向性を維持させ、問題をそれ以上悪化させないようにすることにある。
リスク行為をそれ以上悪化させず安定させることができて、初めて次の段階、すなわちリスク行為の削減へと向かう。
これは段階的改善から完全な中止まで幅広いプロセスがある。具体的には、自助グループのグループセラピーによって得られる経験的な成功、失敗事例の情報交換による中毒者の認知パターンと行動パターンの改善の促進、またヘロイン中毒者へのメタドン、アルコール中毒者へのナルトレキソンなどの薬物療法による状況の安定化も採用される。
ただここで重要な点は、いかなる改善プロセスも、常にサービスのプロバイダーとクライアントとの間での話しあいによる協同作業でしか進めない点である。
疾病モデルの治療行為では、クライアントとの協同や話しあい抜きで、用意された治療技術を強制的にクライアントに受けさせる場合が大半である。しかしこれではクライアントに治療への動機づけ、自己管理方法が根付かず、リスク行為を回避させる為の行為パターンや認知パターンそれ自体が改善されることがないため、身体的問題は解決してもプログラムの終了後再発することが多い。
ハームリダクションが非合法麻薬の使用も含め中毒者の現状を受け入れるクライアント中心主義(client-centered approach)でプログラムを進める理由は、自発的な段階的自助努力によってしか中毒者の認知パターン、行動パターンを根本的に改善することがないと考えるからである。[7]
しかし運転手がどれだけ慎重さとリスクを回避する意志があっても、車が整備不良であったり道路に問題があれば事故に遭遇する確率は高くなる。
同様にヘロインの中毒者が、清潔な注射針や安全に注射を行う場所を確保できなければ、本人の意志に関係なく高いリスクを負うことになる。
ゆえにハームリダクションを成功させるためには、リスク行為を取り巻く社会環境の整備が必要条件として要求される。
具体的には、オランダ、スイス、オーストラリアなどで実施されている注射針の交換や注射部屋(injecting room)の提供、メタドンや医療ヘロインの支給、無料コンドームの配付、中毒者のためのシェルター整備などがあげられる。
ただしこれらの実践には、何が合法的に可能で何が不可能かを決定する公共政策や法律との関係が常に考慮される必要がある。
注射部屋の設置には、ドラッグの単純所持と使用の非犯罪化が最低限必要であり、法的な裏付けがなければこれらの環境整備は不可能である。
またHIV予防のためのコンドームの学校などでの配付は、保守的な政治家や教育団体から反対されることが多く、ハームリダクションの環境整備の実現には法律だけでなく社会の一般道徳との整合性も問題となる。
ゆえにハームリダクションの実践には、国や地方公共団体の理解、また広く言えば世論の支持が不可欠であるが、それは他の社会問題と同じく、多くの場合問題が悪化してからしか得られないものである。
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[7] Ibid., p.62.
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またハームリダクションアプローチを行う団体は、そのほとんどが草の根レベルから発生したボトムアップのコミュニティベースの運動で、政府や行政機関によるトップダウン式組織でないという特徴がある。
その多くが元麻薬中毒者やその家族、麻薬中毒者を持つ地域に住む人々によって運営されており、地域住民にとっては中毒者へのサービスの提供が地域の公衆衛生、住環境の改善と直接結びつくため、ハームリダクションプログラムは、サービスの供給者とその受益者が一致した活動:provider-client modelとして定義されることもある。[4]
実践としてのハームリダクションプログラムは次の3つの基本的戦略によって成り立っている。
1)リスク行為を行っている個人、グループへの働きかけ、2)環境の改修、3)社会政策の転換の実践である。[5]
この3つの基本戦略は車の運転を例に説明すると分かりやすい。車の運転は毎年数多くの死者を出すリスクを伴う行為の一つであるが、そのリスクを軽減するために、1)運転手の教育と訓練、2)車と道路の安全対策(シートベルト、エアバック、良く舗装された道路など)、3)運転を規制する法律と政策(速度制限、飲酒運転の禁止、その他の交通法)が、社会的に実践されている。
麻薬の使用に対するハームリダクションでも、この車の運転に伴うリスク軽減と同様の観点から種々のサービスが中毒者に提供されることが目標とされる。
まず「個人とグループへの働きかけ」においては、何らかのリスクを伴う行為を行う人々に、そのリスクを軽減させるための方法が教育プログラムの中で教えられなければならない。
いわゆるJust Say Noポリシー(日本でいうダメ絶対ダメ政策)で行われている予防プログラムとは異なり、ハームリダクションではすでにリスク行為の実践にイエスの選択をしている人々に対しても効果を持つような予防プログラムが想定される。
