以上のような議論からすれば、現行の非合法麻薬に対する抑圧的禁止政策とハームリダクション政策は、一見相いれない考え方のようにみえるが、現実にはハームリダクションにはいくつもの存在形態があり、必ずしも禁止政策との間で親和性が存在しないわけではない。
現代社会において想定される麻薬政策は、次の図のように、取締りを強調した完全な禁止政策と、公衆衛生を強調した完全な合法化政策を両極に多様な政策が存在可能である。
一方の極に位置する完全な禁止は、現在のアメリカ政府のいわゆるゼロトレランス政策に代表されるものであり、一方の極にある完全な合法化は、政府によるあらゆる規制を排除した完全な自由市場の中で非合法麻薬の入手を可能とする考え方である。
禁止政策の支持者は、時として、一方の極である完全な合法化論を禁止政策に変わる唯一の代替案として取り上げ、その危険性を喧伝することで禁止政策の優位性を強調するが、この両極の中間にいくつもの代替的政策があり、ハームリダクション政策は一般にこの中間に位置する様々な段階的政策の諸形態、及びそれらの薬物別の複合的政策として捉えることができる。
←公衆衛生的アプローチ
完全な合法化-規制下での入手可能化-医療化-法律上の非犯罪化-事実上の非犯罪化-完全な禁止
刑事司法的アプローチ→
(Marlatt, G. Alan, Weingardt, Kenneth R. "Harm Reduciton and Public Policy" in Marlatt, G. Alan (ed.) (1998) Harm Reduction: Pragmatic Strategies for Managing High-Risk Behaviors, New York, London; The Guilford Press, p.368.より作成)
まず完全な合法化から刑事司法的アプローチへと一つ軸をずらした形態として、非合法麻薬をアルコールやタバコと同様の一定の規制のもとに販売を合法化する「規制下での入手可能化」(controlled availability)政策がある。
年齢制限、販売流通経路の限定、購入抑制策としての課税、政府による専売制度など通常各国でアルコールやタバコなどの合法的麻薬にかけられているものと同じ法的取り扱いを行うことで、ブラックマーケットを根絶し、質と供給の安定によって健康被害と犯罪の縮小を目指す政策である。当然規制に違反し販売したものには法的制裁が加えられることになる。
次により厳格な統制が加えられた形態として、現在の医薬品と同様の医師の診断と処方によって中毒症状をもつ者のみに麻薬の供給を行う「医療化」(medicalization)政策がある。
これは1920年代に医師によるアヘンの処方を認めたロレストン委員会(Rolleston Committee)の決定以来、現在でもイギリスでは法的に維持されている制度である[11]。
またアメリカではカリフォルニア州が1996年に通過させたProposition 215によって医療マリファナの処方が開始されており、HIV患者、癌患者、緑内障患者などを対象に、医師の承認によってマリファナの入手は可能となっている。
同様にアリゾナ州でも1996年にDrug Medicalization, Prevention and Control Act:Proposition 200の通過によって、マリファナの医師による処方が可能となっている。
この医療化政策には、質の安定、ブラックマーケットの縮小、使用者の非犯罪化、麻薬入手のための窃盗犯罪の減少などの効果が期待されている。
次にあげられる政策は「非犯罪化」(decriminalization)である。これは厳密には2つに分けることができ、法律の条文上は麻薬の使用、所持、販売は非合法であるが、これらの法律への違反の罰則を軽減したり削除する「法律上の非犯罪化」(de jure decriminalization)と、オランダのマリファナ政策のように違反への罰則は条文上残していても、実際の適用が法執行機関によって行われない「事実上の非犯罪化」(de facto decriminalization)がある[12]。
先のアリゾナ州の法律では、暴力行為を伴わない非合法麻薬の所持と使用で逮捕されたものは、刑務所への拘置の代わりに治療プログラムを受けることが義務化されたが、この制度なども非犯罪化の試みの一つといえるだろう。
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[11] この制度の成立の歴史的背景はBerridge, Virginia (1999) Opium and the People, London, New York; Free Association Books Ltd, p.272-277. に詳しい。
[12] Marlatt, G. Alan, Weingardt, Kenneth R. "Harm Reduciton and Public Policy" in Marlatt, G. Alan (ed.) (1998) op.cit., p.369.
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