15日の夕、厚生労働省医薬食品局医薬情報室から電話がありました。追加で出した情報開示請求についての対応としてでしたが、担当の方によると、改めて麻薬対策課で調べたところ、1回目の情報開示請求に対する回答となる文書があったそうです。追加分に関しても。
私は薬害エイズ問題における厚労省の犯罪的な対応を思い出しました。いわゆるファイル隠しや改竄です。1ページ目を差し替えた誤魔化しもありました。
川田龍平さんの公式サイトにも書かれています。
ラウム10号"Raum" Ryuhei KAWADA 川田龍平 公式ページ
http://www.kawada.com/Raum/Raum_010.htm
今回、情報開示請求で求めたのは以下の3点です。
1.厚生労働省所管の(財)麻薬・覚せい剤乱用防止センター「ダメ。ゼッタイ。」ホームページの運用・管理に関する全ての文書.
2.同ホームページ中の大麻に関する記述の根拠を示す全ての文書.
3.同ホームページの運用に関し、厚生労働省が同センターに委託している内容・事柄を示す全ての文書.
上記3点について、文書による回答を送って頂けるとのこと。
あるならもっと早く出してくれればいいのに。何が出てくるのか楽しみです。
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さゆりさんの妹の件、3回目となる公判のレポートが届きました。
さゆりさんの妹は、身に覚えのない大麻密輸の罪で逮捕され、本人は取り調べでも公判でも否定し続けているものの、実刑の可能性が高いと複数の弁護士が印象を語っています。
「それでも僕はやってない」という映画がありますが、一般国民が知らないだけで、日本には冤罪で服役している人が多いのかもしれません。
THCには、最近、さゆりさんの妹の件とは全く別件で、もう一つの冤罪事件について相談が寄せられています。こちらのケースも取り調べで当局に都合の良い調書を作られてしまったことが痛手となっているようです。
さゆりさんが依頼した妹の弁護士は、やる気のなさそうな裁判官を叱咤するように健闘して頂いているとのことですが、それでも状況は厳しいそうです。
* * *
1月初旬、3回目の裁判が行なわれました。
前の裁判が長引いていたため、開廷時間も遅くなりました。
着席し、始まるのを待っていると、検察官の姿がなく、しばらくしてから法廷に入ってきました。
そのため開廷するのがさらに遅れました。
この日の裁判は、検察側と弁護側のそれぞれの同意するもの、不同意にするもののやりとりだけで、今回も妹が証言台に立つことはありませんでした。証拠として採用するかどうか、法廷では証拠番号や記号で話されるので、傍聴席では内容がよく分りませんでした。時間も20分程で閉廷しました。
初公判の時から携帯のメール等の提出を求めてきたのですが、携帯のメールだけ提出し、その他は提出されませんでした。
缶の指紋検査の結果の提出、彼氏の身辺調査などの書類は提出されなかったため、弁護士がそのことを今回も指摘したところ、裁判官は「缶の指紋を提出したところで、証拠能力が高いとはいえませんがね」などと言い、弁護士が食い下がったので、次回提出されることになりました。
捜査したもの、調べたものを全て提出すれば、真実は浮き彫りになり、第三者の立場からでも妹が騙されていたこと、彼女が主張していることは間違ってないこと、彼女の無実は明白だと思うのです。
事件に関するもの、持っているものを出し惜しみしないでほしい。
次回の裁判は2月下旬になります。
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大麻密輸の濡れ衣で逮捕されたさゆりさんの妹の第2回公判レポートです。証拠品を忘れたという検事といい、やる気のない裁判官といい、被告人にされている者の人生をどう考えているのでしょうか。
弁護士が被告人である妹を横に着席させて公判に臨んでいるのは、妹にとってとても心強いことでしょう。検事や裁判官の態度には怒りを覚えますが、弁護士の姿勢が救いです。
* * *
11月下旬に2回目の裁判がありました。予定された2時間裁判が行なわれました。
その日の傍聴席は10人以上座っていました。私が法廷に入ると、妹はすでに着席していました。前回のように家族の姿を見て泣いてしまうことはなく、とても落ち着いていていました。
この日は弁護士の隣にいたので、彼女の表情が傍聴席から見えました。
今回の裁判は、検察官が証拠によってどんな事実を証明しようとしているのかを陳述することから始まりました。
税関職員2人(以下A氏・B氏)が法廷で証言しました。2人は法廷で真実を述べることを宣誓し、B氏は部屋を出ました。
A氏は氏名・職業・勤続年数、以前違法薬物を摘発したことがあることなどを答えました。
若い女性が頻繁に渡航していることは経済的に考えておかしいということ、妹が持ってきてしまった缶詰は普通の缶詰と比較してラベルが雑だったなどの理由でX線検査を担当しているB氏に検査を依頼したことを述べました。
途中で彼女の使用していたスーツケースについて言及したのですが、肝心のスーツケースを検察官は前回同様、今回も忘れたと言って、法廷に持って来なかったのです。
開廷前に書記官と検察官が「またスーツケースを忘れた」というやりとりが耳に入ってきて、とても不安になったのですが、案の定、証拠品であるスーツケースは法廷に出できませんでした。
A氏は検察官の尋問と弁護士の尋問の証言が矛盾しているところもあり、傍聴していて苛立ちを感じました。
A氏の証言が終わると、A氏は退廷し、次はB氏が入ってきました。
A氏同様、B氏は氏名・職業・勤続年数をなどを答えました。
A氏の依頼でB氏がX線に缶詰を映したら、中身は細い楕円形だったので(果物の缶は液体が入っているため、丸くなることはない)B氏は「どこで購入したのですか」と妹に尋ねたところ妹は「スーパーです」
と答えたとB氏は証言しました。
B氏「値段はいくらでしたか」
妹「0.75ユーロです」
というやりとりがあった時、妹は首を横にふり、声には出さなかったけれど「そのようなことは言ってない」と言ったのが印象的でした。
私は、両氏の証言はいい加減であてにはならないものだと感じました。妹の表情もだんだん険しくなり、証言台にいる彼らを怒りがにじんでいる鋭い目で見ていました。彼らの証言に妹が首を横にふり、「そんなこと言ってないじゃん」「嘘ばっかり!!」と言っている場面が何度もありました。
B氏は持ち込み禁止を記載したものを妹に見せ、妹はそういうものはないということ、缶の中身は知らないということを伝えました。
今度はX線に映ったものを妹にも見せて、X線検査の後、妹は検査室に行ったようです。そこで缶を開封したところ茶色い粘着テープに巻かれたものが入っていて、ものすごい臭気がしたようです。
仮鑑定をしたところ、大麻の反応が出たので、妹は【大麻取締法違反、関税法違反】の現行犯として逮捕されました。そのように告げられても妹は反論しなかったことなどを聞くと、彼女は長時間検査に拘束され、あまりに突然のことで状況を把握することもできなかったのではないかとその当時の妹の様子を想像し、私は今回の裁判で逮捕されるまでの出来事を税関職員の口から初めて聞かされたので、逮捕されてから今まで彼女がどんな思いで毎日を過ごしているかと思うと、涙があふれました。
そしてB氏は、缶詰が入っていた袋は日本のものだったこと、妹が「以前、缶詰を購入した店で袋をもらうことができなかったため自分で持って行った」と言ったこと、その缶詰を妹が自分で購入したと言ったと証言したのです。
X線検査後、検査室で缶を開封した時、妹は税関職員に何度も「これは何ですか」「これは何だか分かりますか」との質問をされています。そのたびに「分かりません」と答えています。中味が分からないものなど現地で購入するはずもなく、わざわざ日本から缶詰を入れるために袋を持参することなどありえません。
ただ、果物のラベルが貼ってある缶詰を渡されて、中味を知らずに持ってきてしまったのです。常識的に考えて、果物のラベルが缶に貼ってあれば、それは果物の缶詰だと思うでしょう。大麻が入っているなんて疑うでしょうか。