この教育プログラムには様々な形態があるが、学生、若者を対象としたリスク行為に対するグループディスカッションが一般的である。ここでは、政府や大人の専門家などの権威集団からのレクチャー形式のトップダウン型知識ではなく、参加者、学生からの意見、経験を取り入れた参加者相互間で与えられる情報をベースとする。
ワシントン大の中毒行為研究センターのアラン・マルラットは、ある高校で彼が行った飲酒のハームリダクションの教育プログラムをディスカッション形式の一例として紹介している 。[6]
そこでは未成年者の飲酒という、非合法ではあるが一般的に行われている行為について、学生間で教師を立ちあわさせずに彼らの考えを自由に議論させている。すると議論を通じて、飲酒を行わないもの、既に経験しているものの双方から、飲酒の良い面、悪い面に関する一般的、経験的知識と共に、飲酒に関する数多くの疑問や質問が出てくる。
さらに参加者の関心が強い飲酒にまつわるトピック=参加者が抱える具体的問題(他人に飲めと言われた時にどのように対応すべきか、飲みすぎた友人をどうやって介抱すればよいか、男性と女性の飲酒効果の違い、飲酒のセックスへの影響など)を自由に議論させる。こうした関心の高いトピックに対する議論を通じ、飲酒の善悪両面と、どういう飲酒パターンが危険であるかを生徒に認知させ、飲酒のハームリダクションの実践的知識を生徒に持たせる方法が採用されている。
ここで重要な点は、車の運転と同様に飲酒という行為にコミットすることの結果に対する個人の選択と責任が強調されることである。
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[4] Ibid., pp.53-54.
[5] Ibid., p.58.
[6] Ibid., pp.59-60.
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このような考え方に基づき、ハームリダクション政策では、麻薬使用者に対する禁止政策とは異なる治療アプローチが模索される。
禁止政策の基本的方針であるゼロ・トレランス政策(zero-tolerance policy) では、いかなる非合法麻薬の使用も禁止し、完全な使用の停止を罰則と治療によって達成しようとするため、治療プログラムでも完全な使用の中止を治療における必須条件とし、基本的に麻薬の使用を継続している患者の受け入れは拒否される。
これに対しハームリダクション政策では、使用の中止を望ましいものとは考えるが、必ずしもそれを中毒治療に対するアプローチの必須条件とは考えず、麻薬中毒者にとってサービスを受けやすい敷居の低いプログラムを提供することが前提とされている。
中毒者に対しては、「どこに到達するべきか」ではなく、「現在どこにいるのか」という視点が重視され、段階的な改善が奨励される。[3]
具体的には、麻薬そのものを使用したメインテナンス治療や代替物質治療、また麻薬使用の継続を認めた上でのグループディスカッションなどの治療プログラムへの参加、使用形態のより安全な形(例:清潔な注射針の使用、安全な場所での使用など)への移行などが努力目標として設定される。
またこうした段階的アプローチは、一見薬物使用とは関係がないとみなされがちな中毒者の生活全般の改善努力においても同様に採用される。
多くの場合助けを求めてくる中毒者は、麻薬の使用以外にも、家族、他者関係の悩み、経済問題、副次的な健康問題など多様な問題群を抱えている。禁止政策が、こうした彼らの具体的問題にはあまり関心を示さず、彼らを犯罪者や病人と定義し処罰や治療によって使用の中止を促そうとするのに対し、ハームリダクション政策では、中毒者の多様なライフスタイルの構成要素を全体的に扱い、麻薬の使用法、性交渉の状況、健康、栄養、経済状況、中毒者の人間関係など、中毒者の生活全体への包括的なアプローチを重視し、改善の可能な部分から対処し彼らの生活改善と社会適応を図るプロセスが実践される。
つまりハームリダクション政策とは、麻薬の使用に伴う有害性の縮減という方向性さえ保たれていれば、仮に使用が継続されていても、その方向性に向かうあらゆる努力が採用される、問題に対するプラグマティックな政策といえる。
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[3]Marlatt, G. Alan (ed.) (1998) op.cit., p.55
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薬物政策研究者のtakuさんによる論稿を連載します。ハームリダクション政策とは何か、日本の薬物政策を考えるうえでもとても参考になると思います。
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第1節 はじめに ─ハームリダクション政策の基本的アプローチ
ハームリダクション(有害性縮減)とは、麻薬の使用と中毒問題に対する、道徳、疾病モデルに代わる、公衆衛生(public health)の視点からの代替的アプローチである。
