シーン6 苛立ち
抗がん剤の治療が始まった。吐き気止めの点滴をまず行う。そのあとで看護師が抗がん剤のボトルに取り換えた。ぽたぽた落ちる点滴を見ながら、すっかり病人になっちゃったな、と早苗は悲しく思う。
抗がん剤の点滴の後、軽い吐き気が続き、早苗は食欲がわかない。食事が運ばれてきても匂いが不快に感じ、すぐに下げてもらう。全身が疲れてしまい、気力もなくなってきた。
痛みは相変わらず続き、モルヒネが飲み薬から点滴になった。モルヒネ以外にもいろいろな薬を試したが、痛みは結局80%位にしかならなかった。抗がん剤のため食欲もなくなり、痛みが続くことで、早苗は身も心も疲労してきた。本来明るい性格だが、さすがに苛立ちを隠せなくなってきていた。
長島医師は困っていた。どうも早苗の痛みは痛み止めの効きにくいタイプのようだ。神経が障害されておこる痛みはモルヒネが効かないことがある。癌の痛みの治療はモルヒネが中心であり、他の薬は補助的なものである。モルヒネが効かない痛みは、治療が難しい。
良介が夕方面会に来た。
「具合はどうだい?」
「どうもこうもないわ。食欲もないし、痛くて夜もゆっくり眠れないし。何だか落ち込んできた。もう、治療も止めて、死んでしまったほうが楽かも。」
「何を言ってるんだ。先生も看護婦さんも頑張って治療してくれているんだから、早苗も頑張らなきゃ。」
突然早苗の表情が変わった。
「何よ!あなたは私の苦しみが分からないくせに!頑張れって、いったいこれ以上何を頑張ればいいの?こんなに痛くて、こんなに辛くて。これ以上私が何をできるの!」
「ごめん。君の気持ちも分からずに。」
その時、早苗が突然苦しみだす。
「痛い、痛い、、足と背中が、、、。」
早苗は苦痛の表情を浮かべ、冷や汗をかいている。
良介はナースコールを押した。
「すみません、妻が突然苦しみだして、すぐに来てください。」
長島医師と看護師が部屋に入ってきた。
「どうしました?」
早苗が振り絞るような声で答える。
「急に電気が流れるように痛みが出て、、。いたた、痛い。」
「何をしていて痛みが強くなったのですか?」
「私としゃべっていて、ちょっと口論になって、そしたら急に痛くなったようです。」
良介が答えた。
「そうですか。旦那さん、ちょっといいですか?」
良介と長島医師は廊下に出た。
「早苗さんの痛みは痛み止めが効きにくいようです。興奮して、強い痛み発作が出たのでしょう。」
「先生、どうすれば。」
「今は痛みを取るのが難しそうなのと、興奮しているようなので、鎮静剤を使って眠ってもらったほうがいいでしょう。ゆっくり眠って休息をとったほうがよさそうです。久保田さんは今とても疲れているようだし。よろしいですか。」
鎮静剤を使い、早苗は静かになり、やがて眠ってしまった。眠っている時も眉間に皺をよせ、痛みは夢も中でも続いているようだ。良介は混乱していた。これからどうすればいいのか、自分に何ができるのか。しかし、無力感を感じるばかりだった。
(つづく)
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