さらに、「これは何だと思いますか」と質問したときに妹が「オランダではソフトドラッグは合法だ」と言ったと証言したのです!!!!!! 大麻を所持したことなどありませんし、吸ったこともありません。妹は、煙草すら大嫌いな人間です。そんな人間が、オランダは合法だからと言って、リスクを背負ってまで日本に持って来るでしょうか。日本で法を犯してまで、大麻を持ちこむ必要性はありません。
彼らは当時、妹の件について報告書を作成していますが、自ら作成しているにもかかわらず、法廷で証言したことと報告書に記載されていることには矛盾があるため、弁護士が矛盾点を指摘していました。
お昼頃になると、外が騒がしくなり、傍聴している人間の集中力もなくなり始め、だらけた空気を感じました。裁判官もイライラしていました。次回の最終弁論の予定を決め、閉廷すると皆足早に立ち去りました。
傍聴席にいる関係ない人間にとっては、所詮他人ごとにしかすぎず、無情で冷酷にさえ感じました。
妹はまた手錠と腰縄をつけられ、退廷するまで、私は彼女を見守りました。彼女が私をずっと見ていたので、私は何度もうなずいて、「大丈夫だよ」と心の中で彼女に言いました。
今回の裁判で妹は尋問されることもなく、一言も法廷で証言することはありませんでした。税関の職員が証言したことが、事実と異なっているときのみ、弁護士に話しかけていました。事実と異なっていても、彼らの証言に口をはさむことなく、怒りが込み上げてくるのをじっと我慢しているようでした。
弁護士は退廷するときに、裁判官に検察官が前回の裁判で携帯電話のメールの記録などを提出していないことなど、文句のようなことを言って、激怒しながら退廷しました。私も一緒に退廷し、しばらく弁護士と話しこんだのですが、「あの検察官はやる気がまったくありません」と弁護士の口から出たときは、やはり・・・という落胆と勝てるかもしれないという複雑な気持ちになりました。
前回、提出を求めている証拠品も、「証拠品を出すつもりはない」ときっぱり宣言したことは怠慢という言葉しかありません。次回の裁判は最終弁論だというのに!!! どのように焦点を絞るかという方向性や策を練るうえで、ひとつでも多く、妹に有利になるものが必要なのに、提出しないとは、あきれて非難の言葉もでません。
毎日、空港では多くの人間が入国し、税関職員である彼らは、多くの荷物を検査しています。妹が日本に帰国し、裁判まで数ヶ月経過しています。記憶は曖昧になり、忘却のかなたに押しやられていると思います。しかし、妹の人生がこの裁判で決まろうとしているのです。曖昧なことやいい加減なことは法廷で証言しないで欲しいと思いました。
今回の裁判でも考えさせられることがたくさんありました。所詮、裁判というものは、威厳に満ち、存在感が一際ある裁判官の虫の居所で判決が下るということをや、やっつけ仕事という観念しかないということを感じました。
検察官や裁判官はあまりにも無責任すぎます。
人の人生を左右する立場にあることを自覚し、物事の本質を見極めて、誠意を持って裁判に臨んで欲しいと思います。
私たち家族は本当に無力で、法廷では傍聴席に座り、裁判の行方を見守ることくらいしかできません。しかし、彼女が冤罪であることは明白なのです。妹に接見しに行くと、そこで働いていらっしゃる職員の方達は、皆さん口々に「彼女はこの場所にはいないタイプの人間だし、いるべきではない」、「彼女のような人がどうしてこのようになってしまったのか分からない。言葉が悪いけど、騙されたんだよ」「早く出られるといいね」と声をかけて、励まして下さるのです。
妹がお世話になっている職員の方達からも、彼女は冤罪ということが明白であり、彼女と接している周囲の人間は真実を理解しています。
最終弁論は1月初旬です。
妹の姿を見るたびに、言葉では言い表わすことができない感情があふれて、涙を流さずにはいられません。彼女に余計な心配をかけないように姉として、気丈に振る舞わなければいけないのに、彼女を目の前にすると、感情をコントロールすることができません。
初公判から今回の裁判まで2ヶ月近くあったので、その間、妹が今まで住んでいたマンションを解約し、引っ越しをすませ、住民票を実家に移したりと、身辺を整理しました。
妹のマンションに行くと中から彼女が出迎えてくれる気がしたり、最寄の駅にいると彼女が道を歩いていて私に声をかけてくれるのではないかと思ってしまいます。
彼女は拘留され、裁判も始まっていることが現実ですが、私には、この現実は悪い夢を見ているような感覚であり、彼女の面影がその街にはたくさんあって、電車に乗ることすらためらうことがあります。
おいしいご飯を食べること、テレビをみたり、音楽を聴くこと、日常生活において当たり前にしていることを拘留されている妹たちは何一つすることが許されないのです。
決められた時間に決められたことしかできず、自由を奪われ、未来に不安を感じて毎日を過ごしていくことは、精神的にとても追い詰められます。名前ではなく番号で呼ばれ、人間以下、家畜同然の扱いを受ける彼女たちの生活や精神状態は私たちの想像をはるかに越えていると思います。私が彼女と代わることができて、今すぐにでも自由を手にすることができるなら、代わりたい。妹を救い出せるなら何でもしてあげたい。
マンションを引き払ったり、住民票を移すことは、大げさかもしれませんが、彼女がこの世に生を受け、今まで生きていたことを全否定され、存在事体がなくなりつつあるように感じました。今まで積み上げてきたものが一瞬にして破壊され、そこから立ち上がることは困難です。何をしていても妹のことを考えてしまい、何をしていても、心から楽しむことができません。妹に対して申し訳ない気持ちになります。
一人で海外に行かせるべきではなかった、同行していたら今回のようなことにはならなかったかもしれないと悔やんでも悔やみきれません。しかし、妹は起訴され、裁判が始まってしまったのです。彼女の精神的支えになれるのも家族だけだし、救い出すために私たちは何でもするつもりです。
冤罪である妹が早く私たちのところへ帰ってくることができるように・・・
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11日に郵送した厚労省宛の情報開示請求について、厚労省医薬食品局医薬情報室の担当の方から電話がありました。情報公開の担当は麻薬対策課ではなく、同部署になるのだそうです。
情報開示を請求した内容は「厚生労働省所管の(財)麻薬・覚せい剤乱用防止センター「ダメ。ゼッタイ。」ホームページの運用・管理に関する全ての文書、及び同ホームページ中の大麻に関する記述の根拠を示す全ての文書」についてですが、担当の方が管掌部署の麻薬対策課に問い合わせて得た回答によると、「ダメ。ゼッタイ。」ホームページの運用と管理は(財)麻薬・覚せい剤乱用防止センターに委託しているので、該当する文書はないそうです。丸投げしているということですね。
これで改めて運用と管理は同センターが最終的な責任を持つことが明確になりました。来年度の大麻情報全面見直しとその予算化についても、同センター、具体的には唯一の常勤である糸井専務理事にその責任があるということでしょう。
「ダメ。ゼッタイ。」ホームページの大麻情報についても、その根拠となる文書は一切ないそうです。麻薬対策課の秋篠氏が3ヶ月かけて調べても根拠などないはずです。情報係長の藤原氏が「まあ、根拠はないんでしょうね」と、あっけらかんと回答したのも事実であることが確認できました。最初からないものねだりだったわけです。該当する文書がないので、電話での「ない」という回答でオシマイにもできるのですが、「ない」ことを文書で回答してもらうことにしました。30日以内に送付されるそうです。
また、厚労省が所有している全ての大麻情報をもらいたいと伝えたところ、「ダメ。ゼッタイ。」ホームページの大麻情報の根拠ではないが、厚労省の研究班が出した大麻情報の冊子があり、それは公になっているもので、一般的な行政サービスとしてコピーを送ることはできるとのことなので、文書回答と併せて送ってもらうことにしました。秋篠氏はそんなこと言ってくれもしませんでしたが。届き次第公開します。
厚労省は「ダメ。ゼッタイ。」ホームページの大麻情報の根拠を一切持っていないこと、運用や管理についての規定もなく、センターに丸投げしていることも明確になりました。
