麻薬取締官事務所には留置場がないため、良介は近くの警察に移され留置場に入れられた。留置場は、8畳ほどの大きさで、部屋には何もない。窓には頑丈そうな金網が張ってある。部屋には5人収容されていた。
良介は部屋の人に挨拶をして、中に入った。留置場ということで、凶悪な人が同室だったらどうしようかと心配していたが、そのようなことはなく、みな気さくに話しかけてきた。同じ境遇で相憐れむというところもあるのだろうし、何より、娯楽がなく人と話すことが唯一の楽しみであるようだ。
同室者は、2人が外国人で3人が日本人であった。2人の外国人は、東南アジアから出稼ぎで、不法労働ということで逮捕になったらしい。日本人は、1人は傷害事件、1人は覚醒剤所持で逮捕されたらしい。もう1人は老人だが、どうも1人暮しで認知症になってしまい、周囲を徘徊し、女性にわいせつ行為をはたらこうとしたという理由で逮捕されたようだった。
覚せい剤所持で逮捕された男は、ちょうど良介と年も近く、同じ薬物犯ということで、良く話しかけてきた。
「あんた、大麻で捕まったんだってな。俺もやったことあるけど、あれは悪いものとは思えなかったね。シャブに比べりゃあ酒みたいなもんだよな。」
「はあ・・・。」
良介は、気のない感じで返事をした。
「あんた、でも、やりそうにみえないけどね。真面目なサラリーマンって感じじゃん?どうしてやるようになったの?」
「・・・。」
良介は、話しかけながら、感情が抑制できなくなってくるのを感じた。「急に逮捕され、取り調べを受け、そして今は留置場にいる。自分は妻の病気を良くしたかっただけなのに、ひどい状況になってしまっている。これからどうなってしまうのかも分からない。そして、妻は今どうしているのか。大麻がなくなって。痛みはきっと強くなっているに違いない。今の自分の状況をどう伝えるべきなのかも分からない。何故こんな目に逢わなければならないのだ。」良介は俯き、悲しみと怒りで背中を震わせる。男が良介の肩を叩く。
「おいおい、大丈夫か?まあ、急なことで無理もねえよなあ。俺も最初はつらかったぜ。今はだいぶ落ち着いてきたけどな。」
「すみません。急に色々あったもんで。もう大丈夫です。」
その後、男の逮捕の経緯や取り調べなどについて聞いた。薬物犯なので参考になるだろうということだった。
男は、1週間前に覚せい剤所持で現行犯逮捕された。警察で取り調べを受けて、送検されたばかりだ。これから検察で取り調べを行う予定で、留置場で待機させられている。
「今は、待ちぼうけさ。いつ検察に呼ばれるか分からないし。弁護士も付けたんだが、これがひどい弁護士でねえ。」
「弁護士?そういえば取締官が弁護士をつけられると言っていましたが、具体的にはどうするんですか?」
「当番弁護士ってのがいるんだよ。要は、警察で営業してる連中だと思うよ。当番で俺たちの弁護してくれる奴が決まってるってわけ。でも、選べないし、選べたとしても、どいつがいいのか分んねえからなあ。まあ、警察が紹介してきたのを頼むしかねえわな。それで俺の弁護士はひどくてよ。弁護士なのに取調官みてえな感じで。しかも薬物関係はあまり専門ではないとか言いやがって。とにかく正直に全部言って罪を素直に認めろ、しか言わねえ。言い逃れて向こうの心証を悪くすんなってのよ。まあ、証拠もあるし言い逃れようがねえから、とっとと罪を認めて早く裁判終わらせてえのは分かるけどよ。でも、俺の罪を軽くするためにどうすりゃいいのかもっと考えてくれてもいいよな。あれじゃ裁判官や検察とグルだぜ。誰か知ってる弁護士がいりゃあ、そっちに頼んだ方がいいぜ。」
注)当番弁護士制度について。男は「警察から紹介される」といっているが、正しくは日本弁護士連合会による制度である。逮捕された人が当番弁護士によって1回無料でアドバイスを受けることができる制度。警察に当番弁護士を呼んでほしいと伝えると弁護士会に依頼してもらえる。その後の弁護も依頼できる。
http://www.nichibenren.or.jp/ja/legal_aid/on-duty_lawyer/index.html
「そうですか。」
良介は、もちろん知っている弁護士などいない。しかし、まずは誰でもいいから相談できる人、外の世界と連絡を取ってくれる人が欲しい、と思った。
9時に消灯になり、良介は布団に横になった。なんとなく考え事をしていると、なんだか隣の布団が騒がしい。
「俺はもう帰るよ。もうこの船も港に着いただろう。」
認知症の老人が騒いでいる。
「開けろ、開けろ!」
扉を叩いている。
「どうしました?」
良介が聞くと、
「母ちゃんか、今から帰るぞ!」
と、すっかり興奮状態になっている。ここがどこなのか、自分が話しているのが誰なのか、全く分からなくなっているようだ。
留置場の担当の警察がやってきて、
「爺さん、またかよ。困ったなあ。ここは留置場で、あんたまだ帰れないから。言っても分んねえだろうなあ。しょうがねえなあ。ああ、あんた、悪いけど爺さんの面倒みてくれないか。」
「え、私がですか?」
結局良介は老人の面倒を見ることになり、ほとんど眠ることができなかった。「ああ、何てことになってしまったのだ。」良介はあまりに疲れ果てて、自分のひどい状況が逆に笑えてきた。
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