病気を良くしたいのがどうして犯罪なの?

Canna-Biz Two インタビュー


レズリー&マーク・ギブソン (THC4MS)

Source: The Guardian
Pub date: 19 Dec 2006
Subj: Is it a crime to want to be well?'
Author: Patrick Barkham
http://www.ukcia.org/news/shownewsarticle.php?articleid=12048


「Canna-Biz Two」 と呼ばれるマークとレズリーのギブソン夫妻は、6年間にわたって多発性硬化症に苦しむ人たちにカナビスを配ってきた。そのことは警察も知っていたが黙認していた。しかし先日、彼らはカナビスの違法提供の罪で有罪判決を受けた。記者は二人に話を聞いた。


ドラッグ・ディーラーの烙印

イギリス北西部北ペニンス山脈の懐に抱かれたカンブリア州アルストン。石畳の通りの紫色のドアの奥のごく普通のキッチンでは、ほとんどいつでも調理鍋が温められ、中ではベルギーから輸入された濃い茶色チョコレートの液体が融かされていた。高級なココアのチョコレートは鍋から型に流し込まれチョコレート・バーになる。出来上がった贅沢なチョコレート・バーは、包装されてラベルが貼られる。国中の患者さんには、柔らかなジフィーバックに入れられて郵便で送り出された。

単純で魅力的な家内工業のようだが、一つだけ特別なところがある。1枚150グラムのチョコレート・バーには最高で3.5グラムのカナビスが入れられていた。この6年間に、このチョコレートのカナビスが、全国の約2%にあたる1600人以上の多発性硬化症患者さんの痛みを和らげてきた。だが、チョコレートの配布者であるマークとレズリーは、そのことで村のゴシップのやり玉にされ、ついには警察の手入れを受けて、法廷ではドラッグ・ディーラーの烙印を押された。

15日、陪審は、ギブソン夫妻と協力者のマーカス・デビエスの3人を、2004年から2005年にかけてカナビスを共謀して供給した2件の罪で有罪を言い渡した。票決が言い渡されたとき、カーライル刑事裁判所の傍聴席にはショックで涙とあえぎ声がひろがった。

この決定は、少なくとも、多発性硬化症に苦しむレズリーにとっては、ここ2年あまり悩ませられてきた起訴による精神的・身体的な苦悩が一段落したことを意味しているが、しかし、反響はアルストンのギブソン夫妻のキッチンをはるかに越えて国中に響わたった。陪審の決定は、カナビスが実質的に非犯罪化されたと思っていた人たちをも困惑させ、そして、なによりも、カナビス・チョコレートの供給が突然断たれた多発性硬化症に苦しむ人々にさらなる苦痛を与えた。


多発性硬化症の診断とカナビスとの出会い

ギブソン夫妻のカーライル裁判所への道のりは1980年代中頃まで遡る。その頃、レズリーは、アンドリュー・コリンジやニッキー・クラークといった有名な美容院の見習いコンテストでも十分通用するほどのヘアドレッサーの練習生だった。普通なら、そのまま有名人の美容師になっていてもおかしくなかったが、彼女の足はしびれでひきつり、運ばれたカーライルの病院で多発性硬化症と診断された。

10週間の入院では、不安で緊張させられる2回の腰椎穿刺とステロイドの処方を受けた。ステロイドのために顎にはひげが生え、体重も以前の2倍の90Kg以上になってしまった。退院するときの最後の医者の忠告は、バターを避けてマーガリンにしなさいというものだった。彼女は当時を思い出しながら、「普通ではない」 と宣告されたと語気を強めた。「身体障害者で、もう誰の役にもたてないでしょう。そのうち失禁するようになり、5年以内に車椅子になります」 と言わわれた。

それから22年、現在のレズリーは、車椅子の世話になることもなく、ほっそりとして、温かい笑みをたたえた魅力的な女性になっている。しかしながら、診断を受けてから3年間は、からだの両半身が麻痺し、周期的に言葉が話せなくなり、右目の視力も弱くなった。

「これが典型的な多発性硬化症の悪化のスパイラルなのです。そんなとき、マークと出会ってカナビスを使いはじめたのです。」マークは、多くの若い男性と同じようにカナビスのレクリエーショナル・ユーザーだった。レズリーは、マークと一緒にカナビスを吸っていると、自分の具合が良くなることに気がついた。


THCグループの発足

「子供の頃、チャールズ・キングスレイの童話『水の子』をよく読んでいましたが、いつも自分は、親切の女神であるドゥアズユードビダンバイ(Doasyouwouldbedoneby)になりたいと思っていました。カナビスが効くとわかると、もう黙っていることはできず、他の人にも教えてあげずにはいられませんでした」とレズリーは語る。