同センターのサイトには、「このホームページは厚生労働省の委託を受けて運営しております」と書いてあるのですが、それでは厚労省はどのような委託の仕方をしているのでしょう。運用と管理については文書がなくても、委託内容くらいはちゃんと文書があるのでしょうか。
この点を確認するため、再度情報開示請求書を郵送しました。開示を求めたのは「(財)麻薬・覚せい剤乱用防止センター「ダメ。ゼッタイ。」ホームページの運用に関し、厚生労働省が同センターに委託している内容・事柄を示す全ての文書.」です。運用と管理は丸投げにしても、委託内容についての文書くらいあるのでしょうか。ないのでしょうか。近日中に分ります。
同ホームページの大麻情報は古くて見直しの必要があることは厚労省もセンター専務理事も既に電話インタビューで回答しており、糸井専務理事は来年度の全面見直し予算化についても明言しています。
約束が守られない場合に抗議・糾弾の対象となるのは糸井専務理事であることが明確になりました。
来年が楽しみです。早く来い来いお正月であります。
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前の記事で紹介したサイト、WeBeHigh.comに、各国の大麻規制状況が書かれていますが、その中に日本も取り上げられていて、「Where to buy Marijuana in Tokyo」という記事がありました。
Where to buy Marijuana in Tokyo: Since law enforcement is so tight in Tokyo, you should be very careful with street purchases. However, if you are set on making a purchase, try going to SHIBUYA (Tokyo shopping and entertainment district) and talk to the middle-easterns standing by the corner of jewelry shop across SAKURAYA. they got some weed for sure, but quality varies. When you buy, have a look through fillers can be found in the sacks on occasion. Marijuana cannot be found anywhere but hash is pretty easy to score.
you should be very careful with street purchases. って、大丈夫かなあ。あまりに具体的なHow to getでおっかない感じがします。泳がされている売り手をマークし、買った者を尾行して職質をかけ、現行犯逮捕。そういうケースが少なくないようですが、法的な規制内容だけでなく、取り調べの後進性を含め、日本で大麻で逮捕されるととんでもない目に遭う点も強調したほうが良いように思いました。
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厚生労働省宛に「行政文書開示請求書」というのを送りました。
「厚生労働省所管の(財)麻薬・覚せい剤乱用防止センター「ダメ。ゼッタイ。」ホームページの運用・管理に関する全ての文書、及び同ホームページ中の大麻に関する記述の根拠を示す全ての文書」について明らかにするよう求めたものです。
開示請求書が厚労省に届いた後、担当者から連絡があり、詳細を確認したうえで処理されるそうです。
現在、行政は各種手続きをネット経由でもできるように取り組んでおり、それは一面で肯定的に評価できることだと思いますが、住基ネットのように、個人情報保護の観点から問題化している側面もあります。
で、今回、情報公開の請求をネットでやろうと思い、「厚生労働省 電子申請・届出システム」のページを見ながら作業を始めてみたところ、プログラム的なエラーが出てうまくいきませんでした。問い合わせセンターの連絡先電話番号があったのでかけてみたところ、オンライン申請に必要なJRE (Java[tm] Runtime Environment)というプログラムが、最新版では使えず、以前のバージョンでないと動作しないのだそうです。なので、最新版のJREがインストールされている場合、それを一度削除しないといけないそうです。ただでさえ分りにくいネット申請の説明ページなのですが、これでは使い物になりません。結局、紙で郵送しました。
このシステムは使い物にならないという抗議も多いそうで、来年度にはシステムを改めるそうです。
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ハームリダクション政策では、麻薬中毒者を社会的に再統合するため、彼らの存在の社会的ノーマライゼーションが目標として掲げられている。
そこには、非合法麻薬の使用に限らず、売春婦、ホモセクシャル、精神障害者に対するレイベリングという社会的問題が、もとより社会がある特定の集団を周辺化していることから生じた問題であるという認識と、彼らの行為に対するメインストリームの価値規準に基づく道徳的判断を括弧に入れた、一定の異質性、逸脱性を受け入れる寛容性が必要とされる。
ゆえに本稿で取り上げたカナビスの非犯罪化政策も、それがヘロイン中毒者のみを分離してカテゴリー化し社会的に周辺化するのであれば、本来の政策的理念を本質的に見失った処置と言わざるを得ない。
カナビスの非犯罪化は、オランダモデルにみられるようなハードドラッグの使用者に対する多様なサービスの提供と同時進行されることによって、その本来の政策的意図が達成されるものと筆者は考える。
麻薬問題に関するハームリダクション政策の実践にとって大きな障害となるのは、麻薬の使用全般に対して多くの人々が自然に持っている道徳的嫌悪感ではなく、むしろある道徳的規準からみて異質とみなされる他者に対する否定と排除の論理であると考える。
ゆえに麻薬問題におけるハームリダクション政策が社会に根づくためには、その政策的効果から見たプラグマティックな動機だけでなく、その前提としてマイノリティ、社会的弱者、外国人文化、サブカルチャーを包摂した社会統合を可能とするような、他者理解を志向した一定の道徳的、倫理的寛容性が要求されると考えられる。
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この出来事で我々の関心を引くのは、なぜアメリカ政府はオランダの麻薬政策に対して、すぐに分かるような作為的な統計や根拠のないセンセーショナルな発言までしてこれを攻撃せねばならないのかという点である。
オランダ政府はこれまで、自国の麻薬政策を他国でも導入するように何らかの働きかけを行ったことは一度もないし、アメリカ政府の禁止政策を公式に批判したこともない。
上述したように、オランダはヘロインの中毒者数の減少や、IDU(注射針による薬物の使用者)のHIVへの感染率の低下(1996年のオランダのIDUがHIVの感染者全体に占める割合は10%であり、これはヨーロッパ平均の39%、アメリカの50%とも比べて著しく低い水準にある)など、独自の麻薬政策によって麻薬問題に対して一定の成果をあげてきた。[33]
こうした成果は、本来同じく麻薬問題に取り組むアメリカ政府にとっても歓迎されてしかるべき成果のはずである。
しかしアメリカ政府はこれとは全く逆の態度を取り続けてきた。このアメリカ政府の態度を、筆者は非合法麻薬問題の改善に向けての合理的態度というよりは、むしろ麻薬問題に対する態度を政治的にイデオロギー化した結果生じたもの考える。
アメリカ政府は非合法麻薬の使用をいかなる形であれこれを非道徳的行為と定義し、「止めよ、さもなくば罰する」という論理でこれに対処してきた。
もともと麻薬問題における実務経験も専門的知識もない元軍人のマキャフリーがONDCPの長官に任命されたのも、クリントン政権後期に議会で共和党が多数を占めたことにより、麻薬問題にタフな姿勢を国民に示すための政治的配慮による所が大きい。