これまでアメリカでは、長年麻薬の使用と中毒は、道徳モデルと疾病モデルが、時には両者が競合しながらも、この2つのモデルを基本に取り扱われてきた。
禁止政策がその理念の基礎に置く前者の道徳モデルにおいては、ある特定の麻薬の使用と頒布は非道徳的行為と定義され、刑罰に値する犯罪行為として法的に規定される。
この道徳モデルから80年代以降のアメリカのドラッグウオーは遂行されており、その究極の目的は、非道徳的存在である非合法麻薬とその使用者が完全に消滅した社会の実現にある。
その実践は、生産国での根絶作戦、DEAを中心とした密輸の取締り、警察による国内の売人及び使用者の逮捕など、主に刑事司法制度を通じて行われる。
一方の疾病モデルは、麻薬の使用と中毒を病気とみなし、これに治療とリハビリが必要と考えるアプローチである。
個人の薬物の使用に対する欲求を改善、矯正することに主眼を置く予防と治療プログラムが中毒者には適用され、これによって麻薬の需要削減が目指される。道徳モデルが中毒者を処罰に値する犯罪者とみなしているのに対して、疾病モデルは中毒者を病人とみなし治療によって完全な麻薬使用の停止(abstinence)を目指す点に両者の大きな違いがある。
この2つのアプローチは互いに敵対してきたが、しかし両者はともに、麻薬の使用削減(use reduction)によって最終的には麻薬の使用を社会から根絶させることを目標としている点では共通した麻薬問題に対するアプローチといえる。[1]
これに対しハームリダクション政策のアプローチでは、道徳モデルのようにある特定の麻薬の使用が道徳的に善か悪かという判断は行わず、また疾病モデルのように彼らをあえて病人と定義することもない。
ハームリダクション政策では、麻薬が完全に存在しない社会というビジョンは追及されず、それが仮に望ましい状況であったとしても、現実には実現困難なユートピア的目標とみなされる。
現実には社会の多くの人々が麻薬を使用しているという状況を受け入れた上で、麻薬の使用によって使用者と社会が被る有害性をいかにして削減するか、ここにハームリダクションの中心的関心がある。
薬物使用とHIV感染の研究を行っているデス・ジャルライスは、薬物使用に関するハームリダクションについて、公衆衛生学の立場からその基本的考えを次の5点にまとめている。
1.サイコアクティブな薬物へのアクセスを有する社会においては、非医療目的でのそれらの使用は不可避的である。麻薬政策は、非医療目的での薬物の使用を根絶するというユートピア的信念を基礎にすることはできない。
2.非医療目的での薬物の使用は、不可避的に、重要な社会的、個人的な害を生みだす。麻薬政策は、すべての薬物使用者が常に安全にそれらの薬物を使用しているというユートピア的信念を基礎とすることはできない。
3.麻薬政策はプラグマティックでなければならない。麻薬政策は、その実際の結果によって評価されねばならず、シンボリックなレベルで正しいか間違っているかということで評価されてはならない。
4.薬物の使用者達は、大きなコミュニティの不可欠な一部をなしている。それゆえコミュニティ全体の健康を守るためには、薬物使用者の健康を守ることが要求される。ゆえに薬物使用者をコミュニティから孤立させるのではなく、コミュニティの中に統合することが要求される。
5.薬物の使用は、多様なメカニズムを通じて社会と個人に害をもたらす。ゆえにこれらの害に対処するための幅広い措置が必要とされる。これらの措置は、中毒治療を含む薬物使用者へのヘルスケアの供給、なんらかの薬物を使用しがちな人々の数の削減、また特に、使用者をより安全な薬物の使用形態へと転換させることを含む。ハームリダクションを行うためには、必ずしも非医療目的での薬物の使用そのものを削減させる必要性はない。
(中略)ハームリダクションは、合法、非合法両方の薬物の使用者に対するステレオタイプによってではなく、リサーチに基づいた政策を取る必要が強調される。[2]
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[1]Marlatt, G. Alan, "Basic Principles and Strategies of Harm Reduction" in Marlatt, G. Alan (ed.) (1998) Harm Reduction: Pragmatic Strategies for Managing High-Risk Behaviors, New York, London; The Guilford Press, p.50.
[2]Des Jarlais, D.C. (1995) "Harm Reduction: A Frame Work for Incorporating Science into Drug Policy", American Journal of Public Health, 85(1), pp.10-11.
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