1990年代の中頃、偶然にもレズリーは、ローバート・キルロイ=シルクのトークショーに出演して多発性硬化症のことを話すことになった。彼女はそこで、多くの多発性硬化症患者さんと出会い、それがきっかけでTHC(Therapeutic Help from Cannabis、カナビスでの治療支援)というグループを作くることを思いついた。その頃には、多発性硬化症に関してカナビスが治療効果を持っていることが科学的にも次から次へと明らかにされ、マークも各地の大学で開催されたカンファレンスを回ってカナビスのことを話した。

ギブソン夫妻が、おおぴらにカナビスのことを語るようになると、警察も注目しはじめた。二人は1989年に初めて逮捕され、マークは ダラムの刑務所に1週間拘留された。1995年に再び手入れを受けた。さらに1999年にも繰り替えされたが、2000年にレズリーは、医療の『必要性』を理由に無罪を獲得した。


「Canna-Biz」の誕生と広がり

一方、以前から、オークニー州に住む友達で同病のビズ・アイボルさんも近隣の多発性硬化症患者さんのために『カナチョコ』を発明して配っていたが、彼女もまた逮捕されて起訴された。だか、裁判による負担で病状が悪化して続けられなくなったために、2000年にギブソン夫妻がチョコレートの製造を引き継ぐことを申し出た。

2004年にアイボルさんが亡くなったとき、マークたちは、彼女を讃えてカナビス入りチョコレートを「Canna-Biz」と呼ぶようになった。マークはアリストンでニューエイジのクリスタルやエスニックな装飾品を売るギフト・ショップを経営していたが、食品衛生資格を取得して、2階のキッチンで20人程の多発性硬化症患者さんのためにチョコレートを製造しはじめた。

「みんなに使ってもらって、世の中の助けになればと思っていました。20人限定ですなんて断ることなどとてもできません」とレズリーは言う。口コミで話がひろがり、「アルストン村、多発性硬化症夫人さま」という宛名で手紙を届けてくる人や車椅子で訪ねてくる人もいた。

カナビスを使うと、筋肉のけいれんがおさまり、膀胱のコントロールができるようになることを知った人たちは、ストリートのドラッグ・ディーラーに週150ポンド(3万5000円)も払ってカナビスを手に入れたりするようになったが、負担も大きかった。無料のチョコレートが評判になると、すぐにマークたちは1週間に100人以上に発送するようになった。


『必要性』の弁護

マークは、チョコレートを売ったりせず、多発性硬化症患者さんに分けているだけなので、法で保護されると確信していた。もし起訴されても、『必要性』の弁護、つまり、より大きな害を防ぐためには違法な行動でも許されるという抗弁を展開することを考えていた。医療マリファナ・コーポレイティブの創始者をはじめ多くの人たちも、医療の『必要性』を使ってカナビスの所持や供給で無罪になっていた。作家としても有名なアン・ビーザニック医師も、自分の病気の娘にカナビスを与えて無罪となっている。

マークは、「Canna-Biz」の製造には細心の注意をはらっていた。カナビスは、進んで提供してくれる栽培者から無料でもらい受け、チョコレートは、グリーン&ブラック製の有機チョコレートを主体にテスコやモリソンのものなどを購入して使った。「Canna-Biz」は24ピースで1枚のチョコレートになっていた。レズリーも運営を担当して、ユーザーたちには酔っぱらわないように1日に3ピース以上食べないように注意を促した。

チョコレートを店で配ったる売ったりするようなことは絶対にしなかった。そのかわりに、経費などにあてるために1.5〜5ポンド程度(300から1200円)の献金をお願いした。それよりも多く送ってくれる人もいたが、払わない人もたくさんいた。最も厳格に扱ったのは、ほしい人が本当に多発性硬化症患者であることを確認するために、医者のヘッダーと署名入りの手紙を求めたことだった。ほとんどが40才以上の患者さんで、「チープなスリルを求める人たちではなくて、みんな中年の病人でした」 とレズリーは言う。


警察の警告とTHC4MSの発足

マークが毎日のようにカナビス・チョコレートの入ったジッフィー・バッグを持ってアルストンの郵便局に歩いていく姿が見られるようになると、小さな村では、4駆のカップルが荒稼ぎをしているの違いないという噂がまことしやかに囁かれるようになった。

2002年になると、マークはカンブリア州の警察幹部から呼び出しを受けた。そこでは、カナビス・カフェを出店したらすぐに閉鎖すると警告されたが、チョコレートの活動については曖昧なことしか言われなかった。マークは、今回の裁判で、「あからさまにやるな」という意味だと思ったと語っている。「彼は、やめろとは言いませんでした。実際、この日以降、誰からもやめろと言われたことはありません。」