ここには、ハームリダクションが重視する中毒者の生活と生存に関する人権の尊重や、麻薬問題を改善するためのオールタナティブな手法への実証的、科学的議論は排除され、既に第1章でふれたように、非合法麻薬の存在そのものを消滅させるという道徳的命題が先行している。
結果、その麻薬政策は、非合法麻薬が全く存在しない社会(drug-free society)が理念的目標に掲げられ、使用者には完全なアブスティナンス(使用停止)を要求し、政策的有効性よりは道徳的理念に対する一切妥協のない政治的主張の実践そのものに価値の中心がシフトしているように思われる。
ドラッグウオーに批判的なアメリカ人社会学者のレイルマンが指摘するように、「いかなる統計も、またいかなる経験的に有効性が認められる発見も、完全な解決の到来という幻影を却下することはありえない」という、アメリカの麻薬政策が持つイデオロギー的性格が、この一連のオランダの麻薬政策に対するアメリカ政府の嫌悪感の基礎にあるように思える 。[34]
歴史的にアメリカの麻薬問題は、階層的社会の中での人種差別、貧困の存在と常に密接な結びつきを持ってきた。
20世紀初頭の中国人のアヘン喫煙、黒人のコカイン、70年代の都市ゲットーでのヘロイン、その後の黒人のクラックなど、麻薬問題は常にマイノリティと貧困層の周囲に広がっており、アメリカ政府による麻薬問題に対する罰則的手法は、彼ら社会的弱者をさらに社会的に周辺化してきたという事実がある。
そしてこの背後には、メインストリーム文化の担い手である社会的マジョリティの外国人や異文化の流入と浸透に対する恐怖心が働いており、それは第1部で紹介したような20世紀初頭の反麻薬運動のディスクールに共通して存在していた、ドラッグの使用と結びつけられて表象されていた中国人や黒人による白人女性へのレイプ、ないし異種混交への白人男性の恐怖に典型的に現れていると思われる。
また包摂型社会と排除型社会の対比を論じる犯罪社会学者のジョック・ヤングは、逸脱者の排除をよりマクロな社会構造に要因を求めながら、これをヨーロッパ社会も含めた大きな社会動向と捉えている。
彼によれば60年代、70年代に興隆した包摂型社会においては、差異や問題性は修正されるものと捉えられ、逸脱者も我々と同じ存在(just like us)であるか、あるいは我々の中にあるものが欠けているだけ(lacking in us)の存在とみなす差異を極小化するディスコースが一般的であった。
それに対して排除型社会である現代社会では、差異は至高の価値として承認され誇張される。
この差異を強調するディスコースは、彼によれば生物学的また文化的な本質主義(essentialism)によって確定されており、個人に存在論的安心感を与える一方で、優越性の正当化、非受容の正当化、他者への非難や悪魔化を助長し、麻薬常習者などの逸脱者を排除する土壌を生みだしているとみなされている 。[35]
こうした傾向は、特にキリスト教右派や反イスラムの言説の台頭が著しい現代のアメリカ社会に顕著な傾向と思われる。
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[33] 括弧内の統計は、Majoor, Bart “Drug Policy in the Netherlands: Waiting for a Change”in Fish, Feggerson M. (ed.) (1998) How to Legalize Drugs, Northvale, New Jersey and London; Jason Aronson INC., p.150.
[34] Ibid., p.156.
[35] Young, Jock (1999) pp.102-105.
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アメリカ合衆国では、実のところオランダよりも早く1973年から78年にかけて、オレゴン州を皮切りに11の州でカナビスの少量の所持を非犯罪化する法律が成立している。
しかし、比較的麻薬に寛容であった70年代が終わり、80年代のレーガン政権以後内外でのドラッグウオーが本格化してからは、長年に渡ってアメリカ政府はオランダの麻薬政策に批判的態度を貫いてきた。
以来、様々な客観的根拠の乏しい非難や中傷をアメリカ政府はオランダに対して行ってきている。中でもクリントン政権時のONDCP(Office of National Drug Control Policy)長官であったバリー・マキャフリーのオランダ訪問に先だって行われた批判は有名である。
この一連の出来事は1998年の7月の始め、マキャフリーがホワイトハウスの麻薬政策の責任者としてオランダへの視察旅行を発表したところから始まる。
マキャフリーはオランダ訪問に先立ち、7月9日のCNNのインタビュー番組の中で、オランダの麻薬問題に対するアプローチを「全くの大失敗」(unmitigated disaster)と評し、「オランダの若者の間では麻薬中毒者の割合がこの間劇的に増加する傾向にあり、一方我々は減少している」と発言した。[27]
さらに彼はその4日後の13日には訪問先のストックホルムでの記者会見で、ソフトドラッグとハードドラッグを区別しない禁止政策を維持しているスウエーデンの麻薬政策を称賛したうえで、アメリカでは人口10万人に対して8.22件の殺人事件が発生しているの対し、オランダでは17.58件の殺人事件が発生し、さらに犯罪件数全体でも人口10万人に対しアメリカは5,278件であるが、オランダは 7,928件とおよそ40%以上もオランダの方が犯罪発生率が高いという統計を示し、「その原因はドラッグである」との発言を行った。[28]
ONDCPのスタッフがどのようなリソースからこの統計を持ちだし、オランダの殺人と犯罪の発生率と麻薬との因果関係を証明したのかは定かではないが、当然この発言に対してオランダの統計中央局(CBS)はその誤りをすぐに指摘した。
翌14日に発表されたオランダCBSによる統計によれば、マキャフリーが持ちだした1995年の実際のオランダでの殺人の発生率は、人口10万人に対し1.8人とアメリカのほぼ4分の1で、マキャフリーの統計は未遂を含めた数字であったことが明らかとなった。[29]
マキャフリーの発言に対しオランダ大使館が正式な抗議を行ったところ、ONDCP副長官のジム・マクドナーは15日のワシントンポスト紙上でこのCBSの統計に対し、「仮にそれは正しいとしよう。しかし依然としてオランダ社会はより暴力的で、殺人に対し適切な対応をしておらず、それは自慢するようなことではない」と述べ、事実上オランダの抗議を無視し一切謝罪することもなかった。[30]
このマキャフリーの一連の発言に対しオランダでは、保守的なキリスト教民主系の新聞Trouwでさえ、一面でマキャフリーの発言を「統計の乱用」と批判し、同じく自国の麻薬政策に批判的な保守系新聞、De Volkskrantもその社説の中で、アメリカは「既にドラッグウオーに敗戦」しており、マキャフリーの間違いだらけの申し立ては「禁止政策の破綻」を証明しているもので、アメリカの麻薬撲滅運動は既に「脱線してしまっている」という主張を掲載した。[31]
これと同様のアメリカの役人による発言は、NIDA(National Institute on Drug Abuse)の創設時の長官であったロバート・デュポンによる、フォンデルパーク(アムステルダムにある公園)のオランダ人の若者を、「カナビスでストーンしたゾンビ達」と評した発言や、また他のドラッグツァーリによる、「アムステルダムの通りは、ジャンキーにチップを渡しながらでなければ歩くことはできない」などの発言が有名である。[32]
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[27] Portland NORML News, July 15, 1998 [http://www.pdxnorml.org/980715.html].
