薬物政策研究者のtakuさんによる論稿を連載します。ハームリダクション政策とは何か、日本の薬物政策を考えるうえでもとても参考になると思います。
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第1節 はじめに ─ハームリダクション政策の基本的アプローチ
ハームリダクション(有害性縮減)とは、麻薬の使用と中毒問題に対する、道徳、疾病モデルに代わる、公衆衛生(public health)の視点からの代替的アプローチである。
これまでアメリカでは、長年麻薬の使用と中毒は、道徳モデルと疾病モデルが、時には両者が競合しながらも、この2つのモデルを基本に取り扱われてきた。
禁止政策がその理念の基礎に置く前者の道徳モデルにおいては、ある特定の麻薬の使用と頒布は非道徳的行為と定義され、刑罰に値する犯罪行為として法的に規定される。
この道徳モデルから80年代以降のアメリカのドラッグウオーは遂行されており、その究極の目的は、非道徳的存在である非合法麻薬とその使用者が完全に消滅した社会の実現にある。
その実践は、生産国での根絶作戦、DEAを中心とした密輸の取締り、警察による国内の売人及び使用者の逮捕など、主に刑事司法制度を通じて行われる。
一方の疾病モデルは、麻薬の使用と中毒を病気とみなし、これに治療とリハビリが必要と考えるアプローチである。
個人の薬物の使用に対する欲求を改善、矯正することに主眼を置く予防と治療プログラムが中毒者には適用され、これによって麻薬の需要削減が目指される。道徳モデルが中毒者を処罰に値する犯罪者とみなしているのに対して、疾病モデルは中毒者を病人とみなし治療によって完全な麻薬使用の停止(abstinence)を目指す点に両者の大きな違いがある。
この2つのアプローチは互いに敵対してきたが、しかし両者はともに、麻薬の使用削減(use reduction)によって最終的には麻薬の使用を社会から根絶させることを目標としている点では共通した麻薬問題に対するアプローチといえる。[1]
これに対しハームリダクション政策のアプローチでは、道徳モデルのようにある特定の麻薬の使用が道徳的に善か悪かという判断は行わず、また疾病モデルのように彼らをあえて病人と定義することもない。
ハームリダクション政策では、麻薬が完全に存在しない社会というビジョンは追及されず、それが仮に望ましい状況であったとしても、現実には実現困難なユートピア的目標とみなされる。
現実には社会の多くの人々が麻薬を使用しているという状況を受け入れた上で、麻薬の使用によって使用者と社会が被る有害性をいかにして削減するか、ここにハームリダクションの中心的関心がある。
薬物使用とHIV感染の研究を行っているデス・ジャルライスは、薬物使用に関するハームリダクションについて、公衆衛生学の立場からその基本的考えを次の5点にまとめている。
1.サイコアクティブな薬物へのアクセスを有する社会においては、非医療目的でのそれらの使用は不可避的である。麻薬政策は、非医療目的での薬物の使用を根絶するというユートピア的信念を基礎にすることはできない。
2.非医療目的での薬物の使用は、不可避的に、重要な社会的、個人的な害を生みだす。麻薬政策は、すべての薬物使用者が常に安全にそれらの薬物を使用しているというユートピア的信念を基礎とすることはできない。
3.麻薬政策はプラグマティックでなければならない。麻薬政策は、その実際の結果によって評価されねばならず、シンボリックなレベルで正しいか間違っているかということで評価されてはならない。
4.薬物の使用者達は、大きなコミュニティの不可欠な一部をなしている。それゆえコミュニティ全体の健康を守るためには、薬物使用者の健康を守ることが要求される。ゆえに薬物使用者をコミュニティから孤立させるのではなく、コミュニティの中に統合することが要求される。
5.薬物の使用は、多様なメカニズムを通じて社会と個人に害をもたらす。ゆえにこれらの害に対処するための幅広い措置が必要とされる。これらの措置は、中毒治療を含む薬物使用者へのヘルスケアの供給、なんらかの薬物を使用しがちな人々の数の削減、また特に、使用者をより安全な薬物の使用形態へと転換させることを含む。ハームリダクションを行うためには、必ずしも非医療目的での薬物の使用そのものを削減させる必要性はない。
(中略)ハームリダクションは、合法、非合法両方の薬物の使用者に対するステレオタイプによってではなく、リサーチに基づいた政策を取る必要が強調される。[2]
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[1]Marlatt, G. Alan, "Basic Principles and Strategies of Harm Reduction" in Marlatt, G. Alan (ed.) (1998) Harm Reduction: Pragmatic Strategies for Managing High-Risk Behaviors, New York, London; The Guilford Press, p.50.
[2]Des Jarlais, D.C. (1995) "Harm Reduction: A Frame Work for Incorporating Science into Drug Policy", American Journal of Public Health, 85(1), pp.10-11.
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