とは言っても、二人は警察の警告に留意して、メディアへの働きかけを減らしたり、郵便局も村のではなく地域の広域郵便局を使うようになった。そのころ、ケンブリッジシャーからデビエスが仲間に加わった。デビエスも公認された身体障害者で、深刻な糖尿病とてんかんに治療のために自分でカナビスを栽培していた。

彼らは、非営利で多発性硬化症専門に運営していることを明確にするために、THC4MS(Therapeutic Help from Cannabis for Multiple Sclerosis、多発性硬化症患者のためのカナビスによる治療支援)というグループ名に変更し、デビエスが新しいウエブサイトを立ち上げた。

彼は、また、ハンチンドンに郵便の私書箱を用意し、マークたちの住所を公表しなくても済むようにした。さらに、マークの地元の銀行が、THC4MSでの口座の開設を拒絶したために、デビエスは献金で送られてきた小切手をギブソン夫妻に代わって現金に変えることも引き受けた。


「Canna-Biz」チョコレートの発覚

法廷で明らかにされたカンブリア警察の内部文書によれば、2000年にレズリーが無罪になってから、警察は、「抑圧的かつ執拗に」二人に対する監視活動を立ち上げることを決めた。

昨年の2月の早朝、二人の家の紫色のドアがノックされた。警察だった。郵便局でジッフィバッグが破損し、中から「Canna-Biz」チョコレートが発覚して警察が呼ばれたのだった。デビエスも含めて3人は、カナビス供給の共謀罪で告発された。

だが、裁判は2年近く待たされた、その間に二人のギフト・ショップは立ち行かなくなり、やっと法廷が開かれたのが2週間前のことだった。

検察側のジェレミー・グラウト・スミス検事は、二人が従来のドラッグ・ディーラーとは違うと認めながらも、「たとえ社会に良いことをしていると信じていても、カナビスの供給の言い訳にはならない」 として、法による保護は適応されないと主張した。


商売下手なディーラー

警察は、デビエスの家から3つの銀行口座の詳細な記録を発見し、2003年3月から2005年3月までの間に、3万9000ポンド(900万円)以上の小切手が預けられたのを確認した。「この金額は配布が非常に大規模に行われていたことを示している。司法当局はそれが種たる目的だとは見ていないが、少なくともその一部は被告たちが利益に回ったと思われる」 と検事は述べた。

これに対して、ギブソン夫妻とデビエスは、合計の大半がデビエスの身内からのもので、一部に献金も混じっているが、そのすべては非営利の「Canna-Biz」活動の資金に回された、と反論している。

実際、6年間に彼らが供給したチョコレートは3万3000個以上にのぼり、ストリートの価格に換算すると50万ポンド(1億1600万円)にもなる。しかし、二人の生活振りは見ためにも裕福とはいえない。レズリーは、「私たちが、とても商売が下手なディーラーだったと言いたいのかしら? もし売っていたとすれば、今ここに座っているわけないでしょ。スペインでのんびりやっているわよ」 と肩をすくめた。

法廷での論戦は9日間も続けられたが、結局、決定的に不利になるような証拠はほとんど出てこなかった。


医療の必要性でカナビス供給が無罪になった例はない

裁判は、ある日の朝、検事が気分が悪くなってチェックを受けていたことを理由に開始が遅れた。だらしない検事に比べて、レズリーは、やっとの思いで法廷に歩いて入場し、10分以上座っているのは見ていても痛々しいというのに、毎日遅刻することもなかった。

彼女は、以前の法廷の戦いでは、多発性硬化症の症状が5年は進んだと思っている。陪審の票決の2日前には 「起きてから、動けるかどうかはその時になってみないと自分でもわかりません。眠れませんし、両肩の間にはいつも痛みがあります。法廷にいなければならないので、十分にカナビスを取るわけにもいきませんし」 と苦痛を語っている。

二人は、法律の専門家たちが医療カナビスと法律の基本的ないくつかの事実を修正するように要求するのにも、必死で耐えて冷静を保った。グラウト・スミス検事は、わざわざマークの横に並んで、これまでに、医療の必要性を根拠にカナビスの供給が無罪になった例は1件もないと強く主張した。


サティベックス

裁判官は、イギリスで多発性硬化症に使う商用の医療カナビスであるサティベックスが、どうしてまだ無許可で合法化されないのか熱心に理解しようとしていた。

マークは再び説明に立ち、カナダでは認可されているもののイギリスではまだ許可が下りていないことや、12ヶ月前から「指定患者」については処方箋ベースで輸入して利用できることにはなったものの、実際に患者に処方するためには、医師は内務省の許可を取らなければならないことになっていて、政府はポーズを取っているだけに過ぎない、と話した。