[28] Reuters, 13 Jul 1998, “U.S. Drug Czar Bashes Dutch Policy on Eve of Visit, Monday”.
[29] Portland NORML News, op.cit.
[30] Reinarman, C. (1998) “Why Dutch Drug Policy Threatens the U.S.” (Published in Dutch), Het Parool, July 30.
[31] Ibid.
[32] Ibid.
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こうしたハードドラッグとソフトドラッグマーケットの分離、草の根レベルでの中毒者へのハームリダクションプログラムの提供によって、オランダでは1980年代の始めには20代中頃であったヘロイン中毒者の平均年齢は、現在ではおよそ40歳程度にまで上がっており、新たにヘロインの使用を開始する若者の数は大きく減少傾向にある。
人口1,000人あたりのハードドラッグ(ヘロイン、コカイン)の使用者数の割合は、オランダ2.5人、スウエーデン3人、フランス3.9人、イギリス5.6人、イタリア7.2人と、EU域内でも低い水準を保っている 。[21]
またアメリカとの比較では、12歳以上のヘロインの生涯使用経験の割合は、オランダが0.4%であるのに対し、アメリカは1.4%となっている 。[22]
カナビスの非犯罪化は、しばしば反対者からは先のカナビスはハードドラッグへの入り口となるゲートウエイドラッグであるという仮説によって批判されているが、少なくともオランダにはこの仮説はあてはまっていない。
またオランダではカナビスの使用者の割合もイギリス、フランスよりも低い数値を示しており、厳格な禁止政策を実施しているアメリカと比べ、2001年の統計によれば12歳以上で過去1ヶ月間にカナビスを使用した者の割合は、アメリカが5.4%であるのに対し、オランダは3.0%にとどまっている 。[23]
またカナビス使用者がオランダでも特に集中しているアムステルダムと、カナビスの積極的な禁止政策がとられているサンフランシスコとのカナビスの使用状況の比較調査によれば、一般的にカナビスのカウンター販売が行われているアムステルダムの方が、使用開始年齢、使用者数の割合、使用頻度などが顕著に高くなることが期待されるところであるが、両都市でのカナビスの平均使用開始年齢(AMS:16.95、SF: 16.43 )、過去3ヶ月間の使用状況(毎日AMS: 9%、SF: 5%、週に1度以上 AMS: 19%、SF: 15%、週に1度以下 AMS: 21%、SF: 34%、使用していない AMS: 50%、SF: 46%)にはほとんど差は認められなかった 。[24]
これは逆に言えば、サンフランシスコではカナビスの禁止政策がその需要と供給(入手可能性)にほとんど影響を与えていないことを証明する調査結果ともいえる。
またハードドラッグに関しては、両都市でのアヘン系麻薬の生涯使用経験と最近3ヶ月間の使用者数の割合は、アムステルダムがそれぞれ21.8%・0.5%であるのに対し、サンフランシスコは35.5%・2.7%、またクラックコカインでは、アムステルダムが3.7%・0.5%であるのに対し、サンフランシスコでは18.1%・1.1%と、使用麻薬のトレンドに両都市間での違いがあるとはいえ、禁止政策を実施しているサンフランシスコの方が高い数値を示している 。[25]
このように、少なくともオランダでは、他の国と比べてもカナビスの非犯罪化は反対者が危惧するようなカナビスの使用者の増加を招いておらず、またヘロイン使用の新規参入の防止にも一定の効果をもたらしているといえる。
こうした政策的有効性が統計調査によって証明された結果、当初はオランダの政策に批判的であったドイツやフランスとの間でも、オランダ型ハームリダクションの協同研究、ソーシャルワーカー間の交流など、オランダの麻薬政策に対する地方政府、草の根レベルでの理解が進んでいる。
以前フランスではジャック・シラクがオランダの麻薬政策を批判し、フランス政府が行った核実験よりもオランダの麻薬政策の方が危険だという批判を行ったが、オランダの麻薬政策に関する理解と麻薬問題に対する二国間の関係は近年徐々に改善されてきている 。[26]
またドイツでは、メタドン治療の普及と94年の憲法裁判所における麻薬の個人的使用に対する取締り緩和の決定により、現在オランダに類似したハームリダクション政策が実施されつつある。
しかしこのオランダの麻薬政策は、国際的な麻薬禁止レジームをリードしているアメリカ政府からは依然として厳しい批判を受け続けている状況にある。
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[21] Keizer, Bob(2001) The Netherlands' Drug Policy, Paper to be presented at the hearing of the Special Committee on illegal Drugs, Ottawa, November 19 2001, [http://www.parl.gc.ca/37/1/parlbus/commbus/senate/Com-e/ille-e/Presentation-e/keizer-e.htm].
[22] アメリカの数値は U.S. Department of Health and Human Services (HHS), Substance Abuse and Mental Health Services Administration (August 2002) National Household Survey on Drug Abuse: Volume I. Summary of National Findings, Washington, DC: HHS, p. 109, Table H.1. オランダの数値は Trimbos Institute (November 2002) "Report to the EMCDDA by the Reitox National Focal Point, The Netherlands Drug Situation 2002" Lisboa, Portugal; European Monitoring Centre for Drugs and Drug Addiction, p. 28, Table 2.1.
[23] Ibid.
[24] Reinarman, Craig., Cohen, Peter D.A., Kaal, Hendrien L. (May 2004) “The Limited Relevance of Drug Policy: Cannabis in Amsterdam and in San Francisco”, American Journal of Public Health Vol. 94, No. 5, pp.837-838.
[25] Ibid., p.840.
[26] Keizer , Bob(2001)op.cit.
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ではカナビスの非犯罪化は実際にどのように実施され、またオランダの麻薬問題の改善にどのような効果をもたらしてきたのであろうか。
上述したようにカナビスの非犯罪化は、カナビスの使用者をハードドラッグのマーケットから引き離すことを目的として実施された。
カナビスが非犯罪化された70年代当初は、ストリートの密売人を排除するため、カナビスは国や地方公共団体が出資して作られたユースセンター(アムステルダムでは現在はクラブやコンサート会場として有名なMelkwegやParadisoなど)でハウスディーラーと呼ばれる人々によって販売されていた。
こうして警察がストリートの密売人への取締りを継続する一方で、販売状況を監督、統制できるハウスディーラーの販売が容認されたため、カナビスのブラックマーケットは徐々に縮小していく。
1979年には正式にハウスディーラーのカナビス及びハッシュの販売に関する4つのガイドラインが設けられ、後に加えられた1項目を含め、このガイドラインは後述するその後のコーヒーショップでのカナビス販売に対する5つの基本的な規制項目となり、現在でもカナビスの販売者にはその厳守が義務づけられている。
その内容は、宣伝の禁止(Affichering)、ハードドラッグの販売の禁止(Hard drugs)、騒音などの近隣への迷惑の禁止(Overlast)、未成年者(18歳未満)への販売と立ち入りの禁止(Jongeren)、卸売りが可能な量(500グラム)の在庫所有の禁止(Grote hoeveelheden)であり、これらの頭文字をとってAHOJ-Gクライテリアと呼ばれている 。[16]
その他基本的な禁止事項としては、1ヶ所での5グラム以上の販売の禁止、通信販売の禁止、アルコールを同時に販売することの禁止(一部アルコールを販売している店もあるが、現在当局は新たなアルコールの販売ライセンスをコーヒーショップには発行していない)などが義務づけられている 。[17]
またその他地方公共団体によっては誓約条項という形で、駐車場の設置の禁止、夜10時半までの閉店などの追加的規制が課せられている。
1980年代に入ると先のコーヒーショップと呼ばれるパブやカフェのようなスタイルの店でカナビスは販売されるようになった。当初、当局はコーヒーショップへの取締りを積極的に行ったが徐々に販売が容認されるようになり、やがて主にヘロイン中毒者が行っていたストリートでの密売・ユースセンターのハウスディーラー販売を圧倒し、カナビスの主要な小売り形態として定着していく。それとともにカナビスの使用者がヘロインの使用者と接触する機会は減少し、80年代の早い時期にソフトドラッグとハードドラッグのマーケットの分離はほぼ完成した 。[18]
またカナビスの非犯罪化によるマーケットの分離によって新規のヘロイン使用者数を抑える一方で、既にヘロインの使用を開始している者に対しては、Junkiebond(ロッテルダム)、Jellinekcentre(アムステルダム)、Main Foundation(アムステルダム)など、政府や市からの資金援助を受けた団体が、様々なハームリダクションプログラムを同じ80年代始め頃から実施してきた。それぞれの団体が、移動バスによるメタドンやコンドームの配付、注射針の無償交換、中毒者への健康相談、麻薬の使用に関する情報誌の配付などを行い、麻薬使用者が抱える問題の改善に取り組んでいる 。[19]
こうした逮捕、拘禁に代わるサービスの提供を通じ、支援者と中毒者とが接点を持ち、中毒者の抱える様々な問題の相談に乗り、フォーマル、インフォーマルなカウンセリングを通じて、最終的にアブスティナンス(使用の完全停止)を目指すプログラムが提供されている。アムステルダムでは、およそ60-80%の中毒者がこれらの支援プログラムを通じて支援団体と何らかの接触を持っており、彼らの活動が麻薬問題の改善に向けての不可欠な要素となっている 。[20]
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[16] Ibid., p.69.
[17] 留学先のアムステルダム大学での最初の大学での全体オリエンテーションの際にも、大学のプログラムマネージャーがカナビスとアルコールとは併用しないようすべての留学生に注意を行っていた。
[18] その後アムステルダムでは、コーヒーショップの数が急増し1990年にはその数は480軒にまで上った。しかしアメリカ、フランス、ドイツ、北欧諸国などからの要請を受け、1990年に税務署の他、公衆衛生、ライセンス許可、麻薬取締り、社会福祉などの関係部署の合同によるHit-Teamsをアムステルダム市が組織し、先のクライテリアに違反していたコーヒーショップを厳しく取締りその数を大幅に減少させた。筆者が留学していた2001年には市内で279軒のコーヒーショップが営業しており、現在その数はおよそ300軒弱程度で安定している。またその道徳的善し悪しは別として、現在コーヒーショップは社会福祉税の貴重な財源としてだけでなく、アムステルダムの重要な観光資源として経済的に大きな役割を果たしている。
[19] 筆者は2003年にヤリネック(Jellinekcentre)で勤務していた看護士にインタビューをしたが、2003年の選挙による政権交代以後、ヘロイン中毒者に対する警察の取締りが厳しくなる傾向がみられるようになり今後の活動に不安を持っていた。
[20] Marlatt, G.Alan (ed.) (1998) Harm Reduction: Pragmatic Strategies for Managing
High-Risk Behaviors, New York and London; The Guilford Press, p.35.
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こうした法適用の考え方の特殊性とは別に、オランダ人社会学者のコルフは、1976年のカナビスの非犯罪化の決定にはヘロイン中毒者の増加という問題以外に、カナビスの使用者それ自体の増加を背景にした、医療専門家の間でのカナビス使用者に対する認識論的レベルでの態度の変化が影響していることを指摘する 。[12]
上述したように、当初カナビスの使用者は被差別的な社会階層である「ニグロ」の習慣であった。そのころはカナビスの使用に対して医療専門家らは、現在でも日本の厚生労働省がカナビスの副作用として認定しているカナビス精神病や、意欲喪失シンドロームなどを誘発する危険な行為であり、ハードドラッグの使用への入り口となる危険な麻薬(いわゆるstepping-stoneあるいはgateway drug)として認識されていた。
しかし60年代以降、カナビスの使用者が中産階級化(enbourgeoisement)し、使用者の社会階層が「普通の若者」へと変化したことによって、カナビスの使用に対する認知的ノーマライゼーションが起きた。
20世紀初頭のアメリカで問題となった中国人のアヘン喫煙、黒人のコカイン、アイルランド人移民の飲酒と同様、ドラッグの使用やある特定集団の習慣に対する嫌悪感や道徳的反発は、それを実践している集団の社会的地位と密接に結びついており、使用者の社会階層が低ければ低いほど彼らに逸脱者としてのレイベリングが行われる傾向が強くなることがコートライトによって指摘されているように [13]、オランダではカナビスの使用者が中産階級化したことにより、その使用は病理学的行為からレクリエーショナルな行為へと社会的な認知変化が起き、カナビス使用者に対するスティグマ化が急速に影を潜めていった。
このような他の社会的価値規準とリンクした道徳的認知の変化という社会的条件があって初めて、オランダではカナビスの非犯罪化論が、荒唐無稽な言説から一定の社会的妥当性を持つ言説へと変化したのである。
またこれと関連して、コルフはカナビスの非犯罪化にあたって、これを支持する若者の社会運動が果たした影響をあげる。
社会学者のブルデューは権力あるいは支配構造の源泉として、経済資本、文化資本と社会資本の三つをあげているが、コルフはオランダ人社会学者のリッセンバーグ(Lissenberg, E)がこれに加えた道徳資本(moral capital)という概念に着目する 。[14]
多くの政策は、道徳的価値を決定する権力を付与された特定の集団によってその善し悪しが判断され、その判断を通じて制度化されたり実践される政策によって社会秩序は維持ないしは再生産されている。
麻薬行政においてこの道徳資本を握っているのは、医療や司法などの専門家集団であり、彼らにとって道徳的に「正しい」とされる麻薬政策が一般的に道徳的にも正しいものとして制度化される。
しかしオランダでは麻薬問題に対処する政策決定に際し、異なった道徳的価値を持つ若者やサブカルチャー集団など多様な社会集団が発する意見を尊重した。
60年代後半のアムステルダム市議会では、新しく結成された政党の若いメンバーが当選し、彼らはメインストリームの文化に抵抗し市庁舎内でハッシュを喫煙したり、また保険行政の担当大臣を母親に持つ当時の有名なカナビス非犯罪化論者であったコース・ツヴァルトが、毎週ラジオ番組の中でカナビスの価格と質を放送するなどの行動をとった。これらの若者を中心とした運動が社会的に弾圧されることなく容認されたことは、麻薬政策の転換を引き起こす新たな道徳的コンセンサスの形成に大きな役割を果たしたといえる 。[15]
このようにオランダでのカナビスの非犯罪化は、ヘロイン使用者の増加、カナビス使用者の社会層の変化、サブカルチャー運動に対する一定の理解と容認、またオランダ独自の法執行システムという多様な社会的条件が揃って初めて制度化したものである。
ゆえにこの制度を単純に社会的背景の異なる他の国や地域に適用しようという考えには一定の慎重さが必要である。
しかしながら90年代を通じて、スイス、ドイツ、スペイン、ベルギー、イタリアがオランダと同様のカナビスとハードドラッグを法的に明確に区別する方向性に麻薬政策をシフトさせ、2001年にはポルトガルがカナビスを完全に非犯罪化した。
また2004年1月にはイギリスがカナビスをクラスBドラッグからクラスCドラッグへとダウングレードさせ、単純所持は依然として非合法ではあるものの実質的にほとんど逮捕、起訴されることはなくなった。またヨーロッパ以外では、カナダとニュージーランドが2004年現在カナビスの非犯罪化を検討中という状況にある。
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[12] Ibid., pp.50-51.
[13] Courtwright, David T. “The Rise and Fall and Rise of Cocaine in the United States”in Goodman J., Lovejoy, P.E. Sherratt, A. (1995) Consuming Habits: Drug in History and Anthropology, New York and London; Routledge, p. 206.
[14]Korf, Dirk J. (1995) op.cit., p.51.
[15]しかしながらオランダ国民のすべてがカナビスの非犯罪化や喫煙に賛成していると考えるのは大きな誤解である。1970年から行われている世論調査では、一定して16歳以上の国民の3分の2がカナビスやハッシュの使用を厳しく罰するべきと考えており、この割合はドイツよりも高い。Ibid., p.52. 特に保守層が多い地方では、カナビスの喫煙に対して否定的見方が一般的である。にもかかわらずこうした政策が維持されているのは、筆者がオランダで何人かのオランダ人にインタビューした限り、この政策の持つ合理性と一定の効果が国民の間で認められているからと考えられる。
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オランダのハームリダクション政策の中でも、各国から賛否両論含めて最も注目を集めているのはマリファナ及びハッシュ(大麻樹脂)の所持と販売の非犯罪化であろう。
この制度は、上述した70年代から広まりつつあったヘロインを代表とするハードドラッグと、ソフトドラッグ(カナビス)との法的区別を明確に設け、ソフトドラッグユーザーをハードドラッグのマーケットから分離させヘロインに接触する機会を減らし、ヘロインの使用者数を増加させないことを目的としている。
このカナビスの非犯罪化という考えは、60年代の若者のカウンターカルチャー的な体制批判の中から生まれた考え方というだけではなく、オランダでは実のところ社会科学者らによって早い段階から提唱されていた政策であった。
1968年の社会心理学者のコーエンによる最初の非合法麻薬に関する実証的研究Drugs, Druggebruikers en Drugsceneや、1971年の犯罪学者フルスマンによる学際的なワーキンググループの研究の中で、既にカナビスの非犯罪化が提唱されている 。[8]
行政レベルでは1968年にバーン・コミッティーとして知られる麻薬調査委員会が発足し、それまで医療、医薬、司法の専門家のみで構成されていた麻薬問題の公式な専門家集団に、当時の文化・娯楽・社会福祉省(CRM)が加わり、CRMによって社会科学、行動科学の専門家が加えられ問題の学際的研究が進められている。
1972年には麻薬調査委員会による通称バーン報告書と呼ばれる調査結果がまとめられ、その中でカナビスの非犯罪化が慎重にではあるが初めて公式に提唱されている 。[9]
この一連の調査に基づく非犯罪化政策の提唱には、麻薬にはそれぞれ異なった危険性があり、ハードドラッグとソフトドラッグの区別をつけずに使用者を一様に一つのカテゴリーに包摂し犯罪化することは、ソフトドラッグの使用者を結果的にハードドラッグのマーケットに依存、接近させ、かえってハードドラッグの使用を助長させてしまうという調査結果がその根拠となっている。
この委員会からの指摘を受けて、1976年にはカナビスの非犯罪化が制度化され、30グラムまでの所持が最高でも1ヶ月の禁固刑へと減刑されることになった。
しかしここで誤解してはならないのは、オランダでもカナビスの所持と販売は現在でも法的に禁止されている(合法化されていない)という点である。
ただしこの罪を犯しているものが、犯罪者化されることはほとんどない。
この一見矛盾した制度には、オランダの法システムの基本的特徴である便宜主義の原理(expediency principle)が働いている 。[10]
この原理は、犯罪化しうる行為の起訴、告発に対して、職権者が裁判所の許可なくこれを差し控えることを認めるものである。
この原理の適用には通常二種類あり、まず消極的適用(negative application)では、何らかの犯罪化しうる行為が発見された際に、この行為を実際に犯罪化するかしないかは、見逃すに足るだけの相当の理由がある時にのみ個々の場合に応じて判断され実行される。つまり個々のケースにおいて、ある特別な条件がない限りは法を執行するという法の適用制度であり、このタイプの便宜主義は日本を含め多くの国で採用されている。
これに対して便宜主義の原理の積極的適用(positive application)では、ある行為を禁止する法律の存在自体が、その行為を実際に犯罪化するかどうかの判断の決定的根拠とはみなされない。この適用制度では、法の執行とは公共の利益に従属するものと考えられ、公共の利益という優先事項からみて、法の執行が不適切であるならばこれは行うべきではないと判断される。
オランダ型の積極的適用では、消極的適用のような個々のケースにおける判断は行われず、一律に法執行の停止が認められている。
消極的適用では、ある条件が存在すれば犯罪化しないという判断が行われるが、積極的適用では逆にある条件が存在すればそれは犯罪化されるという逆の考え方に立つ。
この積極的便宜主義の原理がオランダのカナビスの非犯罪化には適用されているのである。このオランダのカナビスに対する積極的便宜主義の適用には明確なガイドラインが設けられており、麻薬事犯に対しては「麻薬事犯の捜査と起訴に関するガイドライン」が設けられ、捜査や拘留を行うかどうかの基準となっている。カナビスの国際的輸入、輸出という違反行為に対しては、警察による捜査、身柄の確保、裁判までの拘留が要求される一方で、30グラムまでのカナビスの所持という違反行為に対しては、捜査なし、身柄の確保なし、裁判前の拘留なし、という規定が設けられている 。[11]
こうしたオランダ独自の法執行システムによって、カナビスの非犯罪化という制度は法的にその実施が可能となっているのである。
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[8] Korf, Dirk J. (1995) op.cit., p.44.