身体傷害関係の新聞デザビリティ・ナウ(Disability Now)の調査では、官僚的な許可審査と価格が高いこともあって、現在までのところ、サティベックスを利用している患者はほとんどいない。レズリーはサティベックスの所持ライセンスを持っている少ない一人だが、カナビスを吸うほうが具合がいいと語っている。「サティベックス・スプレーは非常に強すぎる」ために、吸った時に比べると、体が動かず何も出来なくなってしまうと言う。


医師の手紙

ギブソン夫妻は、法廷を宣伝の場にしようとするようなタイプの運動家ではないが、彼らの裁判はいくつかの興味深い事実もあって注目を集めた。

例えば、二人は、多発性硬化症患者であることを示す医師の手紙を1036通保管していたが、そのうちの65通には、カナビス・チョコレートについて直接言及している。このことは、一部の医師たちが、何のために手紙を書いたか完全に分かっていたことを示している。

チョコレートを受け取っていた多発性硬化症患者の一人である車椅子のヘレン・ウォリスさんも、何故手紙が必要なのか医師に詳しく話したと法廷で証言している。こうしたことから考えて、医療専門家の多くの手紙は、実質的に処方箋と同じだったと言える。


政治情勢と法見解の変化

こうした支援にもかかわらず、政治情勢も変化していった。2004年の1月には、カナビスがB分類から規制の緩いC分類にダウングレードされた。

しかし、このダウングレードは、必ずしもギブソン夫妻には有利にならず、むしろダメージを与えることになった。それまでは医療カナビスを支援して献金などをしてくれていたリクレーショナル・ユーザーたちが、ダウングレードで安心して吸えるようになったために、徐々に離れていってしまったのだった。さらに、ダウングレードと引き換えに栽培や売買の罰則が強化されたために、ギブソン夫妻に科せられる最高刑も重くなってしまった。

また、ダウングレードから1年ほど過ぎた2005年の始め頃ころから、政府は再びドラッグに厳しい姿勢を示すようになった。カナビスが精神病や統合失調症を引き起こすとされる研究の発表が続き、カナビスが人それぞれに別の効きかたをするという認識がひろまった。ギブソン夫妻が逮捕されたのもこの頃だった。内務大臣は再びカナビスをB分類に戻すべきかを委員会に諮問しての総選挙の争点の一つになった。

さらに、2005年5月になると、法の見解も変化し始めた。それまで、いくつかのグループが医療の『必要性』を理由にカナビスの供給を認めさせることに成功していたが、控訴院は、6件のカナビス供給に対して『必要性』の弁護は適用できないという判決を下した。このコモンローの弁護ができなくなったことで、実質的に、カナビスの医療利用は再犯罪化されてしまった。

多発性硬化症リソースセンターのローレンス・ウッド主任理事は、この判決で、法が「バカ」になり、どこから安全にカナビスを入手したらよいのか説明もしようともせずに偽善的に個人使用目的の所持を認めることになった、と指摘している。「政府がサティベックスを認可して簡単に入手できるようにすれば、患者さんたちは、そもそもこのような形で供給を受ける必要はなかったのです。」


カナビスで良くなってごめんなさい

評決以来、二人のところには、チョコレートを受け取っていた患者さんたちからのメールが寄せられている。多発性硬化症の女性の一人は、「判決にはとても悲しんでいます。・・・これからに備えて、毎日、少しずつ使う量を減らしてみたのですが、どうしても痛みに耐えられず元の量に戻してしまいました。もし、このチョコレートが終わってしまったら、どうなってしまうのかとても不安です。」

レズリーは語気を強めて一気に言った。「検察官は、私が悪いと言いますが、悪いのは法律です。邪悪で無慈悲で全く不公平です。病気に苦しむ自分が何故法廷にいなければならないの? 病気を良くしようとする思うことが犯罪であるはずがありません。もし、合法なペンキ剥しを飲んで良くなるなら、そうします。運が悪いことにカナビスは違法なの。カナビスで良くなってごめんなさい。これからもカナビスを使い続けるのでごめんなさい。車椅子にはなりたくないの。失禁なんていやなの。」

カナビスの不正供給の最高刑は14年の懲役だが、裁判官からは、1月に予定されている判決の言い渡しでは、刑務所行きにすることはないと言われている。しかしながら、二人は、最後の「Canna-Biz」チョコレートを洗い流し、鍋をしまわなければならないことが分かっている。法律はもう守ってはくれない。多発性硬化症患者さんたちには、痛みを解放してくれるカナビス・チョコレートが郵便で届くことは最早ない。

「裁判官に望みます。全ての人に何故もう私たちの薬が受け取れなくなったのか手紙を送ってほしい。私にはそんなことはできません。」