[9] Ibid., p.45.
[10] Ibid., p.58.
[11] Ibid., p.60.
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オランダで最初の国内の麻薬規制に関する法律は、1919年に制定されたアヘン法から始まるが、この法律はもともと国内で何らかの麻薬問題が生じたために制定された法律ではない。
この法律は、アメリカ主導によって開催された1909年の上海会議、1911年のハーグ会議に、オランダがアヘンとコカインの生産国として参加した結果、アメリカからの圧力と国際協調の目的で制定されたものである。
そのため当時、実際にこの法律が適用された逮捕や起訴が行われることはほとんどなく、医薬品の規制法程度の意味しか持つことはなかった 。[2]
オランダがアヘン法の実際的な適用を開始するのは第二次世界大戦後からである。
戦後1950年代のオランダでは、ポルトガル領東アフリカ(現在のモザンピーク)から麻製品の生産を名目にカナビスが輸入され、そのほとんどが黒人によって消費されていた。
しかしアヘン法ではカナビスは規制の対象になっていなかったため、当時黒人を中心としたカナビスの使用者が実際に取締りや起訴されることはほとんどなかった 。[3]
しかし戦後ドイツに駐屯していたアメリカの黒人兵がアムステルダムまでカナビスを買いに来ていたことがアメリカによって問題化されると、オランダは1953年にアヘン法を改定し、カナビスの所持と販売にも罰則規定を設け、アムステルダムに麻薬の取締りに特化した警察ユニットを配備した 。[4]
その結果1955年には、アメリカ軍との共同作戦による3人のアメリカ兵の逮捕を含む国内最初のカナビスの逮捕者を出すことになる。
しかしその後60年代中頃まではカナビスに関する違反者が逮捕、起訴されることは稀で、仮にアヘン法によって逮捕されても数週間か数ヶ月で釈放されるのが普通で、また逮捕者の多くはアヘン喫煙を行っていた中国人移民達であった 。[5]
状況が変化したのは1960年代後半からである。1965年にアヘン法で逮捕された人数はわずか30人程であったが、1970年には1,000人まで増え、その大半がカナビスを使用する白人の若者達によって占められていた 。[6]
この背景には60年代のオランダでも、アメリカ同様、若者の体制批判やサブカルチャーへの傾倒が進み、マリファナやLSDの使用は新しい若者文化のシンボリックな存在となっていたことがあげられる。
また時を同じくして、ゴールデントライアングル産のヘロインがヨーロッパに流入するようになると、オランダでも70年代初頭からヘロイン中毒者が増加した。オランダ人の麻薬問題の専門家であるグルントによれば、
国家及び地方の当局の当初の反応は、今日我々が多くの他の国々でみている反応とさほど異なることはなかった。すなわち以下のようなシンプルな言説、これは望まれていない現象であり、われわれはあらゆる手段でもってこれを取り除かねばならない。あらゆる手段とは抑圧的な法的取締り政策であり迅速な麻薬禁止の運動である 。
しかしその後オランダの麻薬政策は、このようなゼロ・トレランスポリシーを基本とするアメリカ型の禁止政策とは異なる道を歩むことになる。[7]
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[2] Korf, Dirk J. (1995) Dutch Treat: Formal Control and Illicit Drug Use in the Netherlands, Amsterdam; Thesis Publishers, p.2.
[3] Ibid., p.53.
[4] Ibid., p.4.
[5] Ibid., p.53.
[6] Ibid., pp.53-54.
[7] Grund, J.P.C. (1989) “Where Do We Go from Here? The Future of Dutch Drug Policy”, British Journal of Addiction, 84, p.993.
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オランダはハームリダクション政策を国をあげて実践している数少ない国の一つである。
有名なカナビスのカウンター販売に始まり、ヘロイン中毒者を逮捕することなくメタドンバスが町を巡回し代替物質を配り、市の財政支援を受けている注射部屋では持参のヘロインを支給される注射針と消毒薬で使用することができる。
ここでは筆者のオランダ、アムステルダム大学での2年間の麻薬政策の研究を踏まえ、特に内外でも関心の高いオランダのカナビス(マリファナ及びハッシュ)の非犯罪化政策に焦点をあて、オランダのハームリダクション政策がどのような歴史と政策決定の過程を経て制度化され、またそれがいかなる実質的なハームリダクション(有害性の縮減)効果を生みだしてきたのかを論じる。
また、オランダとアメリカ合衆国の麻薬政策との相違点にも触れ、両国の麻薬政策に映し出される異なる社会統合のモデルにも言及し、麻薬問題に対するハームリダクション的アプローチと罰則的(punitive)アプローチの政策理念の相違点にも言及する。
この分析を通じ、ハームリダクション政策が、ハードドラッグの中毒者に対して排除型(exclusive)モデルではなく、包摂型(inclusive)モデルとして機能する麻薬政策であることを明らかにすることが本稿の目的である 。[1]
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[1] この排除型、包摂型の対比は、イギリスの犯罪社会学者、Young, Jock (1999) The Exclusive Society, London, Thousand Oaks and New Delhi, Sage Publication. による。ヤングは後期近代社会を排除型社会と位置づけ、一次労働市場の縮小、市場価値が増大する経済構造、個人主義化などマクロな社会変動を要因として、社会統制の様態、市民の精神構造、犯罪学のディスクールが逸脱者を排除する方向性に進んでいることを本書で指摘